第3話 呪われトカゲ令嬢(後)

 私たちの到着を待っていたのでしょう。

 城門塔前の広場には、集まった野次馬たちであふれかえっていました。

 広場から城門塔へ向かう街路にでは、数名の衛兵が適当な間隔で詰めていて、彼らが私たちの進路を塞がないように見張っています。


『おい……あれが噂の……』

『……竜公女……』

『ああっ……有り難や、有り難や……』


 馬車から降りた途端、遠巻きではあるものの、我先にと覗き込むように私の姿を捉えた人たちが目を見開いています。

 面紗ベールは、頭から身体を覆う部分は濃い紫基調のものですが、顔の部分は白い透けるような素材ですので、少しくらい離れていても、目を凝らして見れば、面紗ベールの内の顔立ちは判別が付くでしょう。

 衛兵たちの手前、さすがに公爵家の令嬢である私に向けて、祭りの見世物を見物するような調子で感想を述べることはできないのでしょう、野次馬たちの口から漏れる声は小さなものです。


『でもあれ……あれは竜か? 面紗ベールが邪魔でハッキリとは分からねえが……どちらかといえば蜥蜴じゃねえか?』

『おい! 国王陛下が王国繁栄の吉兆だと言っているんだ、滅多なこと言うもんじゃねえ!』

『ねえねえお母さん! トカゲの人がいるよ!!』

『めっ! 静かにしていなさい!』


 商人風の男が首を捻りながら口にした感想は、私も正解だと思います。

 母親と連れだって、こちらを見ていた女の子も、珍しそうに私を指差して正解を言い当てました。


(やはり……見る人が見れば判りますよね。それに、子供は正直ですね)


 私の前方を歩いているトールズが、トカゲという言葉に反応して、先ほどから声の上がった方向を睨んでいます。

 正解を言い当てた二人は、残念ながら褒美を頂けるわけもなく、隣にいた男と、母親によって口を閉ざされました。

 男は言葉で押し止めましたが、母親は実力行使で少女の口を手で押さえています。


(式典では角のかぶり物を用意しているそうですが……まあ、なるようにしかなりませんよね)


『おいたわしい……あれほど美しかった御方が……』


 見物人の中には以前の私を目にした事がある人も居たようで、そのような言葉も耳に届きました。


(まずいですね。ドルムス陛下がこの身を王国の吉兆と広めた以上、その言葉は不敬となってしまう可能性が……)


 近くにいた衛兵の耳にもその言葉は届いたのでしょう。声の主を捜すように人波の中に視線を走らせましす。


「ミルス。式典前にこのような些事で事を荒立てないようにと、彼に言付けて」


「はっ、はいディアナさま」


 斜め後ろに控えていたミルスは、私の視線の先に居る衛兵の元へと足早に向かいました。

 結局、城門塔へとたどり着くまでの間に大きな混乱も起きませんでした。ですが私の容姿の真偽を、ヒソヒソと語り合う人々声もまた、途絶えることがありませんでした。





「お父様――怒っていらっしゃいますか?」


 市民たちの好奇の視線と呟かれる言葉を受けて、城壁内へと入った私たちは、準備されていた城まで向かう馬車へと乗り換えました。

 そして、その馬車の中にはお父様――アンドレオ・オルトス・マルレーネ公爵が乗っていたのです。

 濃紺の髪に黒味の強い赤い瞳をしたお父様は、凜々しくも若々しい顔立ちをしておられ、とても三八歳という年齢を感じさせません。

 公爵という爵位も相まって、社交界では幅広い年齢の女性に言い寄られていると、親友のロアンナから耳に致しました。現在、夫人枠が二つも空いておりますので仕方のないことでしょう。


 私たちの住まう大陸西方諸国――特に貴族階級では、三夫人制と呼ばれる妻帯形式をとる国が多いのが特徴的です。

 跡取りが男性と限定されているため、できる限り確実に家督を相続させる為の政策です。

 またそれは、より多くの貴族家令嬢たちの生活を守るための政策でもありました。

 ですがそれは、社交に何かとお金の掛かる貴族令嬢を抱えさせることで、貴族家に財を吐き出させることも目的であるのだと私は思います。

 元々は南方にあるペテルギア帝国の領土内で行われていた妻帯形式であったそうですが、四百年ほど前、帝国が南方の小国を飲み込んでいく過程で、帝国の侵攻から逃れた多くの人々が西方諸国に流入してきたことが発端でもあったそうです。


 お父様は、普段あまり感情を表に出さないのですが、今はあきらかに、怒りを押し殺したような雰囲気をまき散らしております。

 そんなお父様と同席することになってしまったトールズとミルスが、ビクビクとした感じになっていて、少し可哀相に思えてしまうほどです。


「ああ怒っているとも。ドルムスめ、領主の離反を防ぐことも出来ず、己の命まで危険に晒したというのに、戦勝記念式典などと……。このような式典を催しても、事実を知る領主たちから失笑を買うだけであろうに」


「それではモルトという方は、市民たちの不安を解消するための、創られた英雄というわけですか?」


「いや……それがそうとも言えぬようだ。私も近くに居たわけではないから、直接目にしたわけではないがな。カール王国に寝返ったモールス侯爵の領兵を壊走させたドルムスは、息巻いて自身も配下を率いて追い討ちを掛けた。だがそれは罠であったのだ。モールスの隣領マルクス侯爵もカールに寝返っておった。ドルムスは背後よりマルクスの領兵に襲われ、とって返したモールス兵とに挟撃された形になったのだ」


「まあ……それではモールスとマルクス領はカールに与したと。陛下はよく助かったものですね」


「そうだ。その状況でドルムスを救出したのがモルトという青年なのだ。しかも驚いた事に四百からなる敵兵を退けたという。ドルムスの配下は精鋭揃いではあるが、彼奴がモールスを追ったとき、三〇の騎兵と、配下の従兵六〇だったという」


「その四倍以上の兵に包囲された状態から、陛下を救い出したと……それは確かに英雄と言って差し支えない活躍ではありますね」


「うむ……」


 そう応えたお父様は、どこか納得しかねるご様子です。


「おまえを迎えに出る前に少し話した。何でも開拓地を纏める豪族の息子らしい……とてもそうは見えない朴訥とした青年だったがな。それからディアナ。ドルムスの奴め、何か企んでいるようだ。彼奴めが、あの人好きのする笑みを浮かべて、思わせぶりな言葉を吐くときは、およそ碌な事を起こさない」


 若い頃より、従兄弟いとことして陛下に振り回されたというお父様は、ため息を吐き出すようなご様子です。


「しかし、お父様のお話どおりならば、モールスとマルクス領はカールに併合されたという事ですか?」


「それだがな……。マルクス領はカールに併合されたのだが、モールス領では領民たちが蜂起してモールスの一族を追い出した。ドルムスの奴はそれを勝利だと喧伝しているのだ」


「……それは」


「モールス家はよほど酷い統治をしていたのだろう。しかも自分たちの住まう地を戦地とされたのだ。民たちに愛想を尽かされたのだろうな。モールスの一族はカールに下ったようだが、結果領土土産の献上を失敗したあの一族がどのように扱われるか……。ただ、マルクス領を失ったのは痛い。あの地にはソダル塩湖があるからな」


「……マルクス侯爵が離叛したのは、陛下が塩売の租税を上げたからでしょうか?」


「うむ、切っ掛けはそれだろうな……」


 お父様が突然、真剣なご様子で私を見詰めました。


「……お父様?」


「いや――ディアナ。おまえとの会話は打てば響くので心地よい。ドルムスとは大違いだ。それに、オックスも利発ではあるがおまえには及ばぬ。おまえが男であれば、そのような見目になったとしても、俺はおまえを跡取りとしたろうが……」


 男尊女卑著しい大陸西方諸国では、二〇〇年ほど前のドラグ帝国初代皇帝ロザリア。始まりの竜騎士とも呼ばれる彼女、ただ一人の例外を除いて女性が貴族家当主になったという記録は有りません。

 能力ではなく性別で跡取りを決めるのは、私個人としてはなんとも愚かなことだと思います。

 ですが戦乱の続くこの世界では純粋な力。暴力よって最終的な決着をみることが多いのですから、致し方がないだろうと己を納得させる事はできます。

 同じような体格の男女が、同じだけの時間身体を鍛えた場合。まず女性は男性に勝つことはできないのですから。

 始まりの竜騎士ロザリアも、彼女に続いて現れた竜騎士たちの存在によって、帝国建国後の活躍はありませんでした。

 彼女の活躍は、『始まりの竜騎士』と呼ばれるように、その後の竜騎士たちが現れるまでの時間。その時間の有利さによって成された偉業であったとも言えるのです。


 お父様から頂いた評価は正直嬉しいものですし、式典後のお願いに僅かな光明が差した気がして気分が高揚してきました。しかし私はその高ぶり抑えて口を開きます。


「まあ何を言い出すのですか。オックスは立派にお父様の補佐をしているではありませんか。それにお父様。陛下に失礼ですよ。陛下は火急の出来事に対しては少々対応に短慮なところはございますが、平時であれば目を見張る深慮をなされるお方です。結果離叛はされましたが、塩売の租税を上げましたのも、マルクス侯爵が力を持ちすぎる事を懸念しての差配であったと思います。間違えたのは税率の設定でしょう、財務に関わる法衣貴族が気負いすぎたのかも知れませんよ」


 そうは言ったものの、お父様が考えているように、ドルムス陛下の行動原理が場当たり的に見えることもまた事実です。

 ただ時折、その行動がまるで先読みでもしていたように、後になって思わぬ効果を発揮することがあります。

 それが本当に先を見据えての行動だったのではないか……陛下は剽げた態度で周りを振り回しておりますものの、私にはそう思えるときがあるのです。


「それもあろうが、税率の報告は受けていたはずだ。彼奴の軽挙の後始末に、これまで俺がどれだけの苦労をしたか、お主も判っておるだろうに」


「ええ判っておりますともお父様。ですがそれはここだけの話にしてくださいませ。たとえ従兄弟であっても主君と配下の立場であるのですから……。私とヴァルムさまとの縁は切れました。ですがメディアがヴァルムさまに嫁ぐのです。あの子の口からドルムス陛下に、お父様が陛下に不満を抱いているなどと伝わったらどうするのですか。それでなくともメディアは、私ばかりに目を掛けて自分を蔑ろにしていたと、お父様に思うところがあるようですから」


「そうなのか? メディアはいずれ、有力な侯爵家の子弟と添わせようと考えていたから、お前を見習うようにとは言ってたが……」


(ああ、それでですか。元々その傾向はありましたけど、何かにつけて私と張り合おうとするようになったのは)


 私がヴァルムさまより婚約の破棄を告げられたのは、此度の戦が始まる直前のことでした。

 たとえ女性の権利が小さかろうと、王家と公爵家の間の婚姻話です。

 ヴァルムさまは、周到に次善の策として私の妹、メディアを代わりに娶ることを陛下に図ってから、私に告げたのです。しかもそれは彼の口からではなく、使者によるものでした。

 私はこのような状況ですので、婚約破棄自体は仕方がないものと納得しております。

 ですが、このような容姿になり果てた後に顔を合わせたときに、悲鳴を上げて腰を抜かされて以来、私の前に姿を現さない彼には、少々思うところがあるのは事実です。


(せめて、ご自身の口から告げてほしかったと思うのは、我が儘でしょうか)


 婚姻話が無くなり開放された気持ちになったのは間違いの無い事実です。ですが女としての矜持が、私の中にも確かに存在していたのです。


(今日の式典。立場上ヴァルムさまは参加しないわけにはいかないでしょうし、どのようなお顔で私と顔を合わせるのでしょうか?)

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