3
「あ……あなたは、一体……誰、ですか?」
混迷を極める部屋の中、しばし硬直していたミヤコが、ようやっとの状態で後ろを振り返る。
視線の中心、突如として現れた男は彼女の言葉に貼り付けたような笑みを浮かべ――
「嗚呼ッ……!
「いやなっがいんだわさっきから! なんだお前‼」
気づいたときには叫んでいた。
男はきょとんとした顔で喋るのを止める。寒暖差で風邪を引きそうだった。どこで息継ぎしているのか分からないノンストップで軽妙な語り口に飲まれかけたが、普通にそれどころではない。
アケビはミヤコをすばやく引き寄せ、腕の中に囲うように抱きしめる。
彼女の手は冷えていて、暗さでわからなかったが、予想以上に顔色も悪かった。そうなって当然だ。誰だって、突然あんなホラー体験をしたら具合も悪くなる。
この男の登場で部屋は静まり返り、悲鳴まで上がったのだ。自分の寿命もこの男のせいで数年縮まったに違いない。
アケビは鋭い眼差しを向け、男に問いかける。
「あんた誰? 勝手に出てきて、どちら様なわけ? べらべら喋る前にまず名乗れ!」
「それはド正論」
背後から援護射撃のような相づちが飛ぶ。
全員に睨めつけられた男は「私としたことがついうっかり」ぬけぬけと呟いて、「これは失礼致しました」と悪びれる様子もない笑顔である。
コホン。
わざとらしく咳をした男は、もう一度、あの優雅な一礼を再現する。
「――私はバロン。このエンプティス王国の、宮廷魔術師をさせて頂いております」
§
〈エンプティス王国〉――周囲を四つの大国に囲まれながら、『中立』という立ち位置を現在まで貫き通してきた王政国家。
豊かな自然と
しかし、ここ数年で家業を捨て一族で隣国へと夜逃げする民が増加しており、国の産業は廃れ、財政は悪化。生活の質は徐々に悪化し、国内に暗雲を齎していた。
――このエンプティス王国こそ、自分たちをこの部屋へ拐った諸悪の根源である。
宮廷魔術師を名乗る、目の前の男はそう語った。
「きゅうてい」「まじゅつし……?」
「さようにございます」
顔を見合わせたアケビとミヤコに、なぜか乙女のように頬を赤く染めた男はうなずいた。
言葉を聞いていたのはアケビたちだけではない。成り行きを見守っていたクラスメイトたちが、堰を切ったように声を上げた。
「は、なんて?」
「ちょ、ちょい待ち、情報が地味に多いな⁉」
「王国? いま王国って言った?」
「僕の記憶が確かなら、日本は王国ではなかったはずなんだけど」
「そうだよ、ましてエンプティスなんて小洒落た名前でもないよ」
「……外国なのか? ここ」
「ぎゃっ! 怖くて言わんかったことを!」
「エッ⁉ 私たち、いつの間にか密輸されてたってコト⁉」
「黙りなさい、耳が痛い」
「ぎゃいん!」
部屋の中は一気に大混乱に陥った。張り詰めていたものが壊れてしまったのだから当然だろう。だが、このままでは話が進まない。
やはり一番に正気を取り戻したのは、アケビの腕の中にいる彼女だった。
「ッ、みなさん、落ち着いて!」
この数時間の中で、おそらく一番大きな声。
パンッ、と大きく柏手を打ちながら声を張ったミヤコに、ぴたりと音が消える。
「……落ち着きましたか?」
眉を下げたミヤコが、やさしく諭すような声で問いかける。コクリ、とその場にいる全員がうなずいた。
一連の流れを眺めていた男は、満面の笑みで「では続けますね」と、説明を再開した。
「――このエンプティス王国は、周囲を四つの国に囲まれている国です」
バロンが指先を一振りすると、宙に複数の画面がパッと現れた。
目を瞠るアケビの隣でヨクがささやく。
「翻訳機能でもついているのかな、便利だね」
「マジでファンタジーっぽくなってきてんじゃん……」
映し出されていたのは、地図が拡大されたものだった。現在地であろういびつな楕円形を中心に、四つの大きな領土に囲まれているのがわかりやすく記されている。児童小説の冒頭に出ていそうな、手描き感のある地図だ。
一瞬、英語に似たスペルが浮かんだが、たちまち慣れ親しんだ言語へと変換されるのをアケビたちは見逃さなかった。
クラスメイトの一人がしみじみと呟く。
「こうして拝見すると、ほんとに小さい国ですなァ」
「エンプティス、だいたい北海道くらいの大きさか?」
「っぽい。でもこれ、北海道というよりは……四国とか?」
「なんか違うん?」
「北海道は四国の四倍以上の面積がある」
「マジでぇ⁉」
男性陣の会話をBGMにしながら画面を眺めていると、腕に違和感を覚える。「どうかしたの?」無言で画面を見つめていたミヤコが、アケビの腕に触れたのだ。幾分か顔色のよくなったミヤコが微笑む。
「もう大丈夫です。ありがとう、アケビさん」
「そう? ならいいけど」
少しだけ名残惜しいが仕方がない。アケビは腕の中からミヤコを開放する。
佇まいを直し、緊張しているのか、硬い声色でミヤコはバロンへ問いかけた。
「……この国の内情は一応、把握しました。ですが、それと私たちが喚ばれたことに、何の関係があるというのでしょうか?」
「……」
ミヤコの問いにバロンが目を伏せる。
数秒の間をおき、それまでの振る舞いが嘘のように、彼は静かな声で語り出した。
「半年ほど前、国王から
選ばれし者。
バロンが現れたときにも言っていたワードだ。どこか不穏な気配のするそれに片眉が上がる。
「ちょい待ち。選ばれし者ってなんなん?」
「『選ばれし者』とは、私が召喚した異界からの来訪者――つまり、皆様のことですね」
返ってきた無慈悲な返答に空気が凍る。
数秒の間を置いて、今日一番のどよめきが部屋を包み込んだ。
「はああああああああ⁉」
「オレらどこに出しても恥ずかしくないただの学生なんですけど! 我が国日本に現在徴兵制度はございません!」
「コイツぁどこに出しても恥ずかしい事案! 起訴ですわ起訴、裁判所で会おうぜ!」
「僕たちのどこにッ! そんな素養がッ! あるって⁉」
怒涛のブーイングが飛び交う中、虚弱体質で有名なクラスメイトが華奢な見た目からは感じられない力強さでバロンのローブを掴み、激しく揺さぶる。
今まで見たことのない姿に驚きながらも、大波のごとく押し寄せる情報にアケビも唸り声を上げながら頭を抱えた。
首がもげそうな勢いで揺さぶられながらも微笑を保つバロンの姿はいっそ狂気じみている。
「皆様のお気持ちはよくわかります。私も正直、何言ってんだコイツ? と思いました。それほどまでに、異世界から人を召喚するのは不可能に近いことなのです。ですが、事実としてこの世界には異世界より喚び出された『選ばれし者』によって国が救われたという事例が実在しているのです」
「うそでしょお……」
バロンが残念そうにかぶりを振る。
「残念ながら事実にございます。実行する私としても誰も喚ばれませんように不発に終わりますようにと祈っていたのですが……国王とこの国の大司祭が癒着関係にあるばっかりに、うっかり今日という最大限に魔力が高まった日が選ばれてしまい」
「クソじゃねーか大司祭!」
「政教分離の概念はねえのかよ! ……いや、異世界だからないんだろうけどさあ!」
「得てして宗教と権力者が癒着したらろくなことにならないってよくわかる事例だなあ」
「……私たちは魔法など使えません。おそらく他の『選ばれし者』もそうだったと思うのですが、ただの一般人が、どうやって国を救うと?」
考え込んでいたミヤコがバロンに問う。
ここに居るのはただの学生であり、特別な力なんて持っていない。疑問は至極真っ当なものだ。
「ああ、それなら心配御無用です。皆様には既に『
「ギフト……?」
今度はなんだといわんばかりの周囲の胡乱な目も気にせず、魔術師は満面の笑みを浮かべる。
「
「……そのギフトってのは、魔法となにが違うわけ?」
いまいち違いがわからない。アケビたちからしてみれば、魔法も魔術も異能力も〝ふしぎなちから〟という時点でおなじ分類という認識だ。
「〝魔法〟とは、主に空気中にある
そして、とバロンは残酷な現実を突き付ける。
「〈選ばれし者〉とは、世界を渡り、神の祝福を受けた聖なる御使い――数少ない『
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