第二十五章 竜王の息子 (贰)

 –––今に至る


 竜王に睨まれる前で弟子は勇気を振り絞って口を開いた。変な事を言えばどうなるか分からない。慎重に言葉を選ぶ。


「実は私くし、竜胆が欲しくて参りました。」


「ん。今なんと申した?」


 大きい力強い目の上にある太い眉毛がぴくりと動く。


「竜胆です。ご存じでしょうか。」


 弟子は冷や汗が頬を伝う感触に唾をごくりと飲み込む。


「竜…胆とは…アレの事ではないのか?」


 竜王は眉を捻らせて困惑の表情を浮かべた。


「アレ…ですか?」


(アレってなんだよ。)


 竜王も竜胆の存在は知っているらしい。だがアレとは何だろう。竜の胆嚢ではないのだろうか?弟子もつられて困惑の表情を浮かべた。


「すまぬが、竜胆はここにはない。」


「え!何故ですか⁉ 竜族ですよね⁉」


 無いと言われて焦る弟子が叫ぶと竜王の顔が烈火の如く歪んだ。


「⁉ もしや貴様、我らが竜族の胆嚢を欲しているのではなかろうな‼」


 竜王の怒号は広い宮殿を揺るがすように響き渡り、弟子に襲い掛かる。弟子はたまらず両手で顔を覆った。


「大変な物だとは分かっています。ですがそれがないと師匠が!」


 竜王への無礼も承知で弟子が懇願する。とにかく師匠を助けたい一心だった。


「神仙を助けるために竜族が犠牲になれというのか‼」


「た、胆嚢取ったら死んじゃうんですか⁉」


(それはさすがにちょっと…)


 竜王の怒りの籠った罵声に弟子は驚いて聞き返す。たとえ師匠の為とはいえ、誰かを犠牲にするわけには流石にいかない。


「死にはせんが…。」


(なんだ、じゃあいいじゃないか。)


 死なないのならばと開き直る弟子が再び叩頭して懇願する。


「お願いします!お願いします!」


「ならんならん! 胆嚢を取り出せば竜の力が失われてしまうのだぞ。一時的とはいえそれではこの広い南海を制御出来なくなってしまう。」


「すまぬな…。」


 竜王はいきり立つ怒りを鎮めつつ、弟子を説き伏せた。たとえ神仙であっても、否、神仙なんぞのために自分を犠牲にする事などまかりならんのだ。


「竜王様のでなくても、誰か別の方のを…」


「貴様、我が一族の胆嚢を差し出せと言うのか‼」


 食い下がらない弟子に竜王の眉が吊り上がる。弟子は今にも食べられてしまいそうな勢いに身体が震えるがもう止まらない。


「でも、それしか方法が‼」


「あーーははははははははっ」


 ふいに宮殿の後ろから大きな笑い声が響いた。それは弟子の緊張を解きほぐし、竜王の怒りを鎮める。


(あ、さっきの。)


 弟子は何事かと後ろを振り向くと、先ほど親身になって竜宮城への入り方などを教えてくれた青年が笑いながら近づいてきていた。


南陽なんよう?」


「え、南陽なんよう⁉」


 竜王の発せられた言葉に弟子は眼を丸くする。”南陽”とは彼の名前だったのか。


「親父殿、胆嚢ならほら私のを差し上げますよ。」


(親父殿⁉え、彼は息子?ってことは…皇子⁉嘘ー。)


 南陽が竜王の息子だと知り、弟子は益々眼を見開いて驚愕する。確かに衣服は派手で高貴っぽいが皇子ぽさがまるで感じられない。髪は潮風でボサボサだし、ただのやんちゃな青年にしか見えない。


「何を愚かな事を言っておる。ならぬぞ!」


「でももう取り出しちゃったし。」


 弟子が驚いて硬直している間に話は進み、竜王と皇子の言い合いが宮殿に響いていた。南陽は黒い四角い箱を手に持って見せる。


「ば、お前と言う奴は‼‼」


「え!」


 事が早く進み過ぎてまだよくわかっていない弟子の目の前に黒い箱が差し出される。


「ほら、これが必要なんだろう?」


「なんで。」


「これで貸し三つな。」


 恐る恐る受け取った弟子に南陽は口角を上げ指を三本立てて笑いかけた。


「あ、ありがとうっ」


「待て!南陽なんよう、なんて事を‼ 小童、それを返せ‼」


 竜王は激高し、弟子の箱を指さした。弟子はやっと手に入れた薬を手放したくなくて胸に抱えて南陽を見る。


「え、でも…」


「親父殿。別にいいじゃないですか、減るもんじゃなし。」


 困る弟子の肩に腕を回した南陽が軽い口調で竜王に向き直る。


「減るだろうが!」


「あ、そっか。まあまあ、別に竜の力なんてこの百年使ってませんし、必要ないですよ。それより、神仙助けのが大切でしょう?」


「お前、こういう時ばかり…っ」


 南陽の説得に竜王が口ごもる。弟子は南陽と竜王のやり取りを見て少し羨ましく思った。自分だったら父親にそんな口利けるわけがない。少しでも逆らえば酷い目に合わされていたのだから。これが本来の父子なのか、と感動さえ覚える。


「まあもう取り出したんだし、貴重な竜胆なんだから新鮮なうちに持って帰ってあげないとね。さ、帰った帰った。」


「え、あ、はい!ありがとうございます!」


「あ、コラ!まだ話は……」


 南陽は話も半ばに弟子の背中を押してさっさと宮殿から出て行く。竜王は立ち上がって制そうとするが南陽は聞く耳をもたない。竜王の大きな溜息が後ろから聞こえたのだった。




    ◇




 南陽から竜の胆嚢を貰った弟子は急いで屋敷へと戻ってきた。師匠は大丈夫だろうかと焦る気持ちに上手く飛ぶことが出来ず何度も落ちたが。


「はぁはぁ。師匠‼」


「師匠、持ってきましたよ‼って、あれ。」


 師匠がいるであろう薬房につくと中に向かって叫ぶ、が師匠の姿はどこにも見当たらなかった。


「師匠?師匠ーー!」


 書房や廊下など探し回りながら師匠の名を呼ぶ。内院にわに差し掛かった辺りで低く落ち着いた声が流れてきた。


「騒々しいぞ。」


「あ、師匠!起きたりして大丈夫なんですか?」


 藥忱はいつも茶を飲む椅子に座り、とうに冷たくなった茶を渋々啜っている。弟子は師匠に駆け寄って顔を覗き込んだ。


「お前は、遅すぎる。」


(師匠、まだ顔色が良くないな。無理してる?)


 先ほどの取り乱し様が嘘のように落ち着いた雰囲気だがまだ顔に血の気がない。弟子は持ってきた黒い箱を師匠の前に差し出した。


「師匠、はい、竜胆です。」


「うむ。」


「む。」


「どうかしましたか?早く煎じて飲んでくださいよ。」


 師匠がゆっくりと箱を開けるとしばしば沈黙する。箱の中には黒く艶やかな丸い物が綿の上に置かれていた。弟子は自分で煎じる事が出来ないため、師匠を促す。が、


「これは何だ?」


「え?竜胆ですが。」


 師匠の問いに弟子は不思議想に答える。


「…熊の胆嚢か何かか?」


「何言ってるんですか?竜の胆嚢です。」


 暫く師匠が微動だにせず沈黙する。よく見ると手が小刻みに震えているような…?


「師匠、どうしたんですか?」


 藥忱は軽いめまいをおぼえていた。この弟子に薬を取って来させるなぞ私は何を血迷った事をしてしまったのだろうか、と。


「ど、どちら様の竜だね?」


「どちら様って…。」


 師匠の突拍子もない言葉に弟子は言葉を詰まらせる。竜王の息子のです、なんて流石に言いずらい。そう思っていた矢先、明るい声がかけられた。


「こちら様ですよー。」


「あ、南陽なんよう?」


「よう。どうだった?治ったか?」


 声の主は南海竜宮城で別れたはずの南陽だった。彼は弟子の肩を持つと笑って聞いてくる。それから手前の師匠に気づくといつもの粗野な態度とは打って変わって丁寧にお辞儀をした。


「貴殿が神仙のお師匠さんかぁ、初めまして、南海竜王の息子の南陽なんようです。」


「南海竜王⁉」


 南陽の挨拶に師匠が飛び上がる。


「な、な、弟子‼お前、まさか…」


 師匠が明らかに動揺する中、弟子は得意げに話した。


「あ、竜胆は彼から頂きました。」


 藥忱は途端視界が暗くなるのを覚え、身体をよろめかせ机に手をついた。心配した弟子が駆け寄る。


「あ、師匠!大丈夫ですか‼ だから早く煎じてって言ってるじゃないですか。私がやりましょうか?」


 支える手から師匠の震えが伝わってきた。


「この…」


「ん?」


 師匠の微かな声を聞き取ろうと顔を近づける、と


「うつけ者めが‼‼」


「あいてーーーっ」


 次の瞬間、師匠の拳が弟子の脳天を直撃した。病人とは思えない強い衝撃に弟子の頭がぐらつく。眼からしぶきが飛び散った。


「何するんですかぁ!って元気じゃないですかあ!もう。」


 ヒリヒリと痛む頭を摩って師匠を睨むが、藥忱は相手にせず南陽に向き直ると深々とお辞儀をした。


「南海竜王のご子息、南陽なんよう殿には大変なご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。」


「あー、俺は大丈夫大丈夫。」


 南陽はというとけらけらと笑って軽くあしらっている。


「彼が好意でくださったんですよ。ほら、早く新鮮なうちに煎じて…」


 弟子は乾いてしまうのを心配して机に置いてあった箱を師匠の目の前に出すが、藥忱はじろりと弟子を睨む。


「煩い、黙れ。」


「なっ、もう心配して言ってあげてるのに。」


「折角ですがこれは受け取れません。」


 藥忱が再び頭を下げる。弟子は驚いたように師匠に向かってわめいた。


「えーなんでですか!折角貰ったのに‼ 大変だったんですよ!貰うの。それに師匠、まだ辛いんでしょう⁉どうするんですか?」


「じゃあ、代わりにこっちを差しあげますよ。」


 南陽は懐から丸い茶色の玉を差し出してくる。弟子は不思議想にそれを見つめた。


「何これ?」


「竜胆の丸薬だよ。腹痛に効く。わざわざ見つけてきてやったんだぜー。」


「あ!これ!これですよね?師匠‼」


 竜胆の丸薬と聞いて弟子が弾んだ声を上げる。


「度々申し訳ありません。」


「早く飲んで!さあ。」


 弟子が丸薬を受け取るとお辞儀をする師匠の口へと押し込んだ。藥忱は眉を顰めるがそれを受け入れる。


「良かった~。でもやっぱりあるじゃないか、竜胆の薬。竜王が出し渋ってたのかなあ。そんなに高価な薬なんですか?師匠。」


 弟子は頭を捻って師匠を見るとまたも師匠の拳が頭上に落ちた。


「痛てっ、もうなんでさっきから殴るんですか!酷い‼鬼畜!」


「私はもう呆れて何も言えん。」


(言ってんじゃん。)


 涙目で師匠を睨む弟子。弟子には何故叩かれるのかまだ理解できない。腹痛で苛立っているのかなとあらぬ考えを浮かばせる。


「南陽殿。ゆっくりされていってくだされ。私はしばし休息を取らせていただきます。」


「はーい。好きにさせてもらいまーす。」


 藥忱が寝殿へと立ち去ろうとすると弟子が箱を持って呼び止める。


「あ、師匠。この竜胆はどうしましょう?取り出したら戻せないんですか?」


「戻す薬があったはずだが…」


 藥忱が薬房の方へと向き直ると南陽が傍まで寄ってきて竜の胆嚢を拾い上げた。


「あーいいですいいです。必要ないです。師匠がいらないならお前が喰え。」


「は?うぐっ」


 南陽は弟子の口を片手で開けさせ、口の中へと竜の胆嚢を押し込んだ。ぐちゅっとなんとも嫌な感触と後から広がる想像を絶する苦さに弟子は涙が溢れる。


「にっっっっがーーーーーーーーーーーーーーっ」


 あまりの苦さに周囲を見渡し、師匠の飲み残しの茶を一気に飲み干した。師匠に叱責されかねない行為だが考えてなんていられない。幸い、師匠の姿はいつの間にか消えていた。

 

「どうだ?俺の胆嚢は美味いか?」


「凄く苦いよっもうっ、それに人の胆嚢を、うげーーっ」


 顔を歪めて舌を出す面白い弟子の顔に南陽が大笑いする。


「あははは、まあでも修行中なんだろ、少しは神通力が強くなるんじゃないか?」


「え?そうなのか⁉」


 苦い思いをしたが神通力が増えると聞いて喜ぶ弟子。さすが竜の胆嚢だ。


「露骨に嬉しそうな顔しやがって。」


「さてとしばらくの間、ここで世話になるぜ。」


「え、なんで。」


 南陽が居座ると聞いて弟子が聞き返す。南陽は信じられないといった感じに指を三本立てて訴えてくる。


「だって貸し三つもあるんだぞ?じっくり返してもらわないとなー。それに胆嚢を失って弱っちくなったからそこら辺ウロウロしてたら危ないだろ。」


「それに、俺、暇だし?」


「はあ。」


(師匠も好きにしていいって言ってたし、まいっか。)


 ここには師匠と自分しかいない。別に一人増えたくらいで問題にもならないだろう。それに自分以外の若者は初めてだ。弟子は少し胸躍る気分になった。


「俺の部屋はお前と一緒でいいぞー。」


「は?なんでだよ。部屋いっぱいあるから客室使いなよ。」


 部屋が一緒はさすがに狭すぎる。とはいっても昔の自分の家に比べたら今の部屋は十分に清潔で広いのだが。

 それにしてもこの南陽という男、馴れ馴れしいにも程がある。一体何を考えているのだろうか。大の男二人が一緒の部屋というのもおかしいな話だ。

 

 あまりにも気さくに話しかけてくるので弟子は一応皇子である事も忘れ、いつの間にか敬語も使わず会話をしていた。


「お前とはもう友達なんだからいいだろう?」


 だが南陽は食い下がらない。弟子に飛びついてきて肩を抱きかかえる。


(と…友達⁉)


 まさか数百年たって友達と呼べるものが出来るとは。弟子は驚きと胸に沸き起こるむずがゆさに顔が歪むのを必死に抑えた。思えば同年代の友達をもったことがない弟子だったから無理もない。


「じゃ、じゃあ俺の部屋の隣ね。」


「なんだよ、照れ屋かよ。」


 こみ上げる喜びを見せまいとついそっぽを向く弟子に南陽は再び笑うのだった。 


 これからこの屋敷に新しい住人が増える。弟子にとっては期待もあるが不安もある。几帳面な師匠とこの楽観的な南陽はうまくやっていけるのだろうか。新たな日常の始まりだ。




ー終わりー


***********

※竜胆:リンドウの中国名。花が漢方薬になる。

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