火と水 3

 風切り音もしない程に静かな剣が、けれども翔琉かけるのそれと遜色ないほどの速さで敵を斬りつける。本来の形とはまた違えど、見紛うことなき〈疾風迅雷しっぷうじんらい〉が偶発的に完成した。

 とてつもない量の魔力同士がぶつかり合い発生した魔力斥波が、十数メートル離れた展望テラスまで衰えることなく押し寄せるが、常設の結界によってそれは相殺される。

「まったく……少しは周りのことも考えて行動せんか」

 文句を垂れ流しながら、年増の教師がステージ上の全に結界を張る。佳鷹きよたかとその治療に当たる海凪みなぎには強硬な半球状のものを。立っている教師陣と拓相には外からの衝撃を減らすだけの簡素な効果ながら、互いに干渉しないよう限りなくその形に沿われたものを。

 すんでに吹き飛ばされそうなところを結界に助けられた冷や汗が、ちらほらと照明を反射して光る。とはいえ、徐にその威力を増していく衝撃から力を緩める隙は一分も見当たらない。

「なんだ……これ……」

「まるであの二人が蘇ったみたいだ……」

 華々しく壮麗なデッサンモデルはまるで引力を持っているみたいに、それを目の前にした各実力者が、動きを止めて感嘆の声を漏らす。

「何が凄いものかね。若造が罪人の真似事なんぞしおって。先が思いやられるわい」

 またもやぶつくさと不満を垂れ流しているが、唯一、二人の援護をしている。放出系魔法や複合魔法の結界が、二人の邪魔にならない適当なタイミングで狂いなく発動される。

 威力や強度といった魔法技術も去ることながら、この場で授業を行っているような、模擬的に魔法を放っているような、教科書通りの基礎魔法が確実に敵の妨害と味方の防御をこなす様はやはり年の功だった。

 ——一体何を見て、何が思いやられると云うんだ、拓相はただ立っていることしか出来ない自分の不甲斐なさに打ち拉がれた。

 自分を負かした剣士が、受験生の中で一番弱いはずの剣士が、なぜかこの短い間にも成長を続け、遥遠く影も見えないところで闘っている。

 事実、少将の翔琉と肩を並べるということは、軍でも即戦力級の、小隊を指揮する程度の実力が既に備わっていることになる。もはや、育成機関に通う必要はさらさらない。軍務大学だって、その必要があるかどうか怪しいところだ。

 通常、育成機関の卒業時に受ける試験に合格して初めて日本闘士軍への入隊が許される。そして、その時に与えられた階級が最低位の下士官から大尉——九割方がこの間に収まる——だった場合は、佐官昇級試験に合格するまで、軍務大学にて今までの訓練に加えて実戦任務を行うことになる。昨年、現役最年少で入隊したかえでに与えられた階級は少尉だった為、軍務大学にこそ通ってはいないものの、こなす任務は同程度である。

 しかしながら、その任務の重要度や難易度から尉官まではプロではなくアマチュアと俗称的に呼ばれ、アマチュア最強の——、なんてものもちらほら耳にする。

 かくして、入隊試験で少佐以上の階級を与えられた者、または大学を卒業した者が、プロの魔法闘士ストライカーとして小隊に配属される訳だが、このプロセスを静観しながら入隊したのが翔琉である。ただ、現在その他にも数人存在し、その時代に一人とかそこまで珍しいわけではないが、中学では実技の魔法教育を行わないことがその希少性を裏付けている。

 ——ドッカーン

 拓相がより明瞭に流れ込んでくる無情に浸っているところを、さらに追い討ちをかけるような轟音が訓練場内に響き渡った。

 何もわからぬまま直線状に出来た土煙が次第に晴れていき、その先の大きなクレーターに大衆の目が留まる。それは、尚が蹴り出てきたものの対角の位置に存在した。そして、中からは血を流した翔琉が、もたれるように片腕を瓦礫の上に置いて、肩で息をしながら出てきた。

 佳鷹の応急処置を殆ど終えた海凪が、意識半分に顔を上げる。

「かけn……翔琉先生!」

 それを見た海凪が治療していた手を止めると、結界を突き破る勢いだった。

「海凪さん!」

 もし結界を突き破っていたら、隣で横たわっている佳鷹は吹き飛ばされて、あるいは運よく生きていたとしても、相応の障害によって死んでいただろう。

「あなたはさっさと止血を済ませて、その子を救護室まで連れていきなさい」

「……わかりました。すぐに戻ります」

「いいえ、そのままその子についていなさい」

「なんでですか!?」

「上官の命令は絶対です。終わったらさっさと行きなさい」

「……はい」

 俯いて返事をする海凪は、唇を強く噛み締めながらゆっくりと踵を返す。しかし、チラッと顔だけ振り返ると、すぐに向き直り首を横に振った。——お気をつけて

 弱々しく震えた声が消え入らぬ内に、筒状の結界の中で佳鷹を抱えた海凪の背中が段々と小さくなっていき、そして見えなくなった。

「わかっておる」

 それは、短くもとても力強い言葉だった。


「どーしたのー?なんで泣いてるのー?」

 詰まった息を思い出したように吐き出すことすら許されない微かな間で、千鹿の心は何度も折られかけた。その度にコンマで修復する強靭なまでの精神力は、時として自身の意識が及ばないところで働き、しばしば表情や顔色と心境が対立することがある。

 見ていて全身がむず痒くなるくらいに何かと表情を動かして、その間もずっと、感情を失った涙が双眸から頬へ伝っている。偶に、左頬にできたえくぼを経由してから一気に落ちる。

「私、今泣いてるの?」

 千鹿はやっと視界が歪んでいることに気がついた。

「うわーん、千鹿ちゃん泣いてるよー。クーといっしょー」

「撫子……ありがとう。そうだね。一緒だね」

 周りからすればほとほと理解に苦しむ、ということもなかった。翔琉が流血した頭で登場した瞬間から、展望テラスは阿鼻叫喚の軒先。涙ぐむ声や悲鳴に喚き声、傲慢な怒号もあっただろうか。誰も彼もが一目散に出口を目指す中、その反対方向で抱き合って泣いている二人の方に目を向けるとすれば、避難誘導をしている勇敢な二、三年生や教師くらいなものだった。

「大丈夫?ここは危ないから早く逃げたほうがいい。自分で歩けるかい?」

「私たちは大丈夫です。ご心配おかけして申し訳ありません」

「そうか。じゃあ僕は行くけど、くれぐれも気をつけるんだよ」

「はい、ありがとうございます」

 上級生の前で取り繕い強張らせていた身体の力が、風船のように一気に抜けるのを感じた。途端に両足がガタガタと震え出し、禍々しい魔力に気圧されるように半歩出口に近づく。

 ——尚にこんな魔力があったなんて初めて知った

 すぐにでも逃げ出したいはずなのに、なんだか懐かしいようなその温もりに全身が沈み込むくらい身を委ねれば、やはり落ち着く匂いがした。

「……千鹿ちゃーん、どうするー?」

 震えが止まった千鹿に、尻尾が見えてくるくらいお尻を振っている撫子が、いつもの口調に上ずった声で訊く。

「あぁ、うん。最後まで見てくよ。撫子は危ないし一人で逃げな」

「ひっどーい、わかってるくせにー」

 歳の半分以上にもなる付き合いの千鹿は、質問の意図もこの反応も丸々予想がついていた。——ふふっ、そして面白おかしく笑って返した。

「なんで笑うのー?」

「ううん、なんでもない。何かあれば一緒に加勢しよう」

 千鹿は、塵の一つも見逃さぬよう、瞬きを忘れてステージを覗き込んだ。そして、尚の影を捉えることは出来なかった。

 自分を負かした剣士が、受験生の中で一番強いと評された剣士が、案山子のように突っ立っているだけでピクリとも動かない様子を、千鹿の脳は不必要な情報と評した。

 

 今、飛鳥に刃を向けているのは尚のみ。先程まで共闘していた翔琉は結界の中で回復に専念し、その為か放出系魔力の一切が影を潜めている。

 他の教師は、大半が結界を持ってしても立つことすらままなっていない。

「ったく、中学生の前で情けないねぇ。地属性拘束系魔法

大地の層壁グランドカット釜蔵プリズン〉」

 四方から飛鳥を囲むように迫り上げられた地面の柱が尚の攻撃を遮断する。已むなく魔法を解き、久しく地に足をついた。

「何しやがる!このまま続けてれば倒せただろ」

「見当違いも甚だしい。しっかりその目で見てみなさい」

 四本の柱が地中へ帰ると、鼓膜が破られても聞こえそうなくらいとにかくうるさい咆哮がこだました。全身がふかふかの体毛で覆われている為、傷の深さどころか有無すら視認できないが、毛に付着した血液や、一歩も動いていないはずの足元にそれが垂れた痕がなく、まるで怪我人然としていない。けれどもよくよく見てみると、尚の剣が深く裂いた箇所の毛が段になって切られているのがわかる。

「んなっ、ふざけんじゃねぇ!なんでピンピンしてやがんだ」

 納得がいかない様子で、怒りを露わにする尚。

 もちろん、その再生能力と呼ぶべき尋常ならざる回復力は、理解の範疇を大きく越えたところにあるが、分析の糧となったと思えばなんら意味のない攻撃ではなかったのだ。

「あなたが与えた程度の、彼らは一瞬で再生できてしまうんですよ」

 感謝と敬意の一端を込めたその言葉が、ますます尚の内に怒気を含ませる。

「てっめぇ……もう一度言ってみやがれ!」

「何度でも言いましょう。あなたの攻撃など」

「後で喉元を斬り刻んでやるから覚悟しとけ……〈雲流飄寄ベンドロウィ〉」

 その上にやかんを置いてみればピーピーと鳴きそうなくらい顔を赤らめた尚が、剣を硬貨にしまった状態で先程と同じ魔法を発動した。

 ——風を逆撫でするようなあなたの剣は、確かに得を言われぬ“美”を持った素晴らしい技術です。そして、彼に数多くの傷をつけたあなたのその魔法は間違いなく一級品。この意味もきっとわかっていただけることでしょう

「〈大地の層壁グランドカット躱球ピンボール〉」

 珍しくその腕からミスか、それとも……、尚の目の前に飛鳥を取り囲んだものと同じ分厚い土の壁が出現した。しかし、何事もなかったかのように横をすり抜けた尚の目の前にまた、さらにその次も。まるで邪魔するかのように。

「今です。彼に構わず撃ちなさい」

 飛鳥に向けて、一斉射撃の要領で放出系魔法が群れを成す。火、水、地、風、光、闇、氷、雷、そして花弁に羽根、負けじと少しばかりの華やかさを加えた魔力に紛れて、鉛の弾が幾つかあった。

 ——こいつ、俺の魔法をわかってやがるのか

 時差攻撃のように、銀色の剣身が飛鳥の首に届いた。死の半分まで近づいた剣はなかなか抜くことが出来ず、そのままの状態でクレーターを蹴破って去っていった。

「待ちやがれ!」

「行かせません。受験生が許可なく外出することを学園として止めさせていただきます」

「ちっ、くえねぇ野郎だ」

 捕まれた右腕を振り払うも追いかける素振りを見せず、大きな鬱血の跡をさすりながら遥か彼方を睨みつけている。

 最狂の完全防御魔法〈雲流飄寄ベンドロウィ〉。空気抵抗や慣性など全ての力を都合の良し悪しのふるいにかけ、自分の身体をまるで風のように操り立体的に駆けまわる。その曲芸師に剣を持たせれば、たちまち風早家秘伝最強剣術〈天衣無縫てんいむほう〉と成らん。

 ——あんなとんでもない負担を要する魔法に頼らざるを得なかったこと、本当に申し訳ないと思っておる。だからせめて、あなたのような魔法闘士がのびのびと活躍できるよう切に願う

 第一訓練場の修復を待つ些かの間、魔力や思念などの残滓を千鹿はボーッと眺めていた。周囲の音に蓋をしていた一次試験の時とは違い、——びっくりしたね、——大丈夫だった、はっきりと聞こえている。しかしながら、その奥でハキハキとした声がする。

 ——力は“マルス”、法はぎょうなんじ統馭とうぎょ聚斂しゅうれんきわめし魁儡かいらいなり〈氷雨ひう釣鐘つりがね

 

 個を勝ち取った普段と場面や場合を選ばない冷静で的確な魔法詠唱時とのギャップが、さらには周りを滑空する上位互換的魔法が、千鹿の手を下げさせた。行き場を失った風属性の魔力が腰の横あたりで小さな渦を巻いている。

 剣術を主体とする近距離、中距離戦に秀でた千鹿が、遠距離の魔法が未熟なのは当然だった。魔法闘士の世界では、彼らも一つか二つか牽制に使える程度の遠距離用魔法を習得するが、いかんせん中学生である。今まで剣術に特化してきた分、それらはこの学び舎で身に付けることだろう。

「やったー、千鹿ちゃーん。」

 けれども納得のいかない様子で、見えなくなった飛鳥をじっと見ていた。

「よっしゃー!俺たちの勝ちだ」

「それにしてもあのすげぇな。翔琉先生の魔法とどっこいだったぞ」

 飛鳥が退いてからは、試験以上のお祭り騒ぎだった。

 

 その後の数試合は、けたたましい喧騒に包まれながらも滞りなく進んだ。千鹿はいつも通りの様子で、最終位置を第一訓練場で終えた。

 書類選考含め総受験者数二五九二名の内、合格者は例年より一人少ない九十九名となった。各々の最終位置と総合成績が各訓練場及び学園内主要部に投映され、その中には、千鹿や撫子や拓相の他に、下馬評を覆した月島三兄弟もいたが、尚の名前はその隣だった。

 

 歓喜や祝福、悲哀や憐憫などが渦巻くの中、帰路につく足と共にそろそろ日が暮れ始めようとしている。在校生と教師は、持ち場の撤収作業に取り掛かっている。束の間の賑わいも終わりを迎え、静寂と孤立を取り戻そうととしているところ、一つの放送が流れた。

「生徒会長のおおとり 楓です。残念ながら受からなかった生徒の皆さん、諸事情により一人分の空席を残したまま本日の全日程を終了したこと誠に申し訳ございません。それに伴い生徒会と教員で会議を行ったところ、今より不合格者を対象に再試験を開催することになりました。試験内容は、現月島学園の在校生をランク順に倒すこと。参加は自由ですので、参加する方だけその旨をお伝えください。それ以外の方は、お帰りいただいても見学していただいても構いません。本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございます」

 告げられた残り一枠の占有権は、学生最強と謳われる楓よりも強い者に与えられるということだった。あまりにも挑戦的な試験内容に、後少しで耳に届いた落選者たちは不満を垂れながらも、ありありと不出来な自分を見て、最後まで聞くことなく帰っていった。

「ここからは在校生への連絡となります。先程も言った通り、再試験には在校生も数名参加していただきますので、そちらの手伝いもご協力お願いいたします。片付けを始めてしまった方は、風で飛ばされたりしないようであれば明日に回して大丈夫ですので、第一訓練場にお集まりください。本日は見学に来ただけの生徒もお集まりください」

 

 本棟を囲うように建つ七つの訓練場には、それぞれ非常用のステージ入場口がある。

 再試験開始時刻、非常時ですら滅多に使うことのないその扉が開かれたとあれば、そこへ幾百の視線が集中するのは自然なことである。

「誰……?」

 楓に言われた通り外に繋がる扉から入ると、ステージには誰もおらず、展望テラスには点々とだけ空席を残してグルっと一周埋まっていた。

「……他は?」

 楓が再試験の難易度を必要以上に上げたのは、それ以外に価値を見出させる為。そして、不合格者の中に該当者がいないと踏んだ、いわゆる出来レースのサバイバルだった。

「お集まりいただきありがとうございます」

 楓の声が訓練場内に響く。

 やはり、月島学園入学試験は波乱なくして始まらず、波乱なくして終われなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る