1-3 恋人という設定らしい
「んーー!」
何も見えない。声も出せない。体の自由もきかない。
僕は、これからどうなるんだ……。
「ぷはー!!」
運ばれている感覚がなくなると、口の拘束が外される。もう、助けの及ばない場所に連れてこられたらしい。
「だれかーー! 助けてーーー!!」
それでも、叫ばずにはいられなかった。
嫌だ、死にたくない……。まだ、やりたいことも行きたい場所もあるのに、その上彼女はいたことないのに……!
それを、知らない声が遮る。
「静かになさい。声を上げたところで、誰にも聞こえないよ」
性別も分からないようなケロケロした声。それは、合成音声みたいだった。
正体不明の黒幕。いよいよ、ただ事じゃない。
「だれかーーーー!!」
無理無理無理、助けて、誰か助けて!
「だから、無駄だと……」
「助けてーーーくださーーーーい!!」
「あぁうるっせんだよ畜生! 最近のガキはホント根性がねぇな」
「ひっ……!」
突然、合成音声の口調が乱暴になった。今度は別ベクトルの怖さが降りかかってくる。もう嫌だ……。
「ごめんなさい、殺さないで……」
「あーもう興醒めだ。おい、外してやれよ」
その指示が降りるや、急に視界が開ける。
僕は眩しさに目をシパシパさせる。
「ここは……」
そこは、まるで漫画に出てくるような、研究所みたいな施設の中だった。
大画面のスクリーンが大量にあり、よく分からない機械がガタンゴトン稼働して、未知の液体が貯蔵されたガラス張りのタンクがある。
「別に命を取ったりはしねーよ」
そう話す主は、倒れる僕のすぐ前で高そうな椅子に腰掛けている。僕は、その姿に開いた口が塞がらない。
その人が、変声機らしい機械を剥いだ。
「まさか自分の生徒に、死人を出すわけにもいかねーしな」
「綾部、先生……?」
そこにいたのは紛れもなく、僕たちのクラス担任である綾部先生だった。
「なんで……」
「とりあえず落ち着け。あーくそ、厄介事ばっかり持ってきやがる……」
綾部先生は、忌々しげに呟く。その粗暴な様子は、いつもの綾部先生と変わりないものだった。先生は、さすがにアンドロイドやロボットには見えない。
と言うよりもむしろ……。
「先生が、あの機械たちを……」
「なんだ、さすがに気付いてたのか」
綾部先生は、特に意外そうな様子もなく肯定した。
つまり、やっぱりグリムさんは……。
「グリムは、俺たちのチームが潜入させてる、試験的な人造人間……、アンドロイドだよ」
自慢げに、綾部先生はことの真相を告げた。
やっぱり……。
薄々分かっていたことではあったけれど、それでも改めて言われて、衝撃がないわけではない。
──あの時、僕が見たもの。
腰にうっすら見えた継ぎ目のような線と、太ももに見えた、ネジみたいな形をした凹凸の模様。あれは、見間違いじゃなかったんだ。
「なんで、そんなことを」
「あぁ? 研究者が研究すんのに、何か理由が必要か?」
「それは……」
そうだけど、まだ現実味がわかない。
ロボットを擬態させて人間の中に紛れ込ませる実験。その目的に、あまり良い解釈を持てなかった。
「安心しな。教員免許もちゃんと持ってる。少なくとも、学級やら学校やらをどうにかしようなんて気はさらさらねーよ」
とても信じがたい言い分だ。かと言って、それを指摘したところで意味はないだろう。重要なのは、僕のこれからだ。
「僕は、これからどうなるんですか」
命は取らないと言った。信用したいけれど、そう器用に割り切れるものではない。
今は、とにかく安心できる何かが欲しい。
「被害者ヅラしやがる」
綾部先生は、嘲笑うように吐き捨てた。
「そもそも、勝手に首を突っ込んだのはお前だろ。グリムのスカートの中を覗いたとなっちゃ、むしろお前は加害者側だな」
「……っ! 知ってるんですか!?」
「当たり前だろ。報告を受けてる。お前から放課後に呼び出されてたこともな」
それを聞いて、僕は顔が爆発しそうだった。
ダメだ、立ち直れる気がしない……。
「殺してください……」
「そう易々と命について語るんじゃねーよ。……まあ、そん時は、こんなことになるとは思わなかったが、仕方ねえ」
座っている椅子をキィキィ鳴らして、独り言のようにしゃべる綾部先生。
すると突然、僕の目の前にバッと顔を寄せてきた。
「ひっ……」
「お前には、特別に選択肢をやろう」
顔面ドアップで、先生はお決まりのような口上を告げる。
選択肢……、選ぶ余地なんて無いものな気がしてならない。
「まず、ひとつは、今後俺たちと一緒にグリムの研究に協力すること」
「協力……?」
「あぁ、その気になったら説明してやるよ。そんで、もうひとつは……」
「もうひとつは……?」
焦らすように答えをためる先生。
なんだ……、やっぱり、タダじゃ済まないのか? お前もロボットにしてやるとか、そういう……。
「もうひとつは──」
言いかけた瞬間。
「マスター。リマインドです」
「あぁ!?」
メイド服姿のアンドロイドがそれを遮る。
僕も先生もそちらを見ると、彼女は改めて言葉を繰り返した。
「マスター。リマインドです。20時から恒例のバラエティ番組が始まります」
「なに!? そうだ、今日月曜日だった。くそっ、週明けなんて滅べばいいんだ……」
そう言って、綾部先生は立ち上がる。
今までの流れをバッサリ切り捨てて、ぶつぶつと恨み節をこぼしながら、先生は奥の部屋へ引っ込んでしまった。
いや、ちょっと……、話の途中なんですけど……。
まだ両手は拘束されたまま。僕は一体全体、これからどうすればいいんだ。そもそも、今って何時?
積もる考え事に頭を悩ませていると、先のアンドロイドが、すっと僕の目の前に現れる。そして、言った。
「もうひとつの選択肢は、あなたに記憶消去の手術を受けてもらうことです」
「えっ……」
記憶消去……? 今、そう言った?
「今日あった出来事、加えてグリムに対する猜疑心や、その他不都合と見なされた記憶を、全て削除させて頂きます」
「ま、待って。記憶消去……? そんなことができるの!?」
「はい、可能です」
「へぇ……」
はえー、アンドロイドもそうだが、記憶消去なんて、すごく近未来的な技術だ。今やそんなこともできるような時代になってるんだなー。……で、それを僕が受けるの?
「それ、成功率どのくらい?」
「100パーセントです」
一切の
う、うさんくさぁ……。それ『実験体になってくれ』って話を上手くぼかしてるだけじゃないの?
「それ、ちゃんと成功例あるの?」
「記憶の管理は、アンドロイドの運用においても求められる技術です。……特に、グリムのような存在には」
記憶の管理……。なるほど。
……なるほど?
記憶の管理と一括りに言っても、人間のそれと機械のそれとでは別の話なのでは……。それとも、賢い人にしか分からない、根拠みたいなものがあるのだろうか。
「いずれにせよ、あなたが心配する必要はありません」
お淑やかに両手を前に組んで、メイドのアンドロイドはそう締めくくった。
あまりに無責任。今の話のどこに安心すれば……。いや、そもそも安心なんてできるわけないのか。
僕は自ら望んでその道を選んだはずだ。
紅い瞳に魅入られたあの日。そして、踏み込むことを決断した今日。
たとえ、彼女が血も涙もない怪物だったとしても、その結果すら受け入れるんだと、そう覚悟した。
「説明は終わったか?」
「はい、滞りなく」
奥の部屋から出てきた先生は、手持ちの鞄を携えていた。どこかに出かけるのか……、というか、僕はちゃんと解放されるの?
「んで、お前はどっちを選ぶんだ」
改めて、綾部先生は僕に選択を迫る。でも、そもそも僕に選択肢なんてない。
初めから答えは決まっているのだ。……ただ、課せられる命令が良心的であればいいな。大丈夫かな……。
「協力、します」
先生と向き合って、そう言いきった。先生は、至極つまらなそうな顔をしている。
「まあ、そうだろうな」
意外そうな様子もなく、先生はそう言った。持っていた鞄を適当に放り投げて、さっきの椅子にどかっと座り込む。
「でも、あんまり難しいことは分からないし、力もそんなにないから……」
「あーいやいい。別にお前には本格的なことを期待してるわけじゃねーんだ。ただ、グリムが学校生活を送る上での補佐を頼みたい。こればっかりは、教師って立場の俺にゃできねー」
綾部先生はそう説明するが、いまいち要領を得ない。学校生活の補佐なら、むしろ教師の方ができることは多いはずだ。
「細かいことは今から説明してやるが、要はこういうことだ」
そうして、先生は僕の後ろを指さす。
そこには、この部屋の出口らしき扉と、その傍らに佇む、グリムさんの姿があった。
「今日からお前は、あいつの恋人になってもらう」
ΦΦΦ
「ここって……」
研究室らしき部屋を出て、薄暗い階段を上った先で、僕は驚愕していた。
そこは、何の変哲もない、我が校の空き教室だったのだ。
つまり、あの部屋は学校の地下にあったということになる。
「全然気付かなかった……」
うちの学校って、こんなにハイテクな所だったんだ……。意外や意外。ただの自称進学校だと思っていた。
「知ってる方が問題あるだろ。学校側にも無断で作ってんだから」
「え……?」
この人、今なんて……?
「ともかく、大方説明はしてやった。後は、上手くやるこったな」
「はあ、そう言われても……」
綾部先生の説明は、全てがぶっ飛びすぎてて、正直、信じていいのかも怪しいくらいだ。
彼女との距離感もまだ測りかねているというのに、僕はこれから、グリムさんの彼氏として、彼女を支えていかなければいけない。
「……そうだ」
思い出したことがあって、僕は足を止めた。
足りないことだらけだけど、グリムさんとお付き合いをするならば、決して欠かしてはいけないことがあった。
「グリムさん」
僕は彼女の名前を呼ぶ。
外はもう夜の景色で、差し込む月の光がこの部屋を照らしている。
振り返った彼女は、まさにその化身みたいだった。いっそ、そのまま光に吸い込まれてしまいそうな儚さが、僕の頭を真っ白にしてしまう。
バクバクとうるさい心臓を押さえつけ、僕は彼女の前に立つ。きっと、彼女の正体を知らなければ、伝えられなかったと思う。
彼女は、恋人という設定だから。
「僕と、付き合ってください」
よどみなく言えたかは分からないけれど、でも、はっきりと伝えることはできた。
そうして始めるんだ。グリムさんとの関係を。
頭を深く下げて、誠心誠意の言葉を彼女に──。
「嫌です」
僕の勇気の告白は、即答で、バッサリと切り捨てられていた。
……え?
「ぶっ、ガハハハ!! そりゃそうだ。いきなりスカートめくってくるような変態と、付き合えったって普通は嫌だわな!」
後ろの綾部先生が、上機嫌に爆笑しているのが聞こえる。
え、いや、あの……。
「あー、腹いた……。グリムよ。悪いが我慢して付き合ってくれ。これは命令だ」
「……マスターがそう言うのであれば」
不承不承といった感じで、グリムさんが了承の旨を伝えている。……多分、これまでで一番露骨な感情表現を見られたな今。
「そら、はやく教室を出ろ」
失意冷めやらぬまま、綾部先生に教室を追い出される。すると、グリムさんは何も言わず、さっさと昇降口の方に行ってしまった。
「お前も、早く帰るんだな」
そう言い残して、綾部先生もどこかに行ってしまう。取り残されたのは、僕ひとり。
……僕の勇気、返してくれませんか。
──そうして、僕の非日常が始まった。
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