第七章 過去の出逢い (贰)

 どこをどう歩いただろうか、隣の村までは大人の足でも二時ふたとき(四時間)はかかるのに、仙人と名乗る大きな背中にくっついて深い森の中をあちこちと歩いてきたら、小半時こはんとき(一時間)ほどで視界が広がり、隣村の村境まで来ていた。

 辺りはまだ薄暗く、頭上の月が整地され青々とした畑を照らしている。


 ここはなんて豊な土地なのだろう。子供の居た村は干ばつにより畑はやせ細り、土は砂のようで、作物もまともに育たない。それがちょっと隣村へ来たらまるで別世界のようではないか。綺麗な水の流れる整備された小川に、砂利などのない土の固められた道、いくつもある大小の家は茅葺かやぶきではなく瓦屋根だ。そしてその家々を囲むように広大な青々とした畑がいくつも点在していた。


 一度着た事のある子供だが、こんなにゆっくりとこの村を見渡したのは初めてであり、驚きのあまり声が出なかった。


「ここの村はあそこのちっぽけな村と違って大きいな。」


 男はいつの間にか道沿いの巨大な岩に腕を組んで腰かけ、くつろいでいた。


「…ここの村は近隣の弱い村々から食料やらなんやらを強奪してるんだ。人も増えて、村も大きくなって……」


 子供は悔しそうに唇を嚙みしめながら、ぽつぽつと話し出す。

 近隣を脅して金品や食料品を奪い上げ、反抗する村は容赦なく潰される……そうやってこの村は大きくなってきたのだと。


「うちの村長は頑固だから、話し合いというか一方的な要求には絶対頷かなくて、もうすぐ襲われるところだったんだよ。」


「ボクはその計画を偶然聞いちまって…」


「やつらの言いなりになる振りをしてなんとか襲わせないように言いくるめて、貯蔵庫の中身が少なくなる時期に盗むように持ち掛けて…とにかく村の皆を救いたかったんだ。」


 子供は自分に非が無い事を必死に男にアピールした。


 誰の助けも借りず、単身で隣村に乗り込んで村を助けようとしたのだ。大人だって早々やり遂げられない事をやろうとしたこの子供は称賛に値するだろう。たとえそれが失敗に終わったとしても…。


「でも奴らは貯蔵庫の中身が少ないと怒って畑まで荒らして行って…」


「貯蔵庫は空っぽ、畑はボロボロで村の皆が怒るのは当たり前なんだ。」


 悲しそうに俯く子供の頬に透明な雫が筋を作る。  子供が小さい頭で必死に考えた目論みは汚い大人によって見事に打壊され、助けられない上に自身にまで災難が降り注いだのだ。


 痛ましい話をしている傍で男は顔色一つ変えず、寝ているのだろうか瞼を閉じて腕を組み、まったく興味がない様子。


 子供の声が終わると細めた眼を開けちらっと見ると、面倒そうに口を開いた。


「…話は終わったか?」


「え?はい…」


 素っ気ない態度に呆然とする子供を横目に、男は立ち上がり、村へと歩き出した。

 

 同情を誘いたかったわけではないのに、否、少しはあったかもしれないが、男の態度は同情どころかまったく関心がない様子で子供は奇妙に思った。 仙人とはこういうものなのか、と。情の欠片も感じられないのに…なぜ自分を助けてくれるのか…と。




    ◇




 丑の刻くらいだろうか、まだ薄暗くシンと静まり返った村を大小の影が進んでいく。


 村の途中まで歩いてきた男は急に足を止めて振り返った。


「で、元凶の家は何処だ?」


「元凶?」


 子供は訳が分からず小首を傾げる。


 この仙人は一々言動が理解しにくい。


「お前が従ったやつだ。」


「あ!ええと…」


 男の意図をやっと理解した子供は小走りにある家の前へ行くと指を指した。


「ここの家の人です。」


 その家は柴垣もある程度整備されていて大きく、他の家々よりも断然豪華な風貌だ。

 男は躊躇せず敷地内に入っていくと、頑丈そうな木の扉をノックもせずに蹴飛ばした。


 ガンッという大きな音と共に開かれた扉にびっくりして中にいた無精ひげの体格の良い男が飛び起き、半ば這いずって入口まで駆けてくる。


「やいやい!いったぁ、なんだってんだ!」


「邪魔をする。」


「あ~?誰だてめえは?」


 寝ぼけた眼を擦って細め、前方に直立する玉緑色の長衣を身に纏った長身の男を確認する村人。

 男の後ろから子供が恐る恐る中へと入ってきた途端、鼻を刺す悪臭に思わず両手で鼻を覆い、涙目になった。


(臭っさーっ)


 鼻を押さえながら子供は目の前の大きな男に視線を向ける。彼はこの悪臭漂う豚小屋のような部屋の中、平然とした様子で微動だにしていない。


 仙人は懐から一枚の折りたたんだ紙を出すと、不審がって首を左右に動かす無粋な村人へと差し出した。


「この手紙を隣村の村長より預かった。」


(え…?)


 子供は驚いて男を見つめる。いつ、村長から手紙を貰ったのだろう、と。


 男は呆然とする村人へ手紙を半ば強引に手渡すと、身をひるがえしてさっさとその場を後にした。


 仙人と子供は来た道を戻って森へ向かっていく。  今の時期は春の初め、日が昇るにはまだまだ時間があり薄暗い道を戻っていく。


「あの、仙人…様? 村長から手紙なんていつ貰ったんだよ。」


 子供はゆっくりと歩く男の後ろ姿に声をかけた。


 仙人と会ったのは夜の森の中。それまでに村長に会う事は可能だが、何よりあのとても気難しく、疑ぐり深い村長が見ず知らずの人を頼るだろうか…これも仙人の神通力の力なのだろうか…子供の興味は尽きない。


「手紙など貰っていない。」


「は?だってさっき…」


 男の言葉に子供は眉を曲げて小首を傾げる。


 仙人の言動は常人には益々理解出来ない。


「手紙は私が書いた。」


「え、なんで。」


「いずれ分かる。」


 不安そうな子供を後目に、男性は意味深な言葉だけ発して、決して早くない足取りで森の中へと入っていった。




    ◇




 約二時(四時間)後。


 仙人たちは自分の村へ随分前に戻ってきていた。  村人たちはちらほらと起き出して、小川で顔を洗ったり、鍬を持ち出して畑仕事をしに向かったりと様々だ。


 その様子を村の全貌が見える丘の松の下の大きな岩に腰かけてずっと見つめる仙人とお腹が空きすぎて先程仮眠から目覚めた子供の姿があった。


(お腹空いたなぁ‥‥)


 ぐぅぅと容赦なく大きい音を立て続けるお腹を押さえて、身体を丸める子供を横目でちらっとみた仙人は、呆れたように僅かに首を左右に振り、軽く身を捩じると上半身だけ子供に向けた。


「おい、子供。」


「はい? 痛っ」


 声をかけられて顔を向けた瞬間、男性の白く長い二本の指が額を突く。


 男は軽くやったつもりだったが、子供の額には赤い指の痕が二つ。

 子供は訳も分からず涙目で叫んだ。


「何すんだよ!」


「お前の腹が煩い。」


「煩いって…」


 額をさすりながら子供は不服そうに元の位置に戻った男を睨みつける。


 腹の虫は自分の意思とは関係なく文句をたれるというのにどうしろというのか。凄い仙人様なら食べ物のひとつやふたつ出してくれてもいいのにっ、と心の声が小さく吐き出される。


「あれ。」


 男に気を取られていた子供だったが、いつの間にか腹の虫の音は収まり、それどころか苦痛なほどの空腹感が全く感じられなくなっていた。


(え…さっきのもしかして? 凄い!)


 子供は今まで空腹と戦わない日は無い暮らしをしてきたので、空腹感が無くなるという事が不思議すぎて男と腹を交互に見返しては感動を覚えていた。  とはいえ、空腹感が消えただけで食べ物を食べたわけではないので、このままいけば餓死は免れないが。仙人の神通力は素晴らしいが、人間にとって有益であるかは別物だった。



 ゆっくりとした時間を過ごしていると途端、地震でも起きたのかと思うような地面から沸き起こる太鼓のような音が響き渡る。子供は顔を上げて村を見回すと、村の外れに土埃が見え、それは次第に大きくなっていった。


 何事かと気づいた村人も畑仕事を止めて急いで村へ戻っていく。


 仙人もゆっくりと立ち上がり、村へと歩いていくので子供は慌てて後を追いかけた。



 太鼓のような音は三十数頭の馬に跨りやってきた体格の割と良い武装した男たちだった。


 村の中に入ってきても人を気遣う事無く容赦なく突き進むので、往来する村人は慌てて脇へと非難する。


 集団を率いる先ほどの無精ひげの一段と体格の良い男が村で一番大きな家の前で止まると、後に続いた男達も次々土煙を立てて止まった。


 無精ひげの男は怒り心頭といった様子で唾をまき散らしながら家の木戸に向かって怒鳴りつける。


「おい、爺!出てきやがれ‼」


 どうやらまだ寝ていたらしい村長は寝ぐせで髪はあちこちへ飛び、衣服を乱れさせて木戸から飛び出してきた。


「なんじゃ。誰だ、お前さんたちは。」


「隣村のもんだ。おい、爺。この手紙はどういうことだ!!」


 家の前に三十数人の荒くれ者が馬に乗って待ち受けていたが、村長は不思議と冷静に男どもを見回し、先頭の無精ひげに声をかける。


 無精ひげの男は隣村の村長の息子で皆のまとめ役として頭領の座についていて、近隣の村々を自ら襲撃していた。頭領は怯まない爺に少し戸惑ったが、気を取り直して懐から四つ折りの紙切れを出すと地面にたたきつける。


「ん?手紙なんぞ知らんぞ。」


 首を傾げて、落ちた紙切れを拾う村長に頭領は益々怒り、怒鳴り散らす。


「しらばっくれんじゃねえ!あの男が持ってきたぞ。」


 米粒大の唾をあたりに飛ばしながら頭領は身体を横に向けて、ちょうど頭領の真横に位置する脇で静かに立っている男を指さした。


 子供は言われたわけではないが、恐怖で家の壁にへばりつくようにして隠れている。


「それにはなぁ、てめえがうちの食料を強奪したって書いてあるんだよ!盗人が!!」


 もっと近くで罵りたい頭領は馬を降り、それを見た後方の仲間も次々と馬を降り爺に詰め寄った。


「なんじゃと!!盗人はお前さん達じゃろうが!!」


 罵声を効かせて近づいてくる倍はあろうかという頭領に村長はやはり怯む事なく言い返す。


「はあ!俺たちが何を盗んだっていうんだ。証拠はあんのかよ、この手紙みたいによお!!」


 村長の眼の前まで来た頭領は四つ折りの紙を指ではじいて脅してくる。


 流石の村長もこの大男に殴られたら一撃で黄泉の国へ行ってしまうのではと冷や汗が止まらない。


「へっ、証拠もないのに言いがかりつけるんじゃねえよ!クソ爺!」


 村長が押し黙るのを見て余裕が出てきたのか頭領が後ろの仲間を振り返り笑った。


 唇をへの字にして俯く村長に代わるように、急に、頭領の背後から静かなそれでいて鋭い声が響いた。


「…証拠なら、ここにある。」


 何かが首の後ろに当たる感覚を覚えた頭領は慌てて振り返るが、同時に口が不自然に開き、自分の思いとは裏腹な声を発し出した。


「へ、何言っ…お、俺たちが盗んだ!」


「あえ、口が勝手に…」


「と、頭領?」


 慌てふためく頭領を後方の仲間たちは不安そうにお互いに顔を見合わせて声をかけてくる。威厳が損なわれる事を恐れ益々焦りが募る。


「違う!俺たちじゃ…俺がそのガキを利用して鍵を持ってこさせて、こいつらと一緒に食料を盗み出してやったんだ!ハハッ」


 言い終わると汗だくな頭領が大きな口を両手で塞ぎ、眼をあらぬ方向へ泳がせていた。


「な、なんじゃと!」


 それを聞いた村長はたちまち怒り、持っていた杖を握りしめ叫んだ。


 もうここまで言ったら隠す事も出来ないと思ったのか頭領が開き直り、洗いざらい喋りだした。


「だっ、あーもう、そうだよ!俺らがやったんだよ!! へっ、こんなちっぽけな村、元々うちらが襲う予定だったんだ。せっかくあのガキに免じて襲わないでいてやったのによ!今さら隠す必要もねえな。」


「おい、お前たち。」


 意気揚々と首を振り上げ、頭領が後方の仲間に合図を送る。


 しかし、仲間たちは静まり返り、誰一人動こうとしなかった。


 仲間のうちの一人が恐る恐る口を開く。


「と、頭領…」


「あん、どうした。」


「か、身体が動きやせん。」


「はぁ?」


 馬鹿にでもなったのかと頭領が仲間たちに振り向こうとしたが、首から下が一向に動かない。

 まるで地面に接着されたかのように足は上げれず、腕にも力が入らず肩からだらんとしていて、隣村の荒くれ者たちは皆動く事が出来なくなっていた。


「ななな、一体何がどうなって…て、てめえの仕業か‼」


 焦って辺りを見回す頭領に静かだけれど何とも言えない気を放つ一人の男が眼に映る。男は一言も発さないがその眼光は鋭く、場違いな玉緑色の高価な衣服と落ち着いた佇まいに頭領は野生の感が働いた。こいつは只者ではないと。


 頭領が男に気を取られている間に村長と村人たちが隣村の荒くれ者たちを取り囲んだ。


「あ、ちょっと待っ…冷静に話し合おうや、なっ?」


 気づいた頭領は真っ青になって取り繕う。しかし、真実を告げられた村人たちの怒りは収まるはずがない。


「好き勝手言いよって…、こやつらを捕えるんじゃーー!!」


「おーー!」


 村長の合図と共に、鍬や棒を持った村人たちが隣村の荒くれ者たちを縛り上げたのだった。


 隣村の荒くれ者たちを全員、空の貯蔵庫に押し込んだ村人たちは村長の家へと戻ってくると、周りの喧騒が落ち着いてやっと出てきた子供の姿を見つけ、足早に近寄ってきた。


「いやぁ、すまんかったすまんかった。」


「俺ら、知らなかったんだよ。な、許してくれや。」


「私たち、誤解してたみたいね。」


 今まで見せた事も無いような満面の笑みを浮かべて子供を取り囲み、口々に褒め称えたり、頭を撫でたりしてくる。子供はやっと誤解が解け、村人に受け入れられたというのに何故だか胸の奥にはまだわだかまりが残っていた。


 はっきり言って、村人たちに褒められても全然嬉しさがこみ上げてこない。


 後から分が悪そうに子供の父親が姿を現すと、視線をあらぬ方へと向け、素っ気なく言葉を発した。


「おら、家に帰んぞ…」


 子供は焦って顔を上げる。それから後ろを振り向いて仙人をちらっと見ると、彼はもう遥かに遠い存在になっているような錯覚を覚えた。


 子供の視線の先に気づいた村長は慌てたように仙人の元へと歩み寄る。

 今回もっとも活躍したのはこの男だというのに誰一人として気にかけていない。派手な仙術を使ったわけでもなく、口数も少なかったからだろうか。ずっと一緒にいた子供でさえ、ふとした瞬間には忘れてしまいそうなほど、まるで空気のような存在感だ。


「旅のお方、あんたのおかげですじゃ。お前さんも泊まっていってください。」


「いや、私は結構。」


 一部始終を只何をするわけでもなく直立してじっと見ていた男は、村長に視線を送ると軽く挨拶をしてすぐに身をひるがえし、森の方へと歩いていった。


「あ…」


 村人たちが全く気に留めない中、子供だけが名残惜しそうに彼の後ろ姿をずっと見つめて立ち尽くしていた。




ー続くー

****************

※贰:数字の『二』





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