第二十七章 兄弟弟子 (贰)
師匠が出かけて
「ほら、もっとケツに力いれろ。」
「ぐっ、ふぅぅ。」
一人は昨日、急にこの屋敷の住人として加わった竜王の息子、ともう一人は壁に向かって上体を前に倒し、辛そうな唸り声をあげている弟子。
「そんなんじゃ全然駄目だ。もっとケツの穴締めて上げろ。」
「ん-ーー、ん”ーーーー。」
南陽の罵声に弟子は額に玉の汗を浮かべ、脚を震わせて腹に力を込める。だが、顔に血管を浮き上がらせても、身体中が軋み出しても達っする事は出来なかった。
「無理ーーーーーーーーっ」
「だらしねえなあ。そんくらいで。」
弟子が根を上げて脱力すると南陽が後ろから呆れた様に覗き込む。
弟子のしゃがみ込む前には頭二つ分ほどの大きな庭岩が冷たく転がっていた。先程からこの破天荒な男は自分にこれを持ち上げろと言ってくるのだ。仙術は少しずつだが身についてきている。空だって飛べる。だが、それ全ては神通力によるものであり、道士である弟子に筋肉はない。こんなモノ持ち上げられるはずがないのだ。
「じゃ、じゃあ、
「当たり前じゃん。」
弟子がやけくそに叫ぶと南陽は平気そうに庭岩の前へ来ると、まるで木桶でも持ち上げるが如くその庭岩を片手で肩の上まで持ち上げて見せた。
(まじか、腐っても竜族…)
「ほらほら、頑張れ。」
「こんな、重い物っ、ぐぬぅぅう。」
目の前に再び置かれた庭岩を見て弟子は渋々また両手を伸ばした。全身の力を使っても微かに動く程度。こんな事いつまでもやらされたら身が持たない。
「はあ、大体仙人はこんな重い武器使わないよ!」
早々に諦めて南陽に向かい文句を垂れる。
「あれ、そうなんだ。」
南陽は知ってか知らずか目を丸くさせた。
(もしかしなくても竜族の修行か、厳し過ぎっ)
竜族の扱う武器は仙人のものより太く厚みのある刀や
「まあ、筋力つけといて損はないだろう。ほれほれ。」
「私は筋力より仙術を覚えたいんだ!」
「仙術ねぇ~。」
弟子の抗議の声に南陽は腕組みをしてつまらなそうに呟く。
「なんだよ。」
「はっきり言って仙人になったって仙術をしょっちゅう使うわけじゃないんだぜ。」
「重要なのは丹田にどれだけ神通力を溜めておくかって事だ。うちの親父殿も竜の力を身体にため込んで座ったまま南海を制してるんだからな。普段やる事といったら書類に判を押す作業ばっかだ。つっまんねー。」
「へえー、そうなんだ。」
この南陽、能天気な性格だが基本的な事は意外と熟知している。歳はそんなに変わらなそうだがやはり生まれた時から南海で暮らしている分詳しいようだ。
「だから天候を操るような神仙でない限り、仙術なんて必要ないない。」
「いや、必要は必要だろう。いざという時に。」
南陽の適当な物言いに弟子は反論する。仙術が必要ないだなんて…自分が何の為に修行しているのか分からなくなりそうだから。
「そだな。でもいざという時に神通力が少なかったら出せる技も弱くなるんだぜ?そんなんで使い物になんのかよ。」
(この南陽。口は悪いけど、正論過ぎるっ)
「丹田を鍛えるなら身体を芯から鍛えないとなー。ほら、持ち上げろー。」
何だかんだ言いくるめられた弟子は催促され、仕方なく庭岩を持ち上げようと踏ん張る。
「んっ、うぐ、この身体を鍛えるのと、丹田を鍛えるのは一緒なのか?」
「んーー、多分な。」
「はぁ?」
やはり適当なのか、と弟子の力が抜けてしまう。
「まあほら、もし仙術が使い物にならなくても身体が鍛えられてれば剣仙くらいにはなれるんじゃないか。」
(もう、適当なんだから。)
笑う南陽を背に弟子はしゃがみ込んで溜息をついたのだった。
◇
庭岩を持ち上げる素振りをしつつ、静かになった後ろを振り向いて弟子は眼を見張った。
「あ、あれ?」
「んー。」
南陽はいつの間にか背後から離れ、指定席である大きな庭岩に腰掛けて休憩していた。その手に持っていた見慣れない物に弟子は不安を覚え、近寄る。
「その、それって…酒?」
「そそ。」
南陽の手には下の丸みが異様に大きい瓢箪があった。そこには赤い紙に"酒"と書かれている。
「酒なんてどこにあったんだよ。」
師匠も自分も酒は今まで一滴も飲んだことはない。故にこの屋敷に酒は普段置いていないのだが…
「どこって酒蔵だけど?」
「酒蔵?どこの?」
弟子は聞き慣れない言葉に頭を捻る。この屋敷に酒蔵なんてあったっけ?と。
南陽は酒が入ってかいつも以上に陽気に弟子を屋敷の奥まで誘導した。
「こっちこっち。」
「ここだ。」
南陽が笑って指差した先を見て弟子の顔が青ざめる。
(おいおいおい!いつの間にっ)
そこは屋敷の最奥に位置する師匠の大切な物がしまってあるという物置きだった。以前ここから昔の天仙の衣服を出してきていただろう?言っておくが酒蔵ではない。ここには仙器と呼ばれる仙人が使う道具などもあり、道士である自分は絶対に絶対に開けてはならないとキツく言い聞かされてきていた。
「鍵は⁉」
「え、壊した。」
見れば扉の取手に付けられていたであろう頑丈な鎖と錠前が無惨に足元に散乱していた。
(ど阿呆ーーーー!)
弟子の顔が益々恐怖に青ざめ、内心叫び声をあげる。
「ここは!師匠に禁じられてる物置きなんだぞ‼ なんて事っ」
「えー、聞いてないしー。」
怒鳴る弟子をよそに南陽はヘラヘラと笑い、瓢箪の中身を口にしている。
「聞いてないしじゃないよー、どうすんだよー。すんごく怒られるぞ、めちゃくちゃ怒られるぞ。」
「まあまあ、過ぎた事だ。お前も飲むか?」
(待てよ。彼の世話は私に託されてる…という事は…私の責任⁉ 嫌ーーーー!)
差し出された瓢箪を押し戻しながら弟子の脳裏に不安がよぎる。南陽を野放しにした自分のせいにされかねない、いや、絶対される!
弟子は慌てて南陽ごと物置きに押し込もうとした。とにかく師匠が戻って来るまでに元通りにしておけば。
「すぐに戻せ!あった場所にすぐ…」
「何を戻すのだ。」
弟子がぐいぐいと酒で気の抜けた重い身体を押していると背後から今一番聞きたくない声がかけられた。
(いーーーーーやーーーーーーーぁぁぁあああ。)
その落ち着いた低い声に、弟子は心の中で顔を歪ませて叫び声を上げる。
怯えた唇はまともに言葉を発せず、弟子はなんとか作り笑いを浮かべ振り向いた。
「あ、し、師匠。おかえりなさい。早かったですね。」
「おかえりなさーい。」
師匠は出かけた時と同じ白い長衣を乱す事なく着重ね、腕組みをして特に怒った様子もなく静かに直立していた。が、これは嵐の前の静けさに違いない。
「
案の定、師匠は南陽の瓢箪を指差して問いかけてくる。
「え!? な、何でしょう?み、水かなぁ。」
「何言ってんだよ。これはさ…むぐっ」
(この大馬鹿、黙ってろ。)
弟子がなんとか誤魔化そうとする横で陽気になった南陽が口を挟もうとするので咄嗟に酒臭い口を覆った。
「さ?」
「さ、あー、白湯かな〜。お腹には温かい飲み物が良いですからねぇ。」
「なるほど。健康第一だな。」
師匠の聞き返しもなんとか交わし、弟子は無理くり笑顔を作る。師匠は納得したようだった。このまま機嫌をとっていけば怒られずにすむかも。
「うんうん。あ、師匠、お疲れでしょう?お茶淹れましょうか、ね!」
弟子は物置きから遠ざけようと
「ふ、珍しいな、自ら進んで茶を淹れたがるとは。」
弟子の思惑通り、師匠は静かに口角を上げると内院の方へとゆっくり歩き出す。
「もう毎日でも淹れますよ!」
(というか毎日淹れてるけどね。)
「殊勝な心がけだな。」
弟子は師匠を急かすように明るく努めて背中を追おうとした。が、急に師匠の足が止まる。弟子は急に止まった師匠の白い背中に衝突した。
「ところで修行もせず、ここで何をしていた。」
「え!えーと、休憩?」
振り向いた師匠の鋭い眼力に弟子がたじろぐ。藥忱は眼を細めて弟子にゆっくりと近づいてきた。その静かな威圧感といったらない。
「物置きを開ける休憩か?」
「え?! うわっ本当だ、なんで開いてるんだー?」
弟子は物置きを振り返って慌てた様子を見せるが声が変に裏返ってしまう。追い詰められていく子犬のように自然と身体が縮こまっていった。
「私たちはたまたま通りがかっただけですよぉ。」
「あ、まさか賊が侵入したんじゃ!そしてこの物置きの酒を盗もうと!」
「ふむ、そうか。」
(誤魔化せたかな。)
両手を振って必死に弁解する弟子に顔を近づけていた師匠は納得したように上体を起こす。何とか誤魔化せたようで弟子はホッと胸を撫で下ろした。
と思ったのも束の間、藥忱が今度は南陽の方へ顔を向ける。
「
「ん?おう、この酒、めちゃくちゃ旨いぜ!」
弟子と師匠の攻防戦を他所に美酒をグビグビと喉奥に流し込んでいた南陽が軽快に答える。
(ぎゃぁぁあああああ、終わった……)
弟子は阻止する事も叶わず、口をあんぐりと開けて固まっていた。これから起こる事を想像しつつ…
「それは何より…」
だが、弟子の予想とは裏腹にごくごく普通な師匠の雰囲気に弟子が頭を捻った。いつもなら烈火の如く怒って縛り上げるのに。
(あれ、怒らないのかな。てっきり…)
やはり一応客である竜王の息子には強く言えないのだろうか。そう考えると南陽はちょっと狡い。
そう思った弟子が文句の一つでも口にしようと師匠を覗き込むように動くと同時に、眼前に白い袖が振り上げられる。弟子は自然と上がっていく袖を目で追った。
「誰が…」
「飲んでも良いと言った‼」
静かだった師匠の急変した罵声が周辺に鳴り渡ったかと思うと、同時に勢い良く振り下ろされた手刀により沸き起こった突風の渦に弟子と酔っ払った南陽が瞬く間に巻き込まれた。
「うおーーーっ」
「やっぱりーーーーーっ」
弟子は強い風に目も開けられず、身体をもみくちゃにされ、涙ながらに叫んでいた。
ー続くー
****************
※小半刻:約30分
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