第6話:鬼頭さんの過去

 ある日の休日。

 ボク桃瀬ももせ丹護たんごは日曜の朝に起きると身だしなみを整えて家を出た。今日は本屋に行って小説を買いに行くのだ。仕事を始めてから心が落ち着かなくてゆっくり本を読む気になれなかったから。最近は鬼頭さんや鶴羽先輩のお陰で少しずつ落ち着いてきたから久し振りの本屋が楽しみだ。


 車で移動すること10分ほど。

 大学の頃から通っている書店さんに到着する。新品の本の匂いが鼻腔をくすぐる。何だか学生時代を思い出す。


 とりあえず小説コーナーを見て回る。 

 歴史小説、ミステリー小説、ライトノベルコーナー。棚に平積みされている小説の数々は、腐っても読書好きのボクにとっては宝物に見える。


(あ、これとかいいかな……)


 少し前にSNSを中心に話題沸騰の恋愛小説。表紙には男女が寄り添っている少しエッチな絵が描かれている。どちらかと大人向けの内容のようだ。


(こういうのもたまには読んでみるか)


 手に取ってあらすじを読む。

 なになに、旦那に尽くしすぎて飽きられたバツイチの妻が年下の男と出会う話、か。ハッピーエンドなら何でもいいや。買ってみよう。


 本を購入して家に帰る。

 部屋の鍵を開けようとすると、鬼頭さんが通路から歩いてくる。


「おはようございます。鬼頭さん」

「おはよう、桃瀬くん。お出かけしてきたの?」

「はい。本屋さんに行って本を買ってきたんです」


 ボクはカバンから買ってきた小説を取り出す。


「この本なんですけど……」

「……ああ」

「読んだことあるんですか?」

「まあ、ね。前に買ったから」


 「でも」と言い。

 鬼頭さんは続ける。


「途中で読むの止めちゃったな」

「え、つまらなかったんですか」

「いや、そうじゃなくて……」


 鬼頭さんはアンニュイな表情を浮かべながら。


「その本、読み終わったら私に貸してもらえるかな。また読みたくなっちゃった」

「でも買ったなら自分のがあるんじゃ」

「捨てたんだよね。なんか、自分と重ねちゃって」

「え……?」


 自分と重ねた? どういうことだろう。

 疑問に思っていると、鬼頭さんは苦笑いして。


「聞きたいなら部屋来て。話すから」

「鬼頭さん」

「君にならいいよ。教えてあげる。私の過去。まあ、そんな大したことじゃないけどね」

「話すことで楽になるなら聞きますよ」

「ありがと。じゃ、おいで」


 ボクは鬼頭さんの部屋に招かれるのだった。


※※※


「とりあえずそこ座って。あ、今お茶持ってくるね」

「お気遣いなく……ありがとうございます」


 鬼頭さんの部屋は相変わらず小綺麗で。

 ほどよく生活感があって、なんだか少しドキドキしてしまう。ここにひとりの女性が住んでいて衣食住をしているだと思うと、途端に居ずらくなる。


「はい、麦茶。あ、おせんべいあるよ。食べる?」

「わぁ、ボクおせんべい好きなんですよね。頂いてもいいんですか?」

「いいよ。職場の人に貰ったやつだけどね」


 鬼頭さんはキッチンからガサゴソと袋を漁り。ボクがいるリビングにおせんべいを持ってきた。

 

「いただきます。あ、醤油のやつだ」

「昔ながらのだね。桃瀬くんはこういうの好き?」

「はい。子供の頃によくおばあちゃんちで食べてたんで……」

「そか。いいことだね」


 お茶を飲みながらおせんべいを食べていると。鬼頭さんは静かに話し始めた。


「私さ、前に尽くす女って言ったじゃない」

「ああ、前に言ってましたね」

「うん。だからね、前の旦那にも尽くしてたんだ。好きになってくれるように、料理だって毎日作ったし、掃除だって忙しくてもしたよ。あとはまあ……夜の営みもね」

「あ……」


 鬼頭さんの口から出た大人なワードに。

 ボクはアワアワしてしまう。

 そっか。そうだよな。結婚してるんだもん。そういうことくらい経験あるよな。


 ボクの落ち着かない様子に鬼頭さんは表情ひとつ崩さずに。


「なに、興奮してんの?」

「え、っ? い、いやっ。すみません……」

「別に謝らなくていいよ。私が変な話したのが悪いんだから……っと、まあそんな感じで私は旦那に尽くしたわけですよ」


 「でも」と言い。

 鬼頭さんはこう続けた。


「そういうのが重いって言われてね。やっぱり男って追いかけたい生き物なのね。私のほうから歩み寄ったら飽きられちゃった」

「そんな、鬼頭さんは素敵な女性なのに……」

「アイツにとっては違ったんでしょ。でもありがとね。お世辞でも嬉しいよ」


 乾いた笑顔でそう言う鬼頭さん。

 ボクは段々ムカついてきた。鬼頭さんにじゃない。元旦那に対してだ。どういう理由があって、どういう気持ちで離婚を決めたのかは正直に言うと分からない。同じ立場になった時ボク自身がどうするかも分からない。けど、いま現在言えることは、目の前で女の人が悲しそうな顔をしていて、ボクの前で泣きそうになってるということだ。だからボクは鬼頭さんにこう言った。


「お世辞なんかじゃないです」

「桃瀬くん」

「鬼頭さんは素敵な女性です。そんな素敵なアナタの魅力が分からない相手のことなんて、もう考えなくていいです。考えるだけ無駄ですから」

「でも……」

「大丈夫です。鬼頭さんの魅力を分かってくれる男性なんていくらでもいますから」

「……」


 勢いのままに口走ってしまったけど。

 鬼頭さんに想いは伝わっただろうか。

 そう思っていると。鬼頭さんが言う。


「君は……」

「は、はい」

「君は私の魅力知ってるの……?」

「そりゃあ、もちろん」

「じゃあ、私の好きなところ5つ言ってよ」

「……いいですよ。それで鬼頭さんが落ち着くなら」


 ボクは頭を悩ませることもなく。

 思いついたまま鬼頭さんの魅力を5つ答える。


「鬼頭さんは料理ができます」

「うん」

「それから、お部屋の掃除もできます」

「……うん」

「あと綺麗です。モデルさんみたいに」

「っ……うん」

「相手のことを考えられて、優しい心を持ってます」

『……ぁ、う、ん』

「声も綺麗で、落ち着きます」

「……あの、桃瀬くん」

「はい?」


 見ると。鬼頭さんの顔は真っ赤になっていた。そしてブツブツと何か言う。


「女たらし……」

「え? なんですか……?」

「何でもないよ。桃瀬くんが憎たらしいなって思って」

「ええ、何か失礼なこと言ってました?」

「失礼っていうか……無闇に女の子たぶらかして、自分では気付いてないところとか、ほんと憎たらしい」

「あいてっ……」


 鬼頭さんに軽くデコピンされるボク。

 なんで?! やっぱり何か失礼なことしちゃったかな。でも思い当たる節が無さすぎる……。


「コホン……ってなわけで昔話はおしまい。大して面白くなくてごめんね」

「い、いえ、そんな……」

「それじゃあ用事も終わったことだし部屋戻っていいよ。あ、おせんべいは持ってっていいから」

「え、まだここにいたいです」

「っ。こんにゃろ……いいから戻る。今日はこれ以上君といたら……襲っちゃいそうだから」

「おそ……なんですか?」

「はいはい、天然クンには勝てませんよっと」


 何だか分からないけど。

 ボクは半強制的に自分の部屋に帰らされるのだった。別れ際に鬼頭さんがポツリと「変な気分になっちゃった」と独り言を言っていたけど、一体どういう意味だったのか。


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