辛子明太子
それからはなるべく斎藤先生の一件については口外しないように気を配った。これは『昼下がり新聞』内の決まりとして蛭ヶ崎が確立させた。そして高橋には『昼下がり新聞』には無理して来なくていい蛭ヶ崎が伝えてくれと僕は言われたので、僕は高橋に一言一句違わないように伝えた。高橋は「あ、もう知ってるんだね。」と少し気の抜けた返事をした。また、活動できるようになったらいつでも来な、と僕は添えて彼のもとから去った。
一方『昼下がり新聞』では、紫田が新聞のレイアウト、片桐が高橋に代わって情報の収集、蛭ヶ崎はこれからのインタビューの日程の作成及び確認、僕は蛭ヶ崎の書いた文の校閲が担当である為〈本部〉には行くが、パイプ椅子に堂々と座り本を読んでいるだけだ。勿論、蛭ヶ崎の了承は得ている為、僕は少し退屈だがそこそこ優雅な時間を過ごしている。このことに対して誰も口を出さないのは僕にとって過ごしやすい環境を生み出していた。
「幸人君、こんな難しいことやってたんだ。」と片桐がスマホの画面とにらめっこしている。
「高橋君の事を考えるとこの状況は彼にとっても居心地はいいとは言い切れないから、ゆっくり休んでもらおう。」と紫田が応える。
そんな時錆びた扉が開くのに気づいたのは僕だけだった。
そこに立っていたのは、今話題に出てきた高橋だった。
「高橋、別に無理に来なくていいよ。」と僕は言う。
「お、高橋、よく来た。」と高橋を手招きしたのは蛭ヶ崎だった。
「え?蛭ヶ崎君、高橋君のこと呼んでたの?」と紫田が蛭ヶ崎に疑問をぶつける。
「一応、被害者のインタビューはしたほうがいいだろう。」と蛭ヶ崎が堂々と応える。
「蛭ヶ崎僕に『高橋に無理して来なくていい』って伝えろって言ってただろ?!」と僕は怒りを放つ。
「それは、今回インタビューはあの現場を目撃する前に先に高橋にアポを取ったんだ。」と蛭ヶ崎は僕に向かって言った。
「あ、これ高橋に訊くことのメモだから。」と何かのメモ帳の切れ端を僕に渡し、ウィンクをした。僕は心の中で蛭ヶ崎を蹴り飛ばす妄想をした。
「高橋、本当にごめんよ。一応高橋には黙秘権はあるから、話せる範囲でいいよ。」と前置きをしておく。
「いいよ大体蛭ヶ崎のことは分かってるからあんまり気にしてはいない。」と高橋が僕に返す。
「高橋、やっぱ優しいな。何処かの蛭ヶ崎と違って。」と高橋だけに聞こえるような小声で言ったが、「ん?何か言った?」と蛭ヶ崎が反応した。
「あいつ、地獄耳だな。」高橋が言う。案外高橋も立ち直りかけてはいるのだなと僕は受け止めた。
蛭ヶ崎から貰ったメモには五つの質問が箇条書きにされていた。
一、彼女をとられた今の気持は。
二、彼女をとった斎藤先生の事はどう思っているか。
三、今後どのように彼女と接するつもりなのか。
四、この後コンビニでおにぎりを一緒に食べませんか。
五、私は本当はサンドイッチがいいですけど高橋さんはどうですか。
というようなものだった。
きっと、最後の四、五は蛭ヶ崎による慰めなのかもしれないと僕は思った。
「はい、それではインタビューを始めます。」と僕は号令を掛ける。
「はい、始めます。」と高橋が鸚鵡返しをする。
「まず、彼女をとられた今の気持は。」とメモに書いてある通りに読む。
高橋はというと、最初にその質問かぁ。と思っているのか顔が引き攣っている。
少し間を置き「えーと、まぁ最初はあまりいい印象ではなかったけど、今は俺自身の接し方にも問題があったんじゃ無いかなと思います。」と答える。
僕はメモ帳の空いているところに走り書きをする。
「次に彼女をとった斎藤先生のことはどう思っていますか。」と機械的に読む。
「えー、まず斎藤先生があんなことやるとは思っていなかったので正直今も信じられないです。」と高橋は俯きながら答える。
「次に今後どのように彼女と接するつもりなんですか。」と僕は少し語尾を濁しながら訊く。
高橋は未だに俯いている。流石に質問を変えようと僕は思った。それと同時に三つ目の質問の前にバツ印をつけた。
「じゃぁ次の質問に移ります。」と僕は言った。高橋の顔が少し明るくなったのが分かった。
「この後コンビニでおにぎりを一緒に食べませんか。」と僕は言う。
変わり種の質問に高橋は困惑しているのが見えた。しかし、直ぐにいつもの整った顔に戻り、蛭ヶ崎の方を向いた。
僕も、うん、多分あいつの仕業。と言う目で高橋に語る。
すると高橋は微笑みながら「俺は辛子明太子でもいいな。」と蛭ヶ崎にも聞こえるような声で言った。
紫田と片桐はなんのことかわからず、目を泳がせている。蛭ヶ崎は、そうかそうか。と言わんばかりに口角を上げている。
「では、最後の質問です。私は本当はサンドイッチがいいんですけど高橋さんはどうですか。」とドキドキしながら訊く。
高橋は「いやー、辛子明太子は譲れないなー。」と戯けた顔をし、蛭ヶ崎の方を見て答えた。蛭ヶ崎は高橋に向かって高くグーサインを送った。それに高橋は笑った。
「よし、今日はこのあたりで終わり!解散、解散!」と蛭ヶ崎が言い放つ。
それを合図とし、〈本部〉に居る全員が帰る支度をする。
「今日は奢りな。」と蛭ヶ崎が高橋に向かって言う。
「えーなんでよ。ちゃんと自分の分は自分で払えよ。」と高橋が嬉しそうに応えながら蛭ヶ崎と〈本部〉を出る。
なんか楽しそうだなぁと思いながら二人の背中を眺める。
「ねぇ、話があるんだけど。」と背後に立ちながら耳元で囁いたのは紫田だった。
片桐が「早く出てぇ。あたし帰るの遅くなっちゃう。」と少し粘り気のある声で言う。
「あ、鍵私が持っているから先に帰ってていいよ。」と紫田が言う。
「菜美ちゃ〜んありがとう。」と言いながら片桐はそそくさと帰る。
「で、どうしたの。」と僕は紫田に訊く。
「あのね、私の勘なんだけど、高橋君多分嘘ついてると思う。」と紫田が思いもよらない事を口にするから僕は喉の途中から声が出てきそうになる。
「それってどういう事?」僕は更に話を掘り下げる。
「私ね、いつもインタビューをしてる時相手の仕草をよく観察してるの。それと同じ容量で今日も高橋君を見てたんだけど。下戸君がインタビューをしている時高橋君の目が泳いでたんだよね。」と紫田が言った。
僕は高橋の目の前に居たのに何も気づかなかった。いくら顧みても蛭ヶ崎のお巫山戯に笑っている高橋しか思い出せない。
「あくまで私の勘だから参考にもならないとは思うんだけど、一応誰かに話した方がいいかなってそれに私明日先生に突撃しようと思うんだよ。」と紫田が付け加えた。
「いや、流石に突撃まではしなくていいんじゃない?現にその高橋の嘘も確定したわけでは無いから。」と僕は返す。
「そうだよね。突撃はまずいよねわかった。ありがとう。」と紫田は笑ってこの部屋を去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます