火と水 2

 二次試験後の昼休み、教師陣が手製の弁当を広げながら会議をし、受験生もまた弁当を頬張りながら午前中のことを何とは無しに慎重に振り返る。そんな中、施設見学を兼ねて解放された校舎内を千鹿は奔走していた。

 一言礼を言いたかった。けれど、結局彼女を見つけたのは第一訓練場。最終試験が始まっていた。——ありがとう、この一言がいつも間が悪く胸中で堆積していく。

 

 最終試験。一次、二次試験で選考された百二十名を六棟の訓練場に無作為に分け、不合格者を選抜する残酷なまでの昇降式サバイバルゲーム。

 各試合はどちらかが戦闘不能になった時点で終了とし、二分間で白黒決まらなかった場合にのみ第三者による判定を用いる。勝利した者は一つ上へ、敗北した者は一つ下へ移動する。また、第一訓練場で勝利した者は残留とする。第六訓練場で敗北した者も同様に残留する。一人当たり五試合行い、最終的に第六訓練場に残った者たちが彼らというわけだ。

 一試合目の組み合わせが決まった。——四一〇 風早 千鹿vs 一一八二 鳳 拓相おおとり たくみ、受験番号に次いでは名前が二行になってモニターに映し出される。その瞬間、第二訓練場が有頂天にも届く盛り上がりを見せ、それに釣られた在校生が瞭然たる早さで席を埋めていった。そもそもの雰囲気が先程までとはまるで違う。

 ——いきなり頂上決戦かよ。

 ——どちらが勝つのかしら。

 ちらほらと聞こえてくる周りの声も大事な興奮剤だ。久しぶりの試合に気分が高揚する。受験等で鈍った感覚を取り戻すのにこれとない程最高の相手に観てる人の数である。状況は完璧だった。

 けれど、この一本で全て終わらせると決めていた一太刀をみせるまでに至らなかった。開始の合図から些かばかりの間髪も入れずに少し高い電子音が第二訓練場に鳴り響いた。それは、試合の決着を知らせるものだった。

 彼は、隼颯はやての速さと佳鷹きよたかの威力を掛け合わせたようなもの凄まじい能力を十分なくらい見せつけた。あまりの出来事に会場が一瞬で静まり返る。一様にして口を大きく開き言葉も出ないみたいだった。

 彼が何かを飛ばしたことは間違いのだが、それが一体何だったのか、やられた本人ですら見当もつかないみたいだった。魔法であるとするならば、それは世界中のどの魔法闘士ストライカーよりも発動速度で勝ることになる。戎具であるとするならば、不可視の戎具が開発され、それを一学生が持っていることになる。いかなる理由を以ってしても、これらのことはほとほと現実味がない。

 拓相の技には幾分かの後れを取れども、中距離最速の抜刀術はその矜持きょうじを保たんとばかりに名実相伴う記録でそれを些かも邪推させない。見る者全ての目の色を変えた。

 余計な滞空時間で一定のリズムを刻みながら、一段飛ばしで階段を駆け上った先にあるのは第一訓練場。けれど、そこにいるはずの想い人の姿はなかった。いくら見渡してみても、そこに彼はいなかった。行き場のない怒りをぶつけるように、都合よく試合の組み合わせが決まった。もはや相手の名前など見ていない。

 ——フォーン

 ——〈十閃じっせん

 魔法の発動速度が明らかに一次試験を上回っている。未だ鈍い残響がこだまする会場で、。

 天生の全身を覆う水の装甲が飛沫しぶきをあげる。刃が胴体の手前で止まった。天生は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をする。故意に防いだわけではなかったみたいだ。白々しくそのような顔を作ったのだとしたら、数十年と人間と共に生活してきた高性能コンピュータが表情筋の構築を行なったような、あるいは、それでもおおよそ人間の温か味に欠けるところだろう。そしてまた逆も然り。極めて人間味あふれた顔をしている。

 いくら同じところを集中的に狙っても、装甲の修復速度が攻撃速度を些か上回っている。良くも悪くも、距離に応じずそれが一定のこの剣術は間を詰めても変わらないどころか、徐々に刀でも捌かれるようになっていった。

 その速度に徐々に慣れてきた天生はどこか余裕そうな笑みを浮かべる。

 しかして、鍔迫り合いになる二人は同じ動きで刃を合わせる。

 〈剣術反射グリフエンディミット〉。一度目視したありとあらゆる剣術や概ね型などを脳とはかけ離れたところにある引き出しに永続的に保存し、また数万と保存されたそれらの内から適当なものを連続的または断続的に取り出す。彼女を鏡写しの剣士ミラージシュバリエたらしめる何よりの個性のうりょくである。

 剣術だけに拘わらず、槍術、斧術、弓術に至るまで、自身の使用可能な戎具の垣根を越えて何もかもを見透すところにこの個性のうりょくが最強たる謂れがある。

 強制終了目前の苦い勝利だった。天生には終始剣を受け流され、判定まで持ち込まれていたら確実に負けていた。同じ剣術使いを相手にこれ以上苦戦した試合と言えば、数ヶ月前の全国剣術大会決勝の他には思いつかなかった。それゆえに手放しで喜ぶことは出来なかった。

 必死に作り笑いを浮かべながら撫子なでこのいる展望テラスへ向かった。

 ——あ、千鹿ちゃーん、おかえりー。

 撫子が大きく右手を振っている。なぜだか、こちらも振り返さなくてはならないような気がした。一生懸命に貼り付けた笑顔だったが、それも一瞬のうちに剥がれ落ちた。

 隣に見覚えのある背格好の男が立っていた。——よっ、顔の横で人差し指と中指を立てる拓相の大様な態度に気分を逆撫でされ、先程の試合の鬱憤も上乗せして言葉をぶつける。

 ——なに呑気にとしてるのよ

 ——あんた一体誰に負けたのよ

 ——こっちばっか一生懸命にやってるのがバカみたいじゃない

 拓相が指を差した方では、すでに次の試合が行われていた。けれども、すぐにモニターへ目線を移したのは背きたくなるような現実に自身の見間違いを強く願うところからだった。

 すぐに表示は切り替わり、残り一分と映し出される。わずかな間だけ映し出されたそれは生憎見間違いではなく、次いで神の悪戯いたずらを切に願いながらゆっくりと目線を戻しやる。

「どっち?」

 十中八九の確信はあったが、影をも視認できない程に遠いその背中を必死になって追い続けた、そして今も追い続ける残りの一割二割の己が強きを信じたかったが故の問いだった。

「お前の弟だよ」

 しゅうとの距離が開いたのではないか、今までやってきたことは全部無駄だったのではないか、ネガティブな思考だけが千鹿の頭の中をぐるぐると渦巻く。少なからず予感はしていただけに、けれどもそれを遥かに上回る衝撃が千鹿を襲った。同時に身震いもした。

「千鹿ちゃんどうしたのー?寒いのー?」

「ううん。大丈夫」

 決して無理に取り繕ったわけではなかったが、拓相は勘違いをしていた。むしろ、なかなかどうして興奮を抑えきれなかっただけだというのに。

「あいつは弱かったぞ。俺よりも、お前よりも、もしかしたら受験生の誰よりも」

「拓相くん、負け惜しみはカッコワルイぞー」

「あはは、そうだよな」

 ——あいつは弱かった、拓相のその言葉の意味を千鹿だけはしっかりと理解した。そして確信する。尚との距離は縮まるどころか更に広がっていると。けれども絶望はしない。これからどうすればあの高い壁を越えることが出来るのか。どうすればあの大きな背中を捕えることが出来るのか。飽くなき向上心といくらひびが入ろうとも絶対に折れない芯、それこそが弱者ちかの強さであり、そこにはもはや拓相への怒りなどない。あるのはただ、強者しゅうを狩る野心のみ。

 風早 尚の判定勝ちで試合が終わった。

 試合中、何度も千鹿を呼ぶ撫子の声があったが、それに一切気づいていない千鹿は——よかったわ、などど珍妙さを全面に押し出した姉の真似事をする。

 撫子の心配を置き去りにした二人の噛み合っていない会話は、その場に刺々しい空気をもたらした。

「次の試合始まるみたいね」

「お、やっとか」

「………………そ、そうだ。この試合に面白そうなのが出んだよ」

「そうなんだ……。知り合い?」

「知り合いっていうか一次の時に気になってちょっと話しただけ。試験を見てた感じはパッとしないんだけど、なんか雰囲気がな……」

 ——フォーン

 月島 佳鷹きよたか信楽 飛鳥しがらき あすかの試合が始まった。

 ——蹂躙せよ。翼槌よくついシャルル

 ——色づけ!セフィド

 互いに戎具を構える。一つは見覚えのある大槌。もう一つは奇怪な形貌けいぼうをしていた。ゲームのバグが発生しているかのように空間にもやがかかり、剣に見え、槍に見え、斧に見え、はたまた弓にも鎖付きの鉄球にも見える。

 隣の拓相も困惑した表情で何度も何度も目を擦っている。一次試験では戎具試験もあったはずなのに、けれどもまるで初めて見たかのような反応をする。

「……そういえば、飛鳥は武道の心得があるらしいぞ。もしかしたらお前の練習相手になるかもな。なんか似てる気もするし」

「そ、そう?まぁ、練習相手になってくれたら嬉しいけど」

 相変わらず沈黙を嫌った二人が言葉を撃ち合っている。

 その間も試合は着々と進行している。

 童話に出てくる魔法使いみたいに、大槌に跨がず同じ方向に足をおろして座り宙を舞っている佳鷹。要所要所に放つ光属性魔法がいやらしさをさらに増大させる。

 一方で、空間が歪み容姿を捕えられなかった飛鳥の戎具は完全に弓の形状をしていた。そこに一切の淀みはなく、その神秘的な弓形に観客の視線が釘付けになる。

 弦を引くだけでどこからか装填される幾十幾百もの矢が悉くことごと佳鷹の真横を射抜き塵となって消失する。適宜放たれる火属性の放出系魔法も、佳鷹はゲームでも遊んでいるかのように笑いながら軽々しく避ける。

 しかし五分もすると、観客だけでなく飛鳥までもがその単調な試合ゲームに飽き始めていた。

 試合開始から十分が経とうというところで空気が一変する。佳鷹が大槌を飛び降り、飛鳥目掛けて一直線に急降下を始めた。

 唯一楽しんでいたであろう佳鷹の予想外の攻撃に、集中力が欠けていた飛鳥は一瞬判断が遅れたが、それでも瞬時に放った矢は確かに佳鷹の鼻先に向かっている。二矢目もすぐに装填され、一度身体から引き離れたそれはもう戻ってきている。

「そろそろフィナーレといこうか」

 そう呟く佳鷹の目の前に彼の戎具である翼槌シャルルが現れ、すんでのところで矢を弾き飛ばした。自身の体重より重い大槌を手にした佳鷹は、さらに速度を増して猛進する。

「君は僕のことを舐めすぎです」

 散々虚仮こけにされながらも一切の感情をその身に閉じ込めていた飛鳥が、この試合で初めて言葉の内に怒気込める。

 その言葉に、三度みたび馬鹿にしたような笑みを浮かべる佳鷹の余裕もすぐに消える。全身を貫かれるような悪寒を覚える眼前の光景に思わずブレーキをかけて空中で静止した。再び靄がかかる。けれども、今度は斧の形状をした戎具が微かに見えるだけだった。それ以上に佳鷹を怖気付かせた要因は飛鳥の放つ先程までとは別人のような威圧感だった。

「おっおい、何だこれ……」

 それは数十メートル離れた展望テラスの端まで届くほどだった。

 野次や怒号を一瞬で真っ二つに裂いたこのとてつもない気迫こそ拓相が覚えた違和感の正体だった。

 その身にそぐわぬ歪なまでの狂気が飛鳥の奥底から目を覚ます。深海をも飲み込まんとする程どすの利いたひどく野生的なまでの生物の本質が、幾重にも張られた結界を突き破って解放されたような、皮肉にも人間的でない、あるいは何世代と遡ったそれなのかもしれない。

「あ、あれって……もし……か……して……」

 己の知識の内では到底有り得るはずのない飛鳥の姿に、また、その背景を知ってしまっているが為に一瞬で恐怖の対象へと変わる。

 ——この場からすぐにでも離れたい。なのに足が全く使いものにならない

 まるで人類史を扱う書物の殆どを開ければ載っている“獣人”のような、けれども活字や写像を通して感じたそれとは似て非なるケモノ然とした威圧感には、大半の生徒が、迫り来る荒波を掻き分けるように居竦む身体を必死に叩き起こしている。

 しかしながら、その中には当てはまらない強者もいる。

 凛とした相貌で佇む千鹿の両腕が少しばかり高い位置で組まれている。

 ——戦いたい

 それは、いつも感じていることと何ら変わりはなかった。

 どん底から常に見える憧れと闘争心はもはやパートナーとしての信頼すらあった。しかしながら、それと同時に覚える自身の及びなさを悔やむ悲痛な叫びが、まるで千鹿の声帯を使って鼓膜から脳へと届ているかの如く鮮明に伝わってくる。

 ——戦えない

 

 展望テラスの一角、柱の陰に背中を預けながら、白髭を伸ばした老人が口を動かす。

 魔力探知網にかからないように隠蔽ではなく擬装をし、さらにはこの喧騒の中、誰もその存在に気づいていない。

「まさかこんな所にもおったとは……」

「彼の処遇はどう致しましますか」

「儂としてはそのまま観察したいかの」

「容姿はどうしますか」

「そのままでよい。この程度奴らには役不足じゃろ」

「承知しました。…………拾伍ノ舞〈影胞子かげほうし〉」

 処遇だとか観察だとか、なにやら不穏な会話をしている。

 付き人と思われる年増の女性が妙な魔法を飛鳥に放つと、けれど何も起こらず、袴の両の袖に腕を通しながら歩く男の後ろ姿を追いかけて、最近はもはや見ることがなくなったアンティークの手帳をペラペラと捲りながら去っていく。

 

 試合の途中にもかかわらず拓相がステージに降り立ったのは、展望テラスへの被害を出さないためだった。尚や神代 翔琉かみしろ かける、他教師陣がその後に続く。

 獣人かれらは癖づいているかのように、姿が変わるや否や臨戦の構えをとっている。丸まった背中に曲がった膝、かなりの低姿勢だ。

 張り詰める緊張の中を、高密度の呼気だけが微かに音を立てている。

 すでに展開されている戎具を握りしめ、敵の出方を静かに窺っているところに雑音が迷い込んだ。

「君たち何をしているんだ。僕たちの手に負える相手な訳ないだろう」

「………………」

 佳鷹が翼槌シャルルに腰をかけた瞬間、背中に大きな爪痕が刻まれた。——グハッ、物凄まじい量の血を吐き出しながら、倒れるように顔から落ちる。

 すぐに治癒系の魔力に精通した教師が止血に係り、その前に拓相と尚が壁となって入る。細々と内密な話をしている。

「おい、今の見えたか?」

「目では追えたが、反応できなかった。もはや人間とは全く……っ」

 十メートルは離れていた敵が、瞬いて開いた尚の目の前に迫っていた。かろうじて攻撃は弾いたものの、十数メートル後ろの壁に激突し大きなクレーターを作る。

 蚊ほどの、いや、それよりもさらにさらに小さいミジンコほどの隙すら正確に突いてくる恐ろしいほどに研ぎ澄まされた嗅覚と、自分を嘲笑った佳鷹への計り知れない執着心がやはりケモノのそれだった。

「さすがに本気を出さざるを得ないかな……〈迅雷之剣じんらいのやいば〉」

 雷の轟鳴とは対照的な金属音が縦横無尽に響き渡る。影をも置き去りにするその圧倒的なまでの速さに、他の教師は手を出すどころか見ることすら許されない。

「これが将校試験を最年少で合格した実力。足手まといにしかならない」

 一方で、瓦礫を蹴り飛ばしながら顔を出した尚が不機嫌そうにぼやき始めると、魔力の絶対量がみるみる高まるのが周囲の空間の歪みからわかった。

「さっきから調子に乗ってんじゃねぇ。一番強いのはオレだ。一番速いのもオレだ。見とけ!これが最強というやつだ。風早流秘伝魔法剣術

天衣無縫てんいむほう〉」

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