第4話 呪われトカゲ令嬢と陛下の暗闘

 タランティア王国の王城であるサンタス城は、外壁が石積みの城塞です。

 内部は地下階を含めた四層構造になっていて、地上階一層目の区画は外壁と同じく石積みで出来ています。

 二階層以上では一層目の石壁の上に柱を立て、漆喰を使って壁を作っています。足下は板張りの床になっていて、室内には厚い絨毯が敷き詰められています。


 王城へと入った私は、トールズとミルスを一階にある共仕え控えの間へと残し、お父様に先導される形で二階にある謁見の間へと向かいました。

 式典の開始時刻よりも早い時間の登城を促されましたので、何かあるのではないかと考えていました。思ったとおり内々の話があるようです。

 ヴァルムさまからの一方的な婚約破棄後、私が王城へと上がるのは初めてのことです。

 婚約破棄騒動が起こった当時は、カール王国との間でいつ紛争が勃発するか判らない時期でした。

 それもありお父様は王城へと詰めておりましたので、件の話は最終的にドルムス陛下とお父様との間で話し合われたのです。


「久しいなディアナよ」


「陛下、一年ぶりのお目もじ、見苦しい我が身を御前にさらしますこと申し訳なく思います」


 人払いされた謁見の間の中。

 私は左の片膝をついて、胸の前で右の拳を左の手で握り込み、頭を下げました。

 父様よりも一つ年下の陛下は、しかしとてもそうとは思えないほど……良く言えば威厳のある体格をしておられ、実年齢よりも年輪を窺わせています。ただとても朗らかな雰囲気を纏っておられ、あかがね色をした瞳には暖かい光が宿って見え、常に笑顔を浮かべているように感じられる御方です。

 ですが私は、何故か幼い頃から陛下と対峙すると、盤上遊戯ボードゲームの盤を挟んで対面しているような心持ちになるのです。


「よい。招いたのは我だからな。呪いによってそのような姿になった従姪じゅうてつを、哀れと思いこそすれ見苦しいなどとは思わぬよ。それに、従兄弟とはいえ臣下であるお主の父は、それそのように我に礼もとらぬ」


 陛下は私に立ち上がるように促しながら、私の隣に立つお父様に向けて皮肉めいた視線を向けました。


「何を仰いますか陛下。城詰めの臣下がいちいち礼をとっていては政務が進みません」


 恐縮するでもなく陛下答えたお父様の返事は慣れたものです。


「ふむ、それもそうであるな。ところでディアナよ。お主、此度のモールス侯爵の王国離叛から始まった戦い。その顛末を耳にしておるか?」


 陛下はまるで遊戯ゲームの初手、布石を打つように口を開きました。


「少しばかりではありますが……陛下の窮状を救い、戦況を覆した英雄の出現によって、モールス侯爵領のカール王国併呑が阻まれたとか」


 私はあえてマルクス侯爵領のことは口にいたしませんでした。話の流を断ち切ってしまう気がしたからです。


「うむ……その英雄だが、モールスめの領地にある開拓地から徴兵された者でな。その開拓地を纏める氏族の跡取りなのだそうだ。年齢はヴァルムと同じでな、なかなか出来た若者だ……」


 陛下はそこで言葉を一度切ると、次の手をどこに打とうかとでもいうように、僅かに視線を彷徨さまよわせました。


「……してな。此度の活躍の褒美として男爵位を与え、モールスめの領地の一部と今後開拓される土地を領地として認める事にした」


「領地までも……」


 陛下を救ったとはいえ、あまりに破格な褒美に、私は小さく呟いてしまいました。

 お父様に驚いた様子が無いところを見ると、これは既に話し合われた事なのでしょう。

 ですが、何故そのような話を私にするのでしょうか? 意味の見えない手筋に僅かに混乱いたしました。

 私はてっきり、非公式の場で、婚約破棄の件での謝罪をされるものだとばかり考えていたのです。

 意識を深く集中して陛下の言動を考え、この盤上遊戯の決着点を探ります。


(……まさか!?)


 不意に、私はあるひとつの考えに思い至りました。

 私は、陛下が次の手を打つ前に口を開きます。


「陛下……私にモルトさまの元に嫁げと?」


 私の放った言葉に、陛下は大きく目を見開きました。ですが次の瞬間にはどこかニマリとした、狙った道筋に誘導できたことを喜ぶような表情になります。


「ほう……さすが聡い娘だのう。これだけの話で我の申し出が判ったか。絶体絶命の危機より我を救ったのだ。相応の対価を与えねば王家の威信に関わろう」


 ドルムス陛下は痛快そうに仰りました。


(やはりそういうことですか)


 彼に与えられる領地は、カール王国と今回かの国に併呑されたマルクス侯爵領、その二つが境界を接している場所です。

 そのことに思い至ったところで陛下の真意を理解しました。


「ドルムス……貴様、ディアナを厄介払いするつもりか?」


 僅かに遅れて、お父様も陛下の意図理解したのでしょう。怒りを噛み殺したような低い声が、僅かに震えて響きましす。


「いやいや何を言っておるのだアンドレオ。これほど名誉な嫁ぎ先はあるまい。英雄に嫁ぐのだぞ。これで王太子に婚約破棄された公爵令嬢という汚名を返上できるではないか。われも息子の犯した事とはいえ気に病んでいたのだぞ」


 決定した場合、危険な場所に嫁ぐことになるのですからお父様のお怒りも分かります。

 ですがなるほど、陛下としては打算もあるでしょう。しかしある意味ご本心から最良の選択であると判断したのも理解できました。なんといっても、私がこの先結婚相手を見つける事は難しいでしょうから。

 それに陛下は、それだけの価値をモルトさまに見出しているという事です。


 今回の戦い。

 モルトさまは陛下を救出したことで、カールやマルクスの兵たちに強い印象を植え付けたでしょう。そのモルトさまが治めることになる領土がカール王国と接することになるのです。彼らにとっては大いなる脅威でしょう。

 ただそれほどの力を持つ彼は、敵の脅威であるのと同時に我が国にとっても脅威となり得るのです。

 此度の戦争の原因となったモールス侯爵。かの一族の離叛のように、今後彼――また彼の一族は、間違いなくカール王国側からの懐柔工作受ける事となるでしょう。

 だからこそ我が国としては、彼と彼の一族への楔を打ち込む必要があります。

 つまりは王家に連なる家系の人間として、その楔の役目を私に果たせということでしょう。

 モルトさまを王家に連なる一族に取り込もうという算段です。


「だがそのようなことを、父である私に事前に図ることもせぬのはどういうことか!」


「そう怒ることでもあるまいアンドレオ。ディアナは既に成人した娘。本人の意思こそが大事であろう? それにお主に先に話したら、間違いなく反対したであろうに」


「だが!」


「お待ちくださいお父様。陛下のお話、少々興味がございます」


 陛下との、見えない遊戯盤を挟んだ遣り取り、佳境に入り盤面の絵図はほぼ出来上がっています。

 最後の詰めがどうなるのか、私はその決着に集中したくなりました。


「ディアナ、お前……」


 私の口調が、陛下の申し出に乗り気であるように聞こえたのでしょうか? お父様が少し落胆したような表情をいたしました。


(別に、是が非でも結婚したいとかいうわけではありませんよ。私、それほど結婚願望はございませんし)


 今はお父様に弁明するよりも、陛下に問う手を放つ方が先です。


「陛下――このお話。肝心のモルトさまは承知していらっしゃるのですか? 私はこのような身の上です。気味悪がってご辞退なさるのでは」


(その可能性の方が高いと思いますけど)


「なになに、それについては言い含めておいた。貴族となれば三人の妻を娶る事もできるのだ。愛を語る役目は別の者に任せればよい。お主にはうまく英雄どのを導いてもらいたいのだ」


(なるほど、つまり陛下としては、私に恩を売ったので、英雄どのを王国タランティアの為に役に立たせろというわけですね)


 私は、少しもったいぶったように軽く首を傾げてから最後の手を打ち口を開きました。


「……このお話。私に拒否権はあるのでしょうか?」


 私の言葉を受けた陛下はここで初めて、盤上遊戯ボードゲームの好敵手を見るような視線を私に向けて来ます。この質問の答えを間違えたなら、私が盤上から降りることを理解したのでしょう。


「ウム、もちろんだ。お主が第一夫人として収まってくれるのが最良であるが、無理であるならば家令をこちらから送り込む……」


 ご自分の指した最後の手。その結果を確かめるように陛下は私を見詰めました。


「……ですか。それであるのならば一度、モルトさまと顔を合わせてみようと思います」


 この遊戯ゲームの決着。

 陛下はご自分の勝ちと捉えたようです。ですがこの結果は私にとっても勝ちでもありました。

 勝ち負けの規定ルールが決まっている遊戯ゲームでは無いのですから。

 最終的な判断は、モルトさまと顔を合わせ、その人柄と実力を確認してからです。

 ですが、お父様が朴訥とした若者と言うからには、領地運営にも、貴族社会での立ち回りにも多いに苦労することになるでしょう。こちらの世界は狡猾で如才ない方たちが多いですから……それは取りも直さず私の力が試されるということです。


(ああっ……なんと魅力的なことでしょう)


 この式典の後、お父様にしようと考えていたおねだりよりも、それはとても魅力的な未来の展望でした。

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