第十一章 初めての修行 (叁)

 ここへ来てかなりの時間が経過していた。


 色んな材料を採らされ、もとい採らせてもらい弟子は泥まみれの汗まみれ。まだ採る物があるのかっ、と弟子は歩く速さを一向に緩めない非情な師匠の後を必死で着いていく。


 そしてシンと静まり返った広場のような場所にくると師匠は一点を見つめました。その先には…


「し、師匠。」


「なんだ。」


「私はもう充分採りました。あとは見てますので師匠がどうぞ。えへへ。」


 師匠が見つめる先には明らかに毒を持ってますと主張するような紅い胴体に黄色と黒のまだら模様が入った一匹の蛇がいた。

 その蛇は気性が荒く、まだ遠くにいるというのに二本の尖った細い牙を見せて威嚇している。

 どう考えても無事では済まない…と弟子の勘が警鐘を鳴らしているのだ。


「これで最後だ。最後までしっかりやれ。」


「えーだって…あいつ見るからに毒々しいですよ?噛まれたら死んじゃいません⁇」


「死ぬな。」


「‼」


 心配そうに声をかけながら見上げる弟子に、師匠はしれっと返答を返してくるので、信じられないっといった風に目を見開く。


「噛まれなければいい。」


「そんな簡単に!」


 自分が獲るわけじゃないから楽観的なんだっと弟子は憤りが込み上げ声を荒げた。


「こいつはとても貴重な毒蛇でその肝は下界ではどんな毒も解毒出来るとされる。そのせいで乱獲され下界ではもうこいつはいない。私が最後の一匹を捕まえてここで増やしている。」


「へえー、じゃあ捕ったら可哀想じゃないですか。もっと増やしましょう!そうしましょう。」


 なんとか危険を回避したい弟子が焦りつつわざと明るく言葉を返した。


「馬鹿者。増えすぎても自然の理に反する。こいつは猛毒の蛇で神仙でさえ噛まれたら危ういのだぞ。うじゃうじゃ増えたら困るだろう。」


「その神仙でも噛まれたら危うい蛇をただの人間同然の私に捕らせるんですね。」


「何か問題あるか?」


「……っ」


 さすが非情で冷酷な師匠。弟子がどうなっても良いようだ。思えばごねて半ば強引についてきたのでその嫌がらせかもしれない。弟子は師匠をじとっと睨んだ。


「ほら、さっさと捕まえて帰るぞ。」


「…はい。」


 どうやら何を言っても危険な蛇へ立ち向かわなければいけないらしい。弟子は渋々覚悟を決めた。



 暗がりの足場の悪い中、弟子はようやく慣れた眼でとぐろを巻いて威嚇する蛇へとゆっくりと近づいていった。

 近くまでくると威嚇している蛇の後ろに窪地があり、同じような蛇が絡み合って数十匹は確認できる。だが、手前の威嚇する一匹以外、近づく弟子に興味を示さず窪地から出てくる事はなかった。


「良い子だから動かないでね~。」


「そうそう、そのままだよ~。」


 弟子は蛇の眼前までくると捕まえようとゆっくりと両手を上げて近づく。今まで蛇を捕まえて食べた経験はあるがここまで人間に威嚇してくる蛇は初めてだ。


「うっ。」


「そうそう、そいつと目を合わせるなよ。とびかかってくるぞ。」


 師匠の声が遥か後方から聞こえてくる。

 弟子は途端、全身を震わせた。


「だーかーらー、そういうのは早く言ってくださいって…」


「言ってるでしょうがあああああああ!!!」


 目に涙を溜めて振り向き叫ぶ弟子の伸ばされた手には蛇が容赦なく噛み付いていた。


「なんだ、噛まれたのか。」


「なんだじゃありませんよーっ もう……」


 突如、悪態をついていた弟子の意識は薄れ、そのまま全身の力が抜けたかのように地面に崩れ落ちた。

 師匠はゆっくりと弟子の元へ歩を進め、見下ろすと小さく息をはく。


「世話の焼ける。」


 その口元には薄らと笑みを浮かべていた。




    ◇




 洞窟はいちいち騒がしかった者が急に静かになったため、不気味なほどの静けさを醸し出し、今まで気にもしなかったが湿気が肌に纏わりつくように冷たく空気が重い。


「ふむ。」


「さて、どうするか。」


 真っ青の唇に土気色になった顔の弟子を抱き起こして師匠は特に慌てる様子もなく見つめる。


 手の甲は小さな二つの穴から瞬く間に広がった毒のせいで黒々と変色し奇妙に腫れ上がっていた。

 噛み付いた蛇は既に離れ元の位置で監視をするように此方を伺っているようだ。


 師匠は弟子の冷たくなった身体を覆うように抱き抱え、片方の手で変色した手を持ち上げると潔癖な性格故か黒褐色の傷口を見て眉間に皺を寄せ小さく吐息を吐いた後、ゆっくりと端正な顔と厚い唇を近づけていった。


「……。」


カランッ


 不意に近くの暗がりで石の落ちる音が響く。


「誰だ。」


 音のした方へ顔だけ向けるとそこには緑琉璃色と獣皮色のいたって簡素な服を着た若者が立っていた。


「!…藥忱やくじん?」


胡毒ことくか。」


 こちらの様子を伺っていた若者は藥忱の顔を見るなり表情をパァッと明るくして駆け寄ってくる。


「わあ、久しぶりだね!」


「ああ。」


「君と最後に別れたのは……一千年くらい前だっけ。」


「そんなところだ。」


 藥忱の隣に座り込んで眼を輝かせる胡毒は昔を思い返すように思想しては声を弾ませた。


「あの時は本当に助かったよ。」


「大昔の事だ。」


 藥忱も昔の友に出逢えて口元は綻び、慈しむような眼差しを胡毒に向ける。こんな顔、弟子が見たら驚きのあまり眼を見開いて卒倒してしまうだろう。


「あれ、その子…下知げちに噛まれたの?」


 藥忱が大事そうに抱えている物体にようやく気づいた胡毒はすぐに黒褐色に腫れ上がった手の甲に気づいた。


下知げち…また蛇に名前をつけているのか。」


「うん、我が子同然だからね。一人一人に全部あるよ。」


 ニコッと口角を上げる胡毒を見て苦笑する。

 

(その蛇を捕まえにきたのだがな。)


 胡毒にこの蛇を預けたのは仙薬として後々有用するためだったが思いの外大切に育てられている。無理もない、この人っ子一人居ない暗い洞窟に一人で住んでいるのだから。


「看せてみて。」


 胡毒の促しに藥忱は弟子を下へ置いた。

 胡毒は手の甲を持ち上げてまじまじと確認したり、脈や呼吸を確認する。


「呼吸止まってるじゃない。」


「死んだのか?」


 力強い眼孔が向けるが師匠は至って冷静である。


「ううん、神経毒にやられてるだけだから。」


 この蛇は特殊で毒により速攻で心の動きを止めるが身体は生きたままの新鮮な状態を保ちゆっくり食すのだ。所謂、仮死状態にするという。


「ここまで毒が回ったらもう解毒薬は効かないよ。」


 胡毒は腕まくりをすると印を結んで仙術を発動させる。結ばれた手の間には淡い光が生み出され次第に胡毒の手を包み込んでいく。

 次に伸ばした二本の指先を口に近づけると皮膚を噛み、血を流出した。そして血の伝った指を弟子の口に差し込んだ。

 

 効果はすぐに現れ、まるで死体のようだった弟子の肌は血の気が戻り、唇も鮮やかな血色に。いや、これは胡毒の血が付いただけか。


「お前がいて助かった。」


「僕の趣味も結構役に立つでしょ。」


 指をゆっくりと取り出してそこら辺の布で拭うとにっこりと微笑んだ。とても満足そうだ。

 胡毒は毒専門の仙人であり、毒の精製や解毒に通じている。特に蛇毒で胡毒に解毒出来ないものはない。胡毒はありとあらゆる蛇の毒を自ら試し、身体に血清を生成しているのだ。


「ああ、とても役に立つ。お前を理解しようとしない上の連中は頭が硬いだけだ。」


「あはは、そういってくれるのは君だけだよ。」


 ひと段落ついたように胡毒は藥忱の隣に腰掛けた。古き友の声はやっぱり耳に心地いい。胡毒はその余韻に浸っているようだった。


「それにしても…解毒薬なしでよく下知げちに近づいたね?その子の事嫌いなの?」


 ふと胡毒が興味津々で藥忱の横顔を覗く。この蛇の毒性を藥忱が知らないわけないのだから。


「…ああ、嫌いだ。」


 藥忱は眼だけをジロっと胡毒に向けると面倒そうに言い放つ。


「ふふ、冗談。自分で解毒しようとしたでしょ。」


「……。」


藥忱やくじんほど神通力があれば出来なくもないだろうけど……、自分が傷ついちゃうよ?自分を犠牲にしてでも得たかったものって……」


 考えるように人差し指を顎に当てて宙を見上げる胡毒。彼には既に藥忱の考えが分かっていた。


「煩い…。弟子がドジで馬鹿なだけだ。」


「もう、素直じゃない。」


 クスッと友を見て笑う。

 昔から本当変わらないんだから、と。


「それにしても、まだここらに居たとはな。」


 藥忱がポツリと呟いた。


「僕は一生ここから離れないよ。君との約束もあるし。」


 胡毒も急に神妙な様子になって呟く。


「そうか。そうだったな。」


「…寂しくは無いか?」


 藥忱が眼差しを向ける。端正な顔や身体は冷静なままだが力強い眼孔は何かを問いかけるようだった。


「寂しいって言ったら、僕を貰ってくれるの?」


 胡毒は苦笑して藥忱に向き直った。

 藥忱が眼を逸らし俯く。その眉間には深い溝が出来る。


「冗談だよ、あはは。もう、すぐ真面目に考えこんじゃうんだから。そういうところ変わってないね。」


「…揶揄からかうな。」


 ポンポンと背中を叩かれ藥忱は深い溜息をつく。


「僕はここが好きだし、僕の大切な子達もここが好きだから満足してるよ。」


「ここは静かでいい…。」


「そうか…。」


 しばらくの間、二人は二人だけの懐かしい空間を満喫していた。



 数時が経ち、藥忱がまだ意識のない弟子を抱き上げると胡毒に振り向く。


「では、またな。」


「うん。久しぶりに会えてよかったよ。」


 嬉しそうに微笑む胡毒に口角を少し上げて頷く。


「あ、待って!」


 振り向き歩き出そうとする藥忱を胡毒が急に引き止めた。何事かと振り向いた眼前に一匹の蛇。


「忘れ物だよ。」


「…ああ。」


(バレていたか。)


 笑みを浮かべた胡毒が苦笑する藥忱の物入れに下知を押し込んだ。


 藥忱は今度こそ弟子を抱きつつ洞窟を後にした。




    ◇




 翌日、顔色もすっかり良くなった弟子は午の刻だというのにまだ眠りこけていた。


 黒い影がゆっくりと様子を伺いにくる。


「うーん。」


「師匠の馬鹿やろう…」


ゴチンッ


 様子を伺っていた大きい黒い影は弟子の近くまでくると不躾な寝言に腹を立てたのか白い拳を振り下ろした。


「う”っ…?」


 鈍い痛みにようやく眼をゆっくりと開いた弟子の目の前に端正な顔が映る。


「目が覚めたか。」


「師匠…?」


 まだ寝ぼけている弟子はここが何処かもすぐに理解出来ず周囲を見回し、それから思い出したように師匠に問いかけた。


「あ、蛇は?」


「ここだ。」


 口角を少し上げ師匠は袖口から何かを取り出す。


 それは昨日自分に眼にも止まらぬ速さで飛びつき噛み付いた紅い胴体に黄色と黒のまだら模様のあの蛇だった。

 弟子はあの身を斬られるような激痛が脳裏に蘇り真っ青になって後ずさる。


「ひぃぃぃいいいっ」


「問題ない。毒は抜いてある。」


 師匠は蛇を手に巻いて愛おしそうに見つめている。なんて物好きなんだ。


「そうなんですね。でもてっきり殺して仙薬の材料にでもするのかと思ってましたが。」


「こいつを大切にしてる者がいるからな。安易に殺せなくなった。こいつの命を使う時は、どうしてもの場合だけだ。」


「はぁ…」


(こんな毒蛇を大切にしてる人って……)


 あの場所に誰か居たのだろうか。師匠が危険な蛇を放置するわけないし、誰かに監視させてるとか?

 それにしても毒蛇を大事にするその者が弟子には到底理解出来なかった。


「具合はどうだ?」


「へ?ええ、大丈夫です。なんか前より元気なくらい。」


(びっくりしたー)


 弟子は師匠のきっと多分絶対初めてである心配をした上で頭をポンポンされた行為に驚き、声が変に高くなる。


「この蛇の毒は猛毒だが解毒出来れば内功を高めてくれる薬になる。良かったな、九死に一生を得て。」


「ええ、本当死ぬかと思いましたよ。」


 くるっと身を翻した師匠がゆっくりと歩きながら蛇を撫でつつ説明してくれる。

 その蛇にそんな効果があったのかーっと弟子は感心した。とは言ってももう二度と噛まれたくはないが。


「一度死んだがな。」


「え?今なんて?」


 師匠がボソッと聞き取れるか取れないかの言葉を呟き、弟子が聞き返す。


「お前に死なれては困るからな。」


「え!」


「師匠~~。」


 いつもいつも厳しくて冷酷で嫌味で非情な師匠だけどやっぱり私の事が大切なんだなっと弟子は嬉しそうに師匠へ手を伸ばす。


「茶くみがいなくなる。」


「師匠!」


 だがやはり師匠だ。そう簡単には甘やかしてくれない。


「ほら、さっさと茶を淹れろ。」


 師匠はしれっとして言い放つ。

 もうずっとお茶を飲みたくて我慢していたのだ。


「嫌です!もう自分で淹れてください。なんで私が…」


「もう文句は言わないんじゃなかったのか?」


(うぐっ)


 師匠は横目でジロリと弟子を睨む。


「素晴らしい師として仰ぐのではなかったのか?」


(うぐぐっ)


 師匠の冷淡な眼差しに刺され、弟子は言葉をのんだ。


「分かりましたよ!淹れてきますよ!」


 半ばやさぐれた弟子が寝台から飛び起きて足速に台所の方へと消えていった。待ちきれない師匠も下知と一緒にゆっくりと後を追った。




ー終わりー


*********

※緑琉璃色:くすんだ深緑色

※獣皮色:薄い茶色

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