第十章 初めての修行 (贰)

 弟子は初めて作った手作りの糊を抱えて内院へ行くと、先ほど割ってしまった茶碗を集めながら不満を漏らす。


「師匠は本当に私に教える気はないんですね。」


「何のために弟子にしたんですか。都合の良い召使が欲しかったんですか。」


「絶対そうだ。私がもう戻れないからって。」


 姿の無い師匠に向かって文句たらたらの弟子。

 その背後から急に師匠が現れ、声をかけるが弟子は上の空だった。


「おい、弟子。」


「あー。」


「師匠に向かってなんだその態度は。」


「いたたた、痛いですってばっ」


 間抜けで無礼な弟子の態度に師匠は振り向いた白く柔らかな頬を力いっぱいつねる。若く弾力のある頬を面白そうに伸ばす師匠に弟子はたまったものではない。


「師匠が悪いんじゃないですか。私を騙すから。」


「教えるなぞ一言も言っていない。」


 ヒリヒリとした痛みを摩りながら弟子は涙目で師匠を睨みつけた。


「あの場合、どう考えても教えてくれるって思うでしょう!」


「知ったことか。」


「それよりもこれらも直しておけよ。」


 文句を垂れる弟子の前に白や茶色の割れた破片が置かれる。それはいままで割った茶器たちの残骸だった。


「うえ~~。」


「お・ま・え・が、壊したんだからな。」


 強く念を押すかのように師匠がそれらを指刺す。自分なら糊を使わずとも直せるのにわざわざ取ってあったとは…師匠の性格がうかがえるね。


「はぁーい。」


 弟子は翡翠色をした割れた茶器を集めながら空返事を返す。

 どうせやる事もないのでゆっくり茶器を直す事に専念しようと思いつつ、やはり師匠は何も教えてくれないのだと落胆が口から漏れ出した。


「私は出かける。」


「はぁー……は⁉出かけるってどこへですか‼」


 やる気のない返事を返そうとして弟子は師匠の言葉に耳を疑い、勢いよく頭を跳ね上げる。


「お前が気にする事ではない。」


「でも、今まで一度も外出した事なかったですよね!村にちょろっと行ったくらいで。」


「行先くらい伝えておいてくださいよ。減るもんでもなし。」


「あ、分かった!ついに天界に戻る決心がついたんでしょ。」


「馬鹿め。」


 まくし立てるような弟子の弾む声に師匠は両腕を前で組んでくだらないといった様子。

 こういう時の師匠は大抵ちゃんと話してくれない事を知っている弟子は段々と卑屈になっていく。


「じゃあ、どこ行くんですかあー。」


「仙薬の材料を補充しにいくだけだ。」


「ふーん、仙や…仙薬⁉材料⁉薬草を採りに行くんですか⁉」


 仙薬、その二文字を聞いた弟子は急に眼に光が蘇る。

 今まで外出はおろか仙薬など仙人に関係する物にも全然関わってこなかったのだから無理もない。


「師匠!師匠!師匠‼」


「駄目だ。」


「まだ何も言ってないじゃないですかっ」


「駄目だ。」


 眼を輝かせて今にも飛びついてきそうな弟子が叫ぶが、悟った師匠に冷たくあしらわれるので弟子は口を尖らせた。


「私も連れて行ってくださいよー!お邪魔はしません、そばで見るだけでいいですから!」


「なんなら私が採っても良いですから!」


「師匠ってばーー!」


 師匠の袖にしがみついてなんとか連れて行って貰おうと精一杯懇願する弟子。服に皺が寄るのを不愉快に思いつつも師匠は揺さぶられる腕を払いのける事もせず何を考えているのか静かに弟子の様子を見守った。


「お願いします、お願いします。一生のお願いですから。」


「連れていってくれたら今後どんな文句も言いませんから!素晴らしい師匠だと尊敬の意を込めて接します!」


「…本当だな?」


「はい!」


 弟子の懇願に根負けしたのか、この小煩い弟子が尊敬して少しでも静かになってくれる事を期待しているのか、師匠は渋々同行を認めた。


「とはいえ、お前、飛べないだろう。」


「それは…師匠のせいです。」


 当たり前だが弟子に神通力はないので飛ぶ事は出来ない。遠い場所へもひとっ飛びが仙人のウリなのに全く世話の焼ける。


「ったく、来い。」


「はい、えっ、わっ」


 師匠は弟子の腕を引っ張り引き寄せると細っこい腰に手を回し、空いている方の腕で大きく円を描くように振った。




    ◇




 「ここは‥‥」


 何だか分からない強い力の渦に吸い込まれ、次に目を開いた弟子の眼に映った景色は先程までいた白い建物が清楚に佇む屋敷とは打って変わって光もあまり差し込まない薄暗くジメジメした空気の漂う大小の岩肌が積み重なって出来たような苔生した洞窟だった。


「うっわーーー。」


 初めて見るその光景に弟子は暫し感動に打ち震える。

 腕をちょっと動かしただけで別世界へと行ける師匠も凄すぎるが、それよりも天井の小さな穴からいく筋もの光の帯が差し込み、照らされる雫を纏った苔がキラキラと輝く様は神秘的の一言だ。


「騒がしいぞ、来い。」


「はい。」


 弟子は初めて見る光景に足元も疎かにキョロキョロと見回しては感動を声にしていた。

 こんなじめっとした洞窟に一体どんな仙薬の材料があるのか。弟子は胸躍らせながら歩いていく。


「鬱陶しいな。」


「だって、こんなところへ来たのも初めてだし、仙薬の材料を採るのも初めてなんですよ!」


 藥忱は静かな場所を好むので小娘のようにはしゃぐ弟子は見ていられない。

 師匠に構わずこの場を楽しむ弟子に呆れて吐息を漏らしては先へ進んだ。



 しばらく歩いた二人は更に暗く小さな洞窟の入り口に到着した。


「ここに入るんですか?」


「そうだ。行くぞ。」


 中は灯り一つ無く真っ暗闇。弟子は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。いままでの神秘的とはうって違いまるで地獄への入り口の様だ。


「何してる、早く来い。」


「は、はい。」


 踏み出す勇気が出ず立ち止まっていると暗闇の洞窟の中でぼんやりと浮かび上がる朱古力色の長衣を身に纏った師匠にせかされ、急いで脚を進めた。



 中は空気も澱み、湿気も増して薄気味悪い。何より真っ暗闇でこんな中を歩も変えずに歩いて行ける師匠に感心を覚えるはずだが、今の弟子はそれどころではなく恐怖に震えながら師匠の背中にぴったりと付いて行くのが精一杯だった。


「腰抜けめ。」


「だ、だって、私には武功も仙力もないんですよ!なんでもできる師匠と一緒にしないでください!」


 弟子が恐怖を打ち消すかのように声を張り上げると狭く長い洞窟にこだまし、そして次の瞬間、暗闇に不気味な硬いものが擦れるような音が沸き起こった。


「そんなに騒ぐと…」


 師匠の忠告も束の間、急に弟子の身体が宙に浮かび上がる。


「へ?うわーーーっ」


「蟲に喰われるぞ。」


 暗闇の中、何か分からないモノに背中の服を引っ張られて連れて行かれる弟子。

 師匠の忠告も虚しく、弟子は食べられてしまった。


 え?まだ食べられていない?


「助けてーー!」


 弟子の悲痛の叫び声が暗闇に響き渡る。


「ふ、惜しい奴を亡くした。」


「馬鹿師匠ー!まだ死んでない‼早く助けてーー!」


 ギャーギャーわめいている割にしっかり師匠の声をキャッチして悪態をついてくる弟子に師匠はまだまだ余裕の表情だった。


「うーん、昔はもっとしおらしくて可愛い弟子だったのにな。どうしてこんな憎たらしくなったのか。」


「あなたのせいですーー!あーーっ」


 何やら大きな蟲どもに弄ばれているのか弟子は宙をぐるぐると回し飛ばされながらも反論する。


「この際、弟子はとっていなかった事に…」


「何考えて!ギャーーもう無理無理無理っ」


 暗闇でも僅かな光源により段々目が慣れてきた弟子の目の前に大きな鋏が迫ってきた。


 間一髪のところで大きな鋏は動きを止めてそのまま地面に倒れ込む。挟まれていた方の蟲も何故かピクリとも動かず地面に倒れ、衝撃で弟子が吹っ飛ばされたが、奇跡的にかすり傷ですんだのだった。


「もうっ、なんでもっと早く助けてくれないんですか!」


「自業自得だ。」


「師匠の忠告が遅いんです‼わざとでしょう!」


 弟子が怒りに任せてまた怒鳴り散らそうとすると奥から何か這いずる音が聞こえ慌てて口を塞いだ。


「おっと…」


「そうやって口を閉ざしておけば静かでいい。」


(ぐぬぬ。)


 弟子はまだまだ文句を言い足りない気分だがまた蟲に弄ばれたら溜まったものではないので渋々口をへの字にしてついていった。




    ◇




 暫く歩いて開けた場所に出ると師匠は急に歩を止める。


「ここだ。」


「?」


 真っ暗な中、前方にいるぼんやりと浮かぶ師匠以外は何があるのか分からない。

 弟子はキョロキョロと左右を見回し眼をこらした。


 次に師匠は手を伸ばして岩肌にびっしりとくっついている苔を撫で上げると途端、真っ暗闇にまるで黄金の波が沸き立つように光が広がり始めた。


「わーー!なんですか、これ!」


「これは光苔ひかりごけだ。ここに蟲は居ない。蟲共は光苔を嫌うからな。」


 初めて見るまるで夜空のような神秘的な空間に弟子は眼を輝かせて声を弾ませる。どうやら光苔は互いが擦り合う事で発光するらしく、闇に住む蟲たちは歩くだけで自分の姿が露わになってしまうこの場所には寄り付かないらしい。


「弟子、喜べ。お前に採らせてやろう。」


「やった!」


「で、どれを?」


 弟子は心を弾ませて明るくなった空間を見回す。

 藥忱は光苔がびっしりと敷き詰められたなだらかな壁の上部を長い細い指で指し示した。そこには一見分かりにくいが、光苔と同色のキノコが一つ生えている。


「あの光っているやつだ。」


 指し示した壁の下まで行くと弟子は気合を入れて袖を捲り上げ、キノコを見上げた。それは思ったよりも高い位置にある。


「滑るから気を付けろよ。」


「はい。」


(珍しい、師匠が気を付けろだなんて。)


 普段から師匠が弟子に注意する事は多々あっても、気に掛ける事は一切ない。なんだかんだ師匠は優しい…と胸に暖かいものを感じつつゆっくりと登っていく。


 しかし、


ズリッ


「うわっ」


 光苔は思った以上に滑りやすく足に力を入れてもずりずりと下へ身体が下がっていってしまう。弟子は落ちまいともがくが余計足場はツルツルになり、しまいには身体ごと光苔を纏いつつ師匠の元まで落ちていってしまった。


「わーーっ」


 師匠の頭上まで滑り落ちてきたが師匠が華麗に避けたため弟子は何のクッションもなくごつごつした岩肌に尻を打ち付けてしまう。


「ったーー。」


「だから言っただろうが。私が巻き添えになるだろう。」


「なっ」


(やっぱり師匠は師匠だ!)


 少しでも師匠が優しいと思った自分が愚かだ。

 有り余る神通力があるくせに落ちる自分を受け止める事さえしてくれない。

 弟子は打った尻を摩りながら憎々しく叫んだ。


「そんなこと言って師匠、華麗に避けてるじゃないですか!」


「服が汚れた。」


 師匠はというと弟子が落ちた弾みに飛んだごく少量の光苔が長衣の裾についたのを不満げに言い放つ。


「そうですか!」


 自分の力不足を感じている弟子はそれ以上口に出来ず、声を荒げて最後に嫌味を飛ばすと今度は慎重に壁をよじ登っていく。


「やった。採れた。」


 初めて手にした仙薬の材料は名前すら知らないが黄金に輝いていて人間の世界の物とはくらべものにならない存在感を醸し出している。地上に戻った弟子がキノコを握りしめて感動していると横から師匠がひょいっと奪い取りさっさと袋に入れて歩き出してしまったので、名残惜しみつつ弟子も後に続いた。



 暗い洞窟の中を上がったり下がったりしてびっしょりと汗をかいた額を拭う弟子は、きっと汗一つかかずに平然と進んでいるであろう師匠を見上げた。少しは休ませてくれてもいいのに、とぶつぶつ口から文句が漏れ出すと急に師匠の足が止まる。


 師匠の脇から顔を覗かせて前方を見ると今度は青く光る小さな川が静かに流れていた。


「綺麗だなあ。」


 うっとりと見惚れる弟子はもっとよく見ようと身体を乗り出し、近くの岩に手を差し出し身体を支えようとすると、思っていた感触とは違いそこはぷにぷにと柔らかく生温かい。


「ん?」


「ひっ なななな、」


 違和感を覚えて手元に視線をおくるとそこには川の色とほぼ同色の楕円形で透過した皮膚を持つ目の無い物体がいた。そしてその物体は弟子の手が身体に食い込むとゆっくりと身体をくねらせ、口のようなところを大きく開けて大きな牙を見せて威嚇してきた。


 弟子の声に振り向いた師匠は「ああ、ここに居たのか。」と。どうやらお目当ての材料を弟子が先に見つけていたようだ。


「噛みつきはせん。無傷で捕まえろよ。」


「嘘だ!絶対嘘だ‼こんなでっかい牙がニ本もついてるじゃないですかっ」


「さっさとしろ。」


 真っ青な顔で師匠に抗議するが、この師匠が許すはずもなく、弟子は覚悟を決めて両手を押し出し恐る恐る近づいていき勢いよく身体と思われる部分を掴みにかかった。


「えいっ」


「煩いやつめ。」


 一々騒々しい弟子に呆れ顔の師匠。

 弟子はぶにゃっとした嫌な感触が手から全身に巡るようで手を震わせながら師匠のところへ運んできた。


「…捕まえました。」


「袋にいれろ。」


「さあ、次行くぞ。」


「はぁーい。」


 無事、ぶにぶにした素材を袋に入れて手から離れると一安心し、弟子は軽く返事をして師匠の後をついていった。




ー続くー


**************

※朱古力色:薄明るい茶色

 

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