第14話 折れ曲がった剣
「ふぅ……」
外に出て、雲が残る夜の天を仰ぐ。
会場からはいまだに賑やかな声と明るい照明の光が漏れ出している。
「愚か者、か」
ステラさんの放った言葉が胸の中で反響している。
確かに俺は正真正銘の愚か者だ。種族を裏切り、親を裏切った。結果、村を追放された。
彼女は何も間違っちゃいない。これがエルフとして当然の反応だ。
悪いのは全部俺で、間違ってるのは俺だけ。周りと違う夢を抱いた俺は愚かで、それに手を伸ばしてしまった俺はとてつもなく浅はかだったかもしれない。
だから、あんな瞳で言われたら、再三己に課した問いが想起される。
————お前はなぜ剣を握るのか
なぜだろうか。
剣士に憧れたから。
本当に俺は、剣士になりたいのか。
いや、俺は確かに剣士になりたいんだ。
だから、こんなに頑張ってるんだ。
毎日毎日頑張っているんだ。素振りをして、ダンジョンに潜って、痛みにこらえて、苦しみを抱えて。
最初は剣の握り方さえ知らなかった。教えてくれる人なんていなかった。
我流なんて通用しない。それが剣技だ。剣術の達人でさえ、何かしらの流派を基盤にしている。
俺には圧倒的に基礎が足りていなかった。
だから、剣術の指導をこっそりのぞき、見様見真似で形を真似ることから始めた。アカデミーは金を払い通うものだ。そのため指導はれっきとした剣術の達人が行う、と考えた。だから、その指導者を真似ようと思った。
だが、いざ指導風景を見れば、指導者なんて比べ物にならないほどに輝いている剣があった。練り上げられ、研ぎ澄まされ、そして美しいくて恐ろしい。
そんなもの見てしまったら真似ようとするのは必然だった。そして、それに追いつくために何百万、何千万と剣を振った。
————お前は間違っているのか
ああ、俺は間違っている。
ステラさんが言っていた。想いがどうであれ、行いは非道そのものだと。
ふと、掌をみる。
それは醜く変容した様だ。
固くなったマメは血を含み、赤黒く変色している。はがれた皮の下には露わになった肉。
これまでの努力が刻まれているような、そんな見た目。
これを見ると俺はほっとする。安心する。報われているように錯覚する。正しいとそう言われているように感じる。未来に希望が持てる。自分に自信を抱ける。過去を正当化できる。現在から焦点を外せる。
そして、この想いを真っ向から肯定できる。
だからだろう。
だから、自己嫌悪が溢れ出る。ドバドバ流れ出し、穴を広げ、大事な何かまでも連れ去ってしまう。
歩く中で、迷いは確信へと変わっていく。
足がやけに重い。体の奥が冷えていく。
町の喧騒がどこか遠くに聞こえる。祭りのため装飾された町はやけに色付きを失って見える。行く当ても定めず、ただ彷徨い続ける。
昨日の出来事から、何度も何度も考えている。
俺は本当に目指せるのか、成れるのか、と。
そうして、もう気づいてしまった。
俺の決意なんてちっぽけだったんだ。
◆
ふと、気づけばあの丘陵に向かっていた。どのくらい町を彷徨っていたかはわからない。
あそこに行けば、自分は正しいと無意識に思っていたのかもしれない。
「————」
あっちの世界とは違って、ここではパラパラと雨が降っている。服を少しづつ、しかし着実に侵していく。
一歩一歩力強く踏みしめる。土を削り、決意を形に残すように。
「————」
見上げればそこに星は見えない。
夜の闇に黒い雲が被さり、あたりは真っ暗だ。弱い雨が首を伝い、鎖骨を伝い、胸を撫でる。
流れる雨水が後ろの
「ぁ……」
息を吐いた。いや、出ていった。そのまま、大事な何かまでもが出ていきそうな冷たさを孕んでいた。
ぐちゃぐちゃと歩くたびに音が鳴る。醜く不快でしょうがない。
「来ると思ってたよ、エルフ君」
「…………」
いつももたれかかる木の下でドレス姿のミアが座っていた。剣を抱いて、まるで俺が来るのを待っているかのように。
「どうしてここに居るんですか? パーティーはまだ終わってないはずです」
「君が貸してって言ったんでしょ? 私の剣」
「……そういえばそうでしたね」
パーティーの時に渡してくれると言っていた。俺がいきなり会場を後にしたから、ここまで届けに来てくれたのだろう。
「それにあーゆー場所、私苦手なんだ。駆け出しのみんなが、必死に媚びを売ってる。冒険者なら己の力で引き付けるもんでしょう?」
「俺みたいに引き付けられない人もいるんですよ」
そう、魅力のない者も世界にはいる。だから、みんなそれを隠そうとあらゆる手段を使う。努力して自分を取り繕う。
「間違っても自分を卑下しないでよ。君には魅力があるでしょ」
「どうですかね。俺には見つけることができませんけど」
自分の口から自虐に近い言葉が出た。自分の弱さを再確認できるようで心地よかった。その反面、胸が冷たくなった気がする。
「…………」
長い沈黙が訪れる。
雨が降っているのにもかかわらず、俺は立ち尽くしていた。一歩も動かず、一度だって目を合せなかった。
するとミアは立ち上がり、俺に近づく。いつだってそうだ。彼女からこちらに寄って来る。
ミアの体にも雨が打ちつける。
「はい、これ」
ミアは持っている剣を差し出す。
ミアがいつも使っている剣ほどではないが、かなりの業物のように思う。
職人が、己の人生をかけて打ち、完成させたのだろう。とても精巧だ。
そんな、差し出された剣。
「どう、したの?」
手が出ない。受け取れない。自分なんかが受け取ってもいいのかと、疑ってしまう。
一本のまっすぐ伸びる剣を、醜く腐り、鈍く錆び、悲惨に折れ曲がった俺が、握ることが許されようか。
「ほ、ほらっ」
ミアは心配そうに眉を下げ、剣を俺の胸に押し付ける。
受け取ってほしい、その意志が感じられる。
だけど、受け取れない。
いや、もう剣を……。
「なんでっ、ほらにぎって」
ミアは俺の手を取り剣を握らせる。しっかりと、落ちてしまわぬように懸命に。
触れた剣は雨に濡れ、残酷なまでに冷え切っている。熱が消え失せ、冷気を放っている。あたかも拒絶しているように。
だから俺の手は、いとも簡単にほどけていく。
「エルフ、くん? なんで……」
なんで、と問われた。なんで、剣を握らないのかと。
前から、わかりきっていたことなのかもしれない。
「俺が、剣を握るのは————間違ってる」
そう、もう俺が剣を握ることは間違っているのだ。半端な決意で剣士になり、幼稚な憧れで剣を握り、砕けた。思い知った。
「なにいってるの!? 君はあれほど頑張ってた!」
「頑張る、ですか。誰にだってできますよ、あんなこと。何か目的と理由があれば弱くたってできます」
「いや、できないよっ。つらい思いも、響く痛みも、のしかかる苦しみも、強烈な想いがなくちゃ我慢できないよ! やめたくて、でもやめられなくて。今日くらいは、って弱った自分に厳しくしなくちゃいけなくて。頑張ることは誰にでも可能かもしれない。——だけど、誰にでも実現できるとは限らない!」
俺を責めるのではなく、否定するように言葉を紡いでいく。ミアの言葉にはその思いのほかに、己の体験が含まれているようにも感じる。確かに彼女は努力している。
「仮に努力できたとします。だけど、その先は? その先には何があるんですか? 努力したところで、それが発揮するべきところで発揮できないと意味がない」
努力したところで変わらない部分がある。これは正しいだろう。努力したところで生まれ持った部分は変えられない。なぜなら、それは生まれ持ったものだから。
神からのギフトが、神でない俺たちの頑張りで覆せることはあってはならない。神が神で在るために、そうあるべきだ。
「……なら、発揮できるまで頑張ればいいじゃないか!」
「それじゃ届かないから言ってんだ!!」
「————っ」
俺の怒号にミアがぎょっと驚く。
彼女の無責任すぎる言葉が俺を否定し、心を引っ掻いた。制止する間もなく、高まった心が喉から吐き出された。
「発揮できるまで頑張るなんて、無謀で無責任すぎます。どれだけ剣を振ったって核心の弱さが変わるわけじゃない。それを昨日、そして今日わかっちゃったんです。——だから、俺は剣士に向いていない」
俺は剣士に、不向きだ。
種族? そんなことはどっちだっていい。
俺は昨日の怪物との闘い、その勝負際、ここというチャンスでミスをした。逆境に弱い。肝心な時にミスをする。それは、冒険者として致命的だ。
「——ははっ」
乾いた笑いが込み上げてきた。
俺自身でもわかる。なんて愚かなんだろう。なんて見苦しいのだろう。
今までの決意は、その時の迷いに過ぎなかったのかもしれない。そんなことに今更ながら気づいた。
「ぇ……?」
「なにが努力するだよ。何が誰より頑張るだよ。今になって気づいたんです。あんな思い、まがい物でしかなかったって」
いつか聞いた『
努力しかない勇者。
曰く、彼は誰よりも才能がなかった。
曰く、彼は
曰く、彼は一本の剣を握っていた。
曰く、彼は誰よりも努力した。
曰く、彼は誰よりも強かった。
こんなの、今考えればおとぎ話に過ぎないってわかる。母が俺を寝かしつけるために読んでいた英雄譚。
人々の夢と希望を詰め込んだ、幻想でしかないのだ。
「————」
雨はより一層勢いを増す。音を立てて体に打ち付け、大粒となって水を散らす。
髪から滴る水滴が肌を伝い、目から流れる。
一度、決心に至るまでの時間があった。こぶしを強く握り、唇を噛みしめる。
それから、思いが固まり脱力する。
「……だから、もう、いいですよ。遠征も行くのやめることにします。…………いや、もう——————」
————————ピシィッ!!
突如、頬に焼ける痛みを感じ、そして気づけば顔が右を向いていた。じわじわ熱が広がり、雨の中であろうと痛い。
何事かと目の前に立つ少女を見る。
「————ぇ」
ミアの輝くルビーの瞳から、溢れんばかりの涙が見えた。
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