第五話 車椅子
立珂の着ている服は上下に分かれている。
上の丈は腰骨まである。下は大きな布を巻いているだけのようで、足を上げたら捲れて床に垂れた。しかし下はさらに服があり皺くちゃになっている。
「寝間着じゃないか!」
「そうなの! お着替えじゃないの! 隠したの! 見ててね!」
立珂は着替えた方法を説明しようと、腰布の釦を外すと寝台へ広げてその上にころりと転がった。
「これで腰の釦を止めるの。転がるだけで良いんだよ!」
「脱げないなら脱がなきゃいいって事か」
「まだだよ! 腰布が捲れたら寝間着見えちゃうからくっつけるの!」
立珂は腰布の裾を持ち上げて、下の布の外側と上の布の内側にある釦を止めた。
「凄い! 筒みたいになった!」
「でも釦は奥にあるから裾がひらひらするんだよ。筒はお洒落じゃないから嫌なの」
「ああ。固定してるようには見えない。けどこんなの天藍がくれた中にあったっけ」
「これは僕が作ったの。天藍が生地くれたからおばさんに釦の付け方教えてもらった」
「え? 自分で考えたのか?」
「うん! らくちんで新しいお洒落だよ!」
「凄いじゃないか! 天才だ! 立珂はお洒落の天才だ!」
「えへへ~。普通は上から下まで一つの服なんだけど、上下に分けて裾に模様を付ければお洒落だと思うんだ。お腹と背中は白い生地だけど、裾と襟だけ地模様の生地だとまとまりが良いの。上だけ豪華な生地でも良いと思うんだ。下は模様無しで大きな刺繍だけ入れるのも素敵だよきっと」
立珂は突然饒舌に語り始めた。お洒落に興味を持って生きてこなかった薄珂には呪文のようで、ぽかんと口を開けて首を傾げた。
「難しいな。いつの間に勉強したんだ?」
「う? してないよ。ただその方がお洒落だと思って」
「自分で考えたってことか?」
「うん。だってお洒落だもの!」
立珂はえへんと誇らしげに、幸せいっぱいといったように微笑んだ。
服は間違いなく誇って良い仕上がりだ。里の大人だってこんなに凝っていない。根拠を持ってお洒落する才能にぶるりと震え、薄珂は飛びつくように立珂を抱きしめた。
「凄いじゃないか! 立珂は可愛いだけじゃないんだな! 凄いぞ立珂!」
「えへへ~! もっとお裁縫おぼえたいな。僕だけの服がいっぱい作れるもの」
「おばさんに聞いてみよう」
「うん! 切り替えしで生地を替えたいんだ。質感が違う生地もあるといいな。厚みがあれば怪我しないようになるし」
「それはお洒落じゃないよな」
「お洒落にやるの。便利でお洒落じゃないと駄目なんだよ。過ごしやすさが大事だよ」
立珂が当然のように語る内容は考えの及ばないことばかりだった。未知の教本を音読されているようで頭が付いていかない。
発明家のような立珂に感動していると、こんこんと扉を叩く音がした。
「二人とも、起きてますか」
「んにゃ?」
「そうだ。俺たちだけじゃないんだった」
扉の向こうから聞こえてきたのは男の声だった。家族以外と暮らしたことのない薄珂と立珂は起きてすぐお互い以外の誰かに挨拶をすることは無かった。
だがここには慶都一家がいる。起きたら挨拶をするべきで、薄珂は慌てて扉を開ける。
扉の向こう側にいたのは慶都の父、慶真だった。慶都は父親似のようで面立ちがよく似ている。
慶真は薄珂の父親と同じく『父親』という立場だが雰囲気が全く違う。父は身体が大きく筋肉があり、系統で言えば戦闘ごとに強い金剛の方が似ている。身体一つで何でもこなし、知力より武力といったところだ。しかし慶真はふわりと柔らかな印象で、学者のような知的な印象は孔雀と似ていた。
「おはよう、おじさん」
「おはようございます。起きてこないので心配しましたよ」
「二人だけじゃないの忘れてて。ごめん」
「これから慣れていきましょうね。それより居間に行きませんか。良い物があるんです」
「腸詰!? お洒落!?」
「それもありますが、もっと良い物です。慶都も待ちくたびれてるので行きましょう」
「うん。おいで立珂。ぎゅーだ」
「はあい! ぎゅー!」
いつものように立珂を抱き上げ居間へ行くと、慶都と慶都の母は当然だが、金剛と、何故か天藍もいた。
「立珂おはよう! 待ってたぞ!」
「おはよう慶都! お洒落してたんだ!」
慶都は駆け足で寄って来て、立珂の手をぎゅうっと握った。期待に満ちた笑顔は立珂が大好きだと叫んでいるようで、引っ張られるがままに立珂を長椅子に座らせてやった。
しかしその向かい側には天藍もいて、目が合うと口付けされた事が恥ずかしくて目を逸らす。だが天藍は余裕な顔で寛いでいる。
それが何だか悔しくて唇が自然に尖った。
「よく眠れたみたいだな。俺程度じゃ立珂の癒しには勝てないか」
「立珂に勝てる奴なんていないよ。何しに来たの?」
「喜ばせに。立珂の笑顔が元気の源だろ?」
「喜べ立珂! 天藍がすごいのくれたぞ!」
「う!? お洒落!? 腸詰!?」
「立珂はそればっかりだな。今日は違うぞ」
天藍は立ち上がりながら金剛に目配せすると、金剛の背に隠れていた物を前に出した。
それは肘置きの付いたゆったりとした椅子に大きな車輪がついていた。服に引き続き薄珂と立珂は見た事がなく、揃ってこてんと首を傾げる。
「う? 椅子? 輪っか?」
「変な形してるな。これ何なの?」
「使えば分かる。立珂が座って薄珂は後ろの持ち手を握れ」
金剛は軽々と立珂を抱き上げると車輪の付いた椅子に座らせた。床に広がる羽は椅子の後ろに取り付けてある籠に収納する。椅子の後ろに立つと二本の取っ手を握った。
「それで薄珂が押すんだ。やってみろ」
「このまま? 立珂落ちない?」
「落ちないよ。いいから押してみろ」
「うん……?」
薄珂は恐る恐る車輪付きの椅子を押した。するとほんの少しだけ椅子が前に進むが、薄珂と立珂は何が起きたか分からずじいっと椅子を睨んだ。
「床が動いてる……」
「違う……立珂が動いてるんだ……」
「僕は動いてないよ……」
「立珂だよ。立珂が椅子ごと動いてるんだ……」
「今度は立珂が自分で動かしてみろ。車輪に付いてる輪っかを前に押すんだ。薄珂のとこまで行ってみろ」
立珂は、ん、と手に力を入れて輪っかを回す。するとすいすいと前に進み、あっという間に薄珂の元へと辿り着いた。いつもなら床を這って羽を引きずり、躓きながら数分かかる距離を数秒でだ。
薄珂は目の前にやって来た立珂が本当に立珂なのか確かめるように手を伸ばした。顔を包むようにぺたりと頬に触れると、そこには温かい立珂の体温がある。
「凄いぞ! 一人で動けるじゃないか!」
「うん! うん! 僕動けたよ!」
「こいつは人間の作った医療用の椅子で、車椅子という。羽に困る有翼人へ配りたいって人間と獣人が協力して量産を急いでるんだ」
「人間と獣人が有翼人のために……?」
「そうだ。有翼人は迫害されるが、助けたいと考える奴もいる。少なくともこの里はな」
ん、と天藍は玄関扉の方を見るよう目線で促した。その視線の先にいたのは長老と、里の大人達だった。
「車椅子を使おうってのは孔雀先生が考えてたんだ。けどそうそう売ってるもんじゃないし構造が分からないから作ることもできない。が、俺はこれを知っててな」
「わざわざ作ってくれたの!?」
「手を動かしたのは里の大人達だ。何しろ金属を曲げたりなんなりしなきゃいけないが、俺にはできない」
「みんな作ってくれたの? 僕のために?」
長老はにこりと微笑むと立珂に歩み寄り、そっと手を撫でた。立珂は丸い目でぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「お前達は里の大切な子供だ。困る事があれば言いなさい。力になろう」
薄珂と立珂の眼にじわりと涙が浮かび、顔を見合わせてぎゅうっと抱き合った。慶真は父親のように頭を撫でてくれて、慶都は弟のように立珂にしがみついている。
「足場の悪いところは駄目ですよ。慣れるまでは大人と一緒に使うこと。まずは庭で練習しましょう」
「はいっ! お庭でやります!」
「やろう! 立珂! 俺が押してやる!」
慶都は笑顔で叫び父を連れて庭へと出た。薄珂も後を追い庭に出ると、立珂は車椅子で自由に動き回っていた。風にふわふわと髪が揺れている。いつも抱っこしているから外で立珂の髪が風になびくところは見たことが無い。腕の中に立珂がいないのは寂しかったけれど、日に当たる立珂の笑顔はそんな思いを弾き飛ばした。
(笑ってる。立珂はあんなに可愛く笑えたんだ)
立珂を自由にしてやりたいとずっと思っていた。
そうすればきっともっと笑ってくれるはずで、それを見るのが薄珂の夢だった。そしてその姿が今目の前にある。立珂は手足をばたつかせて大いにはしゃぎ、早くも汗をかいている。今までは汗をかきたくないからじっとしている事が多かったのに、今はそれも気にせず必死に身体を動かしている。
夢のような光景を呆然と見つめていると、急に天藍がぐいっと頬を拭うように指を滑らせてきた。昨日のこともあり、薄珂は思わず一歩引いた。
「な、なに。なにすんの」
「そんな警戒するなよ。泣いてるのに無視はできないだろ」
言われて頬を触ると水で濡れていた。ようやく自分が泣いていたことに気付き、薄珂は慌ててごしごしと目を擦って誤魔化すように立珂に視線をやった。天藍が小さく笑ったのが聴こえたが、それ以上は無くぽんぽんと頭を撫でてくれる。
「よかったな、味方が増えて」
天藍の言葉がじわりじわりと薄珂の身に広がっていく。一人で立珂を守っていた薄珂にとって、里の住人と絆ができたのはとても大きな変化だ。
「先生にもお礼言わなきゃ」
「あ、そうだ。先生がお前達に聞きたいことがあるとか言ってたぞ。一しきり遊んだら顔を出してくれ」
「分かっ――んにゅっ」
真面目に礼を言おうとしたが、何故か天藍はぷにっと薄珂の頬を突いてきた。
「何すんの! 何で触るの!」
「何となく」
天藍はくくっと笑うと立珂の元へ行き持って来た物を見せていた。服ではなく生地で、まるで立珂が自作したいと言い出すのを予想していたかのようだった。
夢中になる立珂を見れば、今すぐ帰れとは言えなかった。
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