第15話 ぬくもり


 ミアの手が俺の頬をはたいた。

 乾いた音は雨と共に消えていく。

 そのルビー色の瞳からは溢れんばかりの涙が見える。

 打ち付ける雨は勢いを増し、服は重く、そして体が冷えていく。

 


 だけど、確かな熱が頬に感じられる。


「ぇ…………?」


「なんでっ、なんできみは……あんなに頑張った自分を認められないんだよ!!」


「————っ」


 ミアの怒号は、俺の耳から胸へと一直線に走った。


 初めて見る顔。怒りと悲しみと、あらゆる感情が宿った、儚い顔。


「君は頑張ってたじゃないか! 昨日だって最後は立ち上がった! なんで、それを認めてあげないんだよ!!」


「だけど……だけど、立ち上がったって立ち向かったって、勝てなきゃ意味がない!」


「なんでっ!? ————そこまでっ……」


 その瞳からは溢れる涙。雨とまじりあい、溶け合い、流れていく。

 なんでこんな表情するんだ。


「最後が、結果が、全てなんて——間違ってるよ……」


 消え入りそうな声だった。この打ちつける雨音がかき消さんとするが、この耳には確かに伝わった。


 結果がすべてなど間違っているだろうか。いや、間違ってないはずだ。

 もし、冒険者が結果を求めないのなら、何も成すことはできないはずだ。

 結果が後からついてくるなんて幻想でしかない。『結果』というのは、後ろから親切についてきてくれるような易しいものじゃない。

 いつだって、手の届かない遥か遠くで独り歩きをしていて、それに追いつくため辛苦に耐えるのだ。自分の立ち位置すらわからない。いつになったら届くかなんて誰にも予想できない。気まぐれで、孤高で、傲慢で、いたずら好きな存在なのだ。みんなを惑わし、狂わし、壊す。

 だから、みんな結果を求めて努力し、行動し、悩み続けるのだ。

 結果がすべてと言うのは、冒険者にとって当たり前なんだ。


「それなら過程が重要だって言うんですか? 苦しくて、痛くて、諦めて、でも諦められなくて、自分が嫌いになる…………そんな過程が重要だって言えるのはもっと先の話でしょ? 思い返して、ああ大事だったんだな、て思い知るからでしょ? そんなのは体験した人が言えることなんですよ。そんな惨めな満足感を求めてるわけじゃない」


「ちがうっ……ちがうよ。私はそんなこと言ってるんじゃない。私はただ…………前を向く君が眩しくって、その自覚が剣を握る理由になってほしいだけだよ」


「り、ゆう……」


 彼女が何を言いたいのか理解できない。


「そうだよ。君の剣には悍ましい何かがいつも付きまとってる。過去に何かあってそうなっちゃってるのかもしれない。

だけど、見ていてとても痛々しいんだよ。剣を愛してるのに、剣を怖がってる。

だから、そんな君に汗まみれで努力するかっこいい君をしってほしいだけなんだよ。知って、馬鹿だなって思ったっていい。それでもなお剣を握り続けて欲しい。そんな君はほんとに、眩しいでしょ?」


 いつか聞いた『勇者ヒーロー』に憧れた。

 彼のようにかっこよくなりたい。そんな想いが始まりだったかもしれない。

 剣が美しくて、かっこよくて、惚れて、憧れて。それで、剣を握った。

 だから、かっこいいという気持ちが剣を握った理由だったのかもしれない。



 だけど。


 俺はあの勇者じゃない。

 いつまでも自分が嫌いで、気持ち悪くて、生まれ変わりたいなんて何度望んだかわからない。死にたい消えたいと思ったこともある。


「君は、」


 ミアは俺にわからせるように、いや分かってほしいと願う様に言った。



 だけど、俺は。


「…………俺が眩しい、か。弱くて臆病で貧弱で愚かで醜くて、なのに無謀な夢抱えて。なのに、自分を認める? 無理ですよ。俺は俺を認められない。好きになれない。見たくもないほどに恥ずかしくてならない。

俺だったらこんな痛い奴と関わったりなんかしない。強くなりたいだの言っといて結局は腰抜けの臆病者。

すがって、祈って、助けを求めて——そうやって何かに支えてもらわないと何もできないくそ野郎なんだ!」


 どろどろとした黒い心が湧き出て、溢れて、侵していく。

 自分を認めるなんて無理だ。

 誰よりも自分を知ってるからこそ、誰よりも自分が気持ち悪いと思う。

 だから、俺は正真正銘のくそ野郎だ。

 

 もう、だから、終わりにしたかった。この夢を諦めてしまいたかった。気の迷いだって自分を言いくるめて、しょうがないって剣を捨てられれば良かった。

 そして、誰よりも自分を嫌いになれればよかった。


 なのに。


 


「——————っ」



 ミアは微笑んだ。


 あふれ出した涙を堪え、さも自分のことのように悲しそうな顔で。


 煌めく涙と、溶けて消えてしまいそうなほど儚い笑顔。


 雨の音なんて聞こえない。


 世界から音が消え失せた。彼女だけにスポットライトが当てられ、俺の頭にその顔が刻まれる。焼き付いて離れない。


 なんで、ミアにこんな表情をさせてしまったのだろう。

 こんな顔は、決してさせたくはなかった。

 こんな、誰よりも——俺よりも、つらく切なそうな顔。



 そして、俺の胸にミアは手をそっと当てた。おびえる赤ん坊に触れるように優しく。


「ぁ……」


 いつものように振り払おう、とは思わなかった。


 だけど、身勝手で意固地な俺は認められない。


 だから、気づけば口から心が溢れ出ていた。


「あ、あなたは、おれの何を知ってるって言うんですかっ? 話したのだってこの前が初めてだ。俺はあんたのことなんて深くは知らない。あんただってそうだろ? それなのに俺の心に魅力がある? おれの何をしってんだよ」


 目線は下へ下へと落ちていき、彼女の目など見られない。

 

 俺が間違ってる。


 自己中心的で一方的な怒りをミアにぶつけているだけだ。こんなことが彼女に言いたかったわけじゃない。こんなこと言うために彼女と一緒にいたわけじゃない。

 こんなことを言うために剣を握ってた


 だからこれで止まってほしかった。


 あぁ。


「アカデミーで剣を振るあんたを見てた。あんたの剣技を真似しようと努力した。

でもできなかった。それどころか強くなることさえできないんだっ……! エルフは剣士には向いてない。そんなことわかってる。だから俺は努力した。毎日剣を振ったんだ」


 掌を広げれば、やはり醜い傷だらけだ。


「マメが潰れて血が出て肉が裂けてもどうでもよかった。

この痛さだけが、自分の証明だった。

だけど……だけど、俺は、努力を第一に考える俺が、あんたを天才って言葉だけで括ったんだっ。あんたの努力も知らないで!!」


 俺が努力しているミアを知っていたことに、彼女は驚きを浮かべた。胸にあてられた手が離れていく。

 濡れていく体が冷える。ミアも髪から水を滴らせている。


 なおも、心の留め具が外れたようにどばどば気持ちが流れ出す。止まらない。止まってくれない。


「ステラさんが言ったことは何にも間違ってない。俺は確かに村のみんなを裏切り、悲しませ、怒らせた。

『エルフに剣握らすことなかれ。』犯しちゃならないタブーだった。だなら追放された。神約破りの罪人。エルフ族の汚点。追放者、それがオレ」


 雨の音が世界を埋め尽くす。雨水のどっしりとした重みと衝撃が俺を押しつぶさんとしているようだ。もう、けじめはつけたと思ってた。


、分かっちゃったんだ。

俺は、何も変わってはなかった」


 声が震え、後悔があふれ出す。

 汚れた心が流れ出る。

 後悔に苛まれ握りしめたこぶしから力が抜けない。突き刺さる爪が肌を割って、血が流れ出る。


 彼女の努力を知ったあの日、心を決めたと勘違いしてた。弱い自分を変えると誓ったはずだった。


 強くなるために努力していたはずだった。だけど、強くなんてなっていなかった。変わってなんかいなかった。


 だから、この感情は消えてくれない。いつまでも心のどこかに隠れて、心を引っ掻き回し、癒えぬ傷を残していく。


 心に氷が張ったように、冷えて固まって閉ざされて。

 出られない檻に閉じ込められたような非現実感。

 ああ、もう、抜け出せない————



 

「……っ」




 刹那、ミアの体が俺の体を包み込む。


 母に抱かれたような、そんな感触。


 俺とは違い華奢でやわらかい体が、俺を包み込み温める。

 

 あたたかい。安心する。




 ミアは俺の耳元で子守を歌うように。



「君が過去に何をしたかなんて関係ないよ。私は知ってる、誰よりも頑張り屋さんで、そして自分が弱いことを理解している君を。今の君を知ってる」


 ミアは俺を慰めるように背中をさする。


「私は、あの大会の前から君を知っていたよ。いつも、ここで剣を振ってる。誰に教えてもらうこともしないで、ただただ剣を振っている君を。

たまに、アカデミーの剣術指導を遠目から覗いちゃってさ。

誰よりも、あきらめずに立ち向かってくれた君の瞳を知ってる。私を守るためにあの怪物に立ち向かい角を折った、君の剣を知ってる」


 そしてミアは腕を解き、そして俺の手を持ち上げて、掌を見る。

 俺は一瞬隠そうとするが、彼女が優しく包み込むと自然と力が抜けていった。


「私は君の掌が好きだよ。君の生き方が色濃く出てる。だから————私は君の生き方が好き」


 彼女だって努力している。あの表情が物語っていた。計り知れない量の努力を積み重ねていることを。

 それに比べて俺はどうだ? 努力してる自分を正当化して、才能を羨んでいた。


「でも、でも俺はそんなんじゃない。おれは、おれが……」


 大嫌いだ。 




 うつむき彼女から視線を外す。雨の音だけが頭の中を反響する。


 



 すると、ミアはギュッと手を握った。




「なら、私は君が自分を好きになれるように手助けしてあげる」




「————ぁ」




 光だ。

 雲の隙間から月光と星が顔をちらつかせる。

 彼女は、暗闇でも輝く瞳でまっすぐ俺を見つめる。


「君が強くなればいいだけの話だよ」


 彼女の瞳を見れば誰もがわかるだろう。


「強くなって、ダンジョンで功績を上げて、みんなに認められて…………そしてみんなとに言うんだ!! 『俺は間違ってなどいない!!』ってね。そんな君はきっと誰が見ても、いや見てもかっこいい。だからそうなれるために、手助けしてあげる」


 信じてしまう。


 ひどく楽観的で幻想的な目標だ。強くなる。言葉は簡単だが、実行するのは大変困難だ。いや難しいなんてもんじゃない。強くなりたいなんて冒険者みんなが願ってる。しかし、みな苦悩を抱え続けるのだ。突き詰めれば突き詰めるほどに苦しむ。頑張った分だけ絶望する。  


 だから、こんな俺にはできるのだろうか。俺が嫌っている俺なんかにそんなことが可能なのだろうか。

 今まで見たいにまたどこかで折れてしまうかもしれない。

 これまで見たいに自分が嫌になるかもしれない。

 この腐った性根で、何かを成すことができるのだろうか。


 その答えを知るために俺は聞いた。


「こんな、にできます、かね……」


「そんなにしかできないよ」


 その一言を聞き。

 その瞳から答えを得て。

 その表情から勇気をもらって。

 



 だから、俺はミアの手を握った。




「俺は……」


 この意志がいつまでも変わらぬように。

 言葉にして残すべきだ。

 一生魂に刻み込むように。

 俺が逃げてしまわぬように。

 彼女の言葉が幻想で終わらぬように。



 一度息を吐き、気持ちを落ち着かせる。

 そして口を開く。



「俺は誰よりも————強くなりたい」



「うんっ」


 彼女はとてもやさしい笑みを浮かべる。こんなもの見たら、なんだってできるように思えてしまう。


 雨が止み、頭上の月が顔を出す。雲をかき分けて、どの星にも劣らない光を照らす。

 彼女の顔が白色に輝き、夜と対照的な薄紅色の瞳が煌めく。

 

 夜の静けさを助長するような風が吹いた。

 彼女の滴る髪が揺れる。



「——————っ」


 いま俺はどんな顔をしているのだろう。ひどく間抜けな顔に違いない。顔がやけに熱い。大声を出したせいかもしれない。


 心のざわめきを偽るように淡々とした口調で問う。


「……で、手助けって具体的に何をするんですか」


「パーティーを組もうよ。(仮)じゃなくて、正式に。遠征の後からでいいからさ。それで、正式な仲間になってダンジョンで冒険しようよ!」


 二人ともが駆け出し。探索のイロハも知らない。加えて、二人ともが剣士職で、戦略もくそもない。


 だけど。

 この提案はとても魅力的だ。理性を置き去りにして直感的にそう思えた。


「わかりました。よろしくお願いします」


「うんっ」


 再度、手を強く握る。


 これが俺に何をもたらし、俺は何をすることができるのか。


 すべては過去でも未来でもない。今なんだ。今の俺の行動がすべてを決める。


「ふふふ」


 ミアが突然口に手を当てて、クスクスと笑い始める。安心したのか、堪えた涙が頬を伝い流れている。

 そのあまりにもきれいな笑顔に、そのやさしさに笑みがこぼれる。


「ぷっ、ははははっ」


「あははははっ」


 静かなこの世界に笑い声だけがこだました。


————————


「って、そうだ。正式な仲間になるんだし私のこと名前で呼んでよ。私もエルフ君じゃなくてカルナって呼ぶからさ」


「えぇー」


「仲間ってのは運命共同体で信頼が大事だよー。敬語やめてもらうのはハードル高そうだから、これくらいでゆるしてあげるよ~」


 確かに、ミアに敬語はなぜだかできそうにない。

 しかし理由は分からないが、いつか敬語ではなくなる時が来る気がする。

 それがどんな時かは分からないけど。


 名前呼びってのも意外とハードル高い。今まであなたとしか呼んでなかったから、少々気恥ずかしい。

 しかし、しょうがないだろう。これも仲間。



「さっきはすみませ……いやありがとうございました、ミア」


 彼女が欲してるのは謝罪なんかじゃない。今言うべきなのは感謝なのだ。


 すると、ミアは胸を張って嬉しそうに言った。


「どういたしまして、カルナ。行こう、一緒に」


「はい、お願いします」


 無邪気な子供のように笑う姿は、頭上の月のよりも輝いて見えた。


 

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