第49話 そーらをじゆうに
猫の姿で過ごし、シロに可愛がられるのもこれはこれで幸せ。そんなわけで毎日、シロを可愛がったり可愛がられたりしながら楽しい日々を送っていた。
生活は順調、配信の方もまだ飽きられる気配なく、登録者数も微増しているし、黒子さんたちともいい感じだ。もちろん、恋人としての関係も良好、としか言いようがない。
だけどなんとなーく、目標がなくなったことで物足りない気がする。もちろん動画に関しては色々とネタを考えたりはしているけど、大きな目標とは言えない。
「……今宵の私は血に飢えておる」
「ん? どうしたんじゃ急に。まだ腹が減っておるのか?」
ご飯を食べてごろごろしていると、シロが今日は良い満月なので散歩に行ってくる、と猫散歩に行こうとしたので前を塞いで格好つけてそう言ってみたのに、解釈違いされた。
「そう言うんじゃなくて、散歩についていこうかなーって思って。どうですか?」
「ふむ、珍しいな。別によいが」
「やったー。猫になるね」
ぽん、と猫になる。フローリングの上に寝転がっているような視点、まだなれてないから楽しい。あ、念のため家の鍵と財布、スマホくらいは持ってから変身しよう。
一回人間に戻って、一応人間に戻る事態になってもいいように用意してから猫になる。
「お待たせ―」
「用心するのはよいが、何か買い物でもあるのか?」
「ううん。でももしかしたら飲み物くらい欲しくなるかもしれないし」
「まあよいが。では行くぞ」
シロはベランダに出て、ぴょんと手すりにのった。ドアを閉めてから私も隣に行く。
「お、おお……」
え、ここから飛び降りるの? ちょっと怖くない? 二階だし、人間状態でも行けそうと思ってたけど、猫状態だと高く感じるな。
「なんじゃ、びびっておるのか?」
「びびってます」
「にゃはは。仮に着地に失敗しても、ちょっと痛いだけじゃ。安心せい」
「痛いのって全然安心できないけど、うーん、えいっ」
にやにや笑っているシロに頼るのは悔しいので、思い切って一階のベランダ部分に向かって飛び降りる。
「にゃっ、んな!」
手すりに着地するつもりが滑ったので、足で蹴ってそのまま地面に着地した。一回挟んだとは言え、無事大地に立ったのだ! やった!
「まあ、よいのではないか」
シロは平然とまっすぐ降りてきた。猫って元々二階くらい大丈夫なんだっけ? なら次は大丈夫かも。とにかく、シロと一緒に出発だ!
マンションの外に出て、公道を歩く。
「んにゃあ」
外なので堂々と話すのは憚られる。猫語で誤魔化したけど、公道を四足で歩くの、なんか嫌だな。猫としての歩き方は室内で試したらすぐに体になじんだけど、外だと地面に手をついてる感覚が否めなくて、なんかちょっと微妙な気分。
シロのこと全裸全裸と言ったものの、自分がなってみると服着た状態で変身しているし、そこは公道に出ても意外なほど気にならない。
「なんじゃ、どうかしたのか?」
「いや、普通に話すじゃん」
足元を気にしながら歩いている不快感が顔に出ていたようで、シロが心配そうにの顔を覗きこんでくる。その気遣いはありがたいけど、猫なのに普通にしゃべっちゃうじゃん。
「人おらんのに、何を気にしておるんじゃ。気になるなら小声で話せばよかろう」
「あ、そっか」
途中からシロはめっちゃ小さい小声になった。そうか。吸血鬼なら耳がいいから普通に聞こえるけど、人ならぼそぼそして何か唸ってるくらいにしか聞こえない声量で話せばいいのか。
「いやね、地面に手をついてる感じが気持ち悪くて」
「ふむ。そう言えば汝、体を綺麗に保つことはできんのじゃったか」
「え? ……え? こう、吸血鬼パワーで綺麗を保つのって、単純にめちゃくちゃ新陳代謝がすごくて、毎日新しい自分になってる的な感じじゃなくて、魔法的な感じでそもそも汚くならないってこと?」
「は? ……いや、言っている意味がよくわからんのじゃが」
「うーん、私もよくわかってない」
なんかイメージ的なニュアンスで? まあようは、汚くなっても綺麗になるから大丈夫ってことだと思ってたら、そもそも汚くならないのかってことなんだけど。
でもシロの吸血鬼パワーって、なんかあんまり理論がないって言うか、体感的って言うか、想像力が重要って言うか、ちゃんとした理屈とかなさそうだし、聞いても仕方ないか。
実際には何らかの理論があるのかもだけど、考えたら私だってどうして酸素がないと生きられないのかとか、どういう理屈で生きてるのか知らないし。吸血鬼なんて数もいないんだし、シロがなんとなくできるからしてるだけだとしても何もおかしくないよね。
「まあとにかく、シロは吸血鬼パワーで綺麗だから、汚くても抵抗ないってことね」
「全くないわけではないが、そもそもこのあたりとか普通に地面綺麗じゃろ。まあ、気になるなら塀の上を歩くか」
「あ、そうしよっか」
地面も気になるけど、単純に視線の位置が引きすぎるの人も車もいないとはいってもちょっと怖い感じするし、そうさせてもらおう。そもそも猫が普通に道を歩いて散歩するのがおかしいもんね。
シロがぴょこんと塀の上にあがる。めっちゃ軽々とあがったな。私もできるのかな。ちょっと不安。でも、ここでビビってたら駄目だ! 私は猫として生きるんだ(時々都合のいい時に)!
「にゃあ!?」
えい! っと思い切って飛び上がったら、思った以上にジャンプしすぎて、普通にシロがのっている塀を飛び越えてしまった。
反対側の庭に飛び込み、がさがさと盛大に音を立ててしまった。
「……なんだぁ、猫かぁ。びっくりした」
当たり前に怪我もしなかったけど、その予想外の挙動に自分でびっくりして固まっていると、さらに目の前の戸が開いてびびってしまった。私が飛び込んだ家の庭に面した戸から、おそるおそる顔をのぞかした女の子が胸をなでおろしている。
「にゃ、にゃあん」
猫ではないとばれてはいけない。不法侵入になっちゃうからね。ここは全力で媚びを売る!
草木の中から出て、女の子に向かって小首を傾げて見せると、女の子はぱっと顔を明るくした。
「わ、人懐っこいな。もしかしてご飯かな? ちょっと待っててねー」
「にゃあ」
女の子は戸を開けたまま戻ってしまった。不用心な子だ。私が強盗目的の吸血鬼だったら危ないと言うのに。
「おい、何をしておる。わらわ以外の女に媚びを売るではない」
「えぇ、いや、そう言うんじゃないじゃん?」
シロが横にきてこそこそとしながら嫉妬してくるけど、まさか失敗して飛び込んだことじゃなくて媚びたことを怒られるなんて。シロだって猫の時は媚び媚びのくせに。
言い返そうとしたけど、すぐにシロはすっと塀の上に戻った。おや? と思うとすぐ女の子が顔を出した。
「お待たせー。さ、ねこまんまだよ」
「にゃあ」
白ご飯に鰹節と醤油をかけた猫まんま。これって本当の猫だと塩分が濃すぎてよくないんだよね。ただ、うまい! 猫の体でご飯食べるの初めてだけど、なんか味の感じ違って、人間の時よりめっちゃ美味しく感じる!
「にゃんにゃあ」
「ん? 美味しい?」
食べ終わったのでお座りしてお礼を言うと、女の子は笑顔で私の頭をなでてきた。サービスで喉もならしておこう。
「んごろごろ」
「よしよし、って、うわぁ、手触りすご。それに綺麗な子だねぇ。うちの子になる?」
「ふかーっ!」
「わっ、し、白猫もいたのか。もしかしてお友達?」
「にゃー」
塀の上から威嚇してきたシロに女の子がようやく気付いた。その隙に女の子の手からすり抜けて、私も塀の上に、むむっ、力を弱めたら普通に届かなかった。壁際の木を登って、と。
「にゃーん」
「あぁ……」
女の子に会釈してから立ち去ることにする。残念そうに手を振ってくれた。
無事お散歩に戻れた。お腹も膨れたし、塀の上だと地面よりは気持ちマシだし、それにさっき庭に落ちちゃって普通に汚れたから、ちょっと吹っ切れたよね。
顔をあげると、月が綺麗だ。今日は満月だったよね。それで外に出たんだった。
空気が澄んでいて、やっぱり夜の散歩は感覚が研ぎ澄まされるような、広大な自然の中にいるような心地よさがある。どうしても縦一列になるから、シロのゆれる尻尾についていくことに、何とも言えない頼もしさと言うか、安心感もあってどこまでも歩いていきたい気になる。
「ふむ。茜、ちと、飛んでみるか?」
「え? そんないきなり言われても無理だよ」
「なぁに、自力でとは言わん。わらわが抱っこしてやろう」
「なるほど! 是非お願いします!」
その手があったか! 今まではシロの方が人状態でも小さかったし運んでもらうなんて発想がなかったけど、私が猫になって抱っこされるのもなれたし、猫の今なら全然あり。
「うむ。まずは屋根の上にゆくぞ」
「にゃー」
シロの後に続いていく。塀が続いていて屋根に近くなっている場所までそこからあがっていき、人目のない場所まで上がっていく。住宅街の中で窓が向いていない三階建ての屋根まで来た。おお。ちょっと高くて怖いな。
「では行くぞ。そうじゃな。抱っこしやすいよう、子猫になるんじゃ」
「はーい」
ウルトラ可愛い子猫ちゃんモードになる。あわわ。屋根の勾配がきつく感じられてちょっとふらついてしまう。
「んにゃ」
シロが私の首元を噛んだ。甘噛みでぐいっと持ち上げられた状態だ。一瞬ビビったけど、されてみると思いのほか安定した姿勢だ。体から力が抜けてどこか安心感すらある。
そしてシロは一鳴きするとそのまま走り、助走をつけて屋根から飛び出した。
「ひぇっ」
一瞬悲鳴が出たけど、シロは飛び出した勢いのままぐんぐん空へすすんでいく。
揺れることもなく、すーっと紙飛行機が飛ぶように安定して勢いよく高度があがっていく。
「はわー」
街並みが遠くなり、光がきらめいていてただの住宅街なのに綺麗なイルミネーションのように輝いているように見える。夜の風景は想像以上に綺麗で、いつもシロはこんな景色を楽しんでいたのか、と羨ましくなってしまう。
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