第37話 シロ、幸せを満喫する

 わらわと茜が恋人になりしばし時間がたった。茜はぐいぐい来るタイプではあったが、それはどうもこと恋愛においてはなかなかどうして奥手のようだ。そういうところもまた、娘らしいところがあって可愛らしいが。


 クリスマスプレゼントに首輪を渡された時はびっくりしたが、わらわへの可愛らしい独占欲なのだろう。猫ではなく、わらわの全てを欲しいのじゃろう。そんな無邪気な暴君のように、愚直なほどわらわを求めている。

 そのことは自分でも意外なほど、嬉しくなった。


 自由に生きてきた。大変なこともあったが、基本的には血の確保に困ることはなく、命の危機はなにもなく、気ままに可愛がられながら生きてきた。そんな生活にほどほどに満足していた。

 だけどそれは妥協でしかなかった。それしかなかったし、其れしか知らないから満足できていたのだ。

 茜に特別に思われ、特別に求められ、特別に扱われる。茜がわらわを独占しようと躍起になるほど、茜の心をわらわと言う存在が独占しておるのだ。

 それを実感するほど、優越感にも似た、何とも言えぬ喜びがわらわの中を満たしていった。茜の事を、わらわも好いている。好いた相手から好かれ、好意を十全に伝えられる。わらわからも拒否をされる可能性に躊躇わずに、何の憂いもなく好意を伝えることができる。


 この生活に満足しておる。それは本当じゃ。じゃが、まあ、なんだ……恋人と言うのは、キスをするだけ、というものではない。わらわもそのくらい知っておる。


 一緒にお風呂にも入って、一緒のベッドで寝ているのだから、いくらでもチャンスはありそうなものじゃが、どうにも茜にはその気がないようだ。

 猫の姿の時には恋人らしいちょっとしたじゃれあいをしてくるが、人の時は友人の時と変わらぬ距離感だ。最も、友人の時から近いは近いが。


 別にわらわも、無理にと言う訳でもなく、茜が求めるならやぶさかではないくらいなのじゃけど、折角恋人となったと言うのに、何と言うか、中途半端と言うか。

 ううむ。まあ、茜は成人していると言ってもまだまだお子様じゃからな。この辺りは大人のわらわが大きく腰を据えて見守ってやるとしよう。


 そう決めて、わらわは茜と共に年を越え、そうして共に旅行をすることになった。

 と言っても以前にも茜の実家に行ったりしておるし、べつにこれが初めての遠出と言う訳ではないが、遊びの為だけに泊りがけの外出をするのは間違いない。


 茜との関係はゆっくり進むとして、純粋に旅行を楽しむことにしていた。わらわが住み家としていた地域は雪が降っても多少積もるくらいじゃったし、うっとうしいと思いはしても雪遊びをしようなどと思うこともなかった。

 しかし茜と一緒だと、何もかもが新鮮で楽しく感じられた。もちろんこれほどの豪雪は初めてというのはあるじゃろうが、茜と一緒にいるから、きっと何もかもが素晴らしく感じられるのじゃろう。


 スキーも、温泉も、豪華な食事も、何もかも、茜と一緒だから特別なのじゃ。この旅行はきっととっても楽しい思い出になるだろう。そう純粋に思っていた。


 《これアカ酔ってるよな?》

 《べろべろに酔っているような、素面のような》


「これは酔っておるの」

「いやいや、酔ってるけど、べろべろではないよ、ふつーふつー」


 配信中に間違って飲み始めたお酒で、茜はずいぶん酔ってしまっているようだ。以前に一度間違えてしまったが、基本的に人前でくっつくなどと言うのは恥ずかしいのでしないのだが、強引にわらわを膝にのせて抱っこしてきたのだ。


 酔っている茜はいつもより無邪気で可愛らしいが、このまま配信を続けると思わぬ失言もでてしまいそうなので、予定とは少し違うが配信を終えることにした。


 茜も全く酔ってない、とは思ってないようで了承してきちんと配信を終えた。

 いつもより念入りに終了の確認をしているので、酔ってはいるが自覚していて思考力がないわけではないようだ。


 しっかりと片づけた茜は大げさに汗をぬぐう動作をしてから

、またわらわを膝に乗せてくつろぎだした。さっきと違いカメラを意識しなくていいので、横向けに座ったので茜の顔がよく見える。

 画面越しに見ていたが、正面から見ると愛らしさもひとしおじゃな。


「ふー、それじゃ、ゆっくり食べよっか」

「うむ。茜、酔わぬようにちゃんとこっちのサイダーも飲むんじゃぞ」

「うんうん。あ、そーだ。飲ませてー」

「酔うと甘えん坊じゃのぉ」

「えへへ」


 普段あまり飲まないからか、酔うと本当に素直じゃの。コップを傾けて飲ませてやると、嬉しそうに飲んでいる。うーむ、可愛い。

 そうして食べさせ合ったりして楽しんでいると、茜はぎゅっと食べにくいほどわらわのことを抱きしめてきた。


「んー。シロ、いい匂いだねぇ。何だか食べちゃいたい……」


 そう囁くように言いながら、わらわと体を摺り寄せるようにして体を撫でてきた。


 んん? いや、もちろん茜に他意はないじゃろうが、何と言うか、意味深ではないか? これは暗にそろそろキス以上のことをしようと言うお誘いなのか?

 考えてみれば以前にキスを求めてきてはっきりと気持ちを伝えてきたのも、お酒を飲んでいる時だった。茜はこのくらいの切っ掛けがないと、一歩踏み込んだアプローチができないのだろう。

 可愛すぎか。と言うか、わらわもそのくらいは察してやるべきじゃったな。もしかして今日こうなるように茜の中では予定していたのじゃろうか。

 いかん、考えると緊張してきた。わらわも飲んで、気持ちを高めるとしよう。


「茜……こ、こっちのお酒も飲んでしまうぞ。汝はあとはジュースを飲んでおれ」

「うん。そうだね」


 これ以上茜を酔わせるとそれどころではなく寝てしまうかもしれないので、茜の方にはジュースを飲ませておく。


「シロ、お菓子はどれが一番よかった? 気に入ったやつ家用にも買おうよ」


 わらわが促すと素直に茜はジュースを飲みながら話を変えた。おや? もしかしてこれは、タイミングを逃してしまったのか?

 話を合わせながらも茜の様子を伺う。もしかして眠くなってしまったから予定を変えようと言うのだろうか? そうならそれで仕方ないが、意識を変えてドキドキし始めたところなんじゃが。


「明日お土産買うとして、朝何時に起きようか。午前中にもう一回スキーするなら、早めに起きなきゃだけど」

「そうじゃな……」


 明日の話。これはもう寝ると言う合図か? と一瞬勘違いしかけたが、すぐに気が付いた。

 いや、違う! これは、これから夜更かしするかどうか聞かれておる。つまり、わらわへの意思確認じゃな! 奥ゆかしいのぉ。


「まあ、折角の旅行じゃしな。スキーは十分楽しんだんじゃし、少しくらい夜更かししても、わらわは構わんぞ」

「そっかー」


 思ったより呑気な声で相槌が返ってきた。んん? 伝わったんじゃろうな?

 と首をかしげたのも一瞬。茜は何も言わぬまま、わらわの体をさっきより遠慮なく撫で始めた。

 こ、これは、すでに始まっておるのか? よくわからんのじゃが、さすがに急では?


「シロ、あー、えーっとさ」


 戸惑うわらわに気が付いたのか、茜は手をとめると気まずそうに声をあげた。


「……茜」


 茜を振り向く。茜は顔を真っ赤にさせていて、それでいて不安そうに眉をよせて子供のような表情をしていた。

 茜もきっと、わらわと同じように緊張して、不安で、ドキドキしているのだろう。


「ふふっ」


 茜の顔を見ていると、思わず頬がゆるんでしまう。本当に、可愛らしい娘だ。自分からぐいぐい来るくせに、土壇場になるとこうして弱気になってしまうなんて。

 だからこそ、こんな時くらい、年上のわらわが先に姿勢を示してやるべきだろう。


「ん……」


 目を閉じて、ちょっとだけ顎をあげる。それが茜と付き合いだしてからの、口づけ合う時の合図だ。

 茜にもすぐわかったのだろう。何も言わずにわらわに口づけた。今まではずっと、照れた顔を見られるのが恥ずかしくて猫の時にだけ合図して、人の時はしなかった。


 今更じゃが、じゃから茜も今まで躊躇っていたのかもしれん。しかしそうは言っても茜とて猫の姿のわらわは自分から抱っこしてくるくせに、人の時はそれより距離を置いておったからの。じゃからわらわも中々人の姿ではキスをする雰囲気にもならんかったんじゃ。まあ、言い訳じゃが。


「!?」


 茜はすんなり口づけた癖に、何故か自分で驚いたような戸惑ったような態度で慌てたように身を引いた。目を開けると茜はあからさまに泡を食ったように意味もなく手を浮かせて目を泳がせていた。


「し、シロ、あの、あー……ご、ごめん」

「……何を謝っておるんじゃ。馬鹿者」

「いや、だって」


 口づけまではもうなれたからか自然に応えた茜じゃったが、まだ踏ん切りがつかないのか真っ赤な顔でもじもじしている。そう言うところもますます可愛いけれど、人の体をまさぐってその気にさせておいて、今更怖気づくのはないじゃろ。

 とは言え、本当にその気ではないなら無理をさせるつもりはない。わらわは茜に無理強いせず、かつ勇気がでるように、そっと優しい声をかける。


「何を遠慮しておるんじゃ。茜のしたいように、すればよかろう」

「っ……し、シロ……」


 わらわの囁きに、茜はただでさえ赤かった顔を耳まで真っ赤にして、ただしく茜色のようになってただわらわの名を呼んだ。


 茜がつけた、シンプルな、誰でも思いつきそうなそのままの名前。だけどそんな名前が、わらわの名前なのだ。茜がくれた、茜だけの、わらわが茜の物である、その証拠。

 胸の中が茜への思いでいっぱいになる。わらわの全てを、茜のものにしてほしい。全部所有して、離さないでほしい。


 胸からあふれる思いのまま、だけどこの重い思いは口にせず、そっと目を閉じた。


「……ん」

「っ」


 茜はわらわの思いに応えるかのように、強く抱きしめてわらわを求めた。









 翌朝、目覚めるとすぐに茜と目が合った。その事実がまた、わらわの胸を熱くさせた。


「ごっ、ごめんなさい! ごめん、シロ、ほんと、ごめんね!」


 挨拶をするわらわに、茜は何故か真っ赤になって謝罪しだした。何をやっているのか。おかしくなってしまう。何を謝ることがあるのか。


「で、でも私、その、強引に」

「んんっ」


 そう尋ねると、強引にしてしまったからと、そんな無粋なことを言ってきた。

 確かにそれはまあ、わらわはちょっとばかり、そう言った知識に明るくない。特に現代においてどういったものが一般的なものなのかなど、わらわに知る由もない。

 だからこそ茜に任せるしかなく、まあ、びっくりしちゃったり? 茜に思わずストップをかけてしまったりしたが、茜も勢いづいたからか全然止まらなかったりした。


 強引と言えばもちろん強引なところはあったが、結果としてはもちろん、まあ、よかったと思うし? わらわには別に、茜に文句などない。

 と言うかびっくりはしたが、最中も嫌とは言っておらんし、そう言う夜のことを、日の高い素面の状態で言うのは、その、駄目じゃろ。


「そんなこと、わざわざ口に出さずともよい。……嫌なら、そう言うておる。別に、子供ではないのじゃから、こう言うこともあるじゃろ」


 そう言うと、茜はびっくりしながらもまたしてもいいのかと聞いてきた。いやだから、そ、そう言うことまで口にだすことではないじゃろ!

 どうしてそう言うところまでまっすぐなんじゃ。……そう言うところが、好きなんじゃけどもぉ。ちとデリカシーと言うものが足りないんじゃ。全く。

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