12話 空の蜘蛛
平坦な砂利道を西へ進むと、草木が広がり始めた。遊牧をしている民と羊の群れを見送り、馬車の走る本道を脇に逸れ、山岳地帯へと続く一本の獣道をしばらく歩いた。
快晴の中、太陽の光を遮る大陸で、道は影に入ったり、場所によってはまた日が照り暑くなったり、視界の切り替わりが忙しかった。足元には無数の影が散らばる。
カナタが手をかざしながら、空を見上げた。
「すごい数。あの島を全部足し合わせたら、たぶん霧の森より広そう。ねえ、ルイ君知ってる? 空に浮かぶ島はね、ドラゴンに乗って行くの。ドラメキア大陸はあの島よりもっと高い場所にあるんだけど、ドラゴンが乗せてくれるのは竜人たちだけだから、竜人たちの国になってるんだって」
腰に下げている本の表紙を開いて、続ける。
「母様の日記にもあったわ。確かね、ここ。ドラゴンはどの種族にも友好的じゃないけど、鬼は歓迎されてるんだって」
「そう」
たまにルイが相づちを打ってくれる。
カナタは見晴らしの良い景色と暖かな日差しが心地よくて、ずっと口が止まらなかった。
「空の島はどうして浮いているか、知ってる? 大陸が浮いている訳じゃないのよ。大地はすごく軽いけど、浮いているのは、あの草木なんだって。軽い大地を、草木が浮かせているの。だから伐採を繰り返すと、大陸の高さがどんどん低くなってくるの。高度の違う大陸が見つかるのは、それが原因だって研究者が突き止めたわ。それでね、あの大陸で浮いている木を削りとって作られたのが魔女の箒なんだって。言葉で箒を操るのはまた別のやり方があるらしくて。ルイ君の一族はさ、色々な町を旅してたんでしょ。やっぱり空の島にも行ったことがあったりするの?」
「ねえ」
ルイが、少し荒い声を出した。
「どうして君って、そんなおしゃべりなの?」
「どうしてって、話しかけてるのよ。駄目なの?」
ルイがため息をつく。
「僕は君を隣国まで送り届けるとは約束した。でも楽しくおしゃべりをするとは、約束していないよ」
「えー、いいじゃない。せっかくふたりなんだし。話さないとこの先、辛くなるわ」
「いまが辛いんだ。それに無駄な体力は使わない方がいいよ。隣でさっきからずっと口が動いてる。鳥のさえずりを聞いている方が僕はいいんだ」
「そんなこと言われても。じゃあルイ君は黙って鳥の声を聞いていればいいじゃない。私は勝手にルイ君に話しかけるから」
「なら質問はやめてよ」
「どうして。気になったら、聞いてもいいじゃない」
「それじゃ、楽しくおしゃべりしてることになる」
「いいじゃない。それでも」
カナタが眉をひそめて返した。
「僕は護衛を頼まれたんだ。この
ルイが説得するようにカナタに言った。
気まずい沈黙が流れる。
「それに」
とルイが続ける。
「あの島は竜の島に比べたら全然小さい。あれを見てもはしゃげないよ」
「ルイ君は、空の島に行ったことあるんだ」
「登ったことはないけど、ドラメキア大陸の下にある街には幼い頃、立ち寄ったことがあるだけ」
ドラメキア大陸は世界でもっとも巨大な空の地だ。竜人たちと使役されているドラゴンが暮らす。それに比べたら、アルカナハトとイール王国の国境沿いに浮かぶハレー諸島など驚くに値しないのだろう。
「ねえ、ルイ君。ドラメキアはどれくらい大きいの?」
「隅から隅まで見渡せないくらい。下にある街は昼でも夜なんだ。太陽がしばらく出てこない」
とルイが答えた。
「私もいつか行ってみたい。ねえ、あのハレー諸島にも、ドラゴンが住んでるのかな?」
「いないよ。蜘蛛が巣を張ってる。他はただの森だって。オービの商人が話してた」
カナタはもう一度、空を見上げた。島と島の間には、日の光を反射してきらきらと光る透明な無数の糸が、あちらこちらに張り巡らされている。
空蜘蛛が居るかまでは、遠くてよく見えなかった。
しばらく歩き続けた。
森が深くなったところで、ルイが静かに
「待って」
「どうしたの?」
「静かに」
口に人差し指を当てて、黙るように指示をしてくる。ルイの表情が真剣なものに変わっていた。すぐ近くで、いたちの死骸が転がっていた。まだ仕留めてから時間が経っていない。それに近づいたルイが、屈んで足下の落ち葉を払い退けた。土に大きな足跡が食い込んでいた。虎猫のドリーほどの巨大な肉食動物の足跡だと、カナタもすぐ悟った。
「通った足跡を隠してるんだ」
「どういうこと?」
「この小さい餌で、獲物もおびき寄せるため。森には利口な動物もたくさんいるから、用心深く見ないと。危険を避けられない」
ルイがゆっくりと立ち上がる。
「もう、遅いけど。カナタは上を気にしてて」
カナタはうなずき、ルイの側へと駆け寄った。ルイ同様、何者かの気配をカナタも感じ取る。草木に囲われているその場所で、ふたりは息を殺し、耳を澄ました。
前方の茂みが揺れたかと思うと、なにかが勢いよく飛び出してくる。低いうなり声を上げ、長い牙をぎらつかせ、ふたりに襲いかかる。
ルイがカナタの側を離れ正面から迎え撃った。相手が噛みつこうと大きな口を開けたところを、口内へ腕を突っ込み短剣を脳内へと突き刺す。動きに迷いがなかった。
短剣を抜き取ると、強襲者は石化したように眼光を見開いたまま、横にどしんと倒れた。
死骸を見て、カナタがささやき声で言った。
「
ネコ科の獰猛な生物は口から血を流し、少しの間、手足を痙攣させ続けていたが、やがて静まり返った。
緊張が緩んだのもつかの間。
「危ない!」
ルイが叫ぶ。
「それから離れて! 上だ」
とっさに上空を振り仰ぐ。陽の光で目がくらんだ。
陽光を背に、巨大な蜘蛛の姿が差し迫っていた。棒立ちの中、自らの脳が強い振動で揺さぶられた。ルイがカナタを抱きかかえ、飛び退いたのだ。ほとんど体当たりで乱暴だった。
落ちてきた巨大蜘蛛は、目の前で血を流している
「まだいる」
ルイがカナタを降ろすと、再び短剣を構えた。今度は近くの木の影から、目にも止まらぬ速さで糸が飛んでくる。ルイの腕に糸が絡みついた。
「ルイ君」
「ここにいて」
言い残すと、ルイは糸に引かれ、草むらの中へと吸い込まれて行った。
木の向こう側で何かがどすん、と落下する音が聞こえて、静かになる。
「もういいよ。こっちに来て」
その合図を聞いて、カナタは足早にルイの元へと急いだ。草木をかき分けた先に、赤毛虎の三倍はあろうかという空蜘蛛が、毛むくじゃらの長い足を広げ絶命していた。ルイは蜘蛛の上に立ち、腕と頬にいくらかの返り血を浴びている。黒ずんだ黄緑色の血だ。
頭に突き刺さったダガーを引き抜いて、カナタの元へと降り立った。周囲に落ちている葉で血を拭く。
「空蜘蛛ってこんなに大きいのね」
「この山の捕食者だ。鳥も馬も、人間だって食べてる。大きく育つに決まってる」
カナタはその話に半分耳を貸しながら、死骸の尻の方へと回り込んでいた。尻から糸が飛び出している。
「何してるの?」
ルイが尋ねる。
「そう言えば本で読んだの。この空蜘蛛の糸はすごく上等なんだって。太くて頑丈で、高く売れる」
空蜘蛛の尻から糸を引っ張り出し、右腕に巻き付けてゆく。
「そう。君はちょっと変わってる」
ルイがつぶやいた。
「普通はこんなの見たら、すぐ逃げたくなるのに」
「蜘蛛は本来、私たちとともに生きてる虫なの。命を奪うしか選択肢がなくても、せめてこの糸を有り難く使わせてもらう方が報われると思わない?」
「そんなこと考えたこともなかった。狩るか狩られるかだよ基本」
糸はカナタの親指ほどの太さがあり、引っ張っても簡単には千切れそうもない。色は白濁色で粘り気があった。
「さっきの
作業に夢中のカナタがルイに尋ねる。
「もう一匹が持って行ったよ。餌を手に入れたから、しばらくは戻ってこないと思う」
「そう。この空蜘蛛は食用には向かないのよね」
「食べられたもんじゃないよ。さっき見つけたいたちだけ回収して行こう。肉は固いけど、案外おいしいよ」
「ルイ君、大活躍」
「ほら、そろそろ行くよ。日の明るいうちに進まないと」
カナタはちょうど糸の途切れ目が来たところでそれを巻き取ると、ルイの背中を慌てて追った。
「川を見つけたらすすがせて。べとべとする」
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