2-1 彼女を笑わせたい

 季節は、もう夏に差し掛かっていた。何を今さらという話だけど、汗が目に入ってゴシゴシ掻いていたら、ふと思ったのだ。

 夏開きというか、もう教室では冷房の使用が許可されているので、今頃は、うちのクラスも天国のような居心地であろう。

 冷房のかけられない空き教室で、僕はそんなことを考えていた。


 今は昼休み。昼休みと言えば、ランチタイム。そして、僕はつい先日、グリムさんという彼女ができた。ここまで言えば、あとは想像できるだろう。

 目の前で、グリムさんが小ぶりな弁当箱を開いている。

 恋人になって、初めて一緒のランチタイムだ。


 ……いけない、最近は「初めて」とか「記念」とか、いちいち気にするのは流行らないんだっけ。


 僕は眼鏡をかけ直し、今日の惣菜パンを机の上にばらまいた。


「へー、すごく綺麗な見た目。それ、グリムさんの手作り? すごいね」


「高校生なら、持ち合わせていて当たり前のスキルと伺いましたので」


 事も無げに言ってのけるグリムさん。いやはや、最近の高校生は立派なんだなー。僕なんて、包丁を握ることすら怖くてできない。実家暮らしの悪いところが出ている。


「そうだ。僕もグリムさんのお弁当食べてみたいなー」


「卑しい」


「受け答えが厳しい!?」


 ひ、昼ごはんの交換とか、恋人とかにありがちなことだと思ってたのに……。僕があげられるの、惣菜パンくらいしかないけど。


「いただきます」


「い、いただきます」


 グリムさんの号令を皮切りに、無言のランチタイムが始まった。ま、まぁ、まだ始まったばっかりだ。きっと、会話の糸口くらい見つかる……!

 僕は、もそもそと惣菜パンを食み、グリムさんは、卵焼きを一切れつまみ、口に含む。その所作は、どこぞのお嬢様の出かというくらい、洗練されていて美しい。

 見た目だけじゃなくて、動きも綺麗なんだなグリムさん……。


「何か」


「い、いやぁ何でも」


 ついグリムさんに目がいってしまう、いつもの癖が出てしまった。

 ダメだ、今までの関係とはもう違う。グリムさんのこと、秘密を知ってしまったのだから、適切な距離感を見つけていかないと。


 適切な距離感……。アンドロイドである彼女との適切な距離と言われても、何が正解なのか。まだ、状況の整理も、感情の整理も、何一つできてやしない。


 ——グリムは、感情を持つアンドロイドだ。


 綾部先生は、グリムさんの正体をそう言い表した。同時に、それが彼女の全てなのだと。とんだ矛盾だと思ったけれど、今日までに彼女の正体を疑ったことがあったかと聞かれ、何も答えられなくなった。まともにしゃべったことは無かったが、井崎くんに指摘されるくらいには僕は彼女を見ていた。けれど、そんなことは露とも思わなかったし、そして、それは今でもそうだ。


 疑うべき候補は多々思いつくけれど、洗練された滑らかな所作、自然な息遣い、白磁のように艶めいた肌。どこを疑おうと、何ひとつとして違和感が存在しない。違和感は仕事をしろ、と言ってやりたいくらいだ。


 肌なんて、むしろ綺麗すぎて不思議なくらい。これも機械なんだよね? 触ったら、違いとかわかるのかな。


「ねぇ、その肌ちょっと触ってみてもいい?」


「調子に乗るなよボケカス」


「えぇ!? ごめんなさい!!」


 急に口調が乱暴になるグリムさん。びっくりした……。今、グリムさんの正体を知ったときくらいびっくりした。

 グリムさんは、相変わらず無表情で箸を進めている。今のは何だったんだ……?


「グリムさん、今の口調は」


「何かおかしかったですか?」


 不思議そうに聞いてくるグリムさん。いや、逆に何がおかしくなかったのかというか……。怠慢気味だった違和感が急にハキハキし始めたぞ。


 反応としてはおかしくなかったけれど、その口調は女性の、特にグリムさんみたいなお嬢様然とした彼女の印象からは大きくぶれる。


「そんな口調で話すの、初めて聞いたから」


「今の言葉は、競馬観戦中のマスターの言葉をお借りしました」


「それは、参考にしないでほしいな……」


 綾部先生……。分かってはいたけど、いつでもああなのねあの人。

 なるほど、人間としての自然な振る舞いを、マスターである先生から学ぼうとしたってことか。


 先生の言っていたことが、何となくわかってきたような気がする。


「……確かに」


「え?」


 グリムさんが、ボソリと呟いた。


「私たちはもう恋人関係なんですし、相応のスキンシップがあったところで、なんら問題ないのですね。参考になりました」


 冷静に分析するグリムさん。


「いやだから、ダメなところは参考にしないで」


 そもそも、そういう意味で言ったわけじゃないんだけど。

 なんと弁解しようか言いあぐねていると、グリムさんがコテっと首を傾げる。


「触りますか?」


「え?」


「胸」


「えぇ!?」


 彼女の爆弾発言に驚きが止まらない。いや、胸て。

 確かに触っていいかとは聞いたけど、そこまでは言ってないぞ? 触りたいかは置いておくけれども。

 一息置いて、僕は諭すようにグリムさんに呼びかける。


「グリムさん。『むね』もそうだけど、たとえ恋人であっても、みだりに異性に自分の素肌を触らせたらダメだよ」


「そうですか? 先程から斗真とうまの視線の多くが、胸部に集中していたようですが」


 次の瞬間、僕は言葉を失った。


「『こいびと』というものについて、ある程度調査をしました。その中で、女性の体を目的に関係を成立させる例があったことも確認済みです」


 淡々と、グリムさんは説明を続ける。


「私としては、本当にそのような関係が成立しうるのか懐疑的でしたが……」


 そこで言葉を区切る。


「私たちは、あくまでマスターの命令によって作り上げられた擬似的な関係。斗真がそれを望むのであれば、私はそれでも」


「ちがーーーう!!」


 口が動くようになった瞬間、僕は大声をはりあげていた。


「グリムさんは何でもかんでも悪いものばっかり参考にしないで! 僕はそんな関係望んでないから!!」


「……そうですか」


 それっきり、グリムさんは何も言わなくなった。

 まったく、とんでもないことを言い出すんだから……。グリムさんのアンドロイドたる所以を垣間見た気がする。目標達成から遠のいた気分だ。


 感情を持ったアンドロイド、グリム。彼女の学園生活を補佐し、学ばせ、豊富な感情を引き出すことが、僕の仕事。


 その最初の司令が「彼女を笑わせること」だ。


 そもそも彼女は引く手数多の超人気者で、今日この時間を取れたことだってほとんど奇跡だというのに、実際に話してみればこの有り様。


 ……いや、気負うな僕! まだ初日じゃないか。慌てる時間じゃない。まずは、グリムさんの恋人になれたという事実を深く噛み締めるんだ。

 そして、絶対に他の人にバレてはいけない。司令遂行に支障が出るし、何より僕の命がない。

 グリムさんと話す時は細心の注意を払って、隠密に作戦を遂行するのだ……!




 ΦΦΦ




「「「わーだーくん! あーそびーましょーー!!」」」


 そう、本気で思っていた自分が羨ましい。

 翌日の朝、僕はいつも通りに登校し、いつも通りに席についたはずだった。

 それが気付けば、今やクラスの男子たちに周囲を取り囲まれていた。僕だけ中心にぽつんと取り残された様は、かごめかごめを思い起こさせる。


「こ、これはどういうドッキリですか?」


「いやー、ドッキリなのはむしろこっちっていうかー」


 輪を作る男子の一人が答える。


「お前、なんて脅してグリムさんと付き合ったんだ?」


 途端に、その男子の目の色が変わった。


「お前みたいな陰キャ野郎がグリムさんを墜とせるわけねーもんなぁ。何に漬け込んだんだ? どんな弱みを握った? 俺たちにも教えてくれよ」


「ひっ……!」


 それは、僕とグリムさんが付き合ってるのを確信しての言葉だった。おかしい、バレるにしたって早すぎる。僕はバレるようなことなんて何も……。


「そうだそうだ、姑息なことしやがって!」


「グリムさんの弱み教えろ!」


 360度どこを向いても、獰猛な目と声が僕を責め立ててくる。


「ま、待ってよ! 僕は別に付き合ってなんか」


「そうだぜお前ら」


 その時、一分の隙もない包囲網を突き破って、誰かが割り込んでくる。その人は、聞き馴染んだ声で楽しげに笑っていた。


「お盛んだねー」


 井崎いざきくんは、からかうように言って、僕の肩に手を乗せた。


「熱くなりすぎだぞお前ら。ちょっとは和田わだの話も聞いてやれよ」


 そう言って、井崎くんはクラスの男子をとりなそうとしてくれる。井崎くん! 僕の救世主! たすかった。やっぱりいつもいつもからかってくるのは、友好の証だったんだね!

 僕の心の声を肯定するかのように、井崎くんは笑顔で僕を見る。そして、聞き惚れてしまいそうな優しい声で言った。


「それで、月何万って話なんだ?」


「全然信じてない!?」


 それに発想が生々しすぎるよ井崎くん。


「何だよー。なら本当に脅しでもしたのかー?」


「してないし! そもそも、なんでこんな話になってるの? 井崎くんはともかく、他のみんなまで」


「なんでって、そんなの本人が言ったからに決まってるだろ」


「本人? 僕は何も」


「お前じゃなくて、もう一人だよ」


 それを聞いてポカンとしてしまう。本人で、もう一人って……、まさか!?


「グリムさんが朝女子に話したのを、他の男子が聞いたんだと。それから大騒ぎだよ」


 そして、僕は自分の致命的な失態に気付いた。

 この件黙っててって言うの忘れてたーー!!


「それは、あれだよほら、ええと……」


 言い訳が何ひとつ思い浮かばない。僕発信の噂なら、嘘でしたーでもなんでも言い繕うことはできるが、グリムさんが認めてしまった以上、僕の言う否定が全て彼女への非難になってしまう。


「認めちまえよ」


「ゲロっちまえよ」


「グリムさんの弱み教えろよ」


 やばい、朝食べたもの全部吐いちゃいそう。てかさっきから弱みばっかり聞いてくるやつ! 少しは自重しろ!!

 四方八方からの圧力に耐えかねて、押しつぶされてしまいそうな、その時だ。


「少しいいですか」


 そう言って、また包囲網を割って入る存在があった。空色の瞳に白の長髪。今まさに問題の渦中にいるグリムさんだ。


「お伝えしたいことが」


 そう言って、彼女は僕を見つめる。

 グリムさん、何か、何か有効な一手を。この状況を鎮静できる逆転の一手を。

 でも、実際に僕が抱いていたのは、希望ではなく、どうしようもない不安だった。

 頼む、頼むから余計なことは言わないでくれ……!

 だが、そんな願いが届くわけもなく。


「昨日、斗真が注文したお弁当を今日は作ってきました。ですので、今日も昨日と同じ場所でいいですか?」


 場が凍りついた。

 ……極限状態になると、人って意外と色んなものが見えるようになるんだなー。ほら、あの井崎くんですら変な顔で固まってるよ。うける。

 そういえば、いつの間にグリムさんは僕を名前呼びに?


「斗真……?」


「お弁当……?」


「今日も……?」


 ショックから再起し出した男子組が、ぶつぶつとカタコトで呟き始める。最近やけに多くなった、人生で三度目の「命の危機」だ。

 だが、一周まわって冷静になった僕はひと味違う。男子組が完全復活する前にささっとグリムさんの隣につき、コソッと耳打ちをする。


「今、付き合っとるのバレるのマズイ。今後支障が、マスター困る。告白振ったと言い換えて」


 変にリズムに乗った言い回しで、彼女に要件を伝える。周囲を見るが、他の人に聞かれている様子はない。

 最後に、アイコンタクトで(マジで頼むよ)とだけ残して、僕は元の位置に戻った。


「みんな、先走りすぎだってー! ほら、グリムさんも勘違いされて困ってるじゃん。そうでしょ? グリムさん」


 笑顔でそう言って、グリムさんに呼びかける。やばい、みんなの目が家族を殺された復讐鬼みたいな目になってる。

 みんなの視線は、それからゆっくりとグリムさんにスライドする。

 期待や不安の眼差しを一身に受けながら、グリムさんは完全に理解したとばかりに、うんと頷いてみせた。


「私が彼と付き合うわけありません。彼は、脈絡もなくスカートをめくってきたり、私の胸を触りたがるような度し難い変態なんです」


 これ以上ない説得力を持たせて、グリムさんは僕の彼女ではないと言い切った。

 僕の額に、じんわりと汗がにじむ。暑いのは、降り注ぐ日差しの影響か、はたまた男子たちの煮えたぎる怒りの影響か。


 ……逃げなきゃ。


「もう嫌だーーーー!!」


「待てコラァ!!」


「吊し上げじゃア!!」


 それから、僕は授業に出ることができなかった。




 ΦΦΦ




「探せェ!!」


「コロス……、ぶっコロス」


 一限、二限が過ぎ、休み時間になると、また獣たちによる狩りが始まる。

 体育館裏でガタガタと震える僕は小鹿。そう哀れな子鹿なのだ。


 そんな僕の肩を叩くものが現れる。


「ぎゃああああ!」


「ばか、声がデカいよ静かにしろ」


 そう言って無理矢理僕の口を抑えるのは、あの井崎くんだ。


「い、井崎く……、井崎くーーん」


 気付けばボロボロと涙をこぼしていた。決してこの救いを逃すまいと、必死に井崎くんにしがみつく。


「汚ねえよばか。他のやつ呼ぶぞ」


「えっ、井崎くんも獣……?」


「その言い方やめろ。ひとまずは味方だ」


 煙たがりながらも、ちゃんと味方と宣言してくれる井崎くんがイケメンすぎる。なんでこの人じゃなくて俺なんかがグリムさんと付き合ってるんだ?


「ただし、条件がある。ちゃんと状況説明をよこせ」


 井崎くんはそう言うが、まず何から話せばいいものやら……。

 井崎くんが、大きくため息をついた。


「今日の昼、グリムさんと集まるって言ってたな」


「う、うん……」


「なら、それに俺も連れてけ。今のお前に聞くより、そこで整理した方が話は早い」


「で、でも」


 そこまで井崎くんに厄介をかけるわけにはいかない。そんな僕の言葉を制して、井崎くんは念を押すように半目で言った。


「これ、絶対条件な」


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