【番外編④ 神楽】
純白の暖簾が風に弄ばれる中、天女と見紛うばかりの玉のような肌に細い腕、華奢な身体に桃色の唇をした神仙が白い机に突っ伏し、細い髪を指に巻き付けて物思いに耽っていた。
「
一つ二つと詩を口ずさんでは溜息をつく。
「
いそいそと院の中を拭き掃除する男性が呆れたようなそれでいて心配そうに声をかけるが、神仙は面倒そうに身体を捻るばかり。
「じゃあ藍蓮華でも観に行ったら?
「うーん。」
九天玄女の名を聞いて重そうに頭を持ち上げる。神楽と呼ばれたこの神仙、外見とは裏腹に一軍を担う剣仙である。九天玄女はそんな剣仙達の長である故、蔑ろには出来ない。
とはいえ今は…というかもうここ二千年何もやる気が出なかった。天界は平和で軍の鍛錬にも顔を出さず院でのゴロゴロ生活。大切な者を失った自分には生きる気力もない。
否、死んでないけどね。
「やる気が出ない…動きたくない…」
これが神楽のもっぱらの言い分である。唯一の従者である
「そんなに憔悴するなら探しに行けばいいじゃない。全く。」
「探すって何処を?」
愛おしい者は約二千年前に天界を去った。
唯一無二の知己だと思っていた自分にすら内緒でだ。
最初は余りに急の事で憤りや
「彼の性格からして煩い人間界はあり得ないでしょ。それから争いの絶えない四海もないね。桃林に連れて行ったら眩しいって言ってたし、だから殺風景で静かな場所だと思う!」
「見事な洞察力ですこと。」
「もー、馬鹿にして。」
胸を張って得意げに提案した獐鼠だが神楽は聞く耳を持たない。たとえそこにいるとしてもそんな場所が一体どれだけあるだろうか。まだ人間界のが探しやすい。
「ね、行こう!行ってみようよ。」
何もせず院にいるよりはマシだろうと袖を引っ張る獐鼠に神楽は渋々と重い腰を上げたのだった––––
◇
「
「うっ。」
仙界を一通り探し歩いた二人は狼狽した様子で院へと戻ってきた。半年も費やしたのに影も形も捉える事が出来なかったのだ。噂の一つもなく足取りも掴めない、きっと辺鄙な所に一人寂しく住んでいるのだろう…そう思うと胸が痛む。
「きっと…そのうちひょっこり帰ってくるよ!気を取り直して
「
ころころと考えを変えれる獐鼠を羨ましく思いつつ机の上でまた溜息をつく。一体いつの間にその情報を得られたのか。
確かに天界に来てから数千年、西王母様に挨拶にすら行っていなかった。神楽は西王母の弟子であり、獐鼠も西王母の住む崑崙山で修行した身なのである。西王母は特に見目麗しい天女を侍らせている事で有名であり、男の神楽が選ばれたのはとても凄い事なのであった。
「そだねー、顔出しに行こうかー。機嫌を損ねると面倒だし。」
と空返事するものの中々重い腰が上がらない。それでなくとも帰ってきたばかりで心身共に狼狽しきっているのに、その上彼の事以外で動きたくもないという本心の現れだろうか。
獐鼠により半ば強引に身支度を整えて一行は崑崙山へと向かった–––
◇
金色の雲が沸き立ち、見事な花の枝が咲き誇るここ崑崙山では毎日のように楽や舞が披露されている。美しいものと雅を好む西王母は各地の美しい天女を呼び寄せ、楽師や舞姫を集め、日々優雅にくらしていた。
久しぶりの崑崙山に足を踏み入れた二人は全く変わらない美しい風景に口元を綻ばせていた。天界のいざこざに左右されない崑崙山が懐かしい。西王母様を始めここにいる者は皆優しく穏やかで上下関係もない。藥忱がここにいれたらどんなによかったか、私も戻ってくるのに、と神楽は想い人を思い浮かべて顔を暗くした。
「あら、
ふと気品に満ちた声をかけられ神楽が顔を上げる。
「
眼前にはいつの間にか金の衣に身を包み、幾つもの豪華な簪を付けた西王母とその周りに数十人の天女が微笑んでいた。神楽はゆっくりと拝礼をする。
「久しいですね。天界での待遇が良すぎて崑崙山の事など忘れてしまったよう。」
「滅相もない。」
「そう、天宮は豪華絢爛で神々しく、天帝以下身位の高い神仙達で賑わっているから、狭苦しい崑崙山より魅力的なのではなくて?」
優しくそれでいてはっきりとした口調が神楽の胸をつく。西王母様はやはり変わっていない、そう感じて自然と口角が上がった。
「天界には崑崙山の十分の一すらも優雅さも優しさもありませんよ。頭のでかくて堅い神仙が静かに往来している場所ですよ?どこに魅力があるんですか。真面目過ぎて私も笑う事を忘れてしまいますよ。それに……」
「ほほほ、
神楽がいつもの調子で喋り出すと西王母が笑いながら制する。周りの天女達も口元を隠してクスクスと笑っていた。西王母と天界は折り合いが悪い事は誰もが周知している事なのだ。
「久々に
西王母が愛おしい娘を見るように神楽の頭を撫でるとその場を後にした。もっときつい事を言われるかと思っていたがやはり大らかな方だ。神楽は色々とあって冷めていた心が温まるのを感じた。
◇
西王母様に挨拶もしたし、法会を見にきたわけでもないので早々に帰ろうと見事に咲き誇る桜並木を歩いている神楽の耳に会話が飛び込んできた。
「
"
「
見ると木の裏で大の男が小さな使い魔を諌めている。この者達には見覚えがあった。藥忱の兄とその従者だ。二人がコソコソと人気のない場所で話しているのは今自分が最も必要としている内容だ。ついに、ついに藥忱の居場所が分かるかもしれない、そう思うと胸が打ち震えるようだった。
神楽はゆっくりと二人の前に姿を現すと体面も考えず飛びかかった。
「
「キャーーッ、あたちの
勢いよく鳳河を木に押しつけ問いただす神楽。鳳河は自分より小さく華奢な彼に押し付けられ唖然としていたが、やがていつもの如く口角を上げると神楽の背に腕を回して抱き上げた。
「可愛こちゃん、随分大体だねえ。」
「私は男です。それより
鳳河に抱き抱えられようとも女に間違われようとも今の神楽には藥忱の事しか頭になかった。ずっと行方を探していたのだ。その手がかりが目の前にある。
「もしや…会ったんですか?」
ゴクリッと唾を飲み込み鳳河を穴が開くほど見つめる。鳳河はにこりと笑うと頷いた。
「教えて!教えてください!!誰にも言いませんからっ」
「んー?」
この機会を逃したらもう二度と会えない…そんな気がした。
「な、何でもしますからっ」
神楽の必死の願いに鳳河は首を傾け考える。神楽の足先から頭上まで視線を這わすと意味深な笑みを浮かべ口を開いた。
「そこまで言うなら。従者を置いてついておいで。」
「
「
そう告げると先を行く鳳河を追いかけていった。獐鼠は心配そうに桜の木の下に佇んでいた––––
ー終わりー
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