平和の輪郭〜strikers〜

藤田さい

火と水 1

「今日からここに通えるんだねー」

「えぇ、私たちのこの力がどれだけ通用するか楽しみね」

 祝福色を忘れた葉桜が涼しげな陰を落とす頃、新たな門扉を叩いた百名の生徒が、嬉々として幾つかの団体を作る。校門を背に写真撮影を行なう生徒。目一杯羽を伸ばしている生徒。男女問わずに四方八方を囲まれている生徒。ピースを強要されながらも頑なに作ろうとしない生徒。一様に明暗のない真っ直ぐな表情を浮かべている。

 一ヶ月前の出来事を夢の中に置いてきたように、皆楽しそうである。

 彼らとの歴史の齟齬は、もはやその前兆に気づいてすらいない。


 魔法闘士育成第一機関、別名「月島学園」。かつてホッカイドウと呼ばれた地の丘の上に、威風堂々とそびえるこの学園は、悴む体に鞭打ち続けた彼らの屍を底に敷いて建てられた負の遺産である。昨今、段々とその姿は忘れ去られている。

 今年も、桜の舞う暖かな季節がやってきた。

 華奢、という言葉がとてもよく似合う頭頂部から足の先の随所で幼さを感じさせる彼女が、酸漿ほおずきのごとく鮮やかな朱色の髪をうまく着こなし、もはやここ数年の恒例行事みたいに、男女問わず思慕や羨望の眼差しを独り占めしている。その容姿はもっともながら、魔法闘士ストライカーとしての実力にも期待を集め、通りすがる生徒間の話題にあっさりと上った。

「噂の鏡写しの剣士ミラージシュバリエか。楽しみだな」

 傍の盛り上がりを尻目に、満更でもない様子で高らかに靴を鳴らしながら歩く。まるで魔法にでもかけているように。あるいは、これがオーラというものなのかもしれない。調子づいて髪をかき上げてみたりもすると、驚くほど周りの人間が振り向く。男子からは黄色い声援ならぬ、——色相環的に云うなれば——青紫色の声が飛んでいる。


 同刻、構内を歩いている不審な少年に声をかけるかえでの姿があった。実行委員と書かれたバンドを上膊部じょうはくぶにつけている。普段から父親の手伝いで軍の仕事に就いているため、大して珍しい光景でもないのだが、彼女自身の仕事がある今日も、戎具じゅうぐの使用を認められている警備隊としての任務にあたっているようだ。

「あの、お困りでしょうか?」

 さらに反応する様子もなく、きょろきょろと辺りを見回しながら依然として背中を向けて歩く少年の肩を、楓は強引に自分の懐へと引き寄せる。片手の戎具収納硬貨ルーンメダルを誇示するように握ると、少年の顔を見るやいなや、素早く数回瞬きした。

 ——フンッ

 少年は眉間に深い皺を作り、かと思えば楓を鼻で笑い一蹴する。

 再び背を向け歩きだす少年に、楓は右腕を伸ばし右足を半歩前へ出した。

「ちょっと待ちなさい」

 ともすると学生最強魔法闘士の戦いぶりをみられるかもしれない、と二人の周囲にはいつの間にか人集りが出来、騒がしくなった。

 しかし、楓の手には何も握られていない。

 ——チャリン、チャリン

 喧騒に包まれる中、微かに鳴ったその音が楓にはひとしお鮮明に耳へと届いた。少年と二人きりの世界で、硬貨が何度も何度もコンクリートに叩きつけられる。

 周りにいた人間はおろか、当事者である楓すらも目を見開いている。何気ない一幕ですら力の差を感じ、けれどもプライドからすぐさま笑ってごまかした。転がっている戎具収納硬貨を拾い上げると、再び凛とした面持ちで口を開く。

「あなたに用があるの。ちょっと来てもらうよ、幻舞げんぶ君」

 二人は知り合いのようだった。ところが、少年はその言葉にも耳をくれずに講堂へと入っていく。その後を追う楓は口角が上がり、声もどこか上ずっていた。

 

 男の顔には見覚えがある。前髪だけ下ろしている白い髪。目の下の黒子ほくろ。そして、なんといってもあの特徴的なオッドアイ。まるで宝石のエメラルドのように、神秘的な光を放つその瞳と目を合わせれば、なぜだか石にされてしまうような気さえした。奥底に眠る自分でも気づかない闇を一生懸命隠しているような、そんなふうに思えてならなかった。

「……つきしまげんぶ」

 余韻が残る野次馬のすぐ後ろでそう呟く。人間の興味の移りかわる速度には心底驚かされるところだ。けれども、そういった気まぐれこそがこの世界を動かしているのだろう。

「ん?」

 後ろを振り返ってみても、すでに千鹿の姿はそこにはなかった。


 午前九時より、八棟の訓練場にて入学試験が行われる。

 第一訓練場では、すでに集まった受験生たちが各々時間を過ごす中、千鹿たちは談笑していた。一緒にいるのはこの国の王女の皇 撫子すめらぎ なでこだった。彼女たちは周りから目立っていることには気づいているものの、肝心の原因を勘違いしているようだった。

 中でもひとしおに太い視線を送る三人組は、柔軟をしながら時折にやりとほくそ笑む。

 ——僕たちとは違って天才さんはお喋りの方が大事みたいだね

 ——けっ、せいぜい今のうちに余裕こいてればいいぜ

 ——一体どんな顔を見せてくれるのかしら。楽しみだわ

 必要以上に緊張したこの空気が私はたまらなく好きだ。夢を乗せた大志のごとく擬態した、この全身を鋭く突き刺すエネルギーのようなものが、私のパフォーマンスを最高のものへと導いてくれる。後三十分、どこまで仕上がるか楽しみで仕方がない。

「もー、またいつものが始まったー」

 試験開始までの約三十分間、この空間で最も含みのあるような不気味な笑みを浮かべていたのは、謎の三人組でも、ましてや他の受験生でもない。どういうわけか彼らの野心の矛先にいる千鹿だった。


 予定時刻、試験官の神代 翔琉かみしろ かけるが現れた。

 翔琉は試験の概要を淡々と話し終えると踵を返し、——まずは俺が手本を見せる、と歩きながらに言い捨てた。さらに無駄な返答はせず、訓練場袖の機械を操作する。

 まもなく、聞いたことのない重たい音と大きな振動と共に目の前の床下から装置が出現した。動く五体の藁人形の手前に簡易的な柵。それと、箱状の台のようなものが一つ置かれている。藁人形を壊すのが試験内容で間違いはないだろうが、手前のものは一体なんだろうか。戎具ではないだろう。

 すると、気づけば戻ってきていた翔琉が自身の腰ほどの高さの台に手をかざした。

「まずは、この魔工具ルーンに微量でいいから魔力を流す。そしたら、数秒後に開始の合図があるからそれと同時にあいつらを倒す」

 ここでも、翔琉の説明は簡素なものだったが、それで十分だった。

 空中投影されたモニターに——let’s strike on、の文字が映し出された瞬間、五体の藁人形全てが激しいいかずちに焼かれた。モニターの文字が変わる。——00:00:93。

 挑戦する気持ちは確かにあれど半ば他連中とのをしに来た彼らにとって、翔琉の見せた魔法はその数字以上に現実に映った。皆が皆、言葉も出さずに目を限界まで丸くする。例外はなかった。その後の翔琉の言葉にさえ反応を示さない者もいた。

「こんな感じで、全て倒すまでの時間を測る。これが第一の魔法適正試験。じゃあ、君からやってもらおうかな」

 選ばれたのは、一番前にいた先程の三人衆の内の一人だった。一人目は基準になるため、大半の受験生はほっとしている。彼は随分とやる気みたいだった。緊張は感じられない。

 まずは——魔力流動、だが、目線と変わらぬ高さで手を伸ばしてみるも届かなかった。——踏み台を使ってもいいぞ、翔琉の言葉に、おそらく踏み台が置いてあるであろう魔工具の影の方へ一度顔を向けるが、再び正面に向き直った。立ちはだかる壁に立ち向かうみたいだった。少しばかり勝る身長——本人曰く——を精一杯伸ばして、ようやく手をかざすことが出来た。その一連の行動に些か場が和んだようだ。笑ってはいけないと分かっていても、塞がった口の隙間から息が零れた。

 ——おーい、まだか

 開始の合図から約一秒、未だ魔法の発動準備、所謂詠唱を行なっている。実際の時間以上に時間が早く感じてしまうのは魔法闘士の特徴である。

 とはいえ、緊張が変なふうに解けてしまったのか。それともまた、彼と一緒にいた二人のどちらかが空疎な友情の上で冷やかしたのか。いずれにしても、センシティブな魔法の発動を妨害する行為に他ならない。感情がすぐに表に出そうな彼にはよく効くだろう。翔琉が止めに入るのも当然だ。

「おい……。ちょっと一回——」

「ごちゃごちゃうっせえぞ」

 翔琉の言葉は遮られ、眼前では一体の藁人形が持ち上げられる。

 興奮が収まるどころか、留まるところを知らない彼は音量ボタンを二つも三つも上げて怒声を張り上げる。

「俺には発動速度なんて関係ねえんだよ!黙って見とけこの三下共が!〈双気流弾テンペスタバレット〉」

 彼が伸ばした左腕を外側へ並行移動させると、絶えず宙に浮かんでいたそれが小銃の弾丸さながらに結界を張った訓練場の壁に激突し、そして大破した。軌道上にあった他の藁人形は漏れなく二つに裂けている。

 00:09:37。必要以上の発動領域に必要以上の威力、それでいてこのタイムは異常だった。

 喋っている間にもタイマーは無慈悲にも動いていた。しかして、感情を全面に押し出しても一切乱れない正確無比な魔力制御。一体何が起こったのか、理解の範疇を優に越している。どれを信じるべきなのだろうか。

「これでどっちが上かはっきりしたようだな。よく覚えとけ!これからは俺たち月島三兄弟の時代だ!」

「よ、よろしく〜」

「……ったく、僕たちの出番はまだって言ったの隼颯はやてなんだけど」

 かのごとく宙に浮かんでいる隼颯は、中央で他二人と肩を並べながら得意げに腕を組んでいる。けれども、翔琉以上の衝撃に注目している者は数少なかった。

 ——いつもいつも振り回されるこっちの身にもなってもらいたよ

 ——可愛らしい弟でいいじゃない

 ——良くないよ。そもそも僕たちは兄弟じゃないし、隼颯は女だよ

 翔琉が隼颯の位置付けに苦戦しているようだった。

 揶揄するような絶妙な間が余計な焦燥感をかき立てた。それを鎮めるべく目を閉じた。煽るように背景を流れる音楽からも、思わず耳を塞いだ。ノイズキャンセリングはしてくれないみたいだった。遠くで鳴っているのが微かに聞こえた。一分一秒が今までに感じたことのないくらい長い。段々と声が近づいてきた。尋常ならざる量の汗が噴き出るのが分かった。

「……か……はやちか……風早かざはや 千鹿ちか

 翔琉の呼びかけに、声にもならないような声が出た。びっしょりと濡れた手を衣服の腰のあたりでせわしく拭いながら魔工具の前まで小走りで行く。呼吸を落ち着かせる暇も持たずにそれに強く手をかざした。

 ——let’s strike on

 見事一発で仕留め、結果は二秒二八。一班での最高記録だと伝えられた。

 いつの間にか、他の受験生たちは終わっていたみたいだった。

「もー、すごい心配したんだからー」

 まるで王女とは思えない語尾が伸びきったこの喋り方にはこの上ない安心感を覚え、それでも、誰でも易々と止血できる程度の傷しか与えられなかったことを自分の中で無理やり納得させた。うまく笑顔を作ることができなかった。

 間もなく、翔琉が二次試験のロールモデルとなって実践する。今回は戎具を使うみたいだった。先程と同様に開始の合図が鳴ると、今度は柵が床下へ消え去った。

 大まかな部分は確かに同じだが、戎具を使うことが出来るだけで全く似て非なる試験となる。はずなのだが。

 ——〈双気流弾〉、隼颯は一次試験と変わらず、あえて言うなれば千本を飛ばしたところくらいだった。剣山や針山の如く、ツンツン頭になった藁人形が——。

「次、月島 玲桜れお

 先程は見ることが出来なかった月島三兄弟の一人。背丈が翔琉と同じくらいあり、雑誌の表紙に載るような整った顔立ちと衣服の上からでもわかる綺麗なボディライン。胸以外では女性と見分けがつかないほどに美しかった。いや、そういう人もいると思えば何一つ女性と違わない。

 戎具収納硬貨を起動した玲桜の手にはチャクラムが握られている。

 ——let’s strike on

 瞬く余裕はあった。しかし、忘れていた。

 魔法闘士とは、戎具と魔法を適当な比率で融合させられる者を陳腐なきらいなく指す。これは言葉の意味でも資格でもなく、心理である。

 この時初めて、それを目の当たりにした。そして、理解した。こういう人間こそが——魔法闘士、と呼ばれるのだろう。

 己の未熟さをまじまじと見せつけられているようだった。寸分の乱れもなく等間隔に距離をとって、藁人形が弧を描きながら止まっている。それは、全てにおいて「美」を追求する彼女らしい作品だった。

「次、月島 佳鷹きよたか

 三兄弟の最後の一人。黒縁の丸眼鏡をかけて、いかにも頭脳派な見た目をしている。前の二人が力と技であるとするならば、司令塔の佳鷹は一体どんな戎具を使うのだろうか。

 佳鷹は前髪をたくし上げ、おもむろにポケットから取り出したヘアピンで魔工具のガラス面を鏡のようにして器用に髪を留める。魔力を流してから眼鏡を置くまではすらすらと、あの一瞬で、まるで中身が変わったようだった。

 柵が消え、佳鷹が跳んだ。しかし、その手には未だ戎具は握られていない。

 空の手を振りかぶったところでようやく大槌おおづちが出現し、と同時に佳鷹へ引き寄せられる藁人形が——〈破滅の光スーパーノヴァ〉、の声と共に粉微塵こなみじんになって舞い上がった。

 固定したはずの髪がいつの間にか降りている。

 床に転がったヘアピンを一度腿で叩いてからポケットへしまい、眼鏡をかける。本当に二人の人間を見ているみたいだった。

 二次試験もまた、澱みの中で進行していく。けれど、そこは浅い池の中だった。音だけが遮断され、どうにか光は届いている。その霞の向こうの明るさが今は都合よかった。

 残りは二人だけとなった。撫子が——おっさきー、と言っても、千鹿には全く届いていない。彼女は不満をぶつけるように、隠し持っていた木製の棒——家柄の通り、宮殿で貴族の稽古に使われているのが容易に想像できるような——を構える。

 いかにもな状況に、誰一人口を開こうとはしない。最初の三人に野次を飛ばす気力すらも削がれてしまったみたいだった。

「いっくよー。〈氷鬼ひき抜刀ばっとう〉」

 氷漬けにされた藁人形が次々に砕け散る。それは、いつしか忘れていたあの冬の日を蘇らせるようにきらきらと輝いている。

 

 凍えるような寒さが肌を突き刺す。温まる場所はもうない。通りすがる人間が、一様にして——なにあのぼろぼろな服、だとか、——親はどこに行ったんだ、だとか、見て見ぬふりをする。外の世界もあの道場と変わらない、とこの時は本当にそう思っていた。

 ——はい。これあげる

 全身を覆ったわけではなく、未だ風は肌を掠めている。けれど、それはとても温かかった。

 お嬢様と呼ばれる少女が付き人らしき人物の腕の中で暴れながら連れていかれる。

 ——けちでがんこなオトナなんてみかえしてやれー

 煌めく夜の街に、小さくも力強い声がこだました。とてもお嬢様と呼ばれる人間の口ぶりではなかったけれど、その場にいたオトナには確かに響いたようだった。

 

 そして、私にも。

「風早 千鹿、お前で午前中は最後だ」

「はい!」

 少女の言葉に応えるように、力強く張りのある声で返事をした。

 ——魔法剣術〈十閃じっせん

 五体の藁人形が縦に真っ二つに割れた。千鹿がその場で剣を振り上げた途端、空中投影されたモニターが——00:01:93、を表示したまま止まった。二次試験初の一秒台だった。

 撫子が飛んで喜んでいる。さも受験に合格したかのように。さも対抗戦で優勝したかのように。さも自分のことであるかのように。

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