第10話 地を蹴った


 その怪物は俺たちを赤い眼光にとらえ、そして棍棒を軽く一振りする。

 

 その途端、あたりの土煙が掃けてホール全体がありありと見えるようになった。

 少し離れたところに、三人ほどの倒れている人を見つける。

 ここからでもわかる。あれは即死だ。つぶれている。


「ヴォオオオオオオオオオオオオッッ!!」


「————っっ!!」


 怪物の慟哭はダンジョンを揺らす。

 その形相が、気概が、様が、俺の体を縛り付ける。

 動けないっ。

 今動かないと、確実に死ぬ。

 だが、体が恐怖から硬直する。


 死ぬ。

 

 これはやばいっ。ゆっくりとゆっくりと、確かに死が迫っている。だが、動かない。動けない。


 死ぬ。


 こんなところで、終わってしまう。全てが、今まで積み重ねたものが、意味をなさなくなってしまう。


 死ぬ。

 

 そんなことできるわけがない。


 死ぬ。


 剣を引けよっ。折れてたってかまわない。だから動けよ。何のために剣を振ってきたんだよ。動けよ。ここで立ち向かわなくて、いつ立ち向かうって言うんだよ。だから、


 動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよ動けよっ!!


 動かぬ体に、必死に呼びかける。

 今までの努力を、後悔を、悲しみを、全てを込めて、叫ぶ。

 己の体に、己の思いをぶつける。

 ここで動かなければ、死ぬ。だから動いてくれ、と。


 だが。



「く、そぉ……」







 なんで。


 うごかないんだよ…………。







 迫る怪物。

 鳴り響く警鐘。

 目の前には死。


 なのに。


 動かない体。


 臆病で、ちっぽけで、愚かで、醜くて、浅ましい弱者がここにいた。

 何もできず、何にもなれず、何も成せず、だけど何かにすがってしまう圧倒的な弱者。


 この怪物は何人の冒険者を殺したのだろうか。こうしてなす術もなく、一人一人潰したのだろう。無作為に無意味に無感情に棍棒を振りかざしたのだろう。


 こんな怪物に駆け出しが敵うわけ————






————ガタァッッ!!






 刹那、ミアは地を蹴った。


 重く固く縛られていたはずの足を踏み出した。 

 俺が壊せなかった鎖を。

 越えられなかった恐怖を蹴散らして。


 その瞬間、風を超え、怪物目掛けて一直線。


 目でとらえることはできない。あまりにも速すぎる。


 身を弾丸にして、怪物に突き刺さる。


 その瞬間、轟音がホールに響く。


「っ……」


 しかし、ミアの剣は怪物には届かなかった。

 怪物は棍棒でそれを受ける。怪物のすさまじい反応速度がそれを可能にした。


 ミアは舌打ちし、されど斬撃を繰り出す。

 あまたの銀の光が飛び交う。

 怪物はそれらを防ぎ続ける。

 爆発を繰り返しているような衝撃波。

 たった一本の剣と棍棒。

 交じり合い、削ぎ合い、減らし合う。


 武器がこすれ合う音が響き、風がここまで届いてくる。


 互角に思われる状況。


 だが俺は身をもって知っている。


 ミアの斬撃は回数を重ねるごとに、研ぎ澄まされることを。

 その通り段々と鋭く、速く、強くなっていく斬撃。

 音すらを置き去りにして、怪物の体に少しづつだが傷が刻まれていく。

 怪物の体が段々と後退していく。


 こんなにも、彼女の剣は速かったのか。剣を交えたときはこれ程じゃなかった。

 、彼女は手加減していた。これを見たらそう思わざるを得ない。


 いや、彼女が強いことなんて分かっていたことだ。


 しかし、何よりもこの状況で真っ向から立ち向かえる。

 その心の在り方が、圧倒的な強者。

 俺が彼女と張り合うと決めたその在り方さえも、負けていた。

 俺は動くことすら出来ない……。


 まだ俺は、彼女を追うスタートラインにも立っていなかったんだ。

 今の斬撃は目では追えない。こんな振りは実現できる気がしない。


「くっ、そぉぉ…………」


 無力な自分がそこにいる。

 この状況で動くことさえ許されない弱者おれがいる。


 あれほど剣を振ったのに、剣すら握れない。


 この震える指が、心の弱さを表している。


 刹那、怪物は空いた左手で、負傷を許容した強行攻撃をかます。


「~~~~~っっ!!」


 ミアは苦痛の声を押し殺す。怪物の反撃の拳が、ミアの胴を曲げる。鈍い音と共に吹き飛ぶ。


「ミアあああああ!!」


 名前を叫ぶ。


 ミアは飛ばされながらも、空中で回転し何とか壁に足を着く。

 

 その反動を生かし、壁を蹴り、そして飛んだ。



 一直線に矢が走る。


 まるで光の矢。


 赤い瞳が輝きの残像を残していく。


 世界から音が失われたよう。


 音すらも越えていく。


 それは怪物に突き刺さると思われたが、綺麗に通り過ぎた。


 背を向きあう両者。


「…………?」


 何が起こったかその時は分からなかった。しかし、数瞬で理解した。


 ゆっくり、ゆっくりと怪物の右腕が落ちる。


 それは大きな振動と共に落ち、血があふれ出す。


「ヴゥッ、ヴゥウウウッッ……!」


 怪物は切れた腕を抑え、呻きを上げる。


 ミアも腰を抱えてうずくまる。

 先ほど受けた怪物の一撃に、顔を顰める。



 彼女が程遠い。

 俺が今まで見た彼女の剣技は、小指ほどでしかなかったと理解してしまう。


 俺は所詮凡人。そして、彼女は天才。


 人には向き不向きがある。俺には剣が向いていなかっただけ。俺はただ運が悪いだけ。彼女は運よく才能を持って生まれたに過ぎない。


 卓越した剣技の才能。

 恐怖に抗える才能。

 立ち向かえる才能。


 神に愛され、世界に祝福されて生まれたのだ。

 



 隻腕の怪物は、されどミアを睨みつけ、歩み寄る。


 「くぅぅっ……」


 ミアは痛みからか動けないでいる。

 迫る怪物。

 ミアが死ぬ。死んでしまう。俺がなにかをしなければミアが死ぬ。


 だが、体が、動かない。

 俺は何もできない。

 体も心も縛られている。



 それなら。


 夢も憧れも努力も義務も後悔も、すべて捨ててしまえば楽に生きれるか。

 このまま冒険者を辞め、剣を捨てれば楽になれるか。

 ミアのこれから訪れるであろう死を未来永劫忘れてしまえば楽になる。



 だから。

 もう、あきらめ————————








「らぁれるかよぉおおおおおおおおおおおおおおたおおおおおおおおお!!!!」







 あきらめることなんてできるわけがない。約束が俺を許さない。心が義務を果たせと叫ぶ。


 ここで、諦めたらもう絶対に同じ道には立てないだろう。立つ資格がなくなってしまう。

 ここで立ち向かわなければ、ミアが死ぬ。


 一歩を踏み出すのは今しかない。

 ミアを助けるのは俺しかいない。

 勇気を出すのは逆境でこそだ。

 あのいつか聞いた『勇者ヒーロー』みたいに。

 あの努力だけしかない天才のように。


 強くなりたい。


 だから。



————————ガタァッッ!!!



 地を、蹴った。



 恐怖の鎖が壊れる音がした。


 怪物はいま、弱ったミアを打たんとしている。こちらに注意を向けていない。

 与えられたチャンスは今なんだ。今がすべてを決める。


 俺は走りながら剣を抜く。


 折れた剣。


 安物の剣。


 そして、今までの相棒。俺の苦悩が詰まってる。


 力がみなぎる。次の一振りは必ず最高のものになると、確信できる。


 怪物はミアを睨む。右手で棍棒を握り締め、そして、一歩ミアへ踏み出す。ミアは痛みからか、立ち上がれずにいる。


「そこぉだぁああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」


 弱い自分を戒めるように、剣を強く握った。

 

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