第9話:暖かな色

「美琴ちゃんは可愛くて羨ましいわー。人生とか楽でしょ。いいよねぇ……」


 職場の保育園にて。

 先輩の女に私はそう言われた。

 犬養いぬかい美琴みこと、それが私の名前。あんまり好きな響きじゃない。だって、私の性格は琴が奏でる音色のように綺麗じゃないから。


 いつから自分の容姿が美しいと認識したのかは覚えていない。気付いた頃には私の周りには男が寄ってきていた。それとは反対に同性の女は私を嫌うようになった。


 今日だって私は職場の女に嫌味を言われる。だけど今さら女に媚びへつらってオトモダチになろうだなんて思わない。私は強い女だから、孤立することなんて痛くも痒くもないのだ。


「ミコトせんせー。だっこしてぇ」

「はーい。いまするねー」


 子供は良い。

 大人違って純粋で可愛いから。

 私のことを素直に尊敬してくれるから。

 そういう子達に囲まれたこの職場は、ある意味で天国だ。


 昼休み。私は職員室でご飯を食べていた。

 一緒に食べる相手なんていない。別にいいと思っている。友達を作りにこの仕事をしているわけではないから。


「……ぷぷ、あの子まぁたひとりでご飯食べてる……みっともないわねぇ」


 同僚の陰口が聞こえる。

 群れることでしか己の自尊心を満たせない雌ザル共が。下らない。何もかもが下らない。


 私には心から何もかもを話せる友達がいない。

 

※※※


 仕事が終わり。最近引っ越したアパートに帰ってくる。少しボロいが、別に構わない。

 帰ったら早くお風呂に入ってゆっくりしたい。そう思っていたら。


「あれ、犬養さん……でしたっけ」


 通路から人がこちらに歩いてきた。

 確か桃瀬とか言ったっけ。ひ弱でナヨナヨしてる童顔の男で、いかにも陰キャって感じの見た目だ。先日手を握ってやったらオドオドと焦っていたっけ。ほんと、男って単純。


 私は外面の笑顔で桃瀬に対応する。


「あら、桃瀬さん……こんばんは♡」

「こんばんはー。いまおかえりですか?」


 ……はぁ。厄介だ。

 変に手なんか握らなきゃ良かった。

 こういう距離感がバグっている陰キャはすぐ惚れてきて身の程もわきまえずに付きまとってくるから。今度は少し距離を置こう。


「はい♡そうです」

「そうなんですね。そういえば犬養さんってなんのお仕事してるんですか?」


 プライベートなこと聞いてくるなよ……。

 イライラしながら私はこう答える。


「保育士をやってます♡」

「保育士?! すごいなぁ……!」

「……はい♡ ありがとうございます」


 瞳をキラキラさせてすごいすごいと言う桃瀬。どうせバカにしてるクセに。お世辞なんか言って。私に気に入られようとしているのバレバレだから。


 すると桃瀬は変なことを言う。


「保育士さんって、資格とかいるんでしたっけ」

「はい、要りますよー。それが何か問題でも?」


 イラっとしてついトゲのある言いかたをすると。

 桃瀬は私の悪意なんかまるで気付いていない顔で。


「すごいなぁ……」

「……は?」

「だって、資格を取ったってことは、保育士さんになるのが夢だったんですよね? そして実際にそのお仕事に就いて……ボクなんて夢もなく周りがそうしてるからテキトーな大学に入ったのに……」


 何となく、この男がお世辞を言っているとは思えなかった。この人からは子供に接する時と同じ何かを感じる。今まで出会ってきたい男とは何か違う。何が違うのかは明確には言語化できないけど。


「……すごくなんてないですよ」

「え……?」

「あ……いえ、なんでもないです」


 つい本音が溢れてしまった。

 すると桃瀬はキラキラとした眩しい瞳を私に向け。


「お仕事頑張ってください! ボク、メッチャ応援してます!」

「……っ」

「そうだ、ボク今からお隣の鬼頭さんとそうめん食べるんですけど、良かったら一緒にどうです?」

「……はぁ? なんでそうめん──って、ちょっと」

「行きましょう! 新しいお隣さん歓迎パーティだ!!!」


 私の手を引っ張って部屋に連れていこうとする桃瀬。ちょっと! 何コイツ! 距離感バグり過ぎにも程があるっての……。通報されても文句言えないでしょ。


 でも何故だろう。私は彼の手を振りほどく気になれなかった。この人の底抜けの明るさと能天気具合に呆れ返ってしまっていたのだろうか。あるいは……そんなことあるわけないけど、この私が心を許したとでも言うのだろうか。


 桃瀬の隣の部屋。確か鬼頭とかいう目付きの悪い女が住んでたっけ。そこに案内されると。


「鬼頭さんこんばんは〜!」

「こんばんは、桃瀬くん。……と、犬養さん」

「どうもー」


 私を険しい顔で睨み付ける鬼頭。

 ……と思ったら小さな声でブツブツ言う。


「まぁた女たらしこんでる……」

「鬼頭さんっ。今日犬養さんも一緒にそうめん食べていいですか?」

「……いいよ。じゃ、犬養さん。上がって」

「……はぁ」

「行こっ。犬養さん!」


 あれよあれよという間に部屋に上がらせられ。

 渋々リビングに腰掛けると。

 茹でたてのそうめんが運ばれてくる。

 桃瀬が私に訊いてくる。


「そうだ。犬養さんはアレルギーとか大丈夫?」

「まあ……普通に食べられますけど」

「良かったぁ。あ、ネギ乗せる? 麺つゆでいい?」

「……」


 何だコイツ。変な人。

 穢れなんて全く知らないような顔して。

 子供みたいに純粋な顔で笑って。

 バカみたい。


「いただきまーす。……おいしいー!」

「桃瀬くん。食べながら喋らないの」

「はふはふ。ごめんなさい……」

「もぉ。バカね……」


 何年ぶりだろう。こうして食卓を囲んでご飯を食べたのは。変な気分だ。すごく変な気分。怒りとも興奮とも違う、不思議な感情だ。心の奥がカイロでも当たっているかのようにポカポカする。


 鬼頭が微かに笑いながら。

 そうめんに手をつけない私にこう言う。


「遠慮しないで食べていいよ」

「……何が目的ですか」


 怖くなって私はこう訊いた。

 すると鬼頭は桃瀬を一瞬見て。


「それは桃瀬くんに聞いたほうがいいかな。彼が連れてきたんだから」

「……なんなの。意味わかんない」

「あ、桃瀬くん。麺つゆテーブルにこぼさないの」

「無視しないでくださいっ」


 ガラにもなく声を荒らげる私。

 すると鬼頭は余裕ぶった顔で。


「深い意味なんてないと思うよ」

「は?」

「ただ一緒にご飯食べて、楽しい。それだけでいいんじゃないかな。不満?」

「いや、不満っていうか……」

「まあ嫌ならいつでも抜けていいから。ここは誰かを拘束するような場所じゃないよ」

「私、この人に無理やり連れていかれたんですけど」

「……桃瀬くん」

「だ、だって……寂しそうだったから」


 私が寂しい? 何を言っているのだろうか。適当なことを言っている。絶対に合っていない。鬼頭がグラスにビールを注ぎ。こう言う。 


「はい、犬養さんの分。あ、飲める?」

「飲みますよ……飲めばいいんでしょ」


 グラスを奪い取ると。

 一気にゴクゴクと飲み干す。

 おー、という二人の驚く声と共に拍手が巻き起こる。


「いいねー。その飲みっぷり」

「犬養さんすごーい!」

「……ヒック」


 ほんと、変な隣人。

 アルコールで揺らぐ視界の中。

 私はそう思い、そうめんをすする。


(……美味しい)


 悔しいけどそう思ってしまった私だった。

 私の隣人は、変な人達だ。

 無色だった日常に少しだけ、ほんの少しだけ色が付いた。暖かくて、癒されるような色。


 私はまだうっすらと。

 この色を受け入れられる自信がない。

 

「犬養さんっ。そうめん美味しいですか?」


 桃瀬が訊く。鬼頭もそれに合わせるように。


「ゆっくり食べなよ。喉つっかえるから」

「……はいはい」


 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。

 楽しいなって思ってしまった。

 ……あー、クソ。まじでムカつく。

 表情を隠すように私はそうめんをひたすらにすするのだった。




 


 

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隣の部屋の鬼頭さんはちょっと怖いけど優しいお姉さんだ。 まちだ きい(旧神邪エリス) @omura_eas

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