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「じゃ、あたしミヤコのとこ行ってみるね」

「アケビちゃん本当にひとりで平気か? オレ一緒についていこうか?」

「おれも一緒に……」

「あたしのこと三歳児かなんかだと思ってる?」


 律儀に部屋の外まで見送ってくれたふたりに手を振り返し、マヒロの〈工房〉を後にする。

 来た道を辿るように、アケビは回廊を突き進んでいく。気を抜くといまだに迷子になりそうになる(実際、ソウスケが心配したのも迷子が何件か出たからだ)この邸宅は、バロンがひとりで暮らしている彼の自宅だ。


 初めて見たときは大きさに圧倒され、話題がしばらく「この豪邸田んぼ何枚分あると思う?」だったのも記憶に新しい。

 二ヶ月も経てばさすがに慣れてきたものの、生活を始めた当初は体力のない面々が筋肉痛に苦しみ、アケビを含めた体力に自信のある面々ですら足が張るほどの豪邸である。


(家は人が使ってないと傷むって、じいちゃんもよく言ってたもんな)


 だからこそバロンもアケビたちを――〈選ばれし者〉を自分の家に匿うことにしたのだろう。


 ――『この家はかつての国王が側室の住まいとして建てたものです。ですが、今の王は独り身でしてね。使わねば資源の無駄になると、永く国に仕えてきた私への褒美として下げ渡されたのです。まあご覧のとおり私も独り身なのですけど』

 いつだったか、夕食の際そう言っていた姿を思い出す。


 説明を聞くかぎり、複数人が暮らすのを前提に作られた物件なのは間違いない。だというのに、この豪邸には使用人が一人も居ないのだから不思議だった。


(でも魔法が存在してるし、あの人宮廷魔術師だしなあ)


 きっとそれでどうにかしているのだろう。すべての部屋を掃除しなくてもいいのはありがたかった。

 玄関ホールの緩やかな階段を駆け上がり、二階の端の部屋を目指す。

 しばらく歩いていると、ひときわ異常ですといわんばかりのオーラが漂ってくる。


(何回見てもすげー色だ)


 可視化されたおどろおどろしい色のは、この世界に『魔法』が存在しているひとつの証明だ。

『異世界研究室』と丁寧に日本語で書かれたプレートを扉に掲げた一室。

 アケビはその扉を躊躇うことなく開けた。


「ふたりともいるー?」

「……ああ、アケビか」


 顔を上げたのは、黒縁の眼鏡を掛けた少年だ。白衣を纏う姿は本人が目指している医者よりも研究者に近い。青白い肌と、眼鏡の奥に隠された『どれだけ寝ても取れない』という色濃い隈がそれをなおのこと引き立てている。

 アケビは手を振りながら室内へ体を滑り込ませる。


「おつかれー! アンディからミヤコといるって聞いてたんだけど……なんか多くない?」

「……さっきまではふたりだった」


 部屋の中には別行動中だったはずの仲間が数人集まっていた。フラスコを揺らしながら答えるカイの隣、「あら?」と涼やかな女性の声が響く。


「悪かったわね。ふたりの時間を邪魔しちゃって」


 オリエンタルな雰囲気を纏う少女が口元に弧を描いた。揶揄するような声に、カイの眉間に皺が寄る。ひりつく空気にアケビは慌てて間に入った。


「ハナちゃんも来てたんだ? ネネちゃんと図書室にいるって聞いてたんだけど」

「調べ物はひと段落したから一旦別れたのよ。ならアケビが昼寝してるかもしれないってハンモックに向かったわ」

「すれ違ちゃったか。悪いことしちゃったかなあ」

「気にすることないわよ。アレがそんなことで拗ねるタマだと思う? むしろその善意に付け込んで、大概倫理が終わってる行為を強いてくるのが関の山よ。油断しないように」

「ウィッス」

 

 よろしい。微笑んだハナが白衣を投げ渡す。


「おっと、ありがと」

「気にしないで。この部屋のルールだもの」


 この白衣は特注品で、さまざまな〈魔法〉が施されている。危険な実験もよく行う〈研究室〉の中に居るうちは着用が必須だ。


「さっきまでアンディとマヒロくんのとこに居たんだけど、〈属性付与〉するってハナちゃんが言ったって本当?」

「事実だ」

「ちょっと。アタシが訊かれたのに勝手に返さないで」

「事実だろう。第一、誰がそれを施すと思っているんだ」

「あんただけど?」

「わかっているなら、次から次へと後出しで負担を増やすのをやめろ……に出るのはお前だけじゃないんだぞ」


 地の底を這うような声に、アケビはカイが不機嫌な理由を察した。今にも舌打ちしそうなカイの背後、「まあまあ」となだめる少女の声が届く。


「ミヤコ!」

「アケビさん、いらっしゃってたんですね」


 髪をひとつに纏め、白衣を着たミヤコが小箱を抱えて立っていた。アケビは小走りで近寄り、箱の中を覗き込む。


「栓してある試験管がいっぱい入ってる」

「〈属性付与〉に使うんです。今回ハナさんが注文された付与はすこし難しいもので」

「悪いわね、面倒をかけて」


 カイへのものとはうってかわり、申し訳なさそうな表情を浮かべるハナにミヤコが首を振る。


「いえ、私はあくまで助手ですから。大変なのはカイくんですよ」

「カイくんの〈祝福ギフト〉ありじゃないとまだうまくできないんだっけ?」


 アケビの質問にミヤコがうなずく。


「ええ。〈刻印〉を使わずやるにはまだ課題が山積しているのが現状で……〈刻印〉技術が連綿と継承されてきた意味がよくわかります」

「あたし、そもそもこのやり方を見つけた時点で相当すごいと思うんだけど」

「そうですね。ですが、普及できない技術は机上の空論になってしまいますから」

「……腹立たしいが、僕でもまだ〈祝福〉頼りになるのは避けられない」


 眉間をもみながら、憎々しげにカイが言う。

 前提として、この世界の〈魔導具〉には必ず〈刻印〉が刻まれている。一見装飾のように見えるそれは、けして欠けてはならない重要な要素だ。

〈刻印〉を使った魔導具製造技術は、いにしえより受け継がれてきた基礎でもある。〈刻印〉技術は他の分野にも使われており、この技術なしに世界の発展はなかったとされるほどである。


 カイたちが考案し確立させた〈属性付与〉は、従来の手法とは大きく異なっている。

〈属性付与〉は『液状化させた無属性の魔素に属性効果を複数練り込み、それに対象を浸し、吸収させる形で付与を施す』というものだ。


〈刻印〉は、ひとつ以上刻もうとすると素材のほうが耐えられず自壊してしまう性質がある。ゆえに、これまで〈魔導具〉に与えられる効果はひとつにつきひとつ、というのが定説だった。

 だが、この方法なら素材への負担を軽減し、複数の〈属性〉を素材へ組み込むことが可能になる――これまでの世界のルールをひっくり返しかねないほどの発見だ。

 しかし、良いところもあれば悪いところもある。

〈祝福〉を持たない人間ではまだ成功が確実に担保されていないのだ。


「バロンでも一属性以上の同時付与の成功率は僕やミヤコの〈祝福〉ありきだと言われてしまってはな……このままでは到底表に出せない」

「そうですね……複数の要素を混ぜ合わせた『原液』をいかに安定化させた状態にするか、それを職人さんたちが再現できるようにしなければ意味がありませんし」

「指輪の改造はまだ簡単だったが、それ以上となれば話は変わる。これはあくまで従来のものを尊重しつつ、この国の産業に新たな『付加価値』をつけさせるための技術だ。使う側が再現できないなら話にならない」


「あのさ、毎回言ってるけどそもそもこの短期間で〈祝福〉を使いこなしてる時点でふたりともすごいんだからね? わかってる? 意識高すぎて忘れてない? 大丈夫そ?」


 思わず真顔で問いかけたアケビに、ふたりは顔を見合わせ、それから眉を下げた。

「だってそうじゃんね⁉」ハナに向けて言うと「そうね」とクールな笑みが返ってくる。


「あたし、まだ〈魔法〉の練習の方が進み具合いいよ」

「ふふ、私もですよ」

「そんなの全員そうなんじゃない? ねえ、ヨク」


 ハナがアケビのを見ながら言った。


「――うん、そうだね。俺もだよ」

「うひゃあ」


 突如として背後から聞こえたにアケビは飛び上がる。

 甘い声と共にやってきた彼特有の甘い香りに心臓が跳ねるのがわかった。そっと上を向けば、目を細めながらこちらを見下ろす美貌が佇んていた。


「よ、ヨクくん……びっくりさせんでもろて……」

「ふふ。ごめんね? こんにちはアケビちゃん。アケビちゃんも来てたんだ」

「ヨク、白衣を」

「ありがとう、カイ」


 カイから投げられた白衣をにこやかに受け取り、慣れた様子で身に纏う。交わされるやり取りを聞き流しながら、いやな汗が背を伝うのを感じる。


(あ~びっくりした、心臓止まるかと思った)


 手で自分を仰ぎながら息を吐く。どうにもアケビはこの美少年への耐性がつかないままでいる。

 他の仲間なら問題はない。だが、彼が唐突に現れると、お化け屋敷で驚かされてしまったかのように心臓がギュッと締め付けられるのだ。自分から声をかけるぶんには問題はない。急激に距離を詰められることにアケビはどうも弱かった。


「あれ? レンくんは? 一緒だってアンディが言ってたけど」

「あいつなら厨房に向かったんじゃないかなあ。今日はセンジュとナゴミちゃんのふたりだけだから、たぶん冷やかしに」

「今日っていうか今日っていうか……前から思ってたんだけどレンくん、やたらとセンジュくんに対して命知らずっていうか、定期的に締められてるのに反省しないよね。なんで? あたしたちが話しかけると軟体生物になるのに」


 レンは言葉で説明しようとすると困るタイプだ。ひとつ言葉を間違えると、取り返しがつかなくなりそうな危うさがある。

 ヨクはうーん、と小さく唸って、

 

「ごめんね、そういう生き物なんだ。悪いやつではないから見守ってあげてほしいな」

「うん、悪いやつじゃないのはわかるんだけどね?」


 とにかく強烈だ。何をどうしたらああなるのかアケビにはわからない。

 話を聞いていたハナが言った。


「考えるだけ無駄よ。やめておきなさい」


 まごうことなき正論だった。

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