【番外編① 鳳河】

 錦を織りなす天はとばりの垂れるのを知らず、永永と金色雲が立ち込め、吹く風も無く、変容しない。


 地上から何千里、何万里上空に在るのか、はたまた別の世界に在るのかは定かではないが、神々に近しい存在として人間の運命を管理したり、天変地異を起こしたり、天候を操ったりする職業に就く、所謂いわゆる神仙と呼ばれる者達と従者である天仙や神獣が住まわれている、ここは天界である。


 純白の柱に壁、そして床石。屋根は金銀で出来ていて、見事な細かい螺鈿細工が所々に施されており、何人たりとも汚す事の出来ない雰囲気を醸し出している。往来する仙人達の歩は遅く、優雅で静穏、泰然自若たいぜんじじゃくであり、皆が皆、十全十美じゅうぜんじゅうび


 そんな金の瓦屋根で出来た無数の建物のうちの一つから途端、大きな声が響き渡った。


「んもーーーどこ行ってたんですかあ‼」


「この草加さいかを置いてどこかへ行くなんて!信じらんない‼」


「ごめんごめん。」


 神仙の手程の大きさしかない小さな身体に透明な羽虫のような羽根が4枚、金色の綿毛のような髪をふわふわさせて小さな拳を精一杯上げて身体に見合わない大声を張り上げているのは使い魔の草加さいかである。


 その前に優雅に横になり片肘をついて宥めているのは先日、連峰山に突然現れては好き勝手して去っていった藥忱の兄・鳳河ほうかであった。

 先日の真っ白な上衣下裳とは打って変わり、白い上衣はところどころを金糸で刺繍され、胸には鳳凰の大きな刺繍が施され、金色の内衣に金色の帯と金色の冠を身につけ、とても高貴な装いである。


「ん?」


 クンクン。

 

 草加は鳳河の頭上をぐるぐると飛び回ると漂う匂いを嗅ぎ取っていた。どうやらこの草加、嗅覚がとても鋭く、仙人であれば性別や年齢までも分かるようだ。


 鳳河から漂う匂いを嗅ぎ取ると草加の眼の色が変わった。その形相はまさしく嫉妬にくるった女性のようだった。


「…女の匂い。」


「どこへ行ってきた。」


 途端、草加の態度は急変し、まるで小鬼の如く形相が変貌し、沸き立つ気が淀淀しくなった。


「ふふ、ちゃんと匂いを嗅いでごらん。」


 だが、鳳河は至って冷静に苦笑して草加に話しかける。

 左の人差し指を上げて草加の眼の前に差し出した。


「んー?」


 クンクン、ぺろぺろぺろ。


 草加は差し出された人差し指の匂いを嗅いだり、舐めたりして再度確かめる。


「あれ…この匂い、嗅いだことが……うーんと昔に…。」


 草加はなぜかとても懐かしい匂いに陶酔し、記憶をたどった。この懐かしく優しい匂いの元は…その人物像が脳裏に映し出される。


「‼ これって藥忱やくじんちゃま!?」


「シー、声が大きいよ。」


 途端、晴れやかな面持ちで草加が叫ぶ。


 何千年も消息を絶った大好きな人の弟、彼もまた草加にとって大切な友人だったのだ。


 大声に慌てた鳳河が人差し指で草加の小さな唇を押さえた。


藥忱やくじんちゃまが見つかったの⁉」


「うん。やっとね。」


 声を押さえて驚く草加に、嬉しそうに話す鳳河はとても優しい面持ちで見つめてくる。


 ずっと探していた大切な弟、否、それ以上の存在の彼がやっと見つかったのだから。草加も同じように胸が熱く沸き立つほどの喜びを感じていた。


「…どうだったの?」


「相変わらずだったよ。」


「アハハ、相変わらずむっつりしてたのー?」


「むっつりじゃなくて、むっすりね。してたよ、二千年前と変わりなく。」


 藥忱の様子を聞いているだけで嬉しい気分になる草加は鳳河の指の上で羽根をばたつかせて聞き入っていた。話す鳳河もいつものどこか気のない会話とは打って違い熱のこもった言葉を連ねているのが分かる。


 そして、その会話の中に垣間見える哀愁も…。


鳳河ほうか…?」


「うん…?」


 急に草加が心配そうな面持ちで鳳河を覗き込む。


「その様子じゃ、連れて戻れそうになかったんだね。」


「うん。」


 鳳河は物寂しそうに微笑んだ。


「まあ、まだちょっと時間が必要そうでね。またちょくちょく説得しにいくよ。」


「ずっと…ずっと長い事探してたのに!」


藥忱やくじんちゃまの馬鹿‼ 鳳河ほうかがどんな思いで…。」


 寂しそうな鳳河を見ていると自分まで胸が締め付けられそうになり、草加は瞳を揺らして怒り出した。


草加さいか。」


「大丈夫。私には草加さいかがいるからね。」


 鳳河は微笑み、草加の頭を人差し指で優しく撫でる。


「ん…でも……」


「私だけじゃ不満?」


「!不満なわけないぢゃん!ただ鳳河ほうかがずっと寂しがってたから!」


「うんうん。ありがとう。そばにいてくれて。」


「…うん。」


 鳳河は草加を手で包み込み、額に当てる。草加は小さい唇で額に口づけをした。


 自分の替わりに怒ったり泣いたりしてくれる草加が鳳河には愛おしくてたまらない。


 もう何千年と共に過ごしてきた草加は鳳河にとってかけがえのない伴侶のようだった。たとえ婚姻の儀をしていなくとも。たとえそれが仙人でなくとも。


「今度はあたちも連れていってよ‼鳳河ほうか。」


「それは出来ないなあ。」


 草加の訴えに鳳河は困ったように答える。


「なんで!また置いてけぼり⁉」


 草加は今にも泣き出しそうな大きな瞳で訴えた。


「だって、草加さいか藥忱やくじんに会ったら噛みつくでしょ。」


「うっ、だって、ずっとずっと留守にしてたから!そのくらい当たり前だよ!」


「それに下界は空気が悪いんだよ。草加さいかじゃ耐えられないよ。」


「うーん。」


 噛みつくのは挨拶のようなものなので(と草加は思っている)良いとしても下界の腐った空気は精霊の草加にとっては猛毒といっても過言ではない。藥忱の住む場所にもよるが、より人間の住む世界に近ければ近いほど、人間には分かりえないが淀みが生じているのだ。


「いつか、いつか必ず連れて帰るから…ね?」


「うん、わかった。」


「良い子良い子。」


 説得しつつ鳳河が柔らかい手で草加を撫でてあげる。


 とはいえ、本当のところ、鳳河と一緒にいれば下界の淀みなど相殺出来るのだが、折角単独行動出来る機会をみすみす逃したくはないといったところだろうか。


「ところでこの女の匂いは誰?」


「えっ、ああ、これは藥忱やくじんのところに弟子がいてね。」


 思い出したかのように草加が冷たく問いかけた。  急の事に鳳河は一瞬眉をぴくりと跳ね上げたが丁度草加からは見えない。


「えーー藥忱やくじんちゃま、弟子がいるの‼」


「あんなに一人好きなのに!びっくり!」


「はは、そうだね。中々楽しそうだったよ。」


 驚く草加に相槌を打つように笑う。


「へえ~。じゃあ長引きそうだね。」


「そうだね。」


 やはりどこか寂しそうな鳳河に草加はぴったりと身体をくっつけて言った。


 暫くして、鳳河の暖かい温もりの中、スヤスヤと寝息をたてる草加を見降ろして鳳河はゆっくりと口角を上げる。


「よかった、誤魔化せて。ごめんね、藥忱やくじん。」





ー終わりー

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