32話 殺し合い

 ルイがアッシュの懐に入り込んだ。そこから騎士の剣を振り上げる。相手の胸元めがけて。

 アッシュの身体が見る間に離れて、左手で担いでいた大きな剣が目の前に入り込んできた。届かない、瞬時にそれを悟った。


 互いの剣がぶつかり合い、火花を散らせる。


 間髪入れずアッシュが腰を捻り、ルイの正面に足を取ばしてきた。

 ルイはそれをかがんで避けた。すぐに反撃を繰り出そうとするも、伸びていた足は素早く引っ込んで、変わりに相手の大きな剣先が飛んできた。


 ルイが相手の背後に回り込もうとする。だが、アッシュも大きな身体で背後を取らせまいと抵抗する。

 気圧されてルイが後ろに飛び退いた。


「安心したぞ。少しは動けるようになったようだな」


 アッシュが言った。

 ルイの頬を、一筋の汗が伝う。

 相手はやはり手練れだ。舞台の利が自らにあったとしても、そう易々と勝利できる相手ではないことを、改めて理解した。

 炎に取り囲まれた円形決闘場。

 狼族にとって戦い慣れた舞台なのは確かだ。自らの身体の小ささと身軽さで相手の隙を誘う。ルイの頭の中に勝つためのシナリオが流れるように入り込んでくる。どうして、狼族たちは地面に円を描き、その中で決まった立ち回りをするのか。


 父の声が、思い起こされた。


「来るべき魔女との戦いのためだ」


 この円形決闘場はまさしく魔女と対峙するためのもの。因縁の対決に備えて、いつしか狼族の村では円の中で決闘を行う風習が定着した。そして、その決闘のルールは、戦いから逃げない姿勢を問うものでもある。

 攻撃こそが最大の防御。

 目の前の敵を仕留めるには、恐怖をかなぐり捨てて、前に踏み出さねばならない。

 死を乗り越えた先に勝利がある。

 ルイはジルから教わった最後の教訓を、ここで生かさねばと、強く感じた。


 中央にある大黒石の柱を挟む形で、互いに得物を手にして睨み合う。

 ルイが真剣な眼差しで、相手の一挙一投足を観察する。

 アッシュの頬に笑みがこぼれた。


「なにが可笑しい」

「なあに。戦いはやはり、いいものだと思ってな。生きるか死ぬか。明確で、後腐れがない。暴力こそが世界を支配する。この世の真理だ。シンプルでいいと思わないか」

「俺は闘いたくない。平和に暮らせればそれで十分だ」

「甘いな。お前の話す平和は仮初めか、現実を知らない子供のような主張だ。世界は暴力で支配されている。一対一のわかりやすい殺し合いならまだぬるい。大勢と大勢が集まり、間接的に殺戮を肯定しているのが、この世の形だ。お前ら狼族も同じさ。俺らエン族とどこも違わねぇ」

「一緒にするな。俺らの集落グルバは、平和にやってたんだ」

「気付かないのか? お前からは獣の臭いがぷんぷんするぞ。争いが好きな奴の臭いだ。ジルからもそれがあった。お前ら狼族は、みなそうなのさ。俺はそんな奴らが好きだ」


 狂ったような主張に思えた。

 ルイは男との話に取り合うのを止めた。


 再びアッシュめがけ飛び出す。アッシュが構えた。

 突撃の最中、足下に転がっている黒石を蹴り上げる。石が、一足先にアッシュの元へと到達した。相手が、それを反射的に大剣で凪払う。

 隙が生まれた。いまだ。間に合う、と思った。

 相手の剣が追いつくよりも早く、ルイの剣が相手のくびを捉えていた。しかし男の右腕が入り込んできて、軌道をずらされる。手先のない男の右腕が、さらに短く輪切りになった。矢継ぎ早にアッシュの左拳が飛んでくる。剣を手放し、ルイの眉間に拳がたたき込まれた。


「うあっ」


 ルイの身が弾き飛ばされる。

 炎の壁に激突して、跳ね返った。

 背中に炎が燃え移り、思わず、床を転がる。消化したところで、アッシュが上から剣を突き立ててきた。


「死ね!」


 転がり、それを避ける。

 床に片手を付いて身体を旋回させる。低い位置で宙返りをして、再び地に足を着けた。急いで床に残した剣を拾い上げて、再び構える。


「ふん。ちょこまかと。逃げてばかりじゃ勝てないぞ」


 アッシュの指摘は正しい。体力勝負に持ち込んだとしても、アッシュに勝てる気がしない。勝機があるとすれば、一瞬の隙に急所へ攻撃を当てること。それ以外にはない。

 切断された相手の右腕から血が滴る。男は、腕をもはや盾としか感じていないらしい。犠牲を厭わない姿勢。ますますやっかいだと思えた。

 一呼吸置いて、互いに次の一手を探る。

 なにも失わずに勝つ。それは理想でしかない。ルイは邪魔な考えをその場で捨てた。

 駆け出す。風のように早く。

 相手の大きな剣が振り下ろされた。重量に似合わず、とてつもない早さで、だ。ルイはぎりぎりの線でかわしていた。腹部に切り込みが入り、地が出た。死には繋がらない。

 同じタイミングで、ルイの剣が再び相手に繰り出される。アッシュがまた右腕で、その剣を受け止めた。今度は突き立てた剣に対して、骨まで犠牲にして縦に受け止めていた。二の腕まで剣が突き刺さる。剣を引き抜くのが一瞬、遅れた。


 まずい。


 そう頭で感じた時には、すでに遅かった。

 ルイの右手首から先が宙を舞っていた。


「これで同条件だ」


 なおも、ルイの身体が前に踏み出していた。

 奪われた腕を取り戻すかのように、ルイの剣が相手を一線する。

 たじろぎを見せたアッシュが身を一瞬、下げた。遅れて、アッシュの両目に切っ先が触れる。瞼ごと両目の眼球を切り裂いた。


「ぐっ」


 距離を置いた。

 ルイの右腕から血液が滴った。宙を舞っていた右手が床にどん、と落ちた。

 アッシュが顔を押さえている。両目からやはり血が滴る。互いに赤い血をしていた。


「驚いた」


 アッシュが言った。


「腕を切られた奴は大抵後ろに下がる。前に来やがったな」

「命を賭けて闘う。それが決闘だ」


 ルイが答えた。


「いいぞ。腕一本と思っていたが、俺も命を賭ける気になった。次で決めてやる」


 決闘は長引かない。ルイも同じ考えだ。恐れが敗北に直結する。

 相手の息の根を止めることだけに、集中するのだ。


 今度はアッシュから飛びかかってきた。その気迫は、視界を失ってもなお凄まじい。

 ルイも前に出た。急所に狙いを定める。

 相手の身体が揺らいで消えた。背後に気配が現れる。

 振り返り様に剣を振るう。しかし感触がない。ルイの切っ先はむなしく虚空を裂いた。

 側面から、男の剣が飛んでくる。顔に狙いを定めている。ルイはかろうじてそれをかわす。わずかに、首元に剣が触れていた。頸椎から血が迸る。致命傷だった。

 構わない。

 ルイは捨て身で、アッシュの足に剣を突き刺し地面ごと貫いていた。


「なんだと」


 足下の意外な攻撃に動けなくなる。そのままアッシュを押し倒した。

 ふたりの身体が勢いよく地面に叩きつけられる。

 ルイが馬乗りになり、懐に忍ばせていた短剣で、相手の腹を引き裂いた


「おあっ」


 裂けた腹から、臓物がぬるりと押し出てきた。

 容赦なく、何度も差した。

 短剣をさらに突き立てようとして、アッシュの手に捕まった。

 腕を引き込まれ、間合いがなくなる。互いの身体は密着した。


「うあ!」


 ルイの指が四本へし折られる。アッシュに短剣を奪われた。

 アッシュが奪った短剣をルイの背中に突き立てる。ルイの口内に大量の血がこみ上げてきて、息が出来ずに吐血した。


「これで終わりだ。くたばれ狼め」


 短剣を左右に捻り、傷口が広がる。

 だがルイも負けていない。


「があっ!」


 口を開けて、獣のように唸り、アッシュの内臓を腹から引きずり出した。鹿を解体したときのように、腹の中から長い腸が剥き出しになる。これほどまでに長い臓物が隠れている。ルイは犬歯を突き立てて、アッシュのそれを噛み千切った。


「ゔぁ」


 苦悶の声。

 男の顔から血の気が引いてゆくのが分かった。


「しぶとい狼め」


 男が短剣を横に滑らせてルイの肉を引き裂いた。目の前にある狼族の耳に噛みつき、お返しと言わんばかりに、それを引き千切った。

 ルイの身体にも激痛が走る。

 それは声にならないほど鋭利な痛みだった。眼球が乾き、意図せず涙があふれ出す。痛みを和らげるために自ら唇を噛み千切っていた。


「早く死ね!」


 耳を吐き出して男が叫ぶ。

 その罵倒の声は、すでに遠くなっている。手のない反対の腕で、ルイの顔を押し、引き離そうとしてくる。反対の手にもたれた短剣が背中から、自らの胸を深く抉っている。執拗に何度も身体の中で動かされた。

 ルイは男の腹の中へと顔を潜らせた。手当たり次第に臓器にかじり付き、噛み千切る。狼の本能のままに。男も短剣を引き抜き、何度も何度も背中から心臓を狙って突き刺してくる。

 血と臓物で両腕が滑った。だが相手の肋骨にしがみついて、臓物を貪る。血が熱い。色は赤さよりも黒みを帯びている。独特の獣の臭いが嗅覚を満たす。血なま臭く、口の中に苦みが広がった。本能を揺さぶる味だ。


 間もなく、互いの動きが鈍くなった。

 血液が身体に巡らなくなり、意識が遠のいて行くのが分かった。痛みはもはやなかった。

 それは相手も同じだ。

 気を失った者が、敗者となる。

 ルイは確信した。

 互いの血で汚れた地面に手を突き、ルイが最後の力を振り絞り、首元に噛み付いた。


「このっ……」


 アッシュが小さくうめく。

 短剣を突き刺す手に一瞬、力がこもり、そして離れた。男の手の甲が、ばしゃりと音を立てて、血だまりの上に落ちる。

 攻撃が止んだ。

 ルイは獲物を仕留めきるため、顎に力を込めて喉元に深く犬歯を突き立てた。

 ごりっ、と喉骨が潰れる振動が口内に広がった。

 相手からの反応が途絶える。


 勝った。


 そう悟った。

 勝者は地を這わない。

 立つんだ。

 内なる声に従い、ルイは失われた右手を庇いながら、膝を立て、左手をバネにして、一気に立ち上がった。


「俺が勝者だ」


 蛇の王に向け、そう主張する。

 アッシュの足先を貫いていた剣が目に留まる。ルイはとっさにそれを引き抜くと、勝利を示すために掲げた。


 朦朧とした意識の中、炎の壁を目指して、何歩か歩いた。

 蛇の王が炎の中から顔を覗かせる。


「いいだろう。勝者は狼族だ。ルイ・フィンレイ。我は見届けたぞ。互いに見事な殺し合いだった」

「外に出させて」

「その身体で? 死に目を晒すか」

「カナタに会いたい。最後に」

「まあ、よかろう」


 生暖かい風が吹き抜け、炎の壁が火の勢いを弱めてゆく。

 巨大な蛇の鱗が姿を現し、ぐるぐると移動を始めた。

 正面の壁が開かれて、向こう側に立ち尽くすカナタの姿を捉えた。


「カナタ」


 最後の力を振り絞って呼びかける。

 しかし意志とは裏腹に、ルイの身体は次の瞬間、崩れ落ちていた。

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