28話 黒煙
目を覚ましたルイは、上半身を持ち上げた。天国と呼ぶにはあまりに殺風景な景色だった。見渡す限りの茶色い砂。そこがマレールの町から随分離れた場所であることが、遠方の山の位置を見て把握できた。爆風に乗って飛ばされてきたらしい。
そこでようやくルイは思い出した。
塵になったと思っていた身体が、まだ存在している。
「どうして」
「気付いたか?」
巨大化したサリサリが、その大きな身体で自らを介抱していた。九つあったはずの尾は黒こげになった三本を残して、すべて焼き切れていた。悪人面の顔も半分が溶け落ち、動いているのが不思議なほど重傷を負っていた。
「俺を守ったの?」
とルイが言う。
「ふん。その角飾りを守ったまでだ。貴様にはそれを届ける義務がある」
「こうなること、知ってたのか?」
ルイの問いにサリサリは答えない。
代わりに、別の話をした。
「短命な狼にいいことを教えてやる。俺の話を聞け。どれだけ崇高な理想を抱こうと、現実は非情だ。この争いの耐えない地で誇りや希望を抱いても、それらはことごとく打ち砕かれる。いつしか、あらゆる種族の心から希望が潰えるだろうよ。俺もそうだ。
「説教するなよ。俺とお前はまだ出会って数日、連れ添っただけだろ」
「時間がない。それを届けろ。そして娘を守れ。それがスカーレット様の望みであり、俺の役割でもある」
両手を無くしたサリサリが、溶けた鼻先で角飾りを指し示した。ルイの近くに転がっている。傷付かずに済んだのはサリサリのおかげだった。
「そうだ。一つ約束しろ。娘に、俺のことを話すのは止めろ。母親に似てきっと悲しむに決まっている。俺は
ルイは申し訳ない気持ちになって、うなずいた。
「分かったよ、言わない。約束する」
腕を伸ばし、角飾りを拾い上げる。
その手に、力がこもった。
「これは俺が必ず届ける。お前、実はいいやつだな」
「ふん。気持ち悪い。貴様を見ていると昔の俺を思い出しちまう。止めてくれ」
サリサリが顔を逸らした。その表情からは、凛々しさと優しさが滲む。
ぼろぼろになった獣の身体は、次第に朝霧のように薄くなってゆくのが分かった。天を仰ぎ、満足そうな眼をしている。
「消えるの?」
ルイの言葉でサリサリはまた鼻をふん、と鳴らした。
「消えるんじゃない。還るんだ。精霊は力を使い果たすと天界へと還る。栄誉なことだ。本当かは、俺も知らない」
「
「行き先が何処かなんて、どうだっていい。ただ、俺の行いが誰かの行いに繋がり、何かを成せる日が訪れるのなら、それでいい。一介の精霊として栄誉なことだ。貴様も俺に恩を感じているのなら、必ずその角飾りを娘に届けろ。そして俺のことを覚えておけ。サリサリという、精の名を」
その言葉が耳に届く頃には、サリサリの姿はもう見えなくなっていた。小さな光の玉が、上空へと昇ってゆくのが見えた。
――せいぜい足掻け。貴様の信じる正義を守るためにな。
それは幻聴にも似た、かすかな音だった。
ルイは、空に青さが戻っていることに気付いた。
町のあった方へ目をやると、破壊され尽くした残骸が広範囲に渡って散らばっている。もくもくと黒い煙が空へと伸びていた。白い雲を遙か遠くにまで追いやり、太陽の下、その濁った粉塵はどこまでも上空へと続いていた。その狼煙は恐らく隣国だけでなく、遙か西に位置する国の民にまで届いたに違いない。巨大な黒い煙の中で赤い炎のような二つの眼が、恍惚の表情を浮かべている。横に伸びた炎が薄ら笑いをしているようにも映った。
まるで、死を思い出したときの喜びを噛み締めるかのように……。
ルイは立ち上がった。
あの灼熱の風の中、ただひとり生還した男は、もはや涙を流すことはしなかった。ただ、その悪魔のような笑みを、生涯忘れまいと眼に強く焼き付けようとする。
この世界に悪魔がいるとすれば、それは実体を伴わない。あまたの種族らが積み上げてきた遺恨と負の感情の繰り返し。断ち切れない呪いの鎖。
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