本編 第一章

第1話 呪われトカゲ令嬢、領地に立つ

 作物の収穫も終わり、日に日に冬の足音が近付いてくる秋晴れの日。

 タラティア王国辺境の開拓地では、その地の未来を決するひとつの重大な出来事がありました。

 高い木柵でぐるりと外周を囲まれた、この開拓地の拠点となるカルヴァド村。

 東には白竜王ブランダルの棲まう白竜山脈があり、頂きに雪化粧をした姿が木柵の上に覗いて見えます。

 時間は中天を過ぎて、しばらく前まで家々の煙突から立ち上っていた煮炊きのためと思われる煙も、今は見えません。

 この村に点在する建物は開拓地らしいといいますか、ほとんどが簡易的な感じのする木造です。

 村の中央、共同の水場でもある大きな自噴井じふんせいのある広場には、辺境のこの土地にこれだけの人間が生活していたのかと思えるほどの人が集まっていました。


 その自噴井を背にするようにして、旦那様と私が急遽用意した台の上に並び立ちます。

 私たち二人を守るように、台の下、両脇を使用人たちと騎士、その配下である従兵たちも並んでいます。

 台に上がった私は、面紗ベールの奥から眼前に立ち並ぶ人々を静かにぐるりと見回しました。

 騎士や兵士たちに威圧され、彼らは必要以上に近付きません。

 ほとんどの人々は、いったい何が起こるのかと、怯えと好奇心の混じった瞳で私たちを見詰めています。


 そんな彼らの最前列に並んでいるのは、開拓地にしては仕立ての良い衣服を身に纏った人たち。

 老人から年若い者まで二十人ほど、彼らはこのカルヴァド村を纏めている、ウィスカという有力氏族でしょう。

 私たちが向かわせた先触れによって、この場所に住民を呼び集めたのは彼らのはずです。

 ですが彼らは、一様に苦々しげな表情を張り付けて、私たちを探るように窺い見ていました。

 それはこれから起こることに対して、ある程度の予測が立っているからでしょう。


 騎士たちの中から年嵩の男、騎士長のマーチスが進み出ます。

 彼は手にした布告状を身体の前に差し出すと、帯封を解いて広げました。

 それを目にして、多くの住民たちの表情が引き締まります。

 私の位置からは見えませんが、広げられた布告状の背面には王国の紋章が描かれているはずです。


「皆の者傾聴せよ!! タラティア王国、ドルムス国王陛下よりの布告である!!」


 マーチスが声を張り上げました。


「タラティア王国領土。旧モールス侯爵領は此度の戦争の結果、解体される事となった。カバル平原を流れるコーン川を領境として、西部の八割をホイート侯爵領とする。東部の二割と隣接するこの未開拓地域は、此度の戦争において、単騎にて四〇〇からなる軍勢を退け、国王陛下をお救いするという多大なる功績を挙げたリューク・ランティス・バーンブラン男爵に与える!!」


 ザワザワと、住民たちの間に動揺めいた喧噪が広がります。


『おい、バーンブラン男爵って誰だ? そんな名前の貴族聞いたことねーぞ』

『バカかオメエ。貴族さまったってぇピンキリだぁ、名前の知れねーお方だっていらぁ』

『……まさか、あの台の上に居るのが……!? おい! あいつ……』

『リュークって……嘘だろ……、だってあいつは逃げ出したって……』

『あいつ。そうだ、立派な身なりをしてるから気が付かなかったが……ウィスカさんのところの農奴じゃ……』


 私たちを守る騎士や兵たちに気後れしているのでしょう、彼らの声は小さいものです。

 彼らのざわめきを尻目に、マーチスは言葉を続けます。


「……リューク卿は、此度の功を持って貴族に叙せられ男爵位と貴族姓を賜った! また陛下は卿を我が国の英雄と讃え、陛下の縁戚に当たるマルレーネ公爵。その長女であらせられるディアナさまを娶せる事となった。……本日、この布告を持って、この地はこれよりバーンブラン男爵領となる!!」


『ディアナさま……って……』

『あの……竜公女さまか……?』

『ならあの面紗ベールの中には竜の顔が……』

『見ろよ! よく見れば手袋と袖の間。あれ鱗じゃねえか……』

『おいそれよりも……ウィスカの連中……』


 マーチスによる布告が終わると、私の姿について、無遠慮な視線と言葉が飛び交います。

 それと同時に、正面に立ち並ぶウィスカ家の人々の側に居た住民たちが、後ずさるように距離を取りました。

 それが合図だとでもいうように、一人の若者が血相を変えて私の隣に立ち並ぶ旦那様を指さします。


「ふっ、ふざけるな!! なッ、なんでこいつが! こいつはウチの農奴じゃないか!! なんで俺たちが農奴に支配されなけりゃならねーんだ!! 親父! 何で黙ってんだよ!!」


 そう叫んだのは、旦那様とそう年齢の変わらないとおもわれる若者でした。

 ずんぐりとした体格で、短めの髪は黒めいた茶色をしています。目が細いので、瞳の色は分かりませんが、この場所からでも顔に面皰にきびが多いのが分かります。

 その若者の風体、私には彼の素性に心当たりがありました。


「黙っておれモルト……」


 そう言葉を発したのは、親父と呼びかけられた男ではなく、その隣に並ぶ老人でした。

 年齢はおそらく七〇代には届いていないと思われます。

 体格はガッシリとしているのに、髭を蓄えた顔は皺深いため、いまひとつ年齢が分かりづらい外見です。

 私は旦那様から聞いていたウィスカ一族の構成を思い浮かべました。

 おそらく彼は、ウィスカ家の前頭領、ブレンデッド・ウィスカでしょう。

 髪は年齢によって薄くなったのか、それとも剃り上げているのかは分かりませんが禿頭で、顔に蓄えた髭は白。

 こちらを警戒するように覗き見る瞳は深紫色をしています。


 モルトと言う若者に親父と呼びかけられた男性は、現在のウィスカ家の頭領、グレーン・ウィスカ。

 彼は緑濃の髪に赤黒い瞳。

 四〇絡みの年齢で、恰幅のいい堂々とした体付きをしています。

 彼は屈辱に耐えるように唇を引き結んで、私たちを見詰めていました。


 それ以外にはグレーン・ウィスカと同年代と思われる男性が二人と女性が四人。

 モルトという若者と歳が近い男が五人に、女が六人並んでいます。

 彼ら一族は皆同じように私たちを睨むようにしていました。


 モルトという若者をブレンデッドがたしなめましたが、その直後に私の横に並ぶ旦那様が、打ち合わせどおりに口を開きます。


「モルト・ウィスカ……。此度の戦争において、おまえは市民の義務である徴兵を逃れるために身代わりを立てたな。これは重大な罪である。徴兵を逃れた本人以外にも、そう仕向けたグレーン・ウィスカ。お主の罪も重いものだ。この罪状に言い逃れはできぬぞ」


 言い放たれた声は、いまだ少年めいていて、どこかぎこちない感じもしました。

 それは仕方ないかも知れません。なんといっても彼はまだ十五歳なのですから。

 黄土色の髪に深みのある青い瞳をした彼は、その瞳の奥にどこかやりきれないような光を湛えています。ですが、いまだ幼さの残る顔に決然とした意思を示して、眼前に立ち並ぶウィスカ家の者たちを見詰めました。

 その様子を横目で見て、私は旦那様が今のところ口上を間違えていないことに、密かに胸をなで下ろします。


 旦那様と結婚することが決まったあの日から、私が直ちに始めた事は、読み書きがおぼつかないと判明した彼に教育を施すことでした。

 国王陛下をお救いしたときの話を聞いてもそうですし、私が始めて彼と顔を合わせたあの式典での対応を見ても、彼は学ぶ機会が無かっただけで、頭の良い人間であることは分かっていました。

 それから私たちがこの地へと赴くまでの道中も、この先貴族として生きることになる彼に、私は様々な事柄を教えたのです。

 まるで、私が心の内で一つ息をついたのを待っていたように、旦那様は言葉を続けます。


「……しかしながら、これまでこの地の開拓にウィスカ家が貢献をしたこともまた確か。その功に免じてグレーン・ウィスカに四月の幽閉。当事者であるモルトには一年の賦役の刑を課す!」


「なッ――偉そうに! 何だその言い草は!! 親の借金で農奴となったオマエを、これまで養ってきた我が家の恩を忘れたのか! それにこの開拓地をここまで切り開いたのは我らウィスカ家の功績だぞ! 英雄だかなんだか知らねえが、オマエはウチの農奴だ! そいつはウチに権利書がある限り開放されることはない! 皆騙されるな! お前たち、俺たち一族がここまで開拓した土地を奪うつもりだろ!!」


(このモルトという方、旦那様が言っていたとおりですね――あまりにも思慮が足りない)


 権利を訴えるのは良いですが、手勢を連れて領地入りした領主に対して――しかも、頭領であるグレーン・ウィスカを拘束しようという私たちの意図も読み取ること無く声を荒らげるなど。……しかし、ここで暴発してもらった方がこちらの目論みどおりに事が運ぶでしょうか?

 そのような考えが一瞬脳裏によぎったものの、私は隣の旦那様に視線を走らせ、その考えを振り払います。

 彼は突然の台本シナリオ変更に対応できないでしょう。私は打ち合わせていたとおりの流れへ導くように言葉を続けます。


「慮外者は黙りなさい。その借財は、アナタの身代わりとなり戦場に出たことで無効となっています。その約定を示した書付がこのように存在していますからリュークさまは戦場働きを終えた時点で既に農奴ではありません。さらに王国の法に則って正式に貴族に叙されました」


 私は、グレーン・ウィスカが記した証文を取り出して示しました。

 この証文に対して彼、もしくは彼らがどのように反論するかも判っています。ですが、ここに居る人々に示して見せることが目的です。


「ハッ! そいつが本物だって証拠はどこにある! おおかた偽造でもしたんだろ!」


 モルトの言葉は予想どおりのものでした。

 ですがその言葉こそこちらの望んでいたものなのです。

 中央大陸西方諸国において通用する証文には、定められた形式があり、その形式から外れた証文を製作することは大きな罪となります。

 旦那様リュークの持っていたこの証文の筆跡は、王に送られた嘆願書の中から探し出したグレーン・ウィスカのものと違いないことは、訟務しょうむ官によって確認されております。ですが、別にその証拠を彼らに示す必要はありません。

 この場所にいる住民たちの目にどのように映ったかが大切なのです。


「黙れモルト……王の布告に異を唱えるは、王国民である以上反逆と取られても申し開きできぬ」


 グレーン・ウィスカは声を荒らげる※ことなく、その言葉に威を込めてモルトを押さえました。


「バーンブラン男爵。此度の私とモルトの行いは、確かに王国の臣民として不徳の致すところでありました。下知された刑に服します。――しかしながら、その罪は私たちだけのもの。どうか他の血族たちに累が及びませぬように願い申し上げます」


(さすがに一族を束ねるだけのことはありますね)


 グレーンはウィスカ家の心象をこれ以上悪くする前に押し止めました。

 彼もこちらの意図には気付いているのでしょうけれど、いまは反抗するべきではないと分かっている。できることならば、前頭領ブレンデッドまで拘束したかったのですが、それは欲が過ぎるというものでしょう。


(それに、下手に力の集中する場所を無くしてしまうことはありませんしね)


 ブレンデッドを残しておけば、ウィスカ一族がもしも何かを企んだとしても、その中心となるであろう彼を注視していれば容易に動き探れるはずです。

 私としては、後顧の憂いを断つためにも、グレーン・ウィスカの幽閉が切れる前に、ウィスカ一族の影響力をできる限り弱めておきたいのです。

 極論を言ってしまえば、私たちがこの土地を治めるためには、強引な手を使ってでも彼らは排除してしまった方が良いのです。


(旦那様があまりにも善良ですから勧めることはしませんでしたけれど……)


 そのような昏い企みを思い浮かべていると、隣から微かな視線を感じました。

 面紗ベール内から旦那様からの視線を受け取った私は、僅かに頷きます。

 その合図を受けて、彼は視線をグレーンへと戻して口を開きました。


「グレーン・ウィスカ。その態度、殊勝である……よしマーチス、二人を連行せよ!」


 旦那様は、何通りかの流れに対応した台詞セリフの中から、間違えることなく宣言をいたしました。

 その宣言を受けて、手勢の騎士数人がグレーンとモルトに縄を打ち引き立てます。

 グレーンはおとなしく従いましたが、モルトは反抗的な態度をとり続けたために、強めに拘束されていました。

 ウィスカ家の者たちが私たちへと向ける射殺さんばかりの視線。

 元農奴であった旦那様は、それを覚悟が決まった表情でしっかりと受け止めています。

 その横顔を面紗ベールの奥から見詰めて、私は、彼と初めて顔を合わせることとなったあの日に思い浮かべるのでした。

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