第3話 始まりの日3
夜の素振りを終えて、近くの銭湯で体を流し、先ほど帰ってきた。
それからリビングでシェアと談笑していたら。
——————ガチャァッ
「カルナー、お前宛に手紙きてんぞー」
寮のドアが開く音と同時に、ドスの効いた男の声が聞こえてくる。
そしてリビングに入ってきたのは、
「おかえりー、ローズ」
「ただいま、はいこれ。……って、またボロボロになってんな。このポーションやるよ。」
「助かる」
一般的に高価なポーションを惜しげもなく俺にくれる。
「ダンジョンにでも行ったのかよ? 相変わらずエルフらしくねぇな。ちっとは体を大事にしろや」
つらつらと説教まがいの言葉を並べてくる。俺の治療後の身なりをみて思ったのだろう。
彼——ローズ・フローラックは同じ寮の住人であり、シェアの兄でもある。シェアよりも黒が強い青髪に鋭い目。一見不機嫌そうな不良のように見えるが、口調と顔が怖いだけで本当は優しい。
「いや、今日はダンジョンじゃなくて——」
「————兄さんっ、こんなに遅くまであるならバイトなんてしない方がいいんじゃないですか?」
「げっ」
俺と同じくリビングにいたシェアが時計を指さして、いつものように兄のバイトへの不満を言う。
「ごめんって、明日はバイトの休み取れたからさ、一緒にどっかいこうぜ。だから許してくれよぉ」
「む……。だいたい兄さんはバイトがなくても日ごろからだらしないです。兄さんの部屋なんて足の踏み場がないくらいに散らかってるし、自分の食器を洗うのはいいんですけど、裏に汚れがたくさ——————」
シェアの説教が始まる。普段温厚なシェアだが、兄の素行には厳しい。
しかしローズはそれに反抗せず、おとなしく終わるのを待っている。ちらちらと俺に救援を求める視線を送って来るが、俺は目をそらす。
ローズのバイトの目的を知っている俺は彼を止めることはできない。
そして、こうなったシェアは誰にも止められない。
そういうわけで一時退散。
どんまい。
ローズから渡された一枚の手紙を持ちリビングから去る。自室に戻り封を切って、中を開けると『アリエス・ギルド参加型遠征について』と記されていた。
そこには日時や集合場所、持ち物、遠征内容などが細かく記載されている。
そして、その下には団員と参加者の名簿がつらつらと並べられていた。それに目を通すと、リーダーと示されるものの名前に目が止まる。
『シュレン・ブルガン』
彼はこの町で有名な実力者にして、アリエス・ギルドの副団長の一人。そして、ドワーフ族の斧の使い手。
彼が一振り斧を振ればダンジョンが悲鳴を上げる、と言われるほどの怪力の持ち主らしい。
さらに、名簿の先には確かに『ミア・レグリエス』とあり、そのすぐ下には『カルナ・フィンネ』と俺の名前が並んでいた。
そして、一通り目を通して、机に手紙を置き天井を見上げる。
今の俺には何があるんだ?
今日再度ミアとの力の差を思い知った。俺がどれだけ剣を振ろうと、ミアには到底追いつけない気がしてならない。
圧倒的な才能が、俺に剣を握るなと叱責しているようだった。
俺にもあんな才能があったなら、と羨まずにはいられない。誰だってそうだろう。
でも、あきらめることなんてできない。
あきらめることを俺が許さない。犯してしまった行動が俺を縛り付ける。
すべては自分が決めたこと。自分の選択だ。
もう引き下がれない。
もう戻ることなんてできない。
あらゆる感情が錯綜する。
これでは眠ることなんてできないか。
俺は自室の隅にかけてある剣を持ち、今日三度目の素振りへと出かけた。
◆
太陽が沈み、町は店の明かりと騒がしい声でにぎわっている。
酒場からは男たちの豪快な合唱が聞こえ、過ぎ行く人たちはどこか浮かれた表情をしている。
人ごみをかき分け、大通りを走り抜ける。
俺はこういう場所も好きだ。
騒がしいしうっとおしいけど、そのどこかに温かみを感じるからだ。
そうして、町の雰囲気にのまれながら、
そこにゆっくりと足を踏み入れた途端、あたりの喧騒はぱったりと消失した。
大人たちの騒がしい大声も、あのきらびやかな看板もそのすべてが突如として消え失せる。
異界に来たんだ。
この世界も夜の時間が始まっている。草木がこすれる音と、暗く静かな雰囲気を纏ったこの場所。
俺はいつも素振りをしている高い丘陵へ向かう。
見上げれば、町からは見えなかった星々が、ここでは懸命に存在を主張している。
一つ一つに違いがあり、魅力がある。
星の誘惑に目を奪われながら、しかし確かにあの場所へ向かう。
「————っ」
すると遠くから、規則的に風を切る音が聞こえる。
それは耳にタコができるほど聞いた音。心を落ち着かせ、自分に安らぎを与えてくれる材料。
剣を振る音だ。
間違いもしない。毎朝毎晩繰り返しているから。
ここで俺と同じように素振りしてる人がいたのか。
駆け足でその音の根源を追いかける。
そのうちに、それはいつも俺が素振りをする場所にあることが分かった。
素振りの休憩時にもたれかかる木の陰から様子を見る。
「——————————っ!!」
そこには少女がいた。
その少女は汗を散らせ、揺るがぬ剣筋で風を切っている。
その少女は白髪を揺らしている。
その少女はルビー色の瞳をしている。
少女はミア・レグリエス、その人だった。
どれだけ繰り返しているかなんて彼女の表情を見ればわかる。
彼女は紛れもない『天才』だ。
それは疑いようのない事実だ。
しかし、彼女が努力していないと誰が言った?
彼女が汗水たらし、ひたむきに努力を繰り返している姿を想像できるものがいたか?
いつの間にか俺は決めつけていた。
彼女は才能がある。彼女は天才だ。
そうやって一括りにして、決めつけ羨み妬んでいた。
「——————っ!!」
気づくとそこから逃げていた。
「……だれ?」
そう問いかける声を無視し、ひたすらにその場から逃げていた。
自分が弱い事なんてわかっていた。
努力しないと常人にすら成れないことなんて剣を握る前から分かりきっていることだった。
エルフは魔法適性が高く、みな魔法使いとして活躍する。
その一方、多種族と比べて打たれ弱く貧弱な種族だ。
それを分かったうえで俺は剣を握った。
誰よりも努力しようと心に決めた。
しかし、努力しているのは俺だけだと勘違いしていた。
ばかやろうっばかやろうばかやろうっ!!
噛んだ唇からは血が流れだす。
目からは自然と涙がにじみ出てくる。
周りの景色はぐるぐると巡り、疲れることを忘れた足が延々と回っている。
気づけばダンジョンの中にいた。ここが何回階層かなんてわからない。壁も天井も石造りの人工物と思わせる空間だ。
「くそぉぉおおおおおおおおおお!!」
その咆哮はダンジョンに反響し、それを聞きつけてモンスターが湧いてくる。
すぐ横の壁から、石の板が剥がれ落ちそれがゴーレムへと変わる。数は十三。
そして、前方からはゴブリンやオークのスケルトンの大群が迫る。
剣を抜き、怒りと後悔に身を任せて暴れ狂う。
一体切ればまた一体。防御を捨てて攻撃だけにすべてを掛ける。
「ちくしょうっ!!どけよどけよどけよどけよぉおおおおお!!」
朝、彼女に受けた斬撃と同じくらいの激痛が体のあちこちを襲う。いや、彼女の方がよっぽど痛かった。
「——————っくぅ!!」
悶えている時間なんてない。止まっている余裕なんてない。
切り続けなければ、襲い続けなければ、迫り続けなければ。
彼女と同じ量の苦労じゃ、努力じゃ到底かなわない。
「こぉいやあああああああ!!」
ただ自分への戒めが欲しい。
自分の弱さに叱責が欲しい。
この体に痛みが欲しい。
あんな考えに至る俺に罰が欲しい。
そして、強くなりたい。
どんな状況でも、つらい運命でも、強大な敵でも、それに抗える根性と力が欲しい。
あのいつか聞いた『
一本の折れない剣のように。
◇
この時少年の魂に一つの儚いスキルが刻まれた。それはちっぽけでスキルと言うにはまだ小さすぎる火だ。決意と言うには弱すぎる。
スキルはその者の生き方や考え方を示すもの。ゆえに、退化することもあり、また成長することもある。
名を【
・事柄が困難であるほど抗力が増加する。
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