第十三話 野生の危機

 今日も起きると腕の中に立珂はいなかった。

 着替えもせず床にぺたりと座っていて、生地を広げて何かを作っている。薄珂も身を起こし布団から出るが、立珂はそれにすら気付かないようだった。


「立珂。おは」

「できたあ!」

「おわっ」


 声を掛けようと手を伸ばしたが、触れるより早くに立珂は両手を振り上げた。避けるように背を逸らすと、ようやく立珂は気付いてくれる。


「あ、おはよう薄珂! これ見て! お揃いのくんくん袋できた!」


 立珂の小さな手には片手で握れる程度の紐付きの袋が握りしめられていた。黄色と赤の二色だ。紐を緩めて中を見るとぎっしりと薫衣草が詰め込まれている。寝る時に話していた薫衣草を入れる袋だ。

 慶都の母に頼むかと思っていたが自分で完成させたようだった。


「綺麗にできてるじゃないか! お裁縫も完璧にできるようになったのか!」

「えへん! 僕のは藍色。薄珂のは茜色だよ!」


 立珂は黄色い袋に付いている長い紐を首から掛けると、赤い袋を薄珂の首に掛けてくれる。ふわりと薫衣草の良い香りが漂ってきて、吸い寄せられるように立珂は袋に鼻をすり寄せた。


「くんくん」

「立珂のくんくん可愛くて大好きだ」

「くんくん! くんくん!」


 立珂は笑顔でぎゅうぎゅうと薄珂に抱きついて、薫衣草の袋ごと頬ずりしてくれる。頭を撫でてやるとさらに嬉しそうな顔をして、今度はその手に頬ずりをした。

 特別薫衣草を良い香りとは思わないが、立珂が抱き着いてくれる理由が増えただけで価値ある花だった。


「慶都にも見せよう。着替えられるか?」

「うん! くんくん袋と共布の服にする!」

「同じ生地の服だな」


 棚から同じ生地の服を取り出し一人で着替え始めた。

 前までは薄珂がやっていたが今はもう一人でできる。少し寂しいが、これを眺めるのが新しい幸せでもある。一生懸命体を捩る姿は愛おしい。


「お着換えおーわり! お洒落でーきた!」

「立珂は青色が似合うな。今日も可愛いぞ」

「薄珂もお着換えだよ。お揃いの赤にしようよ」

「もちろんだ。俺は立珂とお揃いじゃなきゃ嫌だ」

「僕もだよ! お揃いじゃなきゃ駄目だよ!」


 いそいそと薄珂は着替え、終えると立珂は両手を広げていたのでいつも通り抱きあげる。居間へ行くと、慶都も長老から本を借りたようで真剣に読んでいた。


(意外と慶都は真面目なんだよな。立珂が寝ている時は勉強してるし)


 人里であれば学舎に通うらしいが、里にはそういった施設がないので親が教えるしかない。それでも前までは勉強時間が決まっていたらしいが、今は立珂に合わせてくれているそうだ。

 立珂を見つけた慶都は飛び跳ねるようにしてこちらへ近づいて来た。


「立珂おはよう!」

「おはよう! 見て! くんくん袋作ったの!」


 くんくん袋と言われて慶都は何の事か分からなかったようだが、立珂はぼふっと薫衣草の匂い袋を慶都の顔に押し付けた。


「あ、薫衣草の匂いだ。袋にいれちゃったのか?」

「うん。ずっとくんくんできるから」

「えー! 花持ってる立珂も可愛いかったのに!」

「んふふ~。この方が服汚れないからいいの」


 立珂は薫衣草袋に頬ずりをするが、慶都はどこか不満げだ。慶都もお洒落談義はできないようで、袋が増えるよりも花で彩られた立珂の方が好ましい気持ちは薄珂にもよく分かる。

 じゃれる二人を眺めていると、やけに静かなことに気が付いた。慶都の両親の姿が無い。


「慶都。おじさんとおばさんは?」

「かーちゃん広場でおしゃべりしてる。とーちゃんは金剛と自警団の集まりに行った」

「え? おじさんて自警団だったの?」

「違うけど鳥が必要な時はとーちゃんが行くし」

「ああそっか」

「ずるいよな。俺には獣化するなって言うくせに」

「慶都は何だってそんな鷹になりたいんだ?」

「当たり前じゃないか。元々鷹なんだから」


 慶都は口を尖らせたが薄珂にはよく分からなかった。

 獣種は違うが薄珂も鳥獣人だ。けれど公佗児になりたいと思うことなどないし、耐えられないなんてこともない。しかし里では獣の姿で過ごす者もいる。人間の姿になるのは必要な時だけで、基本的には獣の姿でいたいらしい。


(俺は人間の方が楽だけどな。立珂を抱っこしたいし)


 薄珂は有翼人について詳しくないが、よくよく考えれば自分以外の獣人にも詳しくない。父は人間だったから何かを学ばせてもらえたわけでもない。特に困っているわけではないが、同じ鳥獣人同士でこうも違うというのは何とも言えない気持ち悪さを覚えた。

 しかしそんな感覚はすぐに吹き飛んだ。くいくいと立珂が服を引っ張っていて、見ればまん丸の眼を大きく見開き微笑んでいる。


「薫衣草生えてるとこ行きたい!」

「湖の方だっけ。俺達だけで行って平気かな」

「大丈夫だ。俺も一人でよく行くし」

「そうなんだ。じゃあ行ってみるか」

「水でびちゃびちゃするから車椅子止めた方が良いと思うぞ。錆びるし」

「大丈夫だ。抱っこするから」

「ぎゅー!」

「ぎゅーだ」


 抱っこと言ったら立珂ががばっと抱き着いてきた。車椅子を貰ってからというもの抱っこする機会は減ってしまった。嬉しくもあり寂しくもあり、だが立珂も同じだったのか抱っこを以前よりも強く喜ぶようになっている。

 そして羽を結って家を出ると、慶都がこっちだ道案内をしてくれて迷うことなく到着した。


「わああ! くんくんがいっぱい!」

「薫衣草だぞ立珂。一面紫って凄いな」


 茂みに少し生えているようなものかと思っていたが、想像以上に凄まじい群生ぶりだった。両手いっぱいに摘む程度でこの景色は変わらないだろう。

 薫衣草畑の中に降ろすと、立珂はばふっと薫衣草に身体を埋めた。


「いいかおり~! くんくんする~!」

「これからはここで遊ぼうか。弁当でも持って」

「腸詰! 辛い腸詰! お洒落な布で包む!」


 それから数分経ったが、立珂は何をするでもなく薫衣草に埋もれてくんくんして花を弄るだけだった。慶都とはしゃぎまわることが多いけれど、今日は珍しく二人供じっとしている。

 次第に二人はとろとろと眠り始め、あっという間にお昼寝時間へ突入した。


(毎日遊びすぎて疲れたのかな。車椅子とお洒落のおかげだ)


 薄珂は微睡み幸せを噛みしめた。眠っている姿を眺める事が幸せで、いつまで見ていても見飽きない。

 そうしていると夕日が降りてきた。

 数時間何もせず眠る二人を見つめていたがあっという間で、そろそろ帰ろうかと思った時にふと身体がぐらりと揺れた。次第に揺れは大きくなっていった。木々は目で見て分かるほどに揺れていて、ついには体を起こしていられないほど大きく揺れた。


「地震か! 二人供起きろ! 家戻るぞ!」


 薄珂は慌てて立珂を抱きしめ、急いで立珂と慶都を起こす。

 二人はまだうとうとしていたが、目を覚ますのをのんびり待っている場合ではない。


「慶都起きろ! 獣化して安全な道を確認してくれ!」

「獣化!? する!」


 慶都は言うや否や笑顔でぴょんと跳ね上がり、服を脱ぎ捨て瞬時に鷹へと姿を変えた。

 だがその時だった。再び大きな揺れがした。


「立珂! しっかり捕まってろ! ぎゅーするんだ!」

「んにゃっ! ぎゅー!」


 先程よりも大きくとても立っていられず薄珂は膝を付いた。

 立珂の頭を隠すようにぎゅっと抱きしめ揺れが収まるのを待つが、立珂は腕の中でぷるぷると震えている。

 大丈夫だと言ってやろうと思ったが、どこからかがらりと岩が落ちていくような音が聴こえた。そしてそれが何だか分かる前に、どんっと大きな音がして足元が崩れた。


「しまっ」


 目の前に細かな落石が降ってくる。がんっと背中が岩にぶつかり、落ちているのだと気付いたころには薫衣草も慶都の姿も見えなくなっていた。

 岩や石がぶつかり全身に傷みが走る。それでも立珂は手放すまいときつく抱きしめて、少ししたらようやく身体が地に着いた。


「立珂、無事か。怪我無いか? 痛いとこ無いか?」

「うん。大丈夫」

「よかった。まだぎゅーしててくれ」

「ぎゅー」

「そうだ。ぎゅーだ」


 立珂はきゅっと目を瞑り抱き着いてくれた。抱きつく力強さは怪我もしていない証拠だ。

 辺りを見回すと、落ちた拍子に引っ掛けたのか立珂の羽根が何枚も抜け落ちている。頭上からぱらぱら砂が落ちて来るが光は差し込んでいて、穴に落ちたことが分かった。地震で陥没したと思われたが妙にも思えた。

 壁をなぞると滑らかな土壁だった。長方形に切られた木の板が幾つも落ちていて、どうやら梯子が壊れたようだ。

 それに入り口が狭い割に中は立って歩ける程度の高さがある。まるで侵入を防ぎつつ逃げるための通路に思えて、森で父の作っていた避難用の洞穴を思い出させた。


(里の避難場所かな。それにしては備蓄品が無いけど)


 父は避難場所でも数日過ごせるよう食べ物と水を置いていた。普段はそこから食べる事で腐らず随時入れ替え、避難後も最低限の生活ができるよう保たれていた。

 だがここにはその準備が無い。ではこの不自然な空間は一体何なのだろう。

 えも言われぬ不安を覚えたが、震える立珂にそんな話を聞かせるわけにはいかない。


「外に出る所を探そう。この狭さじゃ公佗児になれない」

「慶都が金剛を呼んでくれるよ」

「ああ。だから見える所にいよう。しっかりぎゅーしてるんだぞ」


 薄珂は動きやすいよう立珂の羽を結い、抱き上げ洞窟の中を歩き始めた。一本道で迷いようはないが薄暗いだけで不安を煽られる。

 立珂も同じなのか、薄珂にしがみ付いたまま顔を上げようとしない。震える小さな背をとんとんと叩いて笑顔を見せてやる。


「戻ったらお着換えだな。破れちゃったし新しいの作ってくれるか?」

「うん。伽耶さんがいっぱい生地くれたんだ」

「綺麗なやつだな。あ、ちゃんとお揃いにしてくれよ」

「もちろんだよ。お揃いだよ」


 立珂は少しだけ笑顔になり、ぐりぐりと薄珂の肩に顔を埋めて頬ずりをした。明るい話をしながら歩こと思ったが、そんな事は許さないとでも言うかのように唸り声が聴こえてきた。

 立珂はびくっと震えていっそう強くしがみついてくる。


(何かいるな。この気配、獣か)


 薄珂は前方からの襲撃に備え、壁を背にして立珂を降ろすと背に庇って立った。

 じりじりと壁伝いに歩を進めると少しずつ光が見え始めたが、同時にぐるるという呻き声も大きくなっていく。近付いて来る気配はないが、がりがりと岩を引っ掻くような音がする。

 いよいよ光の隙間に森の木々が見えてきたが辿り着く事はできなかった。洞窟の出口にうめき声の主が陣取っているからだ。


「こんなのが里の近くにいたのか。自警団見落としたのかな」


 声の主は黒い毛並みの狼だった。四つん這いで大きな牙を剥きだしにしている。狼は立珂と同じくらいの体躯だが、幸いにも出入り口の穴は洞窟内部の高さに比べると低かったので入ってこれないようだった。


(野生にしては太ってるし毛艶も良い。里の食料をくすねてたのかな)


 狼が涎を垂らしぎらぎらと牙を剥いている姿は恐ろしい。

 鋭く光る眼は薄珂と立珂を捉えていて、立珂が恐れで大きく息を吸い込むのが聴こえた。

「立珂。壁から背中離すなよ」

「うん……」

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