第二十八章 兄弟弟子 (叁)

 暗紺色の屋根の先端には大きな蓑虫のようなモノが時たま見受けられる。時に動き、時に脱力したように垂れ、そのうち叫び声まで発するソレは今日に限って二つに増えていた。


「おい。」


「おい、小弟。」


 蓑虫のように吊るされた南陽がいくら足掻いても解けない縄に苦戦しつつ、隣で最初から諦めて垂れさがる弟子に向かって叫んだ。


「何で俺も吊るされてんの!」


「それはこっちの台詞だ!」


 事あるごとに吊るされてきた弟子だが今日に限っては自分に全く非は無く、とばっちりで吊るされて不服でしかない。全く反省の色が見えない南陽に苛立ちさえ感じる。


「お前のせいで私までとばっちりを受けてるんだぞ!」


「あと、小弟しょうていってなんだよ。」


 苛立って声を荒げる弟子がもう一つの不満を投げかけた。先ほどから自分の事を”弟くん”と呼ぶのが納得いかない。こんな破天荒な兄を持った覚えはない。


「だってお前名前ないだろ。俺より年下だし、弟みたいなもんだし、いいだろ。」


 縄に抗うのを一旦休止した南陽がしれっと言い放つ。


 弟子には名前が無く、人間の時の呼び名は酷すぎて使えない。師匠はいつも”弟子”と呼んでいたため特に不便でもなかったので気にしていなかったが、初めての友が出来ると”名前”というモノが必要なのだと改めて考えされられた。


 弟子は内院で騒ぎ立てる弟子らを無視していつも通り優雅にお茶を啜る師匠へと向いた。


「師匠ー!いつになったら名前をくれるんですかー。」


「天仙になったら仙称を与えてやる。」


 弟子の問い賭けに師匠は淡々と口を開く。仙称とは天仙として天界より認められた際に新しく頂ける通り名である。


「じゃあ、いつ天仙になれるんですかー。」


「私が知るか。自分の胸にでも問いかけてみよ。」


 弟子の悲痛の訴えも軽く流して再びお茶を口に運ぶ。弟子は身動きの取れない身体で縄で締め付けられた胸へと視線を向けた。

 その光景を感じ取ったのであろう師匠が軽く首を横に振った。


「待てないなら昔の名前でも使えば良かろう。」


「な、嫌ですよ!人間だった時のくだらない名なんて。あの名は一生使いません。忘れました!」


 弟子は昔の名前と言われ声を上げて拒否した。その態度に興味が湧いたのか南陽が顔を覗き込んでくる。


「なあ、どんな名前だったんだ?教えろよ。」


「嫌だ。」


「なんで。別にいいじゃん。」


「絶対に嫌だ!」


 南陽のしつこい問いに弟子は顔を横に向けて頑なに言おうとしない。あんな呼び名なぞ思い出したくもないのだ。


「はぁーん、さては凄く酷い名前だっただろ。蝼蚁(虫けら)とか混蛋(馬鹿)とか。」


「煩い。」


 意表を突いてきた鋭い南陽に弟子は胸内がどんよりと重くなるのを感じて俯いてしまった。遠い人間の時の記憶が蘇る。父親に”馬鹿野郎”とか”クソガキ”と暴言を吐かれていた弱い自分が脳裏を過る。名前と呼ばれるような言葉をかけて貰った事は一度も無い。


「まさか本当に。そんな酷い親がいるのかよ。」


 南陽は驚いたようなばつが悪いように呟く。


「おい、泣くなよ。そうだ、俺が良い名前付けてやろうか。」


 なんとか元気づけようと明るく発する南陽に弟子はやっと重い頭を上げるとじろりと睨んだ。


「泣いてないし、新しい名なんていらない。私は天仙になって素晴らしい仙称を付けて貰うんだ。」


「ふーん、天仙ねえ。」


 南陽がさもつまらんといったように呟くと師匠の静かな声が吐息交じりに響き渡る。


「今のままではなれるのは千年先か万年先か。」


「え!そんなに‼」


 その言葉に弟子は吃驚し、慌てて師匠に懇願した。


「師匠!降ろしてくださいよー。修行したいんです!大体、私は真面目に修行してたのにこいつが邪魔してくるから。」


「なんだよ。手伝ってやってただろ。」


 再び愚鈍な弟子らの喧騒が始まった。少しは落ち着いて反省が出来ないのか、と呆れる師匠をよそに。


「ただの筋力強化だろう。私を筋肉隆々の仙人にする気か!」


「仙人てのは、優雅で細くしなやかで動く時は風すら感じられない。師匠みたいなこと言うんだ!」


 弟子が声を荒げて南陽に反抗するが全く聞く耳を持たない。


「お前、何気に師匠の事、大好きだよな。」


「尊敬してんの!茶化すな。」


「あ、分かった。そうやっておだてて降ろして貰う作戦だろ?流石。」


「違うし。」


「よし、俺も。」


 弟子の言葉を勝手に解釈した南陽は藥忱の方へと振り向くと猫なで声で懇願しだした。


藥忱やくじん天尊~、降ろしてくださいよー。すみませんでした、反省してます!あんな銘酒そうそう無くてつい惹かれちゃって。もう飲みませんから、ね?」


「いやあ、あのお酒誰が作ったんだろうなぁ、今まで飲んだ中で南海一、いや天界一ですよ。」


 おだてる南陽だが藥忱は全く振り向く気配どころか聞こえている様子すらうかがえない。


「もしもーし、聞いてますかあ。」


「耳が遠いのか?」


 何度も声をかけるが反応が無いので弟子に問いかけるが、弟子は顔を背けて、というより全身を南陽から遠ざけたい思いに身体を捻って押し黙っていた。弟子には分かるのだ、この後に起こりうるであろう事を。自分まで巻き込まれたらたまったもんじゃない。


(もう、やめろ馬鹿。)


 と心の中で南陽を叱咤したが、聞こえるはずもなく南陽は続ける。


藥忱やくじん天尊ってば~、ねえ、藥忱やくじんちゃーん。もう降ろして…」


 と、調子に乗って軽快に喋っていた顔面へ突如竹の棒が飛び込んできた。いつの間に飛ばしたのか反応する事も出来ず真向から肌に食い込むほど竹を喰らった南陽が叫び声をあげる。


「痛てーーーーーーーーっ」


 当たった竹の棒がぽろりと落ちると見事に顔面に横一線の赤い線が出来上がっていた。縮こまっていたため難を逃れた弟子が恐る恐るその光景を目にしては唾を飲み込む。


「何すんだよ!俺は客だぞ‼ 南海竜王の息子をぞんざいに扱っていいと思ってんのか!」


 激怒した南陽が藥忱に向かって吠える。と、藥忱は茶碗を置いて立ち上がりゆっくりと振り向いた。


「そうだったな。そうそう、南海竜宮へ行った際に南海竜王からお前へ伝言があったのだった。」


 ゆっくりと口を開く藥忱が鋭い眼差しで南陽を射貫く。その様子は何だか少し怒っているようにも感じ取れる。


「”丁度良い機会なので、あの大馬鹿息子を暫く預かって頂き、お弟子さんと一緒に一から修行させて欲しい”と。」


「は⁉ あんの馬鹿親父‼」


 父親からの伝言に南陽は眼を丸くして益々声を荒げる。


「よって、お前も私の弟子だから客ではない。」


 藥忱が静かにだが力強く言い切るが、南陽は反抗するように言い捨てた。


「修行なんてぜってーしない!」


「好きにせよ。だが修行せねば南海には戻れぬぞ。ここにずっと居るか?」


 姿勢を崩す事無く凝立する藥忱を足元から頭の先まで視線を這わせた南陽は口元を引き攣らせる。竜族は皆豪快で細かい事を気にしない。性格は荒々しく豪胆、仙人とは正反対と言ってもいい。


「ここに……?」


 流石の南陽も冷淡な藥忱の口調に怒気が落ち着いていく。やっと静かになった二つの蓑虫を一目すると藥忱は手を上げて縛っていた縄を解いた。


「うわっ」


 何度となく縛られてきた弟子はすっと地面に着地するのに対し、急に支えの無くなった筋肉質な身体は重力に従ってどすんと地面へと落ちる。


「あいてっ、もっと優しく降ろせねえのかよ。」


 盛大に尻もちをついた南陽が涙目で訴える。だが師匠は冷たい眼差しを向けるだけ。


南陽なんよう、お前は明日から屋敷の掃き掃除をしろ。」


「は、なんで俺が。」


「弟子の仕事だ。」


「そうだぞー。私はもう三百五十年も雑用させられて…」


 師匠の命にさっそく口ごたえする南陽へ弟子がここぞとばかりに割り込む。が、師匠の刺すような視線を頭上に感じて慌てて口を閉じた。


「嫌だ!掃除なんてやるもんか!」


「なんだ、じゃあ上で永遠に見物しているか?」


 反発する南陽だが泰然自若な師匠は表情を変えずに顎をくいっと上げて屋根の上へ促すそぶりをみせる。


「な、こんのっ」


「分かったよ、やればいいんだろ、やれば!」


 豪気な南陽でも藥忱には敵わないようだ。半ばやけくそに叫ぶ南陽は弟子に促されてその場を立ち去る。そんな二人の後ろ姿を見つめ、藥忱は内心深くため息をついたのだった。




    ◇



 風は吹かず、枯れる事の無い木のある内院は、住む者も少なく汚れようがないのに弟子は毎日修行前に屋敷の掃除が日課になっていた。掃き掃除に拭き掃除と広大な屋敷を一人でやるのは存外大変であったが、その負担が軽減されて内心胸が弾んでいた。


 弟子が箒を片手に内院へと歩を進めるとちょうど中央に仁王立ちした南陽がいる。


「ふふん、掃除なんてな俺様の力を使えばちょちょいのちょいで…」


 得意げに手を振る南陽であったが辺りはシンと静まり返り何も起こらない。


「あ、そうだった。力が失われてるんだった…はぁ。」


 がっくしと肩を落とす南陽へ弟子は持ってきた箒を差し出した。


「ほら、箒。真面目にやれよ。」


「分かってるよ。」


 南陽はむくれて箒を奪うと箒の柄の部分に顎をのせてまるでやる気がない。


「お前は何するんだ?」


「修行。」


「はぁ⁉ 俺が掃き掃除でお前は修行かよ、おかしいだろ!」


 不公平だ!と言わんばかりに吠える南陽に弟子は腕を組んでけん制する。


「私はもう部屋の拭き掃除も師匠へのお茶出しも終わってんの。」


「さっさと終わらせてお前も修行に参加しろよ。」


「やってられっかよ。」


 南陽は口を尖らせてぶつぶつと呟きながら重そうに身体を動かし始めた。



 日課の雑用もとい掃除を終わらせた弟子は軽い足取りでいつもの場所で書物を片手に茶を楽しむ師匠の元へと向かった。


「師匠、終わりました。早く仙術の修行をしましょう!」


 いつになくやる気の弟子をちらりと一目した師匠は書物を閉じるとゆっくりと口を開く。


「お前は今、天仙に向けて修行している。神仙や上仙たちは各々が役割を持っているが、天仙のうちは神仙の補佐に就くのが殆どだ。」


「お前も天仙になった暁には誰かの下に就く事になる。」


「師匠じゃないんですか?」


 師匠の横に立ち話を聞いていた弟子が不思議想に首を傾げる。


「それは分からぬが、私のように左程動いていない者に補佐などいらぬからな。」


「最も人手を必要としているのは、人間の運命を司る者と天候を左右する者、そして悪さをする者を処分する者たちや天界を守る兵士だ。」


「これらの補佐で必要になるものは何かわかるか?」


 師匠の問いに弟子は慌てて脳を回転させるが難しい天界の理を知る訳もなく頭を捻った。


「え、えーと、運命…うんめい?」


「何万、何億といる人間全ての運命を視るのだ、並外れた読解力と精神力が必要であり、天候を日々操るためには膨大な神通力を必要とする。そして、悪さをする妖魔や邪獣、天界に意をなす様々なモノを相手にするので優れた剣術も必要となる。」


「はぁぁ。」


 師匠の丁寧な説明に弟子は納得したように頷く。


「お前の言う仙術というものはどんなものだ?」


「仙術ってなんかこう、気を一気に放出してドーンとかバーンとか山割ったりとか凄いモノですよね?」


 仙術と言われ弟子は自分が想像していたモノを得意げに口にする。


「勿論、そういう事も出来るがいつもやっているわけでは無い。多くの仙人は丹田に神通力を留め、必要な時に使っている。人によっては殆ど使わなくてすむ仙人さえいる。神通力を溜めておくだけで自分の身を守る事も出来る。」


 と師匠は丹田の位置を指で押しあてた。


「仙人が何故修行をし、仙術を身につけようとするか分かるか?」


「んー、強くなるためですか?」


「無論、そういう者も居るだろう。人間から仙人になった者は特に強さと不老不死を求める。だが、元から小仙として生まれた我らは神より天地を守るという使命を担っている。だから修行するのだ。」


「はあ。」


 仙人とは奥が深いのだなと弟子は思った。思えば何気なく修行していた。仙人が何か凄い存在というのは意識していたが別に不老不死になりたいわけではなかった。天仙になるというのが目標だったがその先と意味が分かり、弟子は背中を押された思いがした。


「とはいえ長年生きてくると隠居したい仙人も少なくは無いがな。」


「師匠みたいにですか?」


 隠居という言葉に弟子が師匠を覗き込む。天界から逃げてきた師匠は隠居してるも同然に思えたからだ。藥忱は弟子をジロリと睨む。


「そうよな。故に鳳河ほうかなどが戻れと口煩く言ってくるのだ。」


 藥忱は面倒そうに空を見上げた。


(師匠、若い?のにサボってるからだ。)


 師匠は見た目は三十台前半。隠居している髭の白い仙人とは雲泥の差だ。天界では位も高いのにこんな下界でダラダラしていたらそりゃ当たり前だよね。


「だからお前は天仙になった暁には人の役に立たねばならん。仙術もだが神通力もしっかりと溜めておけよ。」


「はい!」


 師匠の言葉に弟子は元気よく返事をする。


「師匠、人の役に立てれるようになる為には剣術も必要ですよね!? ……やっぱり剣術を習いたいです!」


 弟子は前々から胸内にくすぶっていた思いを発する。この前現れた剣仙の二人、そして師匠の華麗な剣技に見惚れたからである。


「剣術か。私は薬仙であり、剣術には疎い。」


「え、そうなのですか。」


(あんなに凄いのに…)


 確かに剣仙・神楽の従者に負けはしたが師匠の剣技は素晴らしかった。それでも天界ではあれが普通なのだろうか。


「他に指南役がいれば良いのだが。」


 師匠が顎に手をやって考え込むとどこからともなく元気な大声が飛び込んでくる。


「それなら俺の出番だ!」


(出たな、筋肉馬鹿!)


 一人で掃き掃除するのに飽き飽きしていた南陽がここぞとばかりに走り寄ってくる。弟子はというと南陽のあの修行を思い出し首を振った。


南陽なんよう。そなた自信があるのか?」


「ふふん。これでも南海一の腕前だぜ。でも南海付近は親父殿の力で守られてて早々魔物なんて来ないし、宝の持ち腐れだな。」


「ふむ。仙人の剣術とは程遠いがまあ、良いだろう。」


 納得した師匠に弟子は慌てて声を張り上げた。


「あ、あんなのでいいんですか!」


「仕方あるまい。他に誰に教わる?」


「師匠でいいですよお。充分強いですし。嫌ですよ、筋肉大猩猩きんにくゴリラになるなんて。」


「なんだ、筋肉大猩猩きんにくゴリラとは。」


 聞きなれない言葉に師匠が首を傾げる。


「だって、南陽なんようってば筋肉強化の修行ばかりさせるんですよ!筋肉隆々のガタイの良い仙人になっちゃいますよ。」


「…そうなったら力では師匠敵いませんからね。」


「それは困るな。」


 弟子の必死の訴えに師匠は納得したよう。弟子はほっと胸を撫でおろす。


「でしょ!」


「まあ、剣術については後でも良いだろう。お前はまず基礎を私がみっちりと叩き込もう。」


「…よろしくお願いします。」


 弟子の望みは南陽の邪魔により儚く消え去った。




ー続くー 


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