3章 戦争の始まりと、空の悪魔

21話 マレールの町

 その町は、マレールと呼ばれている。カナタが連れ去られたイェシアから南へ六日、馬を走らせた場所にある湖畔の町だった。北方に比べるとやや標高が下がり、なだらかな道が多くなる。肥沃な土地柄から麦やソルゴーなどの穀物が栽培されていた。南の町との交易も盛んのようだ。


 町の門をくぐって、馬をしばらく走らせると、小高い丘から湖が見渡せる。カナタは、男と一緒にその丘沿いの道を歩いていた。目の前の男が先導し、カナタはその後ろを無言でついてゆく。目印代わりか、首に細いひもが巻かれていた。エン族たちのよく使う橙色に染色された麻ひもだ。それ以外には特段、身体を縛るようなことはされていない。


「随分おとなしいな」


 エン族の男、アッシュが言った。


「今さら逃げる場所なんてない」


 カナタが答える。

 この町へくる道中、荷馬車の中で泣き疲れた。もう一滴も涙は出ない。目元は赤く腫れ上がり、きっとバカみたいな顔を晒しているに違いない。それも仕方のないことだと思えた。なぜなら全部、自分の責任なのだから。森を出たのも、大切な師を失ったのも、家族のルークが殺されたのも。その罰がいまのこの有り様なら、黙って従うほかない。


「その通りだ」


 とアッシュが続けた。


「見ろ。この町は俺たちが解放した最初の町だ。いまと違って、農民たちは重い税にあえぎ、盗みや喧嘩、不正が蔓延していた。王の権力を振りかざして好き放題やっている領主を、俺たちが追い出してやった。ようやくここまでにすることが出来た」


 カナタは周囲を見回した。

 エン族と西方出身と思える人族が同じ町で生活を送っていた。道を歩く獣族もいた。犬族わんぞく猫族ケットシー、そしてラット族が露天で売り買いをしている様子が見られた。エン族の商人がロバを引いて、太い通りの真ん中を北へと抜けてゆく。遠方から買い付けてきた薬草や香辛料、蜂蜜をロバの背にたんまりと背負わせていた。


「なにか言いたそうだな」

「明るい町だなと思って」


 どこからともなく、子供たちの笑い声が聞こえてくる。

 アルカナハトの港町と比べると民の数は少ないし、建物も露店と石造りの簡素な家ばかりであったが、そこでは様々な種族らが前向きに暮らしている様子が伺えた。槍を持ったエン族らが町の治安を保ち、女子供の姿がよく目に留まった。


「意外なのか」

「争いをしてるって聞いてたから」

戦場いくさばにだって生活がある。水も食料も、娯楽も必要だ。気晴らしの酒もな。俺たちは年中、暴力で町を支配している訳じゃない。民の望みを聞き、町が活気づくようにしてやるのが、俺たちの役割だ」


 カナタはその言葉を聞いて、アッシュという男が第一印象よりも随分、まともな男だと思えた。道行く人々から礼をされ、声を掛けられるのは彼の人望からだと、素直に感心した。


 通りの向こうから、狼族ウェアウルフのジルがやってきた。子供を連れている。娘を肩に乗せて、男の子らが三人、父の足元をうろつきながら付いてきていた。


「ジル。女房は元気だったか」

「大事ない。いい産婆がきて助かった」


 アッシュの呼びかけで、ジルが答えた。

 こちらに視線を送ってきたアッシュが、カナタに付け加えた。


「こいつの女房が産気づいてた。赤子ができた」


 カナタは無言でうなずいた。

 アッシュの足元にいた男の子が二人、こちらをじっと見上げてくる。カナタは子供たちへ向けて、笑顔を作った。


「で、どっちなんだ」


 とアッシュが聞く。


「男だ」

「歓迎するぞ。狼の家系は男が多い。強い戦士になることを願ってるぜ。将来が楽しみだ」

「それまで争いを続けるのか。おまえは」


 ジルが言った。


「ふん。知るわけがないだろ。だが、この娘のおかげで、早く殺し合いがなくなるかも知れない。あともう一歩だ。いいところまで来ている」

「その娘はこれからどうする?」

「旧王城に連れていく。用があってここへ連れてきた」

「そうか」


 ジルがこちらを落ち着いた目で見てくる。

 カナタは少し顔を伏せた。

 足早に、背後から誰かが駆けて来るのが分かった。頬に毛の生えた獣族の男だった。男は大きな両手を広げ、アッシュに何かを訴えかけている。

 アッシュは一度うなずいてから口を開いた。


「おいジル。少し頼んでいいか。野暮用ができた。この娘を見ておいてくれ」

「分かった」


 ジルが返事をすると、アッシュは急いで道を引き返して行った。獣族の男も後を追って駆けてゆく。


「あっちで話すか」


 ジルが道の脇にある一本の太い木の根本を指さした。

 カナタは小さくうなずくと、ジルの後についてゆく。

 ジルは、肩に乗せている女の子を草むらで降ろすと、木の根を椅子代わりにして腰を下ろした。父に促され、子供たちは木の根本で、よく分からない決まりごとのある遊びを始めた。


「この町はどうだ」


 アッシュに聞かれ、カナタは答えた。


「いい町だと思う」

「おまえの町はもっと豊かだろ」

「少なくとも私が過ごした場所は、いい暮らしだったなって、外に出てから気付いたわ」

「どうして出てきた?」

「不満も多かったの」

「いまは戻りたいのか?」

「いいえ」


 カナタはかぶりを振って答えた。


「そうか。この国でずっと囚われることになってもか?」

「それもいや」

「じゃあ、どうしたい」

「私は自由に生きたいの。西へ行って、もっともっと世界を見たい」

「それがなにになるんだ?」

「私は、母様のようになりたいの」

「おまえの母親はなにをしてるんだ?」

「母様はもういないわ。母様は私にとって、とても偉大な方だった。アルカナハトだけじゃなくて、すべての国が平和になるよう活動してた。旅の記録には、そう言ったことが書いてあるの」

「その本のことか?」


 ジルが、カナタの腰に掛かっている本を指さし尋ねてくる。

 カナタは本に手をかけ答えた。


「ええ。ここには西を旅した思い出だけじゃない。母様がそこで出会った人たちと、どんな苦しみを分かち合ったかや、世界を破滅に向かわせようとしている魔女と話し合ったこと、西の国同士の争いを鎮めるために仲裁役を任されたことだって書いてある。たくさんの種族が登場して、母様と生活を共にしたわ。私は、こんな母様みたいな、みなが笑顔になることをしたいの」

「大きな夢だな。おまえのいた場所は、鬼の集まるところじゃないのか? そこにいれば国王にだって会えるし、政務に関わることだって出来たはずだ」


 カナタはジルの言わんとしていることが理解できた。鬼の一族は、国を左右することの出来る力を持っている。五〇〇年も前に、そのことが明らかになってからは、鬼の一族は王族や貴族らとともに国家の政略に深く関与するようになった。アルカナハトの三大さんだい鬼族きぞくの一角を担うバンキャロナール家も例に漏れない。叔父は大国の侯爵にまでなり、アルカナハトの政務を任されている。しかしカナタは、その環境が自らにとっては足かせになっていることも理解していた。


「私は鬼の娘だから」


 とカナタの口から漏れた。


「私がもし男の子なら、その道を選べたかも知れない。でも娘は違う。私の役割は政務に関わることじゃない。鬼の一族を絶やさないように、アルカナハトという国を繁栄させるために、たくさんの子をもうけること」

「子を産むのは女の役割だ。それはどの一族でも同じだ」


 ジルが答えた。

 うなずいてカナタが続ける。


「ええ。そうよ。それが嫌だったから私は故郷を出たの。会ったこともない腕っ節だけ強い男と結婚させられるのよ? 私は母様と同じように、自分の道は自分で決めたいの。母様がやろうとしていたのは、鬼の一族を自由にすることでもあるの」


 カナタが少しだけ感情的になって説明した。

 その話に聞き耳を立てていたジルの娘が、近くに寄ってきた。ジルの膝元に座り、こちらをじっと見つめてくる。四つくらいの娘だろうか。ふたりがなにを話しているか、恐らく理解していないだろうが、まだ育っていない小さな耳をぴんと伸ばして関心を示す。恐らく母親はエン族だと思える肌の色と顔つきをしていた。


「なるほど、よく分かった」


 ジルが娘の頭に手を乗せ、続けた。


「その話を聞いて、ルイはおまえを逃がそうとしたんだな。あいつの行動が少しは理解できた」


 ルイの話が出てくる。

 カナタは思い出したように、ジルに尋ねた。


「ねえ、ルイ君はどうなったの?」

「安心しろ。あれくらいじゃ狼はくたばらない。いま頃、ひとりでまたどこか新しい場所に行ったんじゃないか」

「そうは思えない」


 カナタが心配そうに言った。


「ルイ君は行く場所がないって話してた。だからいま頃、どうしたらいいか悩んでるわ」

「分かったような口振りだな」


 ジルがそっけなく返事をする。


「もしかして、あいつが自分を助けにきてくれると思っているのか?」


 そう問われ、カナタは力なく答えた。


「信じたい気持ちは残ってる。おこがましいかも知れないけど、ルイ君は責任を感じてるんじゃないかって、私は思うの。だから約束を守ろうとするかも知れないって」

「約束?」

「私を町まで送り届けるって。ううん、それはもう果たされたわ。でも私がわがままを言ったせいで、ルイ君を悩ませてしまったのかも。ルイ君話してた、狼族ウェアウルフは約束を守るって」

「狼族は誇り高い一族だ」


 ジルが言った。


「だが、あいつは村を追い出された。約束を守る余裕なんてあるとは思えない。嘘だってつくさ。生きるためならな」

「ルイ君はそんな子じゃない」

「いずれにせよ、あの様子じゃ恐らく戻ってこないだろうな。来ないやつを待つのは止めた方がいい。自分を追い込むだけだぞ」


 そんな気もした。ルイが助けにきてくれるなんて、自分にとってあまりに虫が良すぎる話だと思えた。淡い期待ですらない。ただの身勝手な妄想だ。思い返せばあの夜、ルイは自らと一緒に旅をすることを拒んだ。あの場では助けようとしてくれたが、わざわざ遠いこの町まで追いかけて来るとは、やはりそんな自信は持てなかった。


「ねえ。この町は、ルイ君に伝えたの? ルイ君はあなたに会いたいと思うわ」


 カナタが尋ね、ジルが返事をした。


「そうだな。本来ならあいつをこの町へ連れてくるはずだった。そして子供たちの面倒を見てもらおうと思っていた」

「じゃあ、せめてあなたに会いに来るわジル」

「いいや。それもない」

「どうして? 同胞でしょ」

「俺たちは敵対した。あの状況でまた戻ってくるとは思えない。それに、あいつは月の力を授かれなかったんだ。それを知れば、なおさらここには来ないと感じる。月の力を授かれない狼はだいたい、集落グルバから追い出される。どこの集落グルバでもそれは昔からある掟だ。そして二度と群れを作らない。他の狼と一緒にいることは、あいつにとっては苦痛なんだ」

「どうして? 一族と一緒にいたいって、ルイ君は話していたわ」

「おまえには分からないかもな」

「分かろうとするから、教えて」


 ジルが一つ間をおいてから続けた。


「俺たち狼族の男にとって一番重要なのは、強いか弱いかだ。月の力を授かれば俺たちの強さは他のどんな種族よりも強くなる。魔女がその力を恐れるくらいにな」

「ええ、知ってる」

「だが反対に月の力を授かれないのなら、それは墜ちこぼれだ。例えそこそこの戦士になれたとしても、一族の中では、どこまで行っても半人前のままだ。周囲にどう足掻いても勝てない仲間が無数にいて、男として幸せになれると思うか?」


 それを聞いてカナタは黙った。


「追い出した方が、奴にとっても幸せな選択なんだ」

「それはルイ君がかわいそうよ。ルイ君の気持ちを無視してる」

「自分の気持ちでどうにかなる問題じゃない。大切なのは集落グルバをいかに守るかだ。それが出来ないと、集落グルバはやがて腐って滅びてしまう。俺の集落グルバがそうだったようにな」


 ジルがそこまで話して、膝元の娘を抱き上げた。ジルの肩に乗った女の子は落ち着きが悪かったのか、背中に移動しておぶられる形で落ち着いた。

 カナタは残されたルイが、気の毒になった。

 自らのこれからを心配したい気持ちも強かったが、自分のことは自分でどうにかしようと思えた。これ以上、甘えは許されない。しかしルイはひとりだと、どうにもならない気がする。放っておけない気持ちが強くなった。お節介かも知れないと自分でも承知していたが。


「ねえ、お願い」


 カナタが言った。


「ルイ君を探してあげて」

「おかしな交渉だ。自分の置かれている立場が分かってないのか」


 ジルの眉が険しくなる。

 構わずカナタが続けた。


「ルイ君は自分を責めてるかも知れない。でも私は大丈夫だから、ルイ君にはルイ君の望む場所にいて欲しいと思ってるの。だから、この町においてあげて」

「こちらになんの得がある。一度、おまえを助けようとした相手だぞ」

「あなただって、ルイ君がここに来たら嬉しいはずよ」

「嬉しいや悲しいで話をしているわけじゃない。互いに相容れない立場がある。あの夜、おまえも見ていただろ。あいつはおまえを助けようとした。それは俺たちにとって許される行為じゃない」

「それは別。忘れて。私はもうルイ君の助けを必要としないわ。だから、この町に置いてあげて欲しいの」

「無茶を言う。信じられるか、その言葉? 鬼の一族はみんなこうなのか」

「私が特別らしいわ」

「おかしなやつだ」


 ジルがため息混じりに、肩を落とす。

 そして難しい表情をして考え込んだかと思うと、その考えを振り払うようにかぶりを振った。


「いや、だめだ。あいつがまた、おまえを助け出そうとする可能性は否定出来ない。敵に塩を送るほど俺は甘くない」

「じゃあ、こうしましょう」


 カナタは頭の後ろに両手を回した。そこにもうルークはいない。左の角に巻き付いている角飾りを解いて、手前に差し出した。

 カナタの手の中で、翡翠色の鉱石が淡い光を放つ。


「これは?」

「私が一番大切にしてるもの。母様の形見よ」


 とカナタが答えた。


「この角飾りがないと、私は母様の日記を読むことが出来ないわ。これをあなたに預ける。そうすれば、私が逃げ出す心配はなくなる」

「そこまでして、あいつを助けたい理由があるのか。理解し難い」

「私がそうしたいからだけじゃ、だめなの? あんな形でルイ君とお別れするなんて嫌なの」

「あいつをここに置いても、おまえに会えるわけじゃないぞ」

「ええ、別に構わない。あなたが約束してくれるなら、それでいい。母様の日記にも書いてあったの。大切なお願いをするときは、まず自分から信頼の証を見せるのがいいって。私に差し出せる大切なものは、もうこれしかないの」

「そこまで言うなら、仕方ない」


 角飾りを受け取ったジルが、つぶやいた。


「ラットたちに探すように話を通しておく。ただ、見つかる保証は出来ない」


 承諾の意志だった。

 ジルが付け加える。


「アッシュに見つからないよう取り計らおう。次にあいつの視界に入ったら、命を奪われかねないからな」

「ありがとう。あなたが優しい狼で良かった」

「おだててもこれ以上はなにも出ないぞ」

「そんなつもりじゃないわ。思ったことを口にしただけ」


 ジルの耳がぴくりと反応し、わずかに微笑んだように見えた。

 カナタは胸のつかえが取れて身が軽くなった。これでいい。なにもせず後悔するより、ずっとマシだと思えた。


 しばらくして、離れたところからアッシュの野太い声が届く。

 振り返ると、一仕事終えてきたらしいアッシュの姿があった。右手に動かなくなった子ウサギをぶら下げている。


「待たせたな。行くぞ」


 その言葉で、ジルが立ち上がった。


「やるよ。家族で食え。煮込んだら美味いぞ」

「もらったのか?」

「道すがら見つけた」


 子ウサギがアッシュの手から、ジルの手に渡る。子ウサギは両足をそろえて、逆さまに吊されていた。諦めたように動きが鈍い。

 土産を渡し終えると、今度はカナタに向かって言った。


「行くぞ。ついてこい」


 アッシュに促され、カナタは再びその背中につき従う。去り際に、ジルの娘が小さく手を振ってバイバイしていた。カナタも微笑み返し「さよなら」とつぶやいた。


 どこへ向かうのか、目的を聞かされていない。

 また新しい不安の種が、自らの中に芽生えるのが分かった。

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