第2話 呪われトカゲ令嬢(前)

 初夏のとある日、王城への呼び出しを受けた私は、側仕えの者たちと共に馬車に揺られていました。

 開け放たれた窓からは、遠方に連なる白竜山脈が霞むようにうっすらと窺え、その手前には山脈の一部を遮るように、小高い丘に築かれた王城が見えます。

 近年築かれたばかりの市壁を抜けて市街へと入っていくと、街道が石畳へと変わりました。

 途端に、ガタゴトと石畳を打つ車輪の振動が馬車の車体の中にまで響いてきました。


「見た目ばかりが豪奢であっても、内実が伴っていなければ意味がありませんね」


 私は、目の前に座る従者にこぼします。

 公爵家の利用する馬車は豪奢な装飾が施されております。ですがその華美な装飾によって車体が重くなっているのでしょう。中綿を厚く詰めた弾力に富んだ座席に掛けているというのに、地面から伝わる振動によって腰を痛めてしまいそうです。


「ディアナさま……このような無礼な呼び出しに応える必要があるのでしょうか? 公爵家は他の貴族の規範たらねばならぬとしても、限度というものがありましょう。私は……姫様を見世物とされることに我慢がなりません」


 幼少より私を守る年嵩の従者が、苦渋をおもてに塗りつけ吐き出しました。


「まあトールズ。なぜ貴男が怒っているのですか。当事者の私が了承しているのです。そのように怒っていては無駄な体力を使いますよ。貴男には、下車した後、物珍しさに近寄ってくる市井の方々から、この身を護衛して貰わねばならぬのですからね。それに、下車したら『姫様』はいけませんよ。ここは領地ではないのですから。私は姫様の又従姉妹であって、王都ここでは公爵家の令嬢なのですから。まあ――今の社交界では、国威発揚のための見世物であることに変わりはないのですけどね」


 私は面紗ベールの奥で笑顔を浮かべて見せます。


「……姫様……くっ……うぅ。なんと不憫な……。本来であれば、次期王の妃であったものを……」

「姫様…………」


 あらいけません。

 少しひょうげてみたのですけれど、トールズは渋面をさらにグッと引き締めて俯いてしまいました。

 私の隣に座っている侍女のミルスまで俯いて口元を抑えてしまいます。


「まあまあ貴方たち。一時の恥が何でしょう。このような姿になろうとも、この世に存在しないモノとして扱われるよりはましではありませんか」


「ですが! 敗戦を誤魔化すための偽りの式典に……」


「だからこそですよ。私のこの身……どう見ても蜥蜴トカゲですけれど。このように面紗ベールを被っていれば、竜人に見えなくもありません。そういえば……王宮ではそれらしく見えるようにと、角の冠り物まで作ったらしいですよ」


 コロコロと笑う私を目にしたトールズは、視線を落として深く息を吐きました。


「ディアナさまは鷹揚過ぎます。……あのように婚約を破棄されたというのに」


「そうです! わたし、ヴァルムさまを見損ないました! 以前はご自分を飾る装飾品のように姫様を連れ回していたというのに……姫様がこのような姿になったからといって……」


 どうしましょう。

 とうとうミルスの瞳からは大粒の涙が溢れ出してしまいました。

 私、本当にそこまで気にしていないのですけれど、周囲が私の気持ちを慮って、当人以上に盛り上がってしまっている気がいたします。


「ほらほらミルス。お化粧が落ちてしまうわよ」


 隠しから取り出した絹の手巾で優しく涙を押さえました。


「それに、私はこのような姿になったとしても、貴方たちが変わらず忠節を尽くしてくれるというだけで、とても幸せなのですよ」


「うぅっ、ディアナさま……」


 あぁぁぁぁぁ。

 私の言葉に、ミルスだけでなくトールズまで涙を滂沱と溢れさせてしまいます。

 言葉選びを間違えてしまったでしょうか?

 ですがこれは私の本心です。

 我が家の使用人の中にも、私がこのような姿に変わり果てて行くさなか、気味悪がって私の前に現れなくなった者もおりますから。

 トールズやミルス。他にも何人かの使用人たちは、以前と変わらずに私に接してくれます。

 家族でさえ、お父様以外は、『自分たちまで呪われかねない』と、私を避けておりますし。

 まあ私の実母は既に銀竜王様の元へと旅立たれ、弟や妹たちも第二夫人であったバネッサ母様の腹ですから仕方のないことかもしれません。


 タランティア王国の秘宝。

 生ける宝石。

 ほんの数年前までは、私はそのように呼ばれておりました。

 先代の王の弟であったお祖父様王国でも譜代の名家と名の知れたマルレーネ公爵家。

 その長女であった私は、第一王子ヴァルムさまの婚約者であり、王家に嫁ぐことも決まっておりました。

 それが……婚姻の儀の日程が正式に決まった頃になって、私の身体には僅かな異変が起こり始めたのです。

 初めは、肌が乾燥して固くなりでもしたような、そんな違和感でした。

 ですが次第に、肌は痣のように黒ずみ、まるで爪のように堅く艶めいてゆきました。最後には明らかに鱗となって私の全身へと広がっていったのです。


 途中、その異常さに気付いたお父様は、神殿より癒やしの術を使える神官を呼びよせ、私の身体を調べさせました。

 ですが神官たちには、私の身に起きた異常を治すことはできず、原因すら分かりませんでした。

 そして、全身が鱗に覆われてしまったころには、美しかった私の顔は醜く……まるで蜥蜴のように変わってしまっておりました。

 その段になって、私の身に起こった異変を王家に知らせぬ訳にはいかず、お父様は事の次第を国王ドルムス陛下へと報告したのです。

 陛下は、ヴァルムさまの婚約者である私の為に、友好的な近隣の国より高名な魔導師を呼び寄せてくださいました。


 結果分かったことは、私の身には何者かによって呪いが掛けられているということでした。

 そこまでは良かったのです。ですがこの呪いを解くことは、呪いを掛けた本人以外には出来ないだろうとのことで、そこで手詰まりとなってしまっています。

 ただし呪いを掛けるには、私が長年愛用していた持ち物であったり、髪や爪など、私の身体の一部が必要なのだそうです。

 ですから、もしかすると犯人は私の身近に居るのかも知れません。


 お父様は今も犯人を捜しております。

 ただ、父様には申し訳ないのと思うものの、私自身は――少々心が軽くなっているのです。

 私が物心ついたときには、既にヴァルムさまとの婚約は決まっておりました。

 ですから私は、将来ヴァルムさまを支える為。王妃となる為に、様々な教育を受けたのです。

 幸い私は知識欲が強い方でしたから、それ自体は決して嫌だと思う事はありませんでした。

 ただ、多くの知識を学べば学ぶほど――この身に得た知識を、社交界を回してゆく以外に役立てることができないと分かってしまうのです。

 これまでは、ヴァルム様との結婚は既に決まっていた事でしたので、深く考えることはありませんでした。

 このような身体になって、ヴァルム様との結婚が白紙となったとき、私は悲しみではなく開放感を得ました。

 私はこの呪いが解けない限りこの先、誰かに嫁ぐことなどできないでしょう。


 正直に申し上げてしまいますと、いま私の前で涙を流してくれている二人には申し訳ないとも思うのですが……。

 今の私ならば、この身の不幸を盾にお父様にお願いすれば、領地で行っている事業の一端を任せて頂けるかも知れないと、そのような算段が頭の中に渦巻いております。

 それは身の程知らずであるのかも知れません。

 ですが私は、この世界に己が培ってきた力がどこまで通用するのか。それを試してみたいという誘惑に、抗いがたい魅力を感じているのです。


 まあ、お父様に対するそのようなお願いも、今日の式典が終わった後の事です。

 今回の戦争。お父様も領兵を率いて参陣いたしました。

 戦争自体は一応の決着を得ましたが、戦後処理もあり、これまではお父様とゆっくり話をする機会も得られませんでした。今日の式典が終わりさえすれば、お父様の時間もしばらくは空くことでしょう。


「姫様そろそろご準備を、前衛塔に入ります。ミルスも涙を拭いなさい。城前の広場で馬車を降り、そこから城門まで歩くようにとの御達しだからな。姫様の供をするのだ、我らは姫様の品格を落とさないように凜とせねばならん」


 いつの間にか先ほどまで流していた涙を拭い、居住まいを正したトールズが、そうミルスに言い聞かせました。

 通常であれば、前衛塔で身元の確認をした後、市街を守る市壁内へと入り、そこから城を守る城壁内へと入る城門塔へと向かいます。

 異例のことではありますが、私は今回、城門塔の手前にある広場で馬車を降り、城壁内――つまり城へと向かうことになっているのです。

 通常このような事は、戦争で大きな手柄を立てた者を、市民に喧伝する為に行う事です。

 実際、この度の戦争で英雄と讃えられているモルトという若者が、先日王城入りしたときにも、同様の入場が行われたそうです。

 私の場合。このように変じた私の身を、国の吉兆であると喧伝した、陛下の要請によるものです。


「……それでは、一世一代の見世物になりに参りましょう」


 城壁門前の広場へと到着した私は、竜女を一目見ようと集まった物見高い市民たちを車窓の外に見て、席を立つのでした。

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