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第二十四章 竜王の息子 (壹)

 通年を通して代わり映えのしない連峰山の屋敷とは打って変わって、今、弟子がいるここは巨大に広がる薄暗い空間に大きな龍の彫られた円柱の柱が広い天井を支え、前方にはところどころに龍があしらわれた赤い大きな玉座とこれまた威厳を醸し出している勇猛無比な巨漢が座していた。


 弟子は初めて見る豪華絢爛な部屋に口がだらしなく開き、しばし見惚れてしまっていた。


「ほえぇえぇぇ。」


 呆然と立つ弟子に向かって大きな声が部屋に反響するように響きわたる。


「我は竜王が一人、南海竜王の広利こうり王である。人の子よ、我に何用ぞ。」


 その心を揺さぶるような声に弟子は全身が震え慌てて跪く。


「あ、わた、私くしは藥忱やくじん仙人が弟子の、」


南陽なんようと申します。」


南陽なんようだと⁉」


 弟子の言葉に竜王は太い眉を上げて明らかに動揺した。


 実は弟子の名前は”南陽”などではない。これは先ほど出逢ったある人から教えてもらった方法なのだ。竜族は気性が荒く、機嫌を損ねればただではすまない。


藥忱やくじん仙人の…弟子とな?あの神仙の。」


「はい。」


「ふぅむ。」


 竜王は暫く考え込むように顎に手を置いて沈黙した。弟子を見つめるその眼差しは力強く、心を射貫くようで額から冷や汗が垂れる。


「ただのくだらぬ一介の仙人であれば喰うているところであるが、神仙の弟子ともなれば話は別じゃ、用件を申せ。」


「はい。」


 なんとか危機を脱した弟子は深く息を吐くと顔を上げた。




    ◇




 ––––時は少し遡り


 連峰山の屋敷の内院にわでいつものように掃き掃除をしていた弟子の傍で、いつもながら優雅にお茶を啜っていた師匠がふと口を開いた。


「…弟子。」


「はい?」


 師匠の普段とは違う弱弱しい声に弟子は不思議に思って振り向く。そこには腹を手で押さえ今にも倒れそうな師匠の姿があった。


「…腹が痛い。」


「は?腹⁇」


 いつも冷静で顔色一つ変えない師匠が額に脂汗を浮かばせ、黒目が潤んでいる。


「え‼師しょ…ええ⁉ どうしちゃったんですか⁉」


「師匠!しっかりしてください‼ 師匠!」


 弟子の必死の呼び声にも返す言葉が出ず、視界が歪んでいるのか何度も頭を左右に振っている。弟子は急の事で慌てふためき、師匠の倒れそうな身体を支えつつ今まで飲んでいたであろう倒れた茶碗を見つけた。


「あっ、まさかこの茶に毒が⁉」


「師匠!ああっまだ死なないでください。」


 机の上でうつ伏せになる師匠の黒紫の長衣を引っ張って懇願する。仙薬の修行は少しずつ習ってきてはいるがまだ薬を調合するまでには至っていない。弟子には成すすべが分からないのだ。


「まだとはなんだ、まだとは。」


 師匠は痛みを堪えて苦しそうに呻いた。弟子の言葉に反論するのはさすが師匠というところだろうか。


「え、だってまだ全然教えてもらってないですし。」


 反論が返ってきて割と平気なのかなと弟子もいつものように返してしまう。


「このっ…痛。」


(師匠、この痛がりよう本当に⁉ 顔も何だか青ざめてきてるような…)


 藥忱は次第に身体が震えだし、意識が朦朧としてきている。このままでは本当に倒れてしまいそうだった。弟子は慌てて師匠を抱えて立たせる。


「師匠、歩けますか?薬房まで行けれますか⁉」


「指示して下されば私が調合します!」


「師匠!しっかりしてください‼」


 師匠を励ましつつ片腕を自分の肩に乗せ、支えながらゆっくりと二人は薬房へと向かっていった。




 いつもの倍以上の時間をかけて弟子達は薬房へとたどり着いた。その間ふらつく師匠のせいで柱や手摺に身体を打ち付けては痛い思いをし、全身の体重を自分に預けてくるため、薬房に着くころには弟子の息が上がっていた。


「はぁはぁ。」


「師匠、聞こえますか?どれを使えばいいですか⁇」


 師匠を薬房の床にとりあえず降ろし、顔を覗き込む。師匠の顔色は悪く反応もない。


「師匠!師匠!!」


 弟子の叫び声にぴくりと肩を動かせた藥忱はゆっくりと薬房の中を見渡し、ある壺に向かって白い指を伸ばす。


「これですか。あ、空っぽです、師匠!」


 手に取った茶色い壺の蓋を取って中身をみるが中には何も入っていなかった。師匠は面倒くさがりなので自分に必要としなそうな物は気にも留めていなかったのだろう。まさか神仙である自分が腹痛を起こすとは夢にも思わなかったのだ。

 空と言われてなんとか持ちこたえていた気力が失われ、藥忱の身体が床へ倒れ込んだ。


「師匠っ、そんな、死なないでー。」


「…この程度で死ぬか…馬鹿者……。」


 揺さぶられる身体を床に預けて藥忱が震える唇を動かす。


「良かった。じゃない、どうすればいいですか⁉」


「りゅう…たんを…とってこ…い。」


 意識の朦朧とする藥忱がなんとか言葉を絞り出す。


「りゅ? え、何ですか?」


 掠れる声のためよく聞き取れず、弟子は師匠の口元まで耳を近づけた。しかし、師匠から次の言葉は返ってこなかった。


「師匠? 起きてくださいよ!なんて言ったんですか‼」


「もう…」


 倒れた師匠にいくら叫んでも意識は戻らず、弟子は溜息をついて傍に置いた茶壺を手に取る。


「この壺、竜胆て書いてある。これの事?」


「竜胆て、何だろう。」


 頭を捻った弟子だがすぐに何かを閃き、薬房を飛び出していった。





「うーん、これでもない。」


 弟子が向かったのは薬房のすぐ近くにある書房だった。弟子はひたすら書を確認するとお目当てでなかった書を落としていく。仙薬に関する書物がどこかにあるはずなのだ。


「うわっ」


 弟子が背伸びをして高所から書を引っ張りだすとまとめて幾つかの書物も落ちてきた。弟子は数冊の書を被って一緒に床に落ちる。その中で頭に被った書の中の文字に弟子の眼が止まった。


「え、竜王の書?」


「竜…竜胆と関係してるのかな。」


 ”竜”という文字に弟子は望みを覚え、竜王の書を捲った。


「竜王は四海を制し…へえ~。」


 竜王とは四海を統べる竜族の王であり、北海竜王、西海竜王、南海竜王、東海竜王がいる。仙界を囲むように四方の端に位置し、魔界の門を見張り、そこから出てくる魔族を倒し、平和をもたらしている。


「ここから一番近いのは、南海かな。」


 弟子は竜王の書に載っている地図を確かめ、一番近い場所を探す。自分の住まいさえ昔はどこに位置するのか分からなかったが、師匠に仙界図を見させられてなんとか屋敷のある場所は分かった。とはいってもこの屋敷は人間の世界に殆ど位置しているため、仙界図の端っこの端っこであったが。


「よし。」


「師匠!今すぐ取ってきますからね!頑張ってくださいよ‼」


 弟子は両手を握って意気込むといまだ倒れているであろう師匠のいる薬房の方へ声をかけて、急いで門へと向かった。




 門の前まで来て弟子は立ち止まる。門を一旦でたら外は嵐だ。修行中の身の道士な自分では飛ばされかねない。師匠が近くにいれば自然と風は避けて普通に歩けるのだ。そう思うと師匠の凄さが分かる。


「とはいえ、どれだけ離れてるんだろう。」


「道士とはいえ私だってちゃんと修行してるんだ、空くらい飛べるよね!」


 弟子は空を見上げて手を宙に伸ばした。今まで自分で飛んだ事はない。飛び方も分からないが師匠が言うには丹田にたまった神通力を身体に纏わせるらしい。昔の愚鈍な自分と違って軽やかに走れるのも神通力のおかげ。ならば空だって飛べるはず!

 弟子は眼を瞑り、身体に仙力を纏わせるようにイメージした。もわもわとした温かい気が全身を包んでいく。


「う、うわーー!」


 ゆっくりと目を開けると弟子の身体は既に宙に浮いていた。感動や驚きで身体は震え、ついつい叫んでしまう。


「凄い!凄い‼ 飛んでる!」


「これならすぐ着くぞ。」


 弟子は南海の方角に身体を向けると空を飛ぶように手を伸ばして舞い上がっていった。この先に待つモノに少しだけ不安を覚えながら。




    ◇




 南海にたどり着くとそこは分厚い黒雲に覆われ、白波が高く立っている海の他は何も無い寂れた場所だった。


「ここが南海竜王の竜宮城の入り口?」


「何もない…。どうしよう。」


 硬い灰色の土の上に降り立った弟子は辺りを見回す。海からの強い風で髪や衣服が激しくたなびいている。あまりの強さに眼も開けていられないほどだ。


「どこにあるんだよっ、もう。急いでるのに!」


 海の向こう側を目を凝らして見てみるが何も映し出されない。竜王の書をもっとじっくりと読めばよかった。まさか入口が無いとは…。次第に焦りだした弟子が声を荒げる。


「おい。お前。」


「え。」


 ふと、後方から声を掛けられた。こんな何もない所に人がいるのか?そう疑問に思ってた矢先の出来事で弟子は驚いて振り返る。


「はい?」


 そこには袖の広くない紅い上衣と紅いズボン、薄い布を腰に巻き付けた二十歳くらいの銀髪の青年が得意げに立っていた。胸には金色の首飾りが光っている。


「何さっきからウロウロしてんだ?もしかして南海竜宮城に行きたいのか?」


「あ、そうです!そうです!行き方知ってますか?」


 口元に笑みを浮かべた青年の声がこの強風の中でも力強く聞こえてくる。弟子は行き方を知っている者に出会えてほっと胸を撫でおろした。


「知ってるには~知ってるけど。」


「教えてください!」


 青年は含んだ物言いではっきりとしない。弟子は焦らされて焦りだす。


「タダではなぁ~。」


「えー、急いでいるんですよ。そこをなんとか!」

 

 やはり一筋縄ではいかないのだろうか、渋る青年。だが急いでいる弟子にも余裕はなかった。


「なんかあったのかぁ?」


「実は私の師匠が病気で…、どうやら竜胆が必要らしいんです。だから探しに。」


「へえ、竜胆ねえ。」


 弟子の必死の訴えに青年は顎を摩りながら考え込んだ。


(こいつ馬鹿か?竜宮城でなくとも竜胆はそこらへんにいっぱいあんのに。え、もしかして竜族の胆嚢だと思ってたりして。)


「ご存じですか?」


「あ、ああ、誰でも知ってるよ。」


 青年はなぜか顔がにやけるのを必死で抑えていた。


「そ、そうなんですか。」


(もっとちゃんと仙薬の勉強しておくんだったっ)


 弟子は一般の人でも知ってる事を知らず自分を恥じた。師匠の仙薬の話もちゃんと聞いていれば知っていたのかもしれない。師匠の話し声は低く穏やかでついつい眠くなってしまうのだ。


「お願いです。南海竜宮城への行き方を教えてください。」


「あー、んー、そうだなあ。」


「事が終わった後にはちゃんとお礼しますから!」


 弟子はなんとかこの青年に助力してもらえるように頼む。とはいえ道士の自分に出来る事は限られている。お金も持っていない。


「礼ねぇ。何してくれんの?」


「え、えーと。」


 弟子が具体的な例を上げれず口ごもると青年が顔を覗き込んでにっこりとほほ笑んだ。


「お前の身体貸してくれんの?」


「は?身体ですか?」


「ああ、暇してんだ、俺。ちょっと付き合ってくれるだけでいいからさ~。」


 青年は頭の後ろで腕を交差させてさも暇そうにする。


(暇って…手合わせか何かかな。)


 弟子は彼の意図が理解出来ず、また急いでいるという事もあり二つ返事で承諾した。


「分かりました。お付き合いします。」


「お!ホントか⁉」


 青年は少し驚いた様子で元気よく弟子に振り向く。


「はい、でも今は急いでいるので、後で…。」


「オッケー。」


「こっちに来な。」


 青年に呼ばれて二人は海際まで歩いていった。足に波がかかるかかからないかのところまでくると青年が片手を海の方へとかざす。手から白い気が発せられそれは海の彼方まで伸びる、とそこに白い道と遠くに霧がかった大きな宮殿が現れたのだった。



「うわ!」


「すげーだろ。」


「はい、びっくりしました!」


「来な。」


 歩を進める青年に遅れないように慎重に着いて行く弟子。まるで海の上を歩いているようだった。暫くして宮殿の前につくとその大きさと大きな光る貝で装飾された門に弟子が口を開けて魅了されていた。


「はぁ、綺麗ですね。」


「そうかあ? 見飽きたなあ。」


 キラキラと海に反射して光る宮殿に感動する弟子をよそに青年はさもつまらなそうに呟く。


「あ、ありがとうございます。行ってきます。」


「あ、待て待て。」


 意気揚々と門をくぐって行こうとする弟子を青年は呼び止めた。


「ん?」


「お前、南海竜宮城は初めてだろ?ここにはちょっとしたルールがある。間違えると一瞬でお陀仏だぞ。」


「え!お、教えていただけますか?」


 口角を上げて腕組みをしている青年に弟子は焦って聞き返した。確かにここは自分もきた事のない場所。種族には種族特有の規則がある。それを破ればたとえ神仙であってもただではすまないのだ。


「これも貸しな?」


「…はい。」


 青年は人差し指を上げてウインクした。弟子は渋々了承する。


「まず、竜王ってのはすげー石頭だから絶対暴言禁止な。」


「それから、お前、誰の弟子だ?」


「あ、えっと…」


 青年に師匠の事を聞かれて口ごもる。師匠は天界から半ば逃げるように下界へ来て生活している。誰かに知られては厄介事が増えるのではないかと心配なのだ。


「なんだよ。もったいぶるなよ。」


 青年が口を尖らせるので弟子は恐る恐る口を開いた。


藥忱やくじん…仙人です。ご存じですか?」


「いや、知らん。」


(良かった。)


 青年の素っ気ない態度に弟子は安堵する。有名な神仙らしいけれど南海ではそこまで知名度が広がっていないらしい。


「有名な仙人か何かか?」


「あーはい、一応神仙です。」


「へぇ、凄いんだな。お前の師匠。」


「えへへ。」


 師匠の事を褒められなぜか嬉しくなる弟子は照れ笑いをした。


「まあいいや、じゃあ、おや…じゃなかった竜王に会ったら師匠の名前言って~、自分の名前言って~。」


「あ。」


「あ?」


 青年の言葉に弟子は困ったように眉をへこませた。


「実はその…名前が無くて。」


 そう、実は弟子には名前がない。生まれた頃はあったのかもしれないが物心がつく頃には母は他界しており、横暴な父に散々な呼ばれ方をしていた。そのため自分の名前を知らないのだ。


「は?お前名前ないの?師匠になんて呼ばれてんの⁇」


「えっと…弟子と。」


「ふーん、素っ気ないんだな。ほんとに師弟かよ。」


 師匠は知ってか知らずか自分の名前について聞いてきた事がない。名前で呼ぼうとすらしていない気がする。そう思うとなんだか胸が痛くなってくる。


「まあいいさ、じゃあそうだな~~。」


 青年は落ち込む弟子にはお構いなしでしばし考えたあと閃いたかのように拳をぽんと掌で叩いた。


「そうだ、南陽なんよう南陽なんようですって言えばいいよ!」


「なんよう? 誰です?」


 弟子の問いに青年は笑って誤魔化す。


「いいからいいから。そう言えばおや…竜王もコロッと態度変えて優しくなるからさ、な?」


「はあ。」


 両肩をぽんぽんと叩かれて弟子は南海竜宮城へと押し出された。


「じゃあ、気張って行ってこいや!」


「痛てっ、行ってきます。」


 気合を入れるように背中をドンと強く叩かれて予想以上に痛かった弟子は涙をにじませながら青年を後にするのだった。




ー続くー


***********

※黒紫:こげ茶色

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