第六話 蛍宮

 車椅子を貰い、夕方には自由に扱えるようになっていた。手の力は必要で今の立珂では少し大変なようだったが、それもまた嬉しいようだった。立珂は必死に車輪を回し、向かった先は孔雀の診療所だ。子供だけでは危ないからと金剛も付いて来てくれている。


「せんせー! 孔雀せんせー!」


 診療所に到着して扉を叩くと、孔雀はすぐに出て来て立珂を撫でた。


「どうですか、車椅子は」

「すっごく凄いよ! 有難う先生!」

「喜んでもらえてよかったです」


 立珂は孔雀の手に頬ずりをして嬉しそうに笑った。どれだけ自由に動けるかを見せるため、必死に車輪を回して動き回る。慶都は行先の目印として立ち、辿り着くたびに立珂と慶都は抱き合った。子供たちの無邪気な姿は孔雀も幸せに感じてくれたようだった。


「先生、本当に有難う。あんな嬉しそうな立珂初めてだよ」

「いえいえ。私は提案しただけですから。それで、二人に聞きたいことがあるんです。少し中にいいですか? 辛い腸詰もあるので夕飯がてら」

「うん。立珂ー! 辛い腸詰あるってー!」

「食べるぅ! 辛いの大好き!」


 立珂を車椅子から抱き上げ診療所に入り、さらに奥の孔雀の部屋に入った。孔雀は立珂待望の辛い腸詰を焼いてくれて、机に並べられると立珂はすぐに頬張った。もぐもぐと嬉しそうに頬張る様子は全員を笑顔にする。


「美味しいですか?」

「美味しい! お洒落と同じくらい好き!」

「それはよかった。二人に聞きたいのはそれなんです」

「腸詰ならいくらでも食べれるよ」

「健康で良いですね。でも今回お話したいのは腸詰をためにする事です。実は明日からまた少し出かけるんですが」


 孔雀は机から紙を二枚取り出し、薄珂と立珂の前に一枚ずつ差し出してきた。そこには色々な文字が並んでいるが、見たことも無い物に二人は揃って首を傾げた。


「う?」

「何これ」

蛍宮けいきゅうという国の入国審査書類です。私がいつも買い出しに行く街なんですが、入国に許可証が必要なんです。二人も取りませんか?」

「何で? 行く予定ないよ」

「念のためです。いざという時の避難場所になりますから。里の皆も取ってます」

「……でも人間いるんでしょ」


 立珂は大好きな腸詰を置き、しょんぼりと俯き薄珂の袖を弱々しく握った。この数日で笑顔は各段に増えていたが、人間に襲われたのは遠くない記憶だ。

 里で落ち着いてからは、襲われた事も父の話もしないようにしていた。どう言っても辛い想いにしかならないからだ。それに腸詰とお洒落という幸せを見つけ、健康にもなり驚くほど元気になった。

 父を忘れては欲しくないが、今は立珂が笑顔で生きる事が大事だ。思い出すことで苦しむなら、今まだ考えさせたくなかった。

 立珂を抱き上げ膝に乗せると離れたくないとばかりにしがみ付いてくる。この話はもう止めて欲しいと視線で訴えるが、孔雀はそっと立珂の頭を撫でた。


「怖がらせてすみません。でも大丈夫です。蛍宮は全種族平等の国なんですよ」


 孔雀は落ち着かせようと撫で続けてくれるが立珂は動こうとしない。しかし薄珂は一つの単語が気にかかった。


(全種族平等って《いんくぉん》もだよな。同じ方針なら近いかもしれない)


 孔雀は薄珂の様子をうかがうように返事を待ってくれているが、沈黙を破ったのは孔雀ではなく背後から現れた天藍だった。


「蛍宮を知らないなんて、さてはお前ら世界のこと全然知らないな」


 天藍は孔雀の本棚から大判の本を一冊取り出し広げた。本には何かの図が描かれている。


「世界地図だ。見たことは?」

「ない。こういう形してるの?」

「ざっくりな。この世界は大きく五つに分かれる。東西南北、そして中央。北の明恭めいきょうと南の華理ほぁりいが二大勢力だ」


 とんっと、天藍は上部を指差した。そこには『明恭』と書かれている。


「明恭は軍事国家だ。全ての順列が武力で決まる。種族の境は無しとしてるが、実際は武力で勝る肉食獣人優位だ。極寒で凍死者が多い。次に南の華理。迫害は無いが全て人間基準だ。全てにおいて種族の得手不得手が加味されない。例えば有翼人は背に荷物を背負う仕事はできないが人間と同じ成果を求める。努力という面でかなり不平等だ」

「……ふうん」

「次に東西。ここはよく分かってない。距離が遠すぎて遠征がままならないんだ。噂じゃ西は有翼人を神の子として崇めるそうだ。天使という想像上の生き物がいて、子供の背に純白の羽根が生えてるらしい。有翼人はその遣いだとかなんとか」

「何それ。東もそうなの?」

「いや。東は今最も危険視されてる地区だ。人間優位で獣人と有翼人を嫌う。排他的で、その手段は虐殺と言っていい。弱者の有翼人は標的にされやすいからどんどん他国へ移住してる。その移住先に選ばれるのが全種族平等の蛍宮だ」


 天藍は真ん中を指差した。地図上ではとても小さな島国のように見える。


「蛍宮は獣人国家だったが、五年前に先代皇宋睿そうるいが倒れ、その後を現皇太晧月こうげつが跡を継いだ。だがこいつは全種族平等を掲げてる。この里はこれの南ら辺だ」

 国がどうこういう話はよく分からなかったが、全種族平等という言葉だけは気にかかった。蛍宮の他にもいくつか文字が並んでいるがどれも見たことが無い。


(どれかが『いんくぉん』なのかも。しまったな。文字の勉強しとけばよかった)


 薄珂と立珂は文字の読み書きができない。

 自分たちの名前くらいは書けるが、家族三人だけでは文字による交流を必要としなかったのだ。薄珂は必死に文字へ目をやるが読める文字は一つもない。

 悔しさで軽く唇を噛みしめたが、不思議そうに瞬きをしていた慶都がつんっと地図を突いた。突いた先の文字は『蛍宮』だ。


「これ《いんくぉん》じゃなかったっけ」


 慶都の口から飛び出た言葉に、薄珂と立珂は同時に慶都を見つめた。何故視線を向けられたのか分かっていない慶都は、ただ立珂と目が合ったことが嬉しいのかにかっと笑う。


「慶都。今なんて言った?」

「国の名前だよ。これ《いんくぉん》だぞ」

「よく知ってるな。古い呼び名だぞ」

「長老様に教えて貰った」

「なるほど。それは宋睿時代の読みだ。晧月に変わり《けいきゅう》に変わった」

「へー。なんで? ややこしいじゃん」

「ここは事情が複雑なんだ。まず晧月は皇族の血筋じゃない。宋睿の悪政に耐え兼ね有志による解放軍が立ったんだが、この盟主が晧月だ」


 天藍は紙と筆を取り出しさらさらと文字を書いた。書いてあるのは『晧月』という文字で、薄珂には読めなかった。


「《こうげつ》は東の読み。この辺じゃ《はおゆえ》になる。同じ文字だが国によって読みが変わるんだ。こいつは親が東出身だったんだろうな。で、悪政から救済された国民は晧月に倣い東の読みを用いるようになり、国の読みも《けいきゅう》と改められた。だからこの辺りは文字の読みが混在してるんだ」


 しがみついている立珂の指先に少しだけ力が入ったのが分かった。薄珂はぽんぽんと軽く背を叩いてやるが、視線は蛍宮の文字へ向けられている。薄珂も地図を見つめるが、ふうん、と声を上げたのはここまで無言だった金剛だ。


「蛍宮は好かん。だから俺は入国しての買い物は先生に任せてる」

「そうなの? 何で?」

「怪しいからだよ。有翼人狩りだの公佗児獣人の虐殺だのと血生臭くてどうもな」


 金剛の口から出た言葉に薄珂と立珂はぶるりと震えて抱き合った。


(何で公佗児が出て来るんだ。それも限定して)


 薄珂は固まり、立珂はぷるぷると震えた。言葉が出ただけでどうなるものでもないが、それでも心穏やかではいられない。しかし明らかに怯えた様子の立珂を見て、孔雀は諫めるように金剛を睨み付けた。金剛はしまったというかのように口を押さえている。


「大丈夫ですよ。何年も前の話です」

「……公佗児獣人て何?」

「獣種だ。巨大な羽で空を割き神速で駆け抜ける。鋭い爪は岩をも切り裂き大きな嘴で万物を食いつくす。鳥獣人の中で最強を謳われる希少種だ」

「それが蛍宮にいたの?」

「ああ。先々代皇は公佗児獣人の強襲で死んだんだよ。目を血走らせ狂ったように鳴き叫び、多くの国民が風圧で死に至ったと」

「団長。子供の前で止めて下さい」


 孔雀は再びぎろりと睨み金剛は慌てて立珂を撫でた。しかし立珂はさらに強く薄珂にしがみ付きぐりぐりと額をこすり付けてくる。

 金剛は全員から鋭い視線を向けられ口籠った。


「まあなんだ。先々代皇がご存命なら宋睿の悪政も無かったろうに。惜しいこった」

「宋睿はそんなに悪い人だったの?」

「良くはなかったな。獣人以外を弾圧するための国政を増やして極めつけが有翼人狩」

「団長」

「え? あ、ああ、いや……」


 孔雀の切り付るような鋭い目つきに金剛は巨体を丸めて口を一文字に固く結んだ。

 孔雀は無言で圧力をかけるように目を細めると、蛍宮への入国申請書類を突き付けた。


「団長もそろそろ許可証を取って下さい。毎回私一人で買い出しは疲れます」

「いらん。あんな国に管理されるのはごめんだ」

「便利に使えば良いだけですよ。二人に安全な国だと教えるためにもご署名を」


 孔雀は顔を上げない立珂に視線をやり、再び金剛に視線を戻してぎろりと睨む。金剛はしぶしぶ名前を書き、詫びるように立珂の頭を撫でた。

 けれど立珂はいつもの笑顔は見せてくれない。見かねたように天藍は立ち上がり、首に下げていた細い革紐を引っ張った。紐には銀色の小さな円盤が付いていて花のような模様が掘られている。


「立珂見てみろ。これが許可証だ」


 許可証などという立派な物には見えなくて薄珂は首を傾げた。だが、立珂はきらりと目を輝かせて飛び上がる。


「首飾りだ! きらきら!」

「綺麗だろう。欲しいか?」

「ほしい! とってもお洒落!」

「こんな物も立珂にかかればお洒落になる。申請すると貰えるがどうだ」

「する! しんせいする!」

「よしよし。先生、申請しとけ」

「分かりました。申請が通ったら首飾りが貰えますからね」

「わあい! 合う服選ぶ! 黒が格好良いかも! 耳飾りと揃えたいな。でも銀にも色々あるんだよね」


 立珂はすっかり笑顔を取り戻しお洒落談義を始めた。天藍は服や生地、装飾品も並べてくれて立珂はどんどん笑顔に戻っていく。

 金剛も安心したように目じりを下げてすっかり穏やかな光景だ。

 けれど薄珂は天藍の持っている証明書の首飾りから目が離せなかった。だが気になる理由は立珂とは全く違う。


(そうだ。天藍は怪我が治ったら帰るんだ。いなくなるんだ……)


 天藍は里に家を持っているわけでは無い。便利な物を教えて回る商人だと言っていた。

 有翼人用の服だけでも薄珂と立珂には衝撃で、車椅子は奇跡のようだった。あんな便利で快適な生活を知っているのなら、こんな不便な里で暮らしたいとは思わないだろう。

 どくどくと心臓が大きくなり始めたが、ずいっと立珂が顔を覗き込んで来る。


「薄珂どうしたの? どっか痛い?」

「立珂を首飾りに取られて悔しかったんだ。俺にも選んでくれよ」

「もちろんだよ! 薄珂は僕とお揃い!」


 薄珂は顔を見られないように立珂をぎゅっと抱きしめて、その温かさで震える心を落ち着かせるのに必死だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る