第6話 呪われトカゲ令嬢と偽りの英雄(後)

「ぼっ、ボクはリュークって言います」


 陛下とお父様。そして私から向けられる視線に気圧されながらも、彼は決意を固めた表情で名乗りました。


「それで、おぬしは何故モルトとやらの身代わりとなったのだ?」


「そっ、その――身代わりになって、この戦争を乗り越えたら、ボクを農奴の身分から解放してくれると約束してくれたんです……」


 彼はよほど善良な性格をしているのでしょう。この機会に逃げ出すことなど頭にも無かったようで、素直に約束を果たすことだけを考えていたように見えます。

 そしてその善良さ故に、この状況の中、これ以上嘘を吐き通すわけにはいかないと考えたのでしょう。


「農奴からの開放ですか……。その証しとなるもの――証文のようなものは貴方の手にあるのですか?」


「あっ、それならここに」


 リュークと名乗った若者は、懐を探ると上着の下から帯のようなものを引き抜いて、その中から油紙に包まれた用紙を取り出しました。


「見せてみよ」


 お父様がその用紙を受け取り中身を確認します。


「…………確かに、正式な証文だ。このグレーン・ウィスカというのがお主の主人か?」


「アンドレオ。お主にも少し話したが、ウィスカというのはモールスめの領地の端にある、カルヴァドという開拓村を纏めている豪族だ。国への陳情記録にグレーンの名が残っていた。現在の一族当主のはずだ」


 お父様の問いには陛下が答えました。式典で報奨を授与するつもりであったのです。調べてあったのでしょう。


「お父様。その証文、私にも見せて頂けないでしょうか」


 私のお願いに、お父様は手にしていた証文を手渡してくださいます。

 その証文の内容に目を通した私は、一つの確信を得ました。


「……この内容どおりならばリュークさま。貴方は既に農奴の身分から解放されていますね」


 証文には、徴兵の原因となった戦争が終了した時点で農奴の身分から解放されると明記されていました。

 私は小さく息を吐いてドルムス陛下へと視線を移します。


「それから陛下。ウィスカ家――少なくともこのグレーンという方は、モールス侯爵が王国から離叛することを知っていたと考えられます。もしかしたらマルクス侯爵の離叛まで知っていたかも知れません」


 私がついでのように放った言葉に、この場が一瞬で凍り付きました。


「……なに!?」


「……何故そのような事が言えるのだディアナ?」


 陛下とお父様。ふたりとも耳に入った言葉が、頭の中で意味を成すのに時間を必要としたようです。

 リュークさまは、自分が既に農奴の身分から解放されていると聞いた時点で、思考が停止しているようでした。

 私はそんな彼に視線を向け、ある確信を口にします。


「リュークさまが身代わりに立てられたこと、それ自体が証拠だと言えます。――彼が身代わりに立てられたのは、この度の戦で戦死する可能性が高いと分かっていたからでしょう」


 徴兵される年齢としては若い彼。通常ならば工兵部隊や補給部隊などの補助的人員として配置されていたはずです。

 軍の後背部に配置される事の多いそれらの部隊は、後方から急襲したマルクス侯爵の領兵によって壊滅的な被害を受けたと聞きました。


(結果として、グレーンには死んでも構わないと考えられていた彼が、陛下の命を救ったことで、我が国は今こうして戦勝記念式典などと言っていられるわけですが……。それにカール王国が企てが成功していたら、徴兵逃れが露見したとしても問題は無かったわけですし)


 その一言で、陛下もおおよその流れに気付いたようです。


「そういうことか……だがなんということか。辺境の豪族までもがカールに取り込まれているとは……」


「それはどうでしょう。おそらく彼は、カール王国の企てが失敗する可能性まで考えていたのかもしれません。だからこそ、彼はカールに積極的に協力することはせず、徴兵に対してリュークさまを身代わりとして出征させたのだと思います。カールの企てが成功したならば、立場の保全を図るために恭順し、失敗したならば何事も無かったことにする為に……。彼の誤算は、リュークさまがモールスとマルクス兵を退け。ドルムス陛下を救ってしまったこと。それによって彼――または彼らウィスカ家の心底が、今こうして私たちの前にさらけ出されてしまったことでしょう」


「……確かに。状況証拠ではあるが、お主の話は理にかなっている」


 父様は、重々しいご様子で陛下へと視線を向けました。


「陛下いかがいたしましょう。我々の見立ては大きく狂う事になってしまいますが」


「うむ。モールス侯爵領に楔を打ち込むつもりでおったが、このままでは、不安定なあの地に大きな厄災の根を張り巡らされたままとなってしまうな。確たる証拠が無い以上、無為に断罪しては他の領地に疑心の種をばら撒くことになりかねん。これ以上領主たちの離叛を招いては国体が保てぬ」


 式典の時間が刻一刻と迫る中、重々しい雰囲気になってしまった謁見の間。

 その中で、陛下とお父様は腕組みして考え込み、事態が飲み込めないリュークさまは目を白黒させています。


(陛下もお父様も考え込んでしまいました。ですがそんなに難しい話でしょうか?)


 進まない事態にれてしまった私は口を開きます。


「陛下……よろしいでしょうか」


「なんだディアナ? 申してみよ」


「そこまで難しく考えなくともよろしいのでは? これまでの話を聞いた限り、ウイスカ家にモルトさまに爵位を与えるという話は通されていないのですよね?」


「うむ。当初の予定ではモルトに爵位を与えはするが、領地運営の主導権はこちらで握るつもりでおったからな。こちらか人員を送り込む予定であった。ウィスカの一族に大きな力を持たせぬ為にもな」


(決定後に人員を送り込んで、その場で布告するつもりだったわけですか。そうですね。あわよくば私を娶らせ、王家の縁戚として辺境を纏めさせようと考えていたわけですし)


「それでは当初の予定どおりモルトさま、いえ、この場合リュークさまですね。彼に爵位と領地を与えればよいのでは? 彼にはおかしな付属物も付いていませんから、こちらから人員を送り込むのに何の不都合もありません。徴兵逃れの片棒を担いだことを差し引いても、窮地から陛下をお救いした功績は多大なものです。決して英雄の名を貶めるものではないでしょう。主の命に逆らうのは難しい立場であったわけですし、それにこの証文にあるように、彼は既に農奴ではありません。農奴であれば彼の権利は主にありますが、彼は既にウィスカの持ち物ではなくタランティア王国の臣民です」


 私の言葉に、陛下もお父様も虚を突かれたように目を見開きました。


「確かに、考えてみれば……。既に王都の民には英雄としてその顔を晒してしまっているのだしな」


「それにリュークさまを領主として差し向ければ、ウィスカ家に徴兵逃れの罪を償わせることもできます。少なくともウィスカ家頭首グレーンと当事者であるモルトは裁けるはず。そうすればかの地でのウィスカ家の力を削ぐこともできるのでは?」


「うむそれだ! ディアナよ、良く申した。なるほど、かえってウィスカと関わりのない英雄を領主として据えた方が話は簡単だ」


「えっ? えっ!?」


 私たち全員から視線を向けられたリュークさまは、訳が分からず戸惑っています。

 ドルムス陛下はそんな彼に近づくと、両の肩に手を置きました。


「なに、つまりはお主がモルトでなくリュークであろうと、我の申し出は変わらぬという事だ。我を救ったお主には貴族となってカルヴァド周辺の領地を治めてもらいたい。うん、どうだ?」


「えっ……あっ、あの……」


 陛下に笑顔の圧を掛けられたリュークさまは、その瞳をグラグラと揺らしています。

 揺れる彼の瞳が、おずおずとした感じで私へと向かって動きました。

 私の視線と彼の視線が絡み合うのと同時に彼が口を開きます。


「そっ、それは……あの女性ひとと一緒に――ということですか?」


「うむ? あっ、ああ……まあ、お主が良ければ……ということだぞ」


 リュークさまの真意が読めなかったのでしょう、ドルムス陛下の言葉は探るような調子です。

 しかしその言葉を聞いた彼は私への視線を向けたまま、まるで覚悟を飲み込むように、ゴクリっと喉を鳴らしました。


「なら……それなら……」


「おお、おお受けてくれるか! これはめでたい。これでひとつ頭の痛い案件が片付いたわ」


「まて! 待てドルムス! ディアナの意思を確認していないではないか!」


 お父様が声を荒らげました。

 リュークさまという、まったくの他人のいる場所で陛下を呼び捨てにしてしまうほどに動揺しているようです。

 陛下の方はお父様の態度に怒りをみせるでもなく、どこかニヤついた表情を浮かべました。


「……アリアの残し胤はお主にとって他の子たちとは少々違うとみえる。お主アンドレオのそのような姿が見られるとはのう。だが――当の本人は了承しているようだぞ」


 陛下の言葉はお父様を揶揄うような調子で響きました。確かにその言葉には間違いがありません。


「お父様……私もこのお話、うけたまわろうと思います」


 悲愴を滲ませた表情でお父様が振り返りました。


「おいディアナ!?」


「お父様。リュークさまが受け容れてくださるのならこのお話。陛下の仰るとおり、私にとって最良の選択でしょう……違いますか?」


 私の感覚が間違っていなければ、彼は私に忌避感を抱いていません。いえ、どちらかというと好意をもっているような……。

 正直彼の性癖に若干の不安はありますが……その立場が私にとってはとてつもなく魅力的です。


「……確かに……そうではあるが……」


 ここまで言ってもお父様は乗り気ではないご様子です。

 呪いに犯された私の身が、自身の居ない地でどのようになるのか、それが不安であるのかも知れません。


「お父様……お聞きください。リュークさまに与えられる領地。その近くには白竜王ブランダルさまがお棲まいになる白竜山脈がございます。あの地であれば、ブランダルさまにお目にかかる機会があるやも。そうすればこの身に掛かった呪い……解呪できるやも知れません」


 神話にも語られる七大竜王の一柱。ブランダルさま。

 かの竜王が下界へと降り立ち、人の前に姿を現したのは一〇〇年ほど前の事です。

 ですが人が白竜山脈へと分け入り、目通りが叶ったという例は、それよりもずっと多く吟遊詩人たちによって唄われています。

 これはとても安易な可能性です。ですが領地に引きこもっているよりは、ずっと建設的だと思うのです。


「お前は、そこまで考えてリュークどのに嫁ごうというのか……」


「幸いなことに、リュークさまはこの身をいとわないご様子。私のこの姿を目にして腰を抜かすような方に嫁ぐよりはよほど幸せではないでしょうか?」


 私の返事はまったく別のものです。ですがお父様の顔からは、明らかに険がとれました。


「ふむ。どうやら親子の話はついたようだな。……ならば式典前に、先のことを詰めておこうではないか」


 陛下は、まるで悪戯の企みをする少年のように笑顔を浮かべました。


(そうですね。英雄と竜女の結婚……きっと式典は大いに沸くこととなるでしょう。それは此度の陛下の失態を覆い隠すほどに……)

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王子に婚約破棄された呪われトカゲ令嬢は、王を救った英雄に嫁ぐことになりました。 獅東 諒 @RSai

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