30話 優しい魔女

 扉を抜け、外へと出た。両端で見張りをしていたエン族たちが、うつ伏せになって倒れている。


「これはあなたがやったの?」


 テディに手を引かれている娘が尋ねた。


「殺しちゃいない。私は誰も殺めたりしないよ」


 テディが慌てて首を横に振った。


「それに、私のことはテディと呼んでおくれ。そっちの方が嬉しいんだ」


 魔女テディが微笑みを浮かべながら、それを希望する。

 娘が、うんと小さくうなずいた。

 テディがまた弁解するように付け足した。


「私は優しい魔女なんだ。命を粗末にする魔女とは違う」

「ふふ」


 側で聞いていたスカーレットは、思わず笑い声をあげてしまった。


「なにがおかしい? 気に障る態度だ」

「いいえ。随分、懐かしい言葉を聞きました」

「貴様と話す暇はない。黙ってろ」

「誰と話しているの?」


 娘が尋ねてくる。

 テディはすぐさま眉間の皺を引き延ばして、再び娘にだけ聞かせる特別に甘い声で返事をした。


「スカーレットが、さっきから五月蠅いんだ。驚かせてしまったね。許しておくれ」

「私には聞こえないわ」

「それでいい。私はおまえと、この天使崩れが会話をすることは良くないと考えている。だから気にしちゃいけないよ」

「おまえじゃないわ。カナタよ。私の名前はカナタ」


 それを聞いて、テディの心臓の音が高ぶってゆくのが分かった。この魔女は高揚感でいまにも白目をむいて倒れてしまいそうだった。


「カ……か……カカ、カナ、ダメだ。私にはお前を名で呼ぶ権利がない」

「どうして?」

「お前の母親にひどいことをした。だからさ」


 テディが娘から顔を背けて言った。

 臆病な魔女は二十年経ったいまでも変わらない。独りで答えを出せずに同じ場所をぐるぐると巡っているのだろう。スカーレットはテディの首輪の中で、そんなことを思った。


 テディたちが歩いている場所は旧王城の地下牢だった。四角い石の積まれた壁で四方を取り囲まれ、空気が滞留している。風が抜ける窓もなく、地上へと続く螺旋状の階段が一つ存在しているだけ。ここから壁沿いに進めば、その階段が見えてくる。階段を上ると、王室前にある広間へと繋がる。


「テディ。急ぎましょう。兵たちが、動き出しています」

「繰り返すな。そんなことは私でも知っている」


 テディが荒く答える。急ぎたいのは彼女も同じだった。しかし、娘の足取りがおぼつかない。頭の包帯からは血が滲んでいる。額から汗を流し、高熱にうなされていた。


「外に出るまでの辛抱だよ。そうすれば、後はまたぐっすりお休み」


 テディが娘の肩を抱いて、優しく耳打ちした。

 スカーレットは城内をうろついている兵たちとはまた異なる、不穏な空気を感じ取っていた。その先の未来は判然としない。ただ恐ろしいものがこの城へ向けて迫ってきていた。


 娘の衰弱した様子に、テディが唇を噛みしめる。そして再び涙を流した。


「テディ。泣いている暇は無いのですよ」

「胸が張り裂けそうだ。私がその場に居たら、ひとり残らず皆殺しにしてやったのに。十倍、いや百倍苦しませて復讐してやる」

「落ち着いてテディ」

「私は冷静だ。いつだってな」


 魔女の心の中に、怒りの感情が膨らみ始めている。スカーレットはこの魔女が再び機嫌を損ねてしまわぬように、気を遣っていた。石眼族は怒りに囚われたとき額にある第三の眼が開く。その眼に見つめられたものは、同族であっても石に変わる。もとは心穏やかな種族だったはずだ。争いや憎しみの多い時代となり、石眼族はみな互いを石に変え滅びてしまった。スカーレットが額の眼を制御しなければ、この魔女もたちまち自滅の未来を歩むことになるだろう。それはテディに限ったことではない。魔女たちはみな、各々が危うさを孕んでいる。その存在は頑強そうに見えて、しかし叩くと簡単に砕け散ってしまう硝子とよく似ていた。


「何者だ!」


 螺旋状の階段を上ろうとしたところで、見回りの兵とはち合わせた。

「テディ」

「騒ぐな。見ればわかる」


 目の前の兵士らは横に隊列を組み、大きな盾と長い槍でこちらに迫ってきた。


「鬼の女を逃がしているぞ。すぐ知らせろ」


 奥にいるエン族が指示を飛ばした。

 娘を壁際に預け、テディが前に進み出た。向かってくる兵たちを睨み、内心で怒りをたぎらせる。

 兵たちの身体に蛇が巻き付いた。兵たちがばたばたと階段から転げ落ちてくる。縛り上げられた数名の兵たちは声も出せぬまま悶えて、やがて気を失った。

 テディが階段を三歩のぼった。

 上階にまだ兵が見える。

 遠くから弓が放たれた。

 素早く飛んでくる矢がテディの頭上でLの字にへし折れる。足下から飛び出してきた大蛇らが、鋭い牙で、その矢を噛み砕いていた。大蛇は床から飛び出し、天井の中へと潜り込むように姿を消した。

 奥で指令を出していた兵が剣を抜き、飛びかかってきた。剣を振り上げ、テディに切りかかる。

 テディの左腕が見事に飛んだ。

 だが、宙を舞うテディの腕は、見る間に蛇に変化して、ぼろぼろと床へとこぼれ落ちた。千切れた腕の先から別の蛇が数匹、頭を覗かせ、石膏が固まったかのように腕へと成り代わった。たじろぎを見せた眼前の兵もまた、すぐに苦しみ悶え、階段の中程で仰向けに倒れた。泡を吹いて気絶している。


「さあ、急ごう」


 落ち着いた声でテディが娘に手を差し出す。

 娘はまた腕を引かれ、気絶している兵たちを避けて、階段を上った。

 登り切った先に、広間が見えた。王室への大きな両開きの扉がある。いまは居城を移し、この旧王城に王はいない。


「さあ、あと少しの辛抱だ」


 テディが娘の方を振り返った時だった。

 気配もなく背後に立っていた男が、目にも留まらぬ早さで拳を繰り出していた。とっさに打撃を防いだテディだったが、その重量に耐えきれず、大きく後方へと吹き飛ばされた。

 王室への扉に叩きつけられ跳ね返る。幾度か転がり、その動きを止めた。


「テディ」


 娘の声が聞こえた。

 すぐ側にいた大柄の男が娘の腕を後ろに回して、縛り上げた。


「いや、痛い」

「娘に触れるな!」


 テディが叫ぶ。

 怒りを露わにして立ち上がり、相手を睨みつけた。

 男は動揺した様子もなく、周囲を見回した。そしてテディに尋ねた。


「お前ひとりか?」

「どういう意味だ」

「群れで来るとばかり思っていた。魔女だからな」

「その娘に手を出すことが、どういう意味か理解していないようだな」

「お前らが鬼を求めてやってくることなど想定済みだ。だから先に角を一つ、剥いでおいた」

「お前がやったのか?」


 テディの顔がさらに険しくなる。


「命を危険に晒して」

「俺がやらせた。失敗してでも交渉に必要だった」


 その言葉を聞いて、テディの呼吸が荒くなった。


「テディだめよ。堪えて」

「貴様がその娘に傷を負わせたのか」

「だったらなんだ。戦場にやってきて無傷で済むと思ったか。なんなら、もう一つ角を剥ぐことも出来るぞ。ここでな」


 男の手が娘の角に伸びる。包帯の巻かれていない片方の角を後ろ向きに引っ張られ、娘の顎が上を向いた。


「貴様!」

「抑えて。挑発に乗ってはだめ」

「五月蠅い。こいつだけは生かしておくか」


 テディが走り出した。


「貴様の死で償え」


 戦士が娘を乱暴に床にひざまずかせ、巨大な剣を構えた。

 周囲を、大蛇が取り囲んでいた。戦士が驚いた様子でそれらを素早く薙ぎ払う。大蛇は無数に地面から這い出て、戦士の首筋めがけて飛んだ。動きの鈍った戦士の元に、テディが素手で飛びかかる。戦士が太い剣でそれを受け止めた。剣を挟んで、魔女と戦士が睨み合う。


 テディの中の感情が激しく上ぶれた。それとともに、額の蛇眼が開いてゆく。縫いつけている金糸を引き千切り、スカーレットの力ではこれ以上、眼を抑え切れない。


「テディだめ」


 スカーレットが引き戻した。魔女の首輪が光り、テディの身体を後ろへと引き剥がす。


「ううっ」


 魔女が悶えた。その身が戦士から離れそうになり、必死で剣にしがみつく。


「死を持って償え!」

「やってみろ化け物め」


 戦士が叫び、剣をなぎ払う。引き離されたテディの額から光が漏れ出た。光は直線的に進み、太陽のように眩しさを伴っていた。スカーレットがその眼を金糸でさらに縛り付けると、光の幅は狭まって、線になり、やがて消えた。

 戦士の大剣がテディレディの四肢を切り裂いていた。五体がバラバラに宙を舞い、床に散らばった。


「テディ!」


 娘が這いつくばりながら、名を呼んだ。


「なぜ邪魔をした」


 魔女がスカーレットに怒りをぶつける。


「テディ、約束を忘れたの?」

「黙れ! あいつだけは許されない。おまえも、怒りを感じているはずだ。この怒りが、私だけのものだとは言わせないぞ」

「そうよ。相手への怒り。そしてテディ、あなたへの怒りでもある。これ以上、罪を重ねるなら私だって容赦しない」


 その言葉を耳にして、テディレディの高ぶった感情が次第に落ち着きを取り戻してゆく。

 四肢を切り裂かれた魔女の手足の先から、蛇が這いずり出してくる。青かったその鱗が、次第にヒト肌の色に変化してゆき、まもなく両手両足へと成り代わった。


「魔女め。出鱈目でたらめな身体をしてやがる。だが手応えはあった」


 床に散らばった蛇たちが口から血を流して絶命していた。


「魔女は不死でも、身体は無限に有るとは限らない。そうだろ」


 戦士の言葉は事実だった。テディは不死だ。しかし肉体には限りがある。蛇が尽きればテディの身体はなくなってしまう。


「影だけになった女を俺は知っている。あいつも魔女だ」


 戦士がそう言った。

 テディがゆっくりと立ち上がる。


「石眼族か」

「だとしたら、どうした」

「滅びたと聞いていたが、魔女の生き残りがいたとはな。その眼は、確かに危険だ」


 戦士の左手首にみなの視線が及ぶ。先ほどの光に触れ、石化していた。石化した先から砂のように崩れ落ちた。


「根比べと行くか? お前の身体が尽きるか、俺の身体が石になって朽ちるか」

「テディ、ダメよ。これ以上、挑発に乗って争うなら私が」

「分かっている。お前こそ強がるな。少し黙っていろ」


 目の前の敵は争いを楽しんでいる。死を恐れていない。やっかいな相手だとスカーレットは感じた。テディ自身もそれは理解している。たとえエン族の戦士だとしても、相手を殺めることは許されない。テディに課された制約はそれだけ大きい。


 ここで争えば、相手の言う通り戦いが長引くのは必死だ。スカーレットたちにとって、それはなんとしても避けたかった。


「俺の名はアッシュ・ギレイ。この新しい国の王になる男だ」


 男が言った。


「お前も名乗れ。建国の歴史に関わった魔女として、語り継いでやる」

「語り継ぐだと? 笑わせるな。お前らのような短命の戦士が、いったいなにを語る? うぬぼれるなよ若造が」

「ふん、俺を若造呼ばわりか。長く生きているだけで思い上がりやがって。いつまでも生にしがみつくのは見苦しいぞ」

「黙れ! 知った口を聞くな」


 テディが歯をむき出しにして吠えた。否定されることを誰よりも嫌う。テディの中で憎悪が渦巻いてゆく。

 戦士が片手で大剣を構えた。背後で長く結われた髪が揺れている。エン族の頭領はみな髪が長い。エン族には、戦いに勝利すれば相手の男の髪を切るという風習があった。ゆえに長い髪は、戦いに勝利し続けた証となる。それは野心の大きさをも表す。負け知らず。その自信が、男をますます屈強にしているのだ。


 スカーレットは胸騒ぎを抑えきれない。一刻も早く娘を連れ、この場から逃げ出さねばならなかった。何かが、着実にこの場所へ向けて、迫って来ていた。焦りが募るばかりだ。


 かくなる上は無理を通してでも、自らが顕現する他ないと腹をくくろうとした。

 そのときだ――。


 周辺に集まり始めていた兵たちが、離れた場所で、ざわついていることに気付いた。


「どうした。なにがあった?」


 アッシュを名乗る男が、兵たちに呼びかける。

 テディも遠くにいる兵たちの元へ、視線を送った。

 兵たちを押し退けて、一匹の少年が姿を見せる。


 見覚えのある剣を背負った、狼族ウェアウルフの少年だった。

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