31話 魔女の掟と血の契約

「ルイ君!」


 娘が名を呼ぶ。

 ルイと呼ばれた少年は、その声に呼応するように、娘の元へと駆けてくる。兵たちの槍を巧みにかわして、前方を塞がれた少年は、高く飛び跳ねた。


 宙を回って、敵であるエン族の戦士の前に降り立つ。


「カナタ。無事でよかった」

「誰かと思えば、こないだ殺りあった狼のガキじゃねぇか」


 戦士が巨大な武器を担ぎ直してから言った。


「性懲りもなくやって来たのか。警告したはずだぞ。二度と俺の目の前に姿を見せるなと」


 少年はその言葉を黙って聞いている。

 戦士の言葉はエン族古来のものではなく、西で主に話されているタレド語を使っていた。西から持ち込まれた言葉だ。ただ訛りが強く、狼族の少年には聞き取りづらいものだったらしい。戦士もそれを察したのか、片言の古代エト語に直して、話を続けた。


「消えろ。雑魚に用はない。ジルは、お前にちゃんとそれを伝えたのか」


 するとルイと呼ばれた少年が首に下げていたある物を取り出し、それを娘と男に見せた。


「私の角飾り! ルイ君、どうしてそれを」


 娘の言葉は少年にも聞き取りやすかった。


「マレールの町はもうない。俺の目の前で消えたんだ。これは俺がジルから最後に受け取ったものだ」

「そんな……」


 娘が言葉を詰まらせる。

 しかし、間もなく自らの考えを振り切るようにかぶりを振った。それから一度、唇をぎゅっと結んで、近くにいる戦士の男にタレド語で話しかけた。


「アッシュ聞いて。マレールの町はもうないの」

「なに言ってやがる」

「鬼の角が落とされたの。ルイ君は、それを伝えにきたのよ」


 アッシュの瞼が、ゆっくりと開かれる。


「それを信じろと? どこに証拠がある」

「あの角飾りは私がジルに渡したものなの。ルイ君は、ジルから受け取ったって話してる」


 アッシュが再び少年の方へ向き直った。


「はっ、ははっ」


 気の抜けたように笑い声を上げる。


「それがどうした。なにが言いたい?」

「争いなんてなにも生まないわ。もう止めて」

「それが言いたかったのか? だとしたら話にならねぇ。マレールだけじゃない。王族からの攻撃は想定されていたことだ」

「嘘よ。あなたの仲間が死んだのよ。町にいた他の大勢の命だって」

「それで争いをやめるのか? なら死んだ者たちは余計報われない。直ちに報復する必要がある。奴らから仕掛けてきたなら、むしろ好都合だ。こちらは大儀を得た。より強い力で奴らをねじ伏せ、俺たちエン族が、再びこの国の統治権を奪い返せばいい。俺の名はアッシュ・ギレイ。この国を統べる英雄となる男だぞ。その筋書きに狂いはない」


 アッシュが野心をむき出しにする。

 娘はその思想が理解出来ないと言いたげな表情になり、押し黙った。


「この目的のためには、おまえの角が必要だ。それを邪魔する奴は誰ひとり許さない。そこの狼にも伝えろ。邪魔するなら、ここで俺に殺されるだけだとな」

「カナタ!」


 狼の少年が娘に呼びかけた。


「アッシュに伝えて」


 少年が背中の剣を抜き、切っ先でアッシュを指した。そして語調を強めて言い放つ。


「俺と決闘をしろ。互いの命を賭けて。もし俺が勝ったら、カナタに二度と手を出すな」

「ルイくん、だめ」


 娘が首を横に振る。


「どうして」

「ルイくんが命を賭ける必要なんてない」

「俺は負けない。必ず勝つ」


 狼の少年が力強く答えた。


「それにこれは、カナタのためだけじゃない。俺のためでもあるんだ」

「それでも……」


 娘が言葉を詰まらせる。

 アッシュに、その意志を伝えることをためらった。


「俺を信じて」


 少年が剣を掲げる。


「誓ったんだこの剣に。もう二度と逃げ出さないと。アッシュと闘わせて欲しい」


 少年の決意の強さを目の当たりにし、娘が意を決したようにうなずいた。


「アッシュ聞いて。ルイ君はあなたと闘うわ。決闘がしたいって話してる」

「そのようだな。愚かな奴だ」

「ルイ君が勝ったら、私を解放して。これ以上、私たちを巻き込まないで」

「なら、互いの要求を賭けて決闘してやる。俺が負けたら、ここからお前を解放する。ただし俺が勝ったら、お前は潔くこの国で暮らすことを選ぶんだ。約束を果たせるか?」


 娘が、おもむろにうなずいた。


「いいわ。それで構わない」

「いや待て。私が認めない」


 会話を遮ったのは、テディだった。


「あの狼の勝ち負けで、ここに残るだと? 勝手な取り決めをするな。負けたらどうする」

「ルイ君が命を賭けて闘うの。なら、私も相応の対価を払うわ。それが私の責任だから」

「ちょうど良い。そこの魔女も協力しろ」

 アッシュが手首から先の無くなった右腕をテディの方へと差し向けて、話を続けた。

「互いの要求を賭けて闘うんだ。なら約束を果たすための保証はしてもらわないと困る。つまりは契約だ」

「契約?」


 カナタが尋ねる。


「そうだ。都合よく嘘をつく連中はごまんといる。あの狼が負けても、お前が逃げ出さないとも限らない」

「私は約束を反故になんてしない。卑怯な連中と一緒にしないで」

「お前がそのつもりでも、そこの魔女はどうだ」


 アッシュがテディへ向けて顎をしゃくり言った。


「そこの魔女は今でも隙を狙っている。正々堂々と戦いたいなら、その魔女にも協力させろ」

「私が強力だと? お前らの殺し合いになど興味はない」

「決闘の舞台を用意するんだ」


 アッシュの言葉の意味をすぐ理解したのは、テディとスカーレットだけだった。

 テディが口を閉じる。


「知っているぞ。お前ら魔女には、魔女だけの戦い方があることをな」

「なんのことだ?」

「しらばくれるな。契約だ。魔女の掟と血の契約を要求する」

「血の契約? 聞いたことあるわ」


 カナタが口にして、アッシュがうなずいた。


「そうだ。不死者同士の争いには終わりがない。そのために生まれた強制的な契約の執行。その場を提供しろ」

「バカな」


 テディが呆れたような声を出す。


「たかがエン族と狼族との決闘に、それを使う必要がどこにある」

「ルールは話した通りだ。俺とそこの狼族、どちらかが死ぬまで闘う。俺が勝ったら、娘には生涯に渡りこの国で暮らしてもらう。だが万が一、俺が負けたら、ここにいる者共含めて、今後いっさいの手出しを娘に対して行わないことを誓う。それでどうだ」

「その契約をすれば、約束を果たせるのね」


 娘の質問に、アッシュが答えた。


「そうだ。破ることは許されない。もし破れば、厄災に見舞われる」


 娘がそのやりとりを狼の少年に伝えた。古代エト語で何度か言葉を交わし、互いにうなずき合った。


「私とルイ君はそれで構わないわ。ルイ君の戦いを見届ける」

「ダメだ。勝手に話を進めるな」

「テディ、お願い」


 魔女は首を縦に振らない。

 血の契約は互いの要求を絶対的に約束させるための呪いに他ならない。ある国が他国と約束を取り交わすとき、魔女が仲介を行えば、それは正式な契約となる。言葉による呪いを施すのだ。破ることに大きな危険を伴い、約束は果たされ続ける。しかし生半可な意志でその契約を執り行えば、生涯に渡る大きなかせとなる。無数の魔女が、あるいは無数の王族たちがこの契約を取り交わし、身を滅ぼしてきた。


 テディが否定的な気持ちになるのもうなずけた。


「私がお前を守れば、それで十分じゃないか」


 テディが娘に向かって、口を開いた。


「そこの狼に、自らの生涯を賭けるのか。それだけの確信があるのか」

「確信なんてない。でも、ルイ君が勝つって信じる。ルイ君がもし負けたら、私はこの国で責任を果たすわ。自分で撒いた種だもの。後悔はしない」


 娘の目には意志が宿っていた。

 テディはまだ納得していない。一方で、テディの中にいるスカーレットは、この状況を好機かも知れないと考えていた。わずかな希望が空から差し込むような、そんな予感を覚えていた。


「テディ。契約を」

「なんだと? スカーレットお前までそんな寝言を言うのか? あの狼に任せろと? 指をくわえて見て置けと、そう言いたいのか?」

「どのみち、あなたではあの戦士は殺せない。いいえ、誰ひとり殺せないのです」

「それがどうした。隙を見て逃げればいいだけだ」

「娘がそれを望んでいません。こうなった以上、あの少年に託しましょう」

「お前まであの狼に肩入れするのか」

「肩入れなどしていません。ただ、あの少年は命を賭けて勝ちに行くでしょう。そこに僅かな希望が見えます」

「都合のいいこと言うな。どいつもこいつも我が儘ばかりだ。私がどれほど、心臓がはち切れそうになるほど悩んでいるというのに、お前は分かっているのか! 娘のことをもっとも考えているのは、私だ」


 テディが苛立ちを露わにする。


「お願いテディ。ルイ君に闘わせてあげて」


 娘が再度、懇願した。


「テディ。従いましょう。硬直したこの状況を打破できるのは、そこの少年だと信じて」


 テディが歯をぎりぎりさせながら、少年を見た。以前、森の中で出会った頃と比べて、随分、たくましい表情になっていた。


「魔女の掟を甘く見るなよ。一度、そこに踏み込めば、何世代にも渡り呪いは続く。約束を果たすことが、どれだけ重い決断かを、いまに思い知るぞ」


 その警告は誰に向けられたものでもない。ともすれば、テディ自身へ向けた言葉だったかも知れない。


 魔女テディが、前に進み出た。


 エン族の戦士アッシュ・ギレイと狼族の少年ルイ・フィンレイの中間の場所にまで歩いて行き、その場で魔女だけが知る言葉を唱えた。

 張りつめた空気の中、静かに大地が揺れる。

 周辺のエン族らも、ざわつき始めた。


 間もなく、テディの正面に巨大な柱が出現した。冥界に存在するとされる大宮殿の柱の一つ、魔女柱と呼ばれる。黒光りしている大黒石の柱には、血文字がびっしりと刻まれている。

 これが魔女の掟だ。


「ここにお前らの名を刻め。それで契約は成立する」


 テディの指示に従い、ふたりの戦士が柱の前に立った。互いの指を傷つけて、血文字でそこに約束を刻む。


「いい舞台を期待しているぜ」


 エン族の男が言った。


「契約は成立した。舞台は私が用意する」


 テディの言葉で、柱を取り囲むようにして火の手が上がった。周辺にいたエン族の兵士たちが慌てて外へと逃げ出す。火の手は次第に勢いを増し、乗り越えられない高さにまで育った。


 その燃えさかる炎の中、黒い何かがうごめいていることに気付く。とぐろを巻いた巨大な蛇だった。燃えさかる炎の正体は、燃えたぎる巨大蛇だった。


「驚いた。こいつはなんだ」

「蛇の王。冥界から契約を見届けるためにやってきた」


 テディが答える。


「この中で死ぬまで戦い、勝者だけが外へ出ることが出来る」

「逃げ出すことが出来ないってことか」

「そうだ。せいぜい殺し合うといい」


 テディが高く飛び上がった。身を翻して、石柱の上に着地する。

 そこから大きな声で呼びかけた。


「蛇の王よ。これより決闘が始まる。最後まで見届け、その契約を冥界へと持ち帰れ」

「久しいな。テディレディ」


 蛇の王が炎の中から顔を覗かせた。その巨大な顔に笑みを浮かべて返す。


「お前が決闘など、いつぶりか。お前は闘わないのか」

「私は場を提供しただけだ。闘うのはこいつらだ」


 蛇の王の顔が下を向く。


「狼族とエン族の戦士か。なにがあったかは知らぬが、珍しい組み合わせだ。どちらも命を賭けて闘うか。我を楽しませてくれるか」

「お前が楽しむかなんざ興味ねぇが、殺し合いをするのは確かだ。見たけりゃ勝手にみて楽しめ」


 アッシュが柱に立てかけてある大剣を掴んで、肩に担ぎ直した。

 柱に背を向け、狼の少年から距離を取る。


「さて、始めるか。これで鬼の娘が手に入るなら安いもんだ」


 振り向き様にアッシュが言った。

 狼の少年も柱から距離を取って剣を構えた。その視線の先が、目の前の戦士の右手に注がれていたらしい。

 エン族の男がそれに気付いて言った。


「右手か? 気にするな」


 手首から先が石化して崩れていた。男は意に介した様子もない。


「足りていないのは、お互い様だろ。それともまさか、この程度で勝機が生まれたなどと思っちゃいないだろうな。お前なんざ片手で十分だ」

「負けた言い訳にするなよ」


 そう返し、狼の少年が続ける。


「俺も言い訳はしない。この場で最後まで生き残ったひとりが、勝者だ」

「当然だ。さあ、やるぞ。早く身体を動かしたくて、うずうずしている。その身体を叩き切ってやる!」


 アッシュが大剣を低く構えた。鍛え上げられた左腕の筋肉に力が入る。体格差は親と子供、いやそれ以上あった。野生の熊と小人が柱を挟んで対峙する。


 十尺はある柱の上から、テディがそのふたりを見下ろしていた。柱の上であぐらをかき、柱の凹凸から飛び出している握り拳ほどの大黒石を木の実をもぐように引き剥がして、それを柱の下へと無言で投下した。


 黒い石が、研ぎ澄まされた空間の中で、ゆっくりと落ちてゆく。

 ふたりの目線の高さを通り過ぎ、黒い石はかんっ、と鈍い音を響かせて床にぶつかった。


 戦士たちの殺し合いが、幕を開けた。

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