第十四話 墜落

 狼の姿を見た立珂はがたがたと震えていた。

 けれど薄珂にとってはさして恐ろしい事ではなかった。涎を垂らした狼なんて、以前住んでいた森でもよく遭遇したからだ。


(野生だな。獣人は人間なんて食わないし罠を仕掛けて安全な戦法を取る。こんな程度なら大したことないけど立珂は……)


 立珂は恐怖で身を縮こまらせていた。震えながらしっかりと薄珂の服を握りしめている。


(立珂は狩りを知らない。これは怖いだろう)


 立珂は動けなかった分経験が少ない。こういった脅威からは徹底的に守ってきたし、命を狙われ逃げ出したのはつい最近のことだ。

 自分を狙うものに恐怖を覚えるのは至極当然だろう。

 立珂はぼろりと大きな涙を流し震え続け、薄珂は抱きしめぽんぽんと軽く背を叩いてやる。


「大丈夫だ。この狭さには入って来れない。あいつ殺して飛んで逃げよう」

「でも誰かに公佗児見られちゃうよ」

「正体隠して死ぬわけにいかないよ。ちょっと怖いかもしれないけど頑張れるか?」

「……ん! 頑張る!」

「よし。じゃあ準備しよう。落ちて来たとこに戻るぞ」


 薄珂は腕の中にすっぽりと立珂を隠すように抱き上げると、落ちて来た場所へと戻った。目的は落石で壊れた梯子の板だ。


「これで鎧作るぞ。立珂に巻き付けて爪が刺さらないようにしよう」


 薄珂は獣化に備えて着ていた服を全て脱ぐと、それを立珂の上半身に巻き付けた。その上に梯子の板と、梯子を吊っていたであろう縄を使って立珂に巻き付けていく。腕と脚にも板を括りつけると、簡易的な鎧が完成した。

 残しておいた大きめの板を手に取ると、狼の待ち受ける出口へ目線を向ける。


「これをあいつの口に突っ込んで押し出しながら獣化する。殺したら一回鳴くから出て来てくれ。態勢は」

「薄珂が掴みやすいように丸くなる! 頭隠してぎゅー!」

「そうだ。俺は多少怪我すると思うけど落ち着いて。慌てて混乱しないようにな」

「分かった! 落ち着いてぎゅーしてる!」


 立珂はぱっと頭を抱えて口を固く結んだ。二人で警戒しながら出口へ向かうとまだ狼が陣取っている。二人を見つけると耳をつんざくような声で鳴き、立珂は再び怯えたが薄珂は板を両手で構えた。


「俺が鳴いたら出て来るんだぞ。森で訓練してたのと同じだ」

「うん! きーってしたら丸まってぎゅー!」

「ああ。じゃあここで待っててくれ」


 薄珂はぎゅっと立珂を一度抱きしめると狼に向き合った。

 狼は愚かにも大口を開けて食いつこうとしている。だが顔を振り回すのがやっとのようで、それを確認すると薄珂はその口に思い切り木の板を突っ込んだ。


(そんなに頭は良くなさそうだ。それに軽い!)


 少しずつ獣化しながら全体重をかけ、外へと押し出した時にはちょうど公佗児へ姿が変わっていた。狼を爪で引っかけ引き裂くと狼は叫び、それを遠くへ放り投げるとぐったりと動かなくなっていた。

 そして薄珂は、きぃ、と鳴き声をあげた。すると立珂がもぞもぞと洞穴から出て来て、いつも通りに身体を丸めて待機してくれる。


(父さんの訓練の成果だな。このまま薫衣草畑まで行けば――っ!)

 安心して気が抜けると、唐突に聞き覚えのある音がした。があん、と何かが破裂したような音だ。

(銃!? 人間がいるのか! くそっ!)


 それは二か月ばかり前に薄珂の耳を掠めた銃撃と同じ音だった。

 一発、二発、三発と乱射する音がして、ついに薄珂の肩をかすめた。羽根がばらばらと何枚も散り、痛烈な衝撃に、きぃ、と鳴き声をあげてしまう。


(風切り羽を落とされたらまずい。小さいから当て難いだろうけど、俺は元々機動性が悪い。これ以上撃たれたら真っ直ぐ飛べなくなる……)


 だが羽ばたくたびに痛みが強く走り、態勢を保てず高度が下がっていく。血と共に抜ける羽根の多さは怪我の大きさを物語っていた。

 けれど薄珂の爪の中には立珂がいる。多少痛いくらいで諦めるわけにはいかない。

 薄珂は何も近づけないよう痛みをこらえて全力で羽ばたき、風圧が勝ったのか次第に銃声はしなくなっていった。

 そしてようやく視界の開けた崖の縁へと降りた。公佗児の巨体で逃げるより、人間の姿で隠れながら移動する方が森育ちの薄珂と立珂は得意なのだ。

 薄珂は人間の姿になろうとしたが、途端に視界がぐらりと揺れた。肩がしびれて羽を人間の腕にすることもできない。


(ただの銃じゃない……薬か何かだ……!)


 薄珂の肩はどんどん動かなくなっていった。羽ばたこうとしても動いてくれない。それどころか目が霞んで立珂の様子を見る事もできない。

 その時、遠くで薄珂と立珂を呼ぶ声がした。それも一人ではなく大勢だ。


(この声……おじさん……?)


 きっと慶都が呼んできてくれたのだろう。それならもう大丈夫だろうと気が抜けると、途端にぐらりと脳が揺れたような眩暈に襲われた。


(お願い……立珂を、立珂を……)


 薄珂の視界はどんどん不明瞭になっていくが、見知った顔が来る前に茂みが大きく揺れた。

 誰かいる。

 これが味方か狙撃手か、飛んで逃げようにも身体はちっとも動かない。

 なけなしの力でできたのは立珂を隠すために羽を丸めることだけで、誰かの影が落ちて来たと同時に薄珂の意識は途絶えた。

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