爽やかな悪夢のような夏の話

ニョロニョロニョロ太

死滅した恐竜

 青空と言えば、白い雲だ。真っ青な空には大きな入道雲が一番似合う。それから照る緑の葉。揺れる真っ黒な道路。生ごみの匂い。ジージー止まない蝉の合唱。

 木漏れ日の下で、四角いアイスをかじる。

 玉のような汗を腕でぬぐう。褐色の腕もびしょびしょでぬぐえているか分からない。

 タンクトップの首元を引っ張って鼻の頭をこすると、その拍子に、アイスがぽたぽたしずくを落とす。

 アイスをもう一口かじる。かすかなソーダの匂いと氷の触感。

 口から冷えた吐息が漏れる。

「あっつ……。」

 口に出した途端、蝉の声が、生ごみの匂いが、熱気が、さらに夏を主張してきた。

 縁石に腰掛けて地面に近いせいもあってか、暑さに頭がやられそうだ。

 外になんて出るもんじゃなかったと後悔していると、雲がかかって、周囲に影が少し暗くなる。

「よお。ヒロトじゃん。」

 声に振り返ると、逆光の中、カズヤがいた。

 そいつの顔を見て、くぎ付けになって動けなくなった。さっと頭から熱が引いていく感覚がする。

「なんでここに……?」

 カズヤがにやりと笑うと、黒い肌と白い歯が良く映える。

「なんでって。なにが?」

 光のない目を向けられてさらに全身の温度が下がる気がした。

 絞り出すように答える。

「マサキたちと、山で遊ぶって聞いてたから。」

「ああね。」

 カズヤからの冷たい視線が和らぐと蝉の声がし始めて、さっきまで静寂だったと気づいた。雲が流れて、周囲が明るくなる。

 俺はまだカズヤから目を放せない。彼だけ陰をまとっているいるように暗い気がする。

「じゃなくて、さ。お前……。」

 その先を言おうとして、言葉がのどにつっかえて出てこない。無理に出そうとすると、のどが裏返ってえずきかける。

 それなのにカズヤは何でもないような顔をして、

「ああ! そうなんだよ」

 深くかぶったキャップを軽く持ち上げて、あっけらかんと言い切った。

 頭の異常な、でこぼこした輪郭がちらと見える。

「俺、死んだ。」

 べちゃりと音がして、アイスを持つ手が軽くなる。

「あ」

 見るとアイスがコンクリートの熱でみるみる液体になっていた。

「はは。かわいそう。」

 カズヤが隣にドカリと腰かける。

 びっくりして少し距離を取ると、カズヤが残った片目と片眉で悲しみを訴えてくる。

「お、それあたりじゃん。」

 カズヤが指さす。手に持っていたアイスの棒を見ると、確かに「あたり」と書いていた。

「マジか。」

「よかったな。」

「……おう。」

 返事はしたが腑に落ちず、しばらくしげしげと「あたり」の文字を眺めた。

「え……。ほんとに死んだのか?」

 キャップをかぶっていても頭の大きさが明らかに足りていないのが分かる。つばで隠れているがおそらく片目も削れて無いのだろう。

「うん。

 ほら。」

 カズヤがパッと帽子をとると、中身があふれた頭。

「うわっ、やめろよ。」

 反射的に目をつぶって顔をそらす。腐臭と似ているが酸っぱいような妙に鼻につく不快なにおいがする。

「ひどくね?友達じゃん」

「友達でもだろ。誰が友達の頭んなか見たいんだよ」

「ええ? でもあるじゃん、脳内診断みたいな。」

「そうじゃねぇよ」

「俺はお前がどんな趣味を持ってても引かないからな。」

「俺を勝手に変態にするな。」

 ははは!とカズヤは笑う。

「……なんで?」

 聞くと、カズヤは答える。

「山ん中にさ、貯水タンクみたいなのあるじゃん。使われてないやつ。そこに上ってマサキたちと遊んでたんだけど。」

「……落とされたのか?」

「……どうだと思う?」

 にやりと笑うと、また白い歯がちらりと見える。相変わらず歯並びはガタガタだ。

「……いや、知らないけど。」

「俺も分からないんだよな。記憶があいまいで。足が滑った気もするし、突き飛ばされた気もする。」

「ここにいる理由は? なんで俺なんだよ。」

「別に。暇だからぶらぶら歩いてて、偶然見つけたから声かけただけ。」

「幽霊、ってやつ?」

「いや? どっちかって言うと、ゾンビ? 実体あるし。死んだところでちゃんと目覚めたよ。」

 ほら。と言いながら、バシバシ肩をたたかれる。

「うわ、ホントだ。やめろ、しっかり痛い」

 カズヤの手を掴むと、変に風船のように張っていて、思わず悲鳴を上げながら手を放す。

 靴で指先を拭いて、つついてみる。張っているくせに、ぶにぶに柔らかい。その感触に背筋を虫が這うような心地がした。

 これ以上触ったら破けて中身が出てしまいそうで、指を引っ込める。

 黙って見守っていたカズヤが、にやにや笑いで様子をうかがってくる。

「どう?」

「……きっっっ…………も。」

「はは! ひでえ!」

 さらに肩をたたかれそうになるのをそっと避ける。

「あ、そうだ。見てくれよこれ。」

 カズヤはくるりと後ろを向いて、首の後ろを見せてくる。

「触ったらごつごつしてんだよね。たぶん首の骨が突き出てんじゃないかな。頭から落ちた衝撃で。

 これさ、なんか恐竜っぽくね? ステゴザウルスとか。」

「馬鹿。見せんな。キモイ。グロい。」

「マジ? かっこいいと思ったのにな」

「マジ。

 お前自分で見えないからって、さっきから。だいぶテロだからな。

 首なんか巻けよ。」

「やだよ。腐るじゃん。」

「いまさらだろ」

 カズヤは残念そうに、パンパンに膨らんだ指で首の後ろの骨をなでる。

 その骨が指の皮に引っかかって、破けやしないかひやひやとしながら見守る。

「死体なんだったら余計、なんでここにいるんだよ。マサキたちは?」 

「目が覚めたときには居なかった。多分もう死んでしばらく経った後だったんだと思う。ほら。だからこんなにぶよぶよ。」

「見せなくていい。」

 顔をしかめて拒絶の意を示す。カズヤも片眉をノの字にして悲しみを示す。

「警察とか呼びに行ったのかな?」

 俺が言うと、カズヤはにやりと笑う。

「さあ。逃げたのかも。」

「……なんでそんなこと言うんだよ。」

「別に。」

 ガジャ歯でにやりと笑う。

 その口の奥の色がなんとなく気持ち悪くて視線を道路に移す。アイスはもう蒸発していて無くなりかけている。

「どっちにしても、死体が動き回ったらダメだろ。

 見つかるまで大人しくしとけよ。」

「だって暇だし暑いし。」

「暑さとか分かるの?」

 カズヤの肌は張っている分つるんとしていて、汗の一滴も出ていない。

「なんとなく?」

「うらやましい。」

「お前も死ぬ?」

「臭いのはやだわ。」

 はは! そうか!と笑う。俺もつられて苦笑を返す。

「じゃあ帰ったら通報しといてやるよ。だから戻れ。」

「ここでいたら駄目なのかよ」

「俺が疑われるじゃん」

「そっかー。

 ……いったん家帰ってさ、親に会うのは?」

「やめとけ。トラウマ植え付けるつもりかよ。

 てか最悪死ぬぞ。ショットガンで撃たれて。」

「バイオかよ。多分俺んちにショットガン無いぞ。てかもう死んでるし。」

「確かに。」

 カズヤはしばらくじっと、木漏れ日の隙間の干からびたアイスを見ていた。

 そして立ち上がりながら、

「じゃあ、俺もう行くわ。」

「おう。」

 鈍っていた鼻が、腐臭を感じ取る。蝉の合唱がはっきりと耳に届くようになる。

 木漏れ日を出て青空と蜃気楼の中。逆光の中、カズヤは振り返って手を振った。

「じゃあな!」

 黒い肌とガタガタの白い歯がやけに映えた。





 家に帰って警察に電話した。

 次の日学校で、担任の先生からカズヤが死んだと言われた。先生曰く事故らしい。

 カズヤと遊んでたはずのマサキたちは口をそろえて、「何も知らない」「あの日カズヤとは遊んでない」としか言わない。だが、一度マサキと二人きりになったときに「どうしてあんなことしたのか」と睨まれた。

 不思議と警察からそれについての連絡はなかった。葬式は家族だけで行われたらしい。

 あの日何があったのか、俺は知らない。

 ただ一つ確実に言えるのは、俺はあれ以来夏になる度、蝉の合唱と青空と揺れる蜃気楼と、独特の腐敗臭をまとった、頭の足りないシルエットを、ガタガタの白い歯を、毎回思い出す。

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爽やかな悪夢のような夏の話 ニョロニョロニョロ太 @nyorohossy

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