第二十三章 小さき者 (贰)

 確かに仙人の上下関係は厳しいと師匠から聞いている。本来なら師匠は敬うものであり、反論したり反発すれば罰せられるほど。悪くしたら破門だ。そして仙人には階級がいくつもあり、上位の者には会ったら挨拶さえすぐにしないといけないほどだ。神通力に優れている者は自身の姿も若々しく保てる為、外見で判断したら痛い目に遭うと教えられていた。


 しかし、藥忱の屋敷には殆ど仙人など来ないためすっかり気が緩んでしまっている。師匠は堅苦しいのが嫌いだし。


 弟子が口を塞ぐと師匠の声が響く。


「無論そうではあるが、格上の者だからこそ不遜にならず下々の者には常に真摯に向き合わねばならぬ。おごってはならんぞ、草加さいか。」


「う、はい。」


 藥忱の静かだが芯のある言葉に草加が肩を落とした。


(師匠には素直なんだな。)


「お前もだぞ。」


「ふぇ?」


 師匠に怒られて気を落とす草加を見てざまあみろと口角を上げる弟子に師匠の矛先が向いた。


「お前には礼儀作法も上下関係も何度も教えたはずなのに、外見だけで決めつけ内面を見ようともしない。この草加さいかは身体は小さいが天界で数千年を生き、神通力はお前の数十倍はあるぞ。先日の麒麟への態度といい、まったくお前は……」


「え!この馬鹿、麒麟様にまで失礼働いたの⁉」


 麒麟という言葉に草加が目を丸くして驚く。どうやらこの妖精のような者の上位者は麒麟のようだ。神獣と称されるのだから当たり前か。


「ばっ……ごめんなさい。」


(くそーこのちっこいの、いつか見返してやる。)


 反論したい気持ちをグッと抑えて謝罪の言葉を述べる。だがこの自分の数倍は小さい者にへつらうのは気に食わない。


「でも、仕方ないじゃないですか、あの頃は何一つ知らなかったんですから。仙界の知識も、仙術も習い始めたばかりで…」


「知らぬなら当たらず障らず接すれば良いだけの話だろう。お前は勘考かんこうすら出来んのか。」


「ど、どうせ農民の出ですよ!私に難しい言葉で諭そうとしたって分かりませんよ‼」


 師匠の難しい言葉使いに意味もわからず反論する。書房の本を読むのに字の勉強もしてきてはいるがいかんせん言葉が多すぎるのだ。その上、は難しい言葉ばかり使いたがる。


「はあ、全く。」


「良いか。」


 藥忱は溜息をつくと弟子に顔を近づけた。いつもながら息が掛かりそうなくらいに。


(う、近い…、師匠、私に大切な事言う時はいつも顔近づけますが、私はそれで心臓ばっくばくなんですよっ ちゃんと聞こえなくなっちゃうんですってばっ)


 弟子は内心汗だくで焦点が合わない。そんな状況を知ってか知らずか師匠は平気な顔をして話し始めた。


「私や草加さいかならまだしも、もし峻厳しゅんげんな上仙や聖獣に同じような態度をとってみよ。一瞬で灰になるか、土に戻るかだ。」


 話の内容のせいか、はたまた師匠の顔が近いせいか、弟子は唾をごくりと飲み込む。


「まあまず私の屋敷にそのような仙人は来るはずもないがな。お前はいずれ天界へ行くのだからそこらへんはしっかりと学んでおけよ。」


(嘘だ。この前神獣の中の神獣、麒麟がやって来たじゃないですかっ)


 弟子は心の中で反論するかのように先日来た麒麟を思い浮かべた。


「あれは例外だ。あと、そうだな……」


「姉上も……。」


「何です?聞こえない。」


 師匠が珍しく小声で口籠もるので弟子は不思議そうに耳を近づけた。藥忱は鬱陶しそうに弟子の横顔を押し戻す。


「まあいい。もし仙女が来たらへりくだっておけよ、仙女は怖いからな。」


「はあ。」


(仙女って怖いんだ、会った事ないけど。)


 実際、仙女にはまだ一度もお眼にかかった事はない。ただ、師匠の所へは妖艶な女狐だったり、仙女のように美しい神楽神仙が来たりした。過去を振り返ると確かに一癖ある者たちばかりだ。

 そして弟子の視線はふと女性という意味合いで草加の方へと視線を向けた。


「あ、こいつ今あたちを見ましたよ‼何よ!あたちが怖いっての⁉」


「い、いえいえ。」


 食ってかかろうとする草加に弟子が急いで取り繕う。いや、得体が知れないってところでは怖いけど。


草加さいかが仙女並みに美人で見惚れただけだろう、気にするな。」


「やだぁ、美人だなんて~。」


 さらっと受け流す師匠の言葉に草加は頬に手をやって照れている。


(流石師匠、なんだか女性の扱いも慣れてる?)


 弟子は二人のやり取りを眼を細くして見つめていた。


「とりあえず下界で修行して天仙になるものなぞ数えるほどしかいない。天界で孤立しないように仙術や剣術よりも世故せこに長ける事を優先せよ。」


 師匠の言葉にまだよく分かっていない弟子が首を捻る。藥忱が溜息をついた。


「つまり…うまく立ち回れるようになれ、と言っている。分かったか?」


「あー、はい!師匠。」


 噛み砕いた説明にやっと弟子は理解出来たようだ。


「孤立っていったら~、昔の藥忱やくじんちゃまみたいだね。」


(え?)


 草加から発せられた師匠の知られざる一面に弟子が目を丸くする。だがすぐに納得がいく。師匠は神仙なのにこんな人里近くの寂れた所に一人で居たのだから–––


草加さいか。」


「だって、藥忱やくじんちゃま。上では狷介けんかいの仙人なんて呼ばれてたでしょ。」


「…くだらん。」


 草加の言葉に師匠の声色が低くなるが弟子は難しい言葉にまた頭を捻っていた。


「けん…かい?」


「ほらみろ。草加さいかのがよっぽど博識だぞ。お前も少なくとも草加さいかぐらいにならないと天界では暮らせぬぞ。」


「えっへん。」


「はーい。頑張りまーす。」


 師匠が呆れたように口を開き、草加は得意げに胸を張っている。弟子は二人を交互に見てやる気のない返事を返すのだった。




    ◇




 あれから数週間。草加は下界を満喫していた。天界とは違う緑深い森に霊力のない動植物、くだらない事で沸き起こる人間の喧騒は見ていて飽きない。それに何と言っても夜空に広がる神秘的な光。生まれてすぐに天界で暮らしていた草加には見る物全てが真新しいものだった。


草加さいか。」


「なぁに、藥忱やくじんちゃま。」


 ふんふんと鼻を鳴らしてご機嫌な草加へゆっくりと茶を啜る藥忱が視線を向ける。


「お前、いつまで居る気だ?」


「んー、上とここじゃ時間の流れが違うから、まだ全然大丈夫!」


「そうか。」


 まだまだ遊び足りないっと言った様子の草加が元気よく答える。藥忱は茶碗を置くと細く白い指を伸ばして草加を撫で上げた。


「ここは愉しいか?」


(師匠ってば、あのちっこいのにやたら優しいなあ。)


 あんな毎日毎日子煩い小さい子に師匠は嫌な顔一つせず接している。自分へだったらすぐ怒鳴って牽制するくせに。弟子は掃き掃除の手を止めて師匠へもの言いたげな眼差しを向けていた。


「うん!とっても!」


「上みたくずっと昼間じゃないし、景色も頻繁に変わるし、匂いも色々だし。」


「昨日行ったところはね~黄色い煙がもくもくしてて、とーってもくっさいのー、あははは。」


 両手をいっぱいに広げて身振り手振りで感情を表現しては愉しそうに笑っている。


「そうか。でもそこはあまりお勧めしないな。臭気が立ち込めていれば妖魔も多かろう。気を付けよ。」


 楽しそうに息もつかず話す草加に藥忱は微笑み、優しく説き伏せる。

 

「はーい。」


「ここは天界とは別世界といっても良い。危険も多々ある。いつ鳳河ほうかの力が消えるとも限らない。そろそろ戻ったほうが良いのではないか。」


「えー、うーん。」


 藥忱の提案に草加が渋る。もっと遊んでいたい気持ちのが大きいが藥忱の言い分も最もだった。


「そなたに大事があれば私が鳳河ほうかに怒られるのだがな。」


「うーーん。」


「それに、そなたが居ない間にまた…」


「帰るわ!」


 藥忱の含みのある言い方に草加は急に立ち上がり叫ぶ。鳳河は何だかんだ遊び人だから目が離せないのだ。


(やっぱ言いくるめるの上手いなー、師匠は。)


 弟子は一言も発せず呆れたような関心したように箒に顎を乗せて二人のやり取りをただじっと見つめていた。


「気を付けて戻るのだぞ。一人で帰れるか?」


「平気よ。あたちを誰だと思ってるの。」


「そうだな。」


 エッヘンと胸を張る草加に藥忱が苦笑する。


「じゃあね、藥忱やくじんちゃま。またすぐ来るからね!」


「はいはい。」


 手を小刻みに振って別れの挨拶をすると透明な翅をはためかせて草加はすーっと空の彼方へと消えていった。来た時も突然だったが帰る時もあっさりしているのだな、と弟子は思った。



 ある程度、天界へ向けて飛んでいた草加が急にある事を思い出して立ち止まる。

 

「あーー!楽しすぎて本来の目的忘れてたー‼」


藥忱やくじんちゃまを連れ戻しに行ったのにー!もぅっ」


 そう、天界で身代わりとなっていた草加だが痺れを切らしてわざわざ下界まで藥忱を連れ戻しに来たのだ。しかし、下界の目新しい物事が楽しすぎてすっかり忘れてしまっていた。


「仕方ない。ひとまず鳳河ほうかのところ戻ろっと。」


 また引き返すのも面倒だし、鳳河をずっと野放しにしておくのも危険だ。草加は溜息をついて帰路についた。




    ◇




「ところで師匠。」


「ん。」


 騒がしいのがいなくなり清々した弟子が軽い口調で師匠に声をかける。藥忱は変わらず大好きな茶を口に含んで香りを楽しんでいた。


「天界の時間とここの時間てどれくらい差があるんですか?」


「なんだ、ちゃんと重要な言葉も聞いていたのだな。」


 茶の匂いを堪能しつつ師匠が鼻で笑う。


「あ、べ、別に聞き耳立ててたわけじゃないですよ。たまたま聞こえちゃったんですよ。」


 弟子は師匠の軽い嫌味に動じず顔を覗き込んだ。普段の事を考えるとこんなのは嫌味ですらない。


「天界での一日はここでは一月ひとつき経っている事になる。」


一月ひとつき⁉」


 弟子は驚いて目を丸くする。


「じゃ、じゃあ、あのちび…草加さいか様?は天界ではまだ一日も留守にしていなかったってことですか。」


草加さいかは精霊だから敬語は必要だが我らのような敬称はいらぬ。」


「は、はあ、ややこしい。」


 天仙や精霊、仙獣に獣人など仙界には様々な種族がいる。大抵は位で分けられているが種族が違うと対応も違うらしい。なんともややこしく弟子は頭を抱えた。


いーあるさん……」


「何を数えている。」


 弟子は自分の指を折り曲げて数を数えだす。藥忱は眼だけを弟子に向けて細めた。


「え、じゃあ師匠はここに何年いるのかなーって。」


「一年が二十四か月だから…あー?」


「馬鹿め。」


 藥忱のところへ来て三百年にもなるが漢字はおろか計算も大の苦手である。元々農民だった弟子には必要ないものだったので成長とともに身についたのはどうやって日々生きながらえるか–––という事だけだったのだ。

 頭を悩ます弟子を見て藥忱が軽く息を吐いた。


「そもそも天界での暦は下界とは異なる。」


「そうなんですか⁉」


「考えてもみよ。一日中昼間で神仙は寝る事もなく働く。月も無ければ、星も無い。そして神仙達は皆不老不死だ。どうして暦が同じになる?」


「はぁ~確かに。」


 言われてみればそうかもしれない。弟子の頭では師匠の言葉の理解に追いつかないが師匠がいうのだから正しいのだろう。無知ゆえによく騙されもするが。弟子はなんとなくわかったように頷いてみせた。


「ん、あれ、なんで師匠寝るんですか?神仙は寝ないんじゃ…?」


「寝て悪いか。ここでは昼と夜があるから夜まとめて休んでいるだけだ。天界でも疲れたら横になる。神仙だとて生き物なのだぞ。」


「はあ。」


(神仙ってやっぱり良く分からないや。神なの?人なの?)


 不老不死で仙術も使える到底、人とは思えない超越した存在なのに人間に似た所も多々ある。特に師匠を見ると人間とは変わりない気がしてならない。ぐうたらでお茶好きで普通に怒るし、夜寝るし…


(そういえばもうここに三百年もいるのに、師匠の寝姿見たことないなあ……)


 弟子はふと内衣姿で床につく師匠を想像する。師匠が内衣姿で寝所から出てくる事など今まで無かった。慌てるという事がないので身支度はいつもきちんと整えている。それ故に想像は膨らんでいった。


「またくだらぬ事を考えているな。」


 弟子が押し黙るので藥忱は眼を細めて睨む。弟子は慌てた様子を隠しつつ叫んだ。


「もう、師匠。いつも言いますが私の頭の中を勝手に読まないでください!」


「いつも言ってるだろう。お前の思考なぞ読まずとも分かると。」


(ぬうう、今度師匠の床に蛇入れてやるーっ)


 口では勝てない弟子が脳内で叫ぶ。本当に自分は顔に出やすいのだろうか、と顔に手を当ててみる。


「幼稚な。」


「あー、やっぱり読んでる!」


 師匠の言葉に弟子は指を指した。師匠は面倒そうに言い捨てると空になった茶碗を差し出した。


「煩い。それより茶を淹れろ。」


「自分で淹れればいいでしょう!」


 ふくれっ面をした弟子がそっぽを向く。師匠が眉をひそめた。


「なんだと、お前の床に蛇を入れるぞ。」


「かーー!やっぱり読んでる‼」


 毎日毎日止む事のない他愛ない会話、やはり師匠は自分と変わらないなと思う。弟子を揶揄っては遊び、お茶を強請ねだる。そんな面倒な師匠だけれど弟子は毎日が充実していた。昔、人として扱われていなかった時より全然良い。師匠は厳しいけれど優しい。理不尽だけど間違った事は言わない。神仙がどんな者だろうと師匠は師匠のままであってほしいなと弟子は思うのであった。




ー終わりー


***********

※壹贰叁:中国数字で一、二、三

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