15話 呪い

 緑は乏しくなり、枯れた砂地が続く。乾燥した植物がいくらか集まっている場所に、小さな湖があった。小魚たちが泳いでいる。鳥が集まり水を飲んでいた。

 カナタたちもそこで喉を潤した。


「ここから先は、しばらく水もなさそう」


 カナタが言った。


「そう遠くないはずだよ。あの丘になっている所をのぼれば、たぶん遠くまで見える」


 ルイの言葉を信じて、ふたりはまた足を進めた。

 カナタもさすがに疲れて、無言になっていた。 


「ねえ、街が見える」

「みたいだね」


 ようやく終わりが見えてきた。気持ちが軽くなる。


「もう一踏ん張り」


 ふたりはまた砂地を進んだ。カナタの足はすでに鉄のように重かった。なのに、どういうわけか、街はいくら歩いても近づいてこない。最初は気のせいかと思ったが、だんだんそれがおかしい現象であることに気づき始める。


 空気が変に淀み、黒くもやがかっている。


「ルイ君、この場所おかしいわ」

「分かってる。なんだろう、ずっと違和感だ。このにおいに覚えがあるんだ」


 ルイの言葉を気にしていると、今度は遠方に見えていた街の景色が、蜃気楼のごとく、かすんで消えてしまった。

 足下の砂地から湯気が上がり、じりじりと日差しが照りつける。暑い。


 カナタは、ぼーっとした頭で、ルイを呼ぼうと思い、後ろを振り返る。すると背後には、数え切れないほど多くの兵士らが、隊列をなしていた。


 みな一様に槍と盾を構えている。


「ルイ君」


 カナタが驚いて、ルイの側に寄った。


 ロバにまたがり、鉄兜を被っているリーダー格の男が、ひときわ長い槍を天に突き立てて、大声で吼えた。


「焼き払え! オーツに刃向かう愚かな辺境部族どもに、鋼の鉄槌を!」


 兵士たちが地鳴りとともに雪崩れ込んでくる。


 カナタは逃げようと背を向けた。

 しかし、向かい側にもまた多くの兵たちが列をなしていた。その中心で、巨大な火熊グリズリーが咆哮をあげるのを見た。火熊の足下に立つ、金色の長い髪をした女が、両手を丸めて祈りを捧げていた。


「あなたの勝利を、――ギレイ」


 女の見上げる空は、真っ白な光を帯び、兵たちが一斉に燃え上がる。火熊グリズリーが足下に立つ女を掴み上げ、その巨大な牙で、頭からかじり付く。鮮血が迸り、女の身体は火熊グリズリーに飲み込まれた。火熊グリズリーの身もやがて火を帯び、業火の中、骨となり崩れ去ってしまった。


「魔女だ。魔女のにおいだ。思い出した」


 ルイの言葉を耳にしたとき、カナタの指先に痛みが走った。まるで太い鋏で指先を挟まれたような痛みだ。


 カナタははっと目を開けた。


「起きた?」


 ルイに抱きかかえられていた。そしてルイの口の中には、自らの指先が挟まっている。カナタは慌ててルイの口から指を引き抜いた。


 赤い血がじわりと滲んだ。


「加減できなかったごめん」

「どういうこと?」


 カナタが尋ねる。


「眠っていたんだ。呼びかけても起きなかった」


 カナタは周囲の様子を伺う。がれきの山。白骨となった動物の遺体が散乱している。教会の形を半分残している建物が目に留まり、そこがかつて街だったことを理解した。


「覚えてない? この街が僕らの目指していた街だよ」


 ルイが言う。


「どういうこと?」

「水を飲んだでしょ? あのときから眠ってたんだ。この街は呪われてる。僕もこの蛇がいなかったら、目を覚ませなかった」


 ルイの首にルークが巻き付いていた。


「危うくやつらの餌食さ」

「やつらって?」


 ルイの返事を待つよりも早く、瓦礫の影から、二体の獣が地を這い、飛び出してくる。黒く焼けた毛を逆立て、顔は半ば溶けて顎骨が露出している。長い舌をだらりと垂らして、涎を滴らせていた。


「魔物だ」


 ルイの言葉のすぐ後、魔物たちが襲いかかってくる。軽い身のこなしでそれらを受け流すと、ルイはカナタを地面に降ろして、短剣ダガーを構えた。


「カナタは下がってて」

「戦うの?」


 ルイが首を横に振って答える。


「無駄なんだ。逃げるしかない」


 事態を把握する間も与えられず、再び魔物たちがこちらへ飛び出してきた。ルイが素早く魔物たちの頭に短剣ダガーを突き刺す。


 一撃でしとめた。


 そしてまたカナタを抱きかかえると、道を塞いでいる大きな岩のてっぺんに飛び移り、一呼吸おいた。


「見てなよ」


 ルイに促される。

 カナタは倒れている獣に目を向けた。


「うそ、生きてる?」


 思わず言葉が漏れる。

 獣たちは息を吹き返したように、また立ち上がった。


「繰り返しなんだ。何度殺しても、生き返ってくる。これじゃキリがない」

「困ったわね。……どうしましょう。あ、もしかしたらだけど」


 カナタが遠くを指さして言った。


「町の外へ出るの。そうすれば、あの獣は追いかけてこないはずよ。呪いには限りがあるって学んだわ」

「もう試したよ。だけど、出口にたどり着けないんだ」

「そんな単純じゃないってわけね」


 遠方で石柱が倒壊するような音が聞こえた。続けて、獣の遠吠えがふたりの耳に届く。


「やだ、なんの声?」

「あっちになにかいるんだ。遭遇したくないから、距離を置いてる」


 遠吠えがまた聞こえた。うおおぉぉん、という獣の鳴き声だ。その声の響きで、瓦礫が小刻みに震える。遠方を眺めてみても、やけに濃いもやで覆い隠され、その姿を捉えることは出来ない。怪物がいることだけは確かだった。


 ルイが岩から飛び降りると、また駆け出した。


「カナタ」


 ルイが呼ぶ。


「なに?」

「この町じゃ君を無事に届けたことにならない」

「当然よ。ひとりじゃ死んじゃうわ」

「だから次の町までは君を運ぶよ」

「もっと長旅でもいいのよ。私としては」


 ルイからの返事はない。

 カナタが続けて言った。


「いずれにせよ、この町から抜け出せるかが問題ね。どうする?」

「どうしよう。果てがないんだ、この町。どの方向に走ってもぐるぐる同じような場所を巡ってる」

「待って、ルイ君」


 カナタがルイの動きを制止した。

 ルイが岩影に隠れて立ち止まる。カナタはルイから降りると、脇に携えている本を開いた。


「なにしてるの?」

「母様の旅の日記。こんな話があったわ」

「本の話? どういうこと、話が見えないよ」

「関係あるかは分からないけど」

「本当になにも書いてないんだね。僕は読めないけど」

「私には見えるの」


 中の紙はパピルス紙だった。パピルスの茎を平たく潰して水に浸した後に乾燥させたものだ。羊皮紙より紙を作り易かったが、パピルスははるか西側から伝わる植物で、羊の皮よりも入手が難しかった。紙の表面はくすんだ黄色と赤茶けた色が縦横と網の目状に層を形成している。


 その紙の表面に文字が浮かび上がった。

 第三章の、オアシスの話の中にそれはあった。


『少女は水を飲んで深い眠りに落ちました。オアシスの水は、少女に何かを伝えようとしていました。それが何かは少女には分かりませんでした』


 カナタが言葉に出して読み上げる。


「分からないなら、ダメじゃないの?」


 ルイが横やりを入れる。カナタは一瞬ルイに目配せをすると、黙って頁をめくった。


『少女は知りたくてまた水を飲みました。巨大な火熊グリズリーは、言葉を操ることが分かりました。でも、次に目を覚ました時、短気な魔女の友達が、火熊の頭を飛ばしていました。町を出た後も、少女とその友達はしばらく言葉を交わしませんでした』


 その章は、イルド語で書かれていた。北の国で使われている言葉だ。


火熊グリズリーがなにか知っているはずよ。夢に出てきた」

「僕は覚えてないよ」

「ルイ君はすぐ起きたからじゃない?」

「それでどうするの。また眠るってこと?」

火熊グリズリーに会わなきゃ、どのみちこの町からは出られないわ。行きましょ」

「行くって、どこへ?」


 ルイが尋ねる。

 カナタが答える前に、遠くから再び、巨大な獣の雄叫びが聞こえてくる。ふたりは耳を塞いだ。


火熊グリズリーはまだこの町にいるわ」

「冗談でしょ? あいつに会いに行くの? 殺されるよ」

「ルイ君がいる」

「僕を買いかぶりすぎだよ。本当に強い奴らに会ったら、僕じゃ勝てない。なるべく遭遇しないように立ち回らないと」

火熊グリズリーに会うのは、必要なの。避けられないわ。行きましょ。ルイ君はもっと自信を持つべきよ。ラルゴから私を守ってくれたじゃない」


 先に歩き出すカナタ。ルイは苦い顔を浮かべていたが、しぶしぶといった感じでついてくる。


「危険だと思ったら、逃げるからね」


 ルイの言葉にカナタは「うん」と一言だけ返した。


 ふたりは獣に見つからないよう、身を潜めながら声の主の元へと急いだ。

 しばらく移動すると、崩れた煉瓦造りの塔の裏側から、巨大な背中が姿を見せた。


「これ以上は近づけないよ」


 物陰に隠れながら、ルイが言った。

 そいつは想像通り大きかった。白と茶色の入り交じった毛で全身が覆われていて、獰猛な犬のように喉奥を鳴らし続けている。ちらりと垣間見えた顔は、正気を失った目をしており、むき出しの歯茎からは長い牙が二本伸びていた。火熊グリズリーが腕を一振りすると、瓦礫の山はいとも容易く、四方八方に吹き飛んだ。


「あれをどうするの? 話が通じるようには見えない」

「でも、母様の記録に残っているの。言葉が通じるって」

「まさか」


 火熊グリズリーは本来、もっと寒い地域に生息する生き物だ。通常であれば氷の大地から南へ渡ってくることはほとんどない。もし、この地に火熊グリズリーがいるとしたら、幼い頃に何者かの手によって連れてこられた可能性がある。カナタはその太い首に巻かれている、ほとんど黒ずんで焼け焦げてしまった革製の首輪に気付くと、小さくつぶやいた。


「たぶん飼い主がいたの」


 物陰に隠れながら、さらに火熊グリズリーの元へ近づこうと試みる。ルイが止めろと首を振っている。火熊グリズリーに夢中だったカナタは、その警告を破った。


「カナタ!」


 ルイが後方で叫んだ。

 とっさに振り向くと、ルイが先ほどの小さな獣たちと交戦していた。二匹がルイに襲いかかり、一匹がルイの脇をすり抜け、カナタに飛びかかってくる。


「ルイ君!」


 思わず駆けだすカナタ。呼ばれたルイは、手前の二匹の獣を止留めると、カナタに飛びかかった獣の頭めがけて、短剣ダガーを投げた。短剣は獣の頭に突き刺さり、寸での所で、カナタは助かった。


「危なかった」


 ほっと胸をなで下ろす。

 だが一息つく間もなく、巨大な影がふたりの足下を覆い隠していた。火熊グリズリーが、こちらを見下ろしている。

 あっという間に太い腕が飛んできた。ルイがカナタをだき抱え飛翔する。火熊グリズリーの右腕は鋭く風をえぐり、その場にいた小さな獣を遠くまで吹き飛ばした。頭に突き刺さっていた短剣ダガーごと。


 右腕が通り過ぎた後に、暴風が生まれる。


「うわっ」


 ふたりの身体はその風に巻き込まれ、地面にばらばらに落下した。


「いたっ!」


 カナタが声を上げる。痛みをこらえ、急いで身を起こす。しかし目の前にいる火熊グリズリーは、再び右手をふり下ろさんとしている所であった。


「逃げて!」


 ルイの声。その助けは間に合いそうもない。猛烈な勢いで迫る腕。カナタの視界が、その腕に覆い尽くされた。

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