火と水 6

「それで、あなたはいつから隠れていたんですか?」

 ——魔法闘士ストライカーの連中はみんな普通の感情を欠如してるの!?、先程のかえでの声が震えていた訳を一瞬で理解した千鹿は、もはや幻舞を同じ学生という立場に置くことを諦めた。しかして分かりきっていたことながら、彼の記憶に入り込むことができなかった事実に、今日だけで幾度覚えただろう感情に苛まれた。

「ちゃんと聞こえたのは、生徒会長が奉書紙を読み始めたくらいかな。その前にも何か話してるのは分かったけど、内容までは聞こえなかったわ」

 元よりその気はなかったが、間違いなく嘘偽りの微塵も通じない幻舞に包み隠さず全てを話した。訊かれたことから訊かれてはいないがおそらく二言目に訊かれるであろうことまで、気休め程度の免罪符を混ぜながら赤裸々に説明した。

「驚いた!自慢ではありませんが、自分がそれだけの時間気づかなかったのは初めてです。既にそれだけの魔力制御が行えるなら、軍の階級取得もすぐだと思いますよ。あとはまぁ、人の話をよく聞くとかでしょうか」

 返ってきたのは意外な言葉だった。

 千鹿の頭には幾つもの思慮が目まぐるしく駆け巡り、清水の舞台から飛び降りるような、この時代で言うところの古代魔工具の試験台に自ら名乗り上げるような、生死の狭間に率先して立つ彼女の異常性たるや、先ほど自身で選別した雑種と同類だった。

「じゃあ、一回くらい私と戦わない?」

 千鹿は目をキラキラと輝かせて、表情は真剣そのもの。もはやつかに手をかけて臨戦態勢といった様子だった。

 幻舞は幻舞で虚無の世界に片足を踏み入れる彼女に呆気を取られている。

 彼女の隠密技術に興味を抱いた事実はあれど、それがそのまま戦闘力に反映されるのは超がつくほど実践的な場面においてのみ。ただの模擬戦においていえば、バッタ型の獣人ですら飛び越えることが出来ないくらい遥か高い壁が、猛禽類の視力を持ってしても捕捉できないくらい遥か離れた距離が、普通であればそんな言葉を押さえ込むはずだった。

「とりあえず、今はここを離れましょうか」

 後ろから左肩を優しく叩かれる彼女の眼前では、先程まで逆撫でするような顔で立っていたはずの幻舞が煙のように消えていく。

 訓練場の外から僅かな足音が地下の耳に届いたのは、一種の癖にまでなった“聴覚補助”の弊害だった。今は、無秩序的に無意識下で魔力を垂れ流している為、この場を後にしたところでその残滓から身元を特定させるのがオチではあるが、そんな頭を持ち合わせていられる現状にない。

 そもそも、駆けつけた教師に見つかったとしても、落とし物を探していたと言えばいいだけであり、そこまで大事に至るとも思えない。幻舞も千鹿も決して部外者という訳ではないのだから。

 それなのに、手を引かれて逃げるように立ち去る千鹿は、矢先の戦いに血湧き肉躍る様子でそれ以外のことは全く視界に入っていない。

「どこ行くの?あんたこんな時間に魔法の使用許可が降りてる民間施設知ってるの?」

 魔法の使用には、法律的にも各々の規則でも幾つかの厳しい制限が設けられており、窃盗や暴行、詐欺などと比べても重い罰が下される。

 国の認可を受けた——直接的な権限は軍の本部長及び支部長のみが持つ——施設や人物でない限り、一般に魔法を使用することは禁止されている為、適当な空き地を見つけて始めるという訳にもいかない。

 法律ではそれに時間的制限は課せられていないが、開閉式天井の設置を義務付けている。

 魔力は熱を蓄える吸熱効果があり、冬場は換気を控えめにすれば二十度近く記録することを利用して天然の暖房設備と化している。もし真夏にそんな状態で魔法を使えば、一瞬にして五十度を超えることは想像に易いだろう。

 その為、どこの施設でも閉館の二、三時間前には使用禁止になることが多い。徹底しているところでは昼ごろにも二時間ほどの使用禁止時間を設けている。

「その点は心配いりませんよ。とっておきの場所がありますので」

 千鹿のもはや相手との力量の差など全く気にしていないところ、慣れと呼ぶには随分と生易しい気さえする。

 その愚直なまでに貪欲な眼差し。震わせながらも己が強さを誇示するような声音。一分前までは実質的な価値が無いこの試合を少なからず億劫に思っていた幻舞も、それらを間近で感じた今ではどこか興奮したような不気味な笑みを、彼女には見せないように走っている。——やはり面白い、早くりたい、そんな欲望がよだれと一緒にこぼれ落ちているような、時折、それらを啜るように真顔に戻っては、振り返って彼女の様子を窺っている。

 

「やぁやぁ、まさかこんなに再会が早いとは運命を感じちゃうね」

 壱華 総紀いちはな そうき。軽口を叩くこの男はそう名乗った。

 この憎まれ口は癖なのか、相も変わらない態度の総紀に千鹿は睨んで返す。

「ところで、ゲンはともかく千鹿ちゃんまでどうしてこんな所へ?」

 千鹿の態度を気にも留めずに、さらに火に油を注ぐような呼び方をする。

「……こいつと戦うためですけど。それで、ここは一体どこなんですか?」

 先程までのテンションはどこか途中に置いてきたみたいに、深くため息を溢した千鹿が軽く返す。それと同時に、至極当然な質問が——自信が見習いの魔法闘士である点を除けば——、かなり場違い的にその場の空気を凍らせた。

「ち、千鹿ちゃん、ここがどこだか本当に知らないの?」

「だからそう言ってるじゃないですか」

 総紀は決して馬鹿にしているわけではなく、千鹿のかなり常識を逸脱した知識に呆気を取られたのだった。少なくとも、魔法闘士を志す者としてインプットしておくべきところなだけに、——まさか、という思いが強かった。

 それを愚問とばかりに言葉を被せては、けれども、単に聞き返されたことだけに腹を立てているわけではないのは明々白々だった。

「風早さん、ここは日本闘士軍第一支部だよ」

 代わりというほどではないが、それに答えたのは千鹿の横に立っている幻舞だった。

「へぇ、ここが……」

 大広間を隅から隅まで見渡す千鹿。

 さすがにその存在は知っているみたいだった。それとも、もしかしたら先程の会話に出てきた場所を現在進行形で認識しているのかもしれない。

「千鹿ちゃん、うそ……だよね……」

 ここまでしてもやはり信じられないというのは、それだけこの建物が一帯地域を象徴するに足る知名度を持ち、ましてや、大半の学生が憧れる場所であった。

「はぁ……」

 声にもならない声とは、正しくこの事を言うのだろう。

 千鹿のキラキラとした目が、再び一瞬にして曇る。

「ごめんね、この辺じゃ知らない人なんていなとばかり思っていたからつい……本当に知らなかったんだね」

 反対に、歯に衣着せない総紀。言葉だけの謝罪もすぐにその色を消す。

 相性なんてそもそも介在できないような空間に嫌気がさしたのかはたまた、幻舞が一方的に話を進める。それは、承諾を必要とする類のものではなく、反論の一切を黙殺する構えだった。

「今から、空いてる訓練室を一つ借りると伝えておいてください」

 言い終える前から幻舞は一直線に歩き出し、訓練室の並ぶ廊下まで右手には千鹿の左手が握られていた。

 そこは、宿泊施設さながら長い廊下の両側に二個一対の扉が等間隔で設置されていた。部屋の大きさを考えれば当たり前ではあるが、その幅は軍事施設の方が幾分か広い。

 一番手前の訓練室に二人は入っていった。

 扉が静かに閉まる横で、扉開閉前後の重量差感知システムと紐付けされた電子モニタの表示が、「空」から「実」に変わった。

 これは、近年では非常に珍しい電子制御のみで作動する化石である。

 魔力の使用機会を減らそうというところで導入されたのだが、先の法律も然り、欲深い生き物とそれとの相性は悪い方面で類を見ないほど良く、すでに急速な環境変化が起きている近状において、もはや改善の余地など存在できなかった。

「一つ聞きたいんだけど、いい?」

「どうしました?」

 室内には何もなかった。シンプルな直方体。しかし、全面が白塗りという訳ではなく、床や壁、天井まで一メートル間隔の縞模様が交差し、間合いを測り易く工夫されている。

 とはいえ、腕利きの魔法闘士しか出入りのない施設ではありがた迷惑な設計であり、それを証明するみたいに、他が全て埋まっていてもほとほと使われることがない。

 部屋に入ってすぐ、一つ目の線上で千鹿が幻舞の手を引いて止めた。

「私のこと覚えてる?」

「模擬戦をやるんでしたよね。もう遅いので、早く始めましょう」

 その背中は空を使い、そして、その口は口吻を洩らす。

 児戯に類する問いに鼻白む瞬間は、彼の心の丈がありありと見えたような気がする。

「好きなタイミングでどうぞ」

 ここでは、学園のような合図が鳴らない。

 これは、むしろ実践的状況——魔力粒子が闊歩する——に寄せた造りであり、下卑た話、経済的なところも少なからずあるだろう。

「じゃあ、遠慮なく——」

 千鹿が戎具を展開する。これが、いわゆる学園での機械音と同義だった。

 魔法の発動は愚か、戎具が展開し終えるのを待つことなく、入学試験の第一試合と全く同じ構図だった。

 一つの足音だけが、哀しみを残すように誰もいない訓練室に響いた。

「早かったね。三試合くらいしかしてあげてないの?それとも、千鹿ちゃんばてちゃった?駄目だよ。女の子には優しくしないと、また逃げられちゃうよ」

「先生に言われると是と言い難いのですが、まぁ、あの時とは違いますし大丈夫ですよ」

「君がいつもそうだから言っているんだけどね」

 話し声が聞こえる。でも、起き上がるどころか口を動かすことも出来ない。気力を吸い取られたようなこの気だるさは一体なんなのだろうか。

 ——さっき、私は直接攻撃を受けていない。その点においては拓相の時と全く違う。私が剣を抜こうとした瞬間、その光に紛れた別の何かを意図せず知覚したのだとしたら、それは一体どんな魔法なんだ。そもそも、私の知ってるそれとはまるで理屈が違いすぎる。

 基本性質として広く知られている流動性、吸引性、変質性、変形性、それぞれが魔力粒子によって大小が異なる土台の安定した二重天秤の上で併存し、もしくは、併存しない場合もある。


 例えば、『放出系』。多くが流動性と吸引性を9:1の割合で持ち、他二つを扱うことが出来ない魔力。超基礎的な段階において、属性魔力と適合させた魔法に使われ、また、距離や太さ、濃淡など、非常に応用性に富んでいる。

 また、魔力制御の基本として、感覚強化を含む身体能力強化の際に使われることの多い『付与系』や、その名の通り療治に用いられる『治癒系』。そして、使用頻度と種類が放出系の次に多い『幻覚系』もまた、四つが決して併存することがなく、突出した何かを持つ汎用魔力である。

 対象物の姿形を変化させる『変化系』。性質割合は4:1:1:4。主に、変身など隠密任務時に活躍する。幻覚系魔法の一番のお供であり、それによって、つい最近汎用魔力に登録された一番の若手。

 魔力量が直接その規模を司り、機能面まで真似て創造する『複製系』。2:2:3:3。結界魔法などで聞き馴染みがあるが、その実、下手に扱えば器用貧乏になってしまう側面を持ち、難易度は汎用魔力随一である。

 魔法の真骨頂ともいえる最古の魔力『干渉系』。対象物の理に干渉し、例えば加速度を改変したり、温度を上下させたり。その比類なき汎用性と、九〇パーセントを超える魔力所有率により、汎用魔力に登録されたものとみられている。


 幻覚系の魔法によって精神状態をコントロールする場合、どこか人工的な自然さから反骨精神を見つけ出す一般的な解法は、二人の実力差を考慮して通用しないものとしても、それに継続的な効果は期待できないし、決着がついて数分経った今も発動し続ける道理がない。片や、万能とも思える干渉系魔法は、そもそも精神干渉魔法なんて聞いたことがないし、もし固有魔力だとしても、その根本は変わらない。個人情報の塊である魔力も、軍に関われば、そこに理屈はなく一般に公開される為、未発見なんてことはあり得ない。

 目が開かず、口が開かず、その中で、千鹿は思考を止めなかった。それでも、該当する魔法は見つからない。

「自分、もう少しここでやりたいことがあるんですけど、今日の仕事ついでに、彼女も家まで運んでもらえますか?」

「あぁ、いいよ。君からは既に貰っているからね」

 徐に眠気が千鹿を襲う。

 今日一日だけで、中学の三年間よりも内容の濃い体験をした。魔法闘士育成機関の入学試験というだけで、精神的にも身体的にも疲労が蓄積する出来事だったに違いない。とりわけ、その試合数はとても魔力の出力制御すら教えられていない中学生がこなす量ではない。

 とはいえ、学園側もなんとはなしにこの課題を出しているわけではない。そのための書類選考や一次試験である。

 これら二つによって、実習経験の有無などから、独自に二次試験をこなせるのかどうかを判断しているのだ。それでも、毎年のように、魔力欠乏症——体内の魔力量が一定割合を下回ると見られ、それは非常に脱水症状と酷似している——や身体的疲労によって医務室に運ばれる数は、両の手では収まらない。そして、彼らはもれなく学園の門を跨げない。

 俗称的に「イカれた」と云われる彼らの中の一部分以外は、皆口々に——もう魔法なんか見たくもない、と、そこには合格不合格の垣根なく吐き捨てられる。

 再試験の受験生が幻舞だったのは、内容の他にこのような面も大きい。

 かくして千鹿だが、その後魔力の回復を待たずに何度か使用している。

 身体能力補助は、その類稀なる魔力制御的センスによって浪費は避けられたが、当然、すり減った集中力を無理やり扱えば、脳への負担は計り知れない。それらの能力に長けた千鹿だからこそその先があった訳だが、もうとっくに限界を超えていたのだろう。

「本当に危なっかしいだ。誰かさんと一緒でね……」

 総紀が静かに日本闘士軍第一支部を後にした。

 外周警備の彼らが、背筋を伸ばし、帽子の鍔を正面に構え直した時、総紀は既に、暗澹たる空が隙間隙間に時折見える鬱蒼とした森を駆けていた。その腕に抱えられているむすめはまた違う。

 

 幻舞は、ある部屋の前に来ていた。

 彼の背丈よりもやや高いくらいの扉に、場違い的な大きなノブと重々しい金属のドアノッカーが取り付けられている。

「入っていいぞ」

 幻舞がそれに手をかけようとした時だった。鍛え上げられた骨格筋に反響させたような、威圧感のある太い声が中からした。

 ——失礼します、一声の後、ギシギシと扉が軋む。

 直方体の部屋の四隅には高さ一メートル程の観賞用植物が飾られ、両方の側壁にはそれの間きっちりに本棚が置かれている。さらにその上の壁面には、おそらく歴代の支部長のであろう顔写真が額に入れられてかかっている。

 そんな部屋の向かって正面に、声からも想像に易い荘厳な男性が、不毛で出来たヘットレストに頭を沈み込ませていた。

いさむさん、何の用ですか?あの試験にとやかく言うつもりはありませんが、今は早く帰って寝たいです」

「すまんすまん、とりあえず掛けてくれ」

 楓との試合の黒幕は、手前にあるソファを指差して幻舞の言葉を真っ向から拒絶した。

「まずは、戻ってきてくれて本当にありがとう。これから小隊を組んでもらう訳だが、メンバーは好きに決めてもらっていい。必要であれば魔力情報の載った名簿も貸すことが可能だ。正直なところ、三才の君が率いた伝説の十六いちろく小隊をもう一度見たい気持ちもあるが、それはあくまで一ファンとして、今はもう不可能に近い——。それよりも、君のその未曾有の才を操る手腕に第一支部長として育成をお願いしたい」

「わかりました。それと名簿は必要ないので、その代わりに五月の特入(特別入隊試験)の試験官をやらせてください。そこで見定めます」

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