26話 決闘と死

 マレールの町が見えてきた。

 土石で塗り固められた外壁が横に回り込むように伸びて、その場所を取り囲んでいる。

 ルイの馬が門前へと近づくに連れ、見張り役のエン族がひとり、またひとりと、こちらの存在を認知し始めた。

 ひとりのエン族が手に持った槍を空に掲げ、止まれの合図を送ってくる。


「面倒だ。突っ切れ」


 サリサリが耳打ちをした。

 初めて会ったときはあれだけ巨大だったのに、この精霊はいまではリスのように身軽になって、ルイの右肩に乗っている。霧が凝縮したような白いもやっとした姿をしているが、右肩には実体のある小動物が乗っている感覚は確かにあった。赤く光る両目は鋭く、野太い声と相まって精霊らしからぬ悪どい印象を受けた。魔女の使いを名乗られてもルイは驚かない。


「止まるなよ。蹴散らせ」

「言われなくてもこれくらいの人数、どうってことない」


 正門近くになって、エン族たちが弓を放った。

 二本の矢がルイめがけ飛んでくる。

 ルイは背中の剣を抜くと、それらをたたき落とし、門を突破した。


 町中を馬で駆ける。

 いくらかの町民が驚いた様子で道の脇に立ち退いた。それらを巧みに避け、エン族らの追撃から逃れる。

 宿屋と肉屋、そして魚屋の前を通り抜けた。屋根の上にのぼっている大工がこちらを見下ろし、一瞬、目が合った。太い通りの並びには他にも鍛冶師や靴職人、刺繍工なんかの店が見られた。商人が乗る荷馬車とすれ違う。

 この町にはエン族だけでなくヒト族も歩いていたし、ラットや犬族わんぞく、ほかの獣族も一緒になって暮らしている。


 しばらく町中を進むと、小高い丘が見えた。そこから下方に湖が広がり、水上に小舟が何隻か浮かんでいる。湖では魚が穫れるらしい。

 水源を中心に草木が育つ。木の枝で鳥がさえずり、小動物や虫の気配をたくさん感じた。

 マレールとは、元はエン族らの伝承に登場する湖の女神の名だという。


 ルイは湖の近くで、馬の足を止めた。

 子供たちと戯れる見知った男を見つけたからだ。

 狼族の親子だった。


「ジル!」


 ルイの呼びかけで、男がこちらに気付いた。

 子供たちの視線も集まる。


「驚いた。来ないかと思っていた」

「カナタは?」

「探しにきたのか」


 ジルの問いかけに、ルイはうなずき、答えた。


「まだ約束を果たしてないんだ」

「娘はもう助けを必要としていない」

「どうして?」

「お前を巻き込みたくないそうだ。それを伝えてくれと依頼された」

「カナタはどこにいるの?」

「この町にはいない。娘のことは忘れてもいいんじゃないか。どうだ、この町で暮らさないか? いい町だぞ」


 ルイは、改めて周囲を見回した。


「いい町だと思う」

「水も食料も寝床もある。なにより町民はみんないい奴だ。狼族だからといって変に畏れたりしない」

「カナタに会いたいんだ」

「いいや、それは出来ない。おまえが行ってもアッシュに殺されるだけだ」


 そのとき、遠巻きにエン賊らの集まりがこちらに向かって接近してくるのが分かった。武器を持って自らを捜している。馬に乗っていると遠くが見渡せた。

 同じ狼族のジルも耳で、その状況を察したらしい。


「ここじゃ都合が悪いだろ。付いてこい、もっと静かな場所で話そう」


 ルイは馬から降りて、ジルの案内に従った。

 町民の往来が少ない通りから、林の中へと入ってすぐの場所だった。


「ここなら遠くから目立たない」


 ジルが言った。

 子供たちは木の裏に身を潜ませて、静かにこちらの様子を伺っている。男の子がふたりと、女の子がひとり、みな狼族の特徴である灰色の耳を持っていた。


「少し雰囲気が変わったか」

「僕の?」

「そうだ。以前のような迷いを感じない。いい眼になったな。実を言うと、お前はここに来ないと思っていた。俺に会いに来たわけじゃないんだろ?」


 その問いかけに、ルイはうなずいた。


「ジルとは争いたくない」

「俺も同じだ。お前が望むなら、ここで暮らせばいい」

「カナタを自由にしてあげて。じゃないと、僕だけここで暮らすなんて出来ない」

「悪いがそれは飲めない。どうしてもと言うなら、俺をここで倒していけ」


 ジルが胸元からあるものを取り出した。

 手の中で光っているそれを見て、大人しかったサリサリが即座に吠えた。


「貴様、それが何か分かっているのか」

「あの娘から預かった。身代わりとして俺が持っている」


 カナタが身に付けていたお守りだ。母の形見だと話していたのを覚えている。


「おい小僧。あれを取り戻せ。なぜ我があるじが俺をここへ遣わしたのか、いま理解した。あれは娘に取って必ず必要なものだ」

「その肩に乗っているのは、精霊のたぐいか」


 ジルが九尾の獣に向かって尋ねた。


「我が名はサリサリ。天空の民アッ=サラの一族に代々仕える狐の精の末裔よ。我が主スカーレット様は、かつてこの東の地に安寧をもたらした大天使イェグディエルの一番の理解者でもあった。お前のようなただの狼と交渉してやる義理はないぞ。立場を弁えろ」

「狼族と精霊は本来、敵対しない。だが、この国へ干渉するのであれば、精霊といえど容赦は出来ない」


 そう言ってジルは懐の剣を抜いた。長剣の切っ先を地面に突き立てて引きずってゆく。ずるずると周回する様を見て、サリサリが再びルイの肩で吠えた。


「早く剣を抜け。なにを待つ必要がある」

「違う。あれは決闘だ。狼族は決闘の際、ああやって円を描くんだ。その中で戦う」


 意見の一致が図られないとき、互いの誇りを賭けて腕を競い合う。狼族が群れとして継続していくための掟だった。

 サリサリが別の提案をした。


「おい小僧。俺にいい考えがある。あれを見ろ」


 サリサリが顎を向けた先には、ジルの子供たちが三人いた。木の背後に隠れて、静かに見守っている。


「向こうは不利だ。それが分かって、この決闘に持ち込もうとしている。お前が戦う間、俺があのガキどもを捕まえる。交換条件で取り戻すんだ」


 ルイが右肩に手を伸ばして精霊の身体を鷲掴みにした。


「なにをする。苦しいだろ」

「そんな卑怯な事してみろ。俺がお前を握り潰すぞ」

「なぜだ。勝ち目があるのか? 俺の提案の方がよっぽど楽に事が運ぶ。おおおっ! 苦しい! 止めろ。分かった。しない」


 ルイはサリサリを適当なところへ放り投げた。サリサリの身体は玉のように草むらで二回跳ねて地面に転がる。


「ふん。甘いな。そのようなぬるい考え方で鬼の娘が守れると思うのか」

「うるさい。俺たちの戦い方にケチ付けるな」


 それだけ反論すると、ルイは決闘の輪の中へと足を踏み入れた。線を越えれば、それが承諾の証となる。

 懐かしい心地がした。

 この輪の中で、どれだけの同胞と強さを競った事だろう。おとなたちからは多くのことを学んだ。身のこなし方や、剣の振るい方、そして戦うときの心構えを。

 ジルが言った。


「決闘を受けてくれて感謝する。お前が俺に勝ったら、この飾り物を返すと約束しよう。娘の居場所も教える。だが俺に負けたら、あの娘のことは諦めろ」

「分かった」


 ルイが背中の剣を抜いて構えた。


「いい武器を手に入れたな。だが決闘において必要なのは、それだけではない。どこからでもかかってこい」


 決闘で使われる輪の大きさは様々ある。広い場所でなら大きな円を描いて闘うし、狭い場所では狭い輪が描かれる。この輪の中に最後まで残っていた者が勝者だ。あるいは、どちらかが降参を宣言するか、命を落とした時点で勝敗は決まる。立ち回り方に制約が課される分、純粋な剣の腕とは別の能力が必要となる闘いでもあった。

 ジルの描いた輪の大きさは、中心から外円にかけておよそ二馬身。力だけに頼らないルイにとっては勝機のある範囲だった。


「行くぞ」


 ルイが身を屈め、力をため込む。

 一呼吸おいて、より低い姿勢を保つ。そしてルイの身体は、次の瞬間、なにかが弾けたように、前方へと跳躍した。

 鈍い音が響き渡る。

 鉄と鉄のぶつかり合う音だ。

 互いの剣と剣が押し合っていた。

 ルイの一撃を受け止めたジルの両足が、土を削り取りながら、僅かに後退をみせる。体格差で押し切れない。

 ルイはしゃがみ、足を払った。ジルの両足が宙に浮かぶ。

 すぐさま顔を持ち上げて、上空にいるジルに剣を一振りした。

 ジルの空中での身のこなしは巧みだった。自らの長剣の背でルイの一振りをいなして、おとなの長い脚をルイの顔に飛ばしてきた。ルイはリーチが足りないことを悟り、瞬時に飛び退く。


「なぜ来ない」


 地面に降り立ったジルが、声を荒げた。


「いまの一戦で分かった。お前はまた逃げた」


 ジルの言わんとしていることが、ルイにはよく分かった。

 飛び退かずに、前に出る選択肢があった。その場合、間合いは互いにとって不安定となる。ルイの攻撃がジルに当たり、切りつける可能性はぐっと高くなる一方で、ジルからの攻撃で自らの命が脅かされる危険も増す。両者、深い傷を負う可能性のある選択だった。

 ルイは躊躇した末、それを避けた。

 いや、身体が思わず逃げた。

 結果的に、ジルは元いた場所からほとんど動いていない。


「勝機をみすみす逃して、俺に勝てると思うのか。安全に振る舞おうとする限り、お前は強くなれない。戦士なら死を畏れず向かってこい」


 ジルが別の構えを見せた。

 右足を後ろに引いて、剣を頭の高さで固定する。自分よりも小さい者と対峙する時に有効な構えだった。切り払うことも突きを繰り出すことも出来る。容赦しない意志をこちらに見せつけてくる。

 ルイは拳に力を込めた。

 目の前の相手は、父に匹敵するほどの手練れだった。最初からそれは分かっていた。僅かな勝機にすがりつこうとした。

 ルイは犠牲を払っていられないことを学んだ。腕の一本、いやさらに脚の一本は覚悟しなければならない。

 自らに染み着いた逃走心を振り切る以外に道はない。どん欲に勝ちを奪い取りに行くのだ。


「次で終わらせる。俺が死ぬか、ジルが死ぬかだ!」


 ルイも構えた。


「最初からそのつもりだ。手を抜いてもらえると思ったか。甘えるな」


 ジルの目から優しさが消えた。殺気が芽生える。

 ふたりは互いの呼吸を感じ取りながら、出方を伺った。

 目の前の敵に全神経を集中させる。

 この一撃に、すべてを賭けて。


「いくぞ」


 ルイが飛び出した。目の前の相手は、親の仇だ。それ以上に憎い相手だ。差し違えてでも仕留める。

 それだけの覚悟でルイは剣を突き立てた。

 相手もそれに応えようとする。


 しかし――。


 衝突の間際だった。

 黒い陰が、横から割り込んでくるのが見えた。

 間に合わない。

 剣先を制御仕切れない。


「ツッ!」


 意識が戻ったかのように、はっとなる。

 ルイの剣が、ジルの右手で受け止められていた。

 手のひらを貫く剣身。流れた赤い血が刃を伝い、柄から滴り落ちる。


「喧嘩はダメ! 仲良くしよ」


 ジルが覆い隠すように庇っていたのは、ジルの娘だった。

 思わぬ乱入者に、ルイは全身の緊張が解けた。拳から力がふっと抜ける。


「すまない。邪魔が入った」


 ジルが言った。

 娘は父の後ろで、こちらをじっと見つめてくる。決闘を知らないのだとルイは気付いた。見たことがなかったのだ。

 剣身を、ジルの右手から引き抜く。

 その顔が痛みで歪んだ。


「ごめん、ジル」

「さっきの一撃は悪くなかった」


 ジルも自らの剣を鞘に収めた。

 穴の空いた右手から、赤い血がなみなみと溢れる。ジルは自らが持っていた布で手首から手のひらまでをきつく縛り上げた。


 剣先に付着した血を見つめ、ルイの鼓動は高ぶっていた。制御できないほどの一振り。その可能性にルイは恐ろしくなった。過去、誰と対峙する時であっても、勝てる相手にだけ剣を向けてきた。安全なところから、安全に仕留めて戦いをやり過ごしてきた。決闘は遊技でしかないとすら思えた。その経験がすべて否定された気がした。自分はまだ、本当の戦い方を知らないとさえ思った。相手の迎撃にさえ無防備となる決死の一撃。命を賭けることで、その可能性に気付かされた。

 だが、あの時、もしジルの娘が飛び出して来なければ、切りつけられていたのは自分だったはずだ。

 ジルには勝てない。

 それがルイの感じた答えだった。

 悔しさで唇を噛み締める。血が滲むほど強く。

 敗北の味を、また思い知らされた。


「俺はもう行くぞ」


 目の前のジルが角飾りを放り投げた。

 それを受け取る。


「俺の負けだ。子供たちへは俺からよく言い聞かせておく。探している娘は、この場所にはいない。ここから北西へと上って行け。イール王族領地。そこに匿われている」

「どうして? いまのは僕の負けだ」

「いいや。ルールはルールだ。守れないとは言わせないぞ」


 ジルが娘を抱え上げ、決闘の輪の中から出た。


「待ってジル。俺に、最初からそれを教えるつもりで」

「偶然だ。ルイ、お前の覚悟は伝わってきた。もし中途半端な気持ちなら、俺がお前に引導を渡してやるつもりだった。だが、これ以上は引き留める理由がない」


 それだけ言い残して、ジルは子供たちを連れ、町の方へと引き返して行った。背中に幼い少女を背負い、ふたりの男の子を連れて。


 恐らくジルとはもう生涯、再会することはないだろう。そんな漠然とした寂しさに襲われる。

 いつか自らも、あんな強い戦士になりたいと思った。


「おい。ぼけっとするな。急げ」


 観戦していたサリサリが、再び肩に乗っかって来る。


「その角飾りを早く娘のところへ届けろ」

「これがそんなに大切なの?」

「当たり前だ。それは魔女除けだ。身に付けている者の居場所が分からない。その角飾りがなければ、娘の動きを知った西方の魔女たちが、この国にわんさか集まり出す。森を抜けることは、それだけ危険だと何度言えば分かる。それにだ……」


 サリサリが空を見上げた。


「どうしたの?」

「嫌な予感がする。森の精たちが町から、逃げ出している」

「どういうこと?」


 サリサリが頭を振った。


「いいから急げ」


 ルイは馬に乗り、駆けた。

 町で食料を調達して行きたいと申し出たが、サリサリがそれを許さなかった。野生の動物を捕まえて食い凌ぐ旅に戻るのだ。

 太い通りを駆け戻る。

 日差しの強くなる昼過ぎだった。

 南方のこの地帯は乾燥した地域にあったが、北へ上ってゆくと、また雨雲が遠くの空でどんよりと漂っている。

 ルイも次第に胸騒ぎを覚えた。幼なじみのマヤがこの場いたら、気味悪さに絶えきれず、うずくまっていただろう。虫の気配もいつの間にか感じ取ることが出来なくなっていた。みな土の奥深くに潜ったらしい。まるで鈍感な者たちだけが取り残されたかのような、空虚な雰囲気に包まれていた。


 門の前で馬を止めた。

 エン族らが入り口を固めていたからだ。


「急げ。気付いただろ? エン族など切りつけて行け」

「うるさいな。少し黙ってろ」


 どのように門を突破するか頭を巡らせる。

 しかしその時、ふと空に巨大な気配を感じ取って、ルイはその場で振り仰いだ。沈み始めた太陽の光を真横から受けて、巨大な翼を持つ獣が飛翔していた。羽の数は四つ。下からみると足が左右それぞれ三つあって、緑の葉にくっ付いているカコイアゲハの幼虫の足のように見えた。

 サリサリが耳元で激しく急かしてくる声も忘れて、そいつに魅入ってしまった。

 終わりを運ぶ巨大な虫、聖獣ニルバム。マヤの言葉が脳裏をかすめた。

 聖獣ニルバムからなにかキラキラと光るものが落ちてくるのが、うっすらと見えた。日の光を受けた鬼の角だった。その光るものは、町の上空でさらに光を膨らませて、空を真っ白に染め上げた。


 白の世界に染まった。


 光とは、あらゆる物象を白くする。その言葉は事実だった。

 ルイの視界から、なにもかもが奪われた。遅れて、強烈な爆音が耳に届いた。ルイは耳を塞ぐ間も与えられなかった。

 地鳴りで大地が歪む。

 馬が足を踏み外してルイは放り出された。その身体は瞬時に、堅い大地に張り付けにされる。

 吹き込む風が燃えるように熱かった。

 白い世界の中で、近くにあった馬に火が付き、皮と肉を溶かしてゆく。骨は黒炭になった端からぼろぼろと崩れ落ちて消滅する。

 周辺のエン族らも、通りを行き交う町並みも、すべて押し潰され、灼熱の風に巻き込まれ溶解した。

 次に届いた爆風でルイの身体は町の外へと吹き飛ばされた。

 町のあらゆるものが塵になり、吹き飛んでいた。

 ルイは自らが魂になったのだと理解した。

 肉体が燃え尽き、空を大きく舞っていた。

 町を取り囲む石壁は残らずルイと共に宙を舞った。


 ルイはどこか暖かな死の感触を覚えて、安らかに目を閉じた――。

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