20話 熱い決意とともに

 ルイは飛び起きた。

 夢にうなされ、びっしょりと寝汗を掻いている。陽の光が部屋の中まで差し込んでいた。ルイがベッドから飛び起きると、破壊された壁近くをうろついていた二匹の鼠が、慌てて逃げ去って行くのが見えた。


 ぽっかり穴の空いた側壁を見て、ルイははっとなった。あの夜のこと。あれから、どうなったのだろう。なぜベッドの上で眠っているのだろう。カナタは? 様々な疑問が頭を駆け巡る。すぐさま立ち上がろうとしたところで、激しい頭痛に襲われた。


「いたたた」

「無理はせんほうがええ」


 と誰かに話しかけられ、ルイは声の主を探した。入り口付近で、一匹のラット族がこちらを見ていることに気が付いた。汚れたズボンを穿いて、白い髭を蓄えている。随分と老いたラットだった。


「ようやっと目を覚ましたか。もう三日はうなされとったぞ」

「あなたは? そうだ、カナタはどこに」

「落ち着け。お主は道で倒れておった。そしてわしがこの町に来たときには、姫様はもうこの町を出た後だった」

「姫様? カナタのこと?」

「そうじゃ。お主のことは姫様から聞いておる。そして、この町でなにがあったのか、それも聞いておる。こやつらからの」


 老齢のラット族の足元に、数匹の鼠たちが集まってきた。頬を指先で撫でると、ごろんと仰向けになって甘えたような仕草を見せる。しばらくじゃれたあと、老齢のラット族はズボンの中から餌を取り出して、それを鼠たちに与えた。鼠たちは餌をもらうと、素早い動きで入り口から飛び出して行った。


「おお、そうじゃ。名乗るのが遅くなったの。わしはカナタ様の従者のロズワルドじゃ」

「従者? カナタがそんな話をしてた」

「わしもお主のことを聞いたぞ。姫様を守る用心棒だとの」


 ルイは顔を伏せた。


「姫様は連れ去られたようじゃ。南にあるマレールの町へな」


 ルイは「うん」と短く答えた。


「どうやら、お主は姫様を守ろうとしてくれたようじゃな」

「守れなかった。負けたんだ」

「らしいな。姫様は見込みを違えたようじゃ。あの方は、どうも母君に似て見る目が無かった。どうしようもない男を好きになったり、悪人を善人だと庇ったり、弱い男を強い男だと勘違いしたり、そしてよく裏切られていた」


 ロズワルドがルイの元へ寄ってくる。


「だが、そんな母君のすごいところは、それでも考え方を曲げなかったところじゃ。アルカナハト随一の頑固姫と呼ばれていた」

「どうしてそんな話を」

「姫様からお主が狼族ウェアウルフだと聞いて、わしはきっとこれは天の導きだと思った。なぜなら、わしらとともに旅をしていた男もまた、狼族ウェアウルフだったんじゃからの」


 ロズワルドの手には、鞘に納められた剣が握られていた。

 ルイはその剣の柄に刻まれたある模様を見て、つぶやいた。


「俺たちの、集落グルバの印だ」

「そうじゃ。その狼族ウェアウルフの、かつての仲間がふるっていた剣じゃ。アルカナハトに伝わる由緒正しき騎士の剣。名をエヴァン。この神聖な剣に自らの一族の印を黒曜石で刻みおった。いや、傷物にしおった。わしは今でも根に持っとる」


 ロズワルドが鞘から剣を引き抜いた。

 そしてそれを床に突き立てる。


「この剣を抜けば、お前は騎士だ。カナタ様の騎士となって、命を賭して姫様を守れ」

「ダメだ。俺なんかじゃ、カナタを守れない。俺は強くない」


 ルイがうつむいて答える。


「そんなことは知っとる。姫様は見る目がないんじゃ。お主が弱いなんて百も承知じゃ」

「じゃあ、どうして僕なの」

「姫様が選んだからじゃ。お主を、いまでも待っておる」

「そんなこと、どうして分かるの」

「アルカナハト随一の頑固姫の娘だぞ。分かるに決まっておる。姫様は選んだ男は曲げない。弱かろうと強いと信じ続ける」


 自信に満ちた回答だった。

 ロズワルドが続けた。


「わしらとともに旅をした男の名は、ハルといった。ハル・フィンレイ。その男もまた弱かった。だが、旅をするうちに、やつは強くなった。カナタ様の母君はそれを見抜いていたのかも知れん。見る目がないと、誰もが思っとった。しかし姫様が信じた者たちは次第に、生まれ変わった。悪人だと思っていた者は善人になった。弱いと思っていた者が強くなった。母君は、その者に眠る可能性に誰よりも早く気付く、純粋な心の持ち主だったのじゃ。カナタ様もまた、母君と同じ道を辿るやもしれん。わしはあの方が認めた男を、信じたいと思っておる」


 ルイは目の前の剣をみた。剣には持ち主の魂が宿ると言われる。その剣からは、どこか懐かしい故郷のにおいがした。


 しかし、とたんに頭の中にまたあの陰が差した。陰の正体は恐怖だった。敗北への恐れ。自らが弱者であることを、突きつけられる苦しみ。人一倍負けたくない気持ちが強かったルイは、その恐怖に、また心が言うことを聞かなくなっていることに気付いた。


「違う。俺はそんな大それた存在じゃない」

「剣を取って戦う気は、もうないのか? このエヴァン。そんじょそこらの武器とはモノが違うぞ」

「武器の問題じゃない」


 ルイがかぶりを振る。

 するとロズワルドがうなずいて答えた。


「そうだな。武器の問題じゃない。信念の問題だ。旅とは、信念の賜物だ。信念のない者はさ迷う。信念を持つものだけが旅をする。お主はどうする」

「ほかのもっと強い奴がいるのに」

「強いか弱いかではない。お主が、どうしたいかじゃ。姫様はお主の助けを待っておる」

「俺がどうしたいか?」

「そうだ。己の気持ちに正直になれ」


 あの時の、光景がよみがえる。

 集落を去ったあの日。マヤの口から漏れた言葉。


 ――あなたの気持ちを聞きたい。


 それは強さを聞かれていたのではない。自らの気持ちを、知りたかったのだ。


 逃げたくない。


 ルイの中で、意志が芽生えていた。


 ベッドを降りて、両足で立ち上がる。目の前にある剣に手をかけた。ルイはそれを握りしめ、強い信念とともに剣を引き抜いた。

 目からは涙がこぼれていた。それは冷たい悲しみの涙ではない。熱い燃えたぎる涙だ。


 今度こそは、その手を掴みたいと願う、決意の現れだった。


「カナタは僕が取り戻す」


 ルイが両手で握った剣を顔の前で掲げた。

 切っ先を天へと突き立て、誓いの言葉を口にする。


狼族ウェアウルフは約束を違えない。この命に代えても、守り抜いて見せる。一族と、父の誇りに賭けて」

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