1-2  気になるあの子のスカートをめくった

 そういえば、井崎くんにはちゃんと謝っておけばよかった。


 約束は、多分守れないだろうから。



 無表情なグリムさんを前に、僕は意を決して、用意していた言葉を伝えた。


「あなたは、いったい何者なんですか」


 グリムさんは、そもそもの存在が異質だった。留学生というが、どこから来たのかも知らないし、事情も知らない。

 それに、容姿も異質だ。白い髪、色の薄い肌。彼女の並外れた美貌は、一介の外国人と言うだけでは説明がつかないように思える。


「それは、どういう意図の質問ですか」


 グリムさんが、静かに質問を返す。


「プライベートなことを聞いているのなら、あまり感心しません。それとも、日本の方とは違う私の姿が、気持ち悪いですか?」


「いや、違うんだ。そういうことじゃなくって」


 決して、彼女を排斥したいわけではない。

 彼女の異質さは、それこそ挙げだしたらキリがないが、少なくとも僕は、それを彼女の魅力だと思ったいた。


 それだけなら、ここで彼女に伝える言葉も違ったはずだ。……伝えられたかは別にしても。


 僕の頭に浮かぶグリムさんが、目の前にいるような純情可憐な彼女のままでいてくれればよかった。


 あの日の記憶が、僕の脳内を苛む。真紅の光が頭に焼き付いて離れない。


 あの日、僕の前に現れた彼女は、いったい何だったのか。


 全てが謎に包まれたあの日の真相を突き止めるために、僕は今日、君の前に現れたんだ。


 ……と、素直にグリムさんに伝えられればよかったんだけどなあ。


「えっと、そういうことじゃなくて、つまり……」


 意味のない言葉をへどもど垂れ流すだけで、一向に本題に切り込むことができない。

 仕方ないだろ! 怖いんだから!!


 彼女の顔は、無表情なまま、ずっと変わらない。さっき、失礼な質問をしてしまった時もそうだった。

 口では僕を咎めるくせに、怒った顔も、呆れた顔も、気味悪そうな顔も、あるいは取り繕おうともしなかった。ただ無感情に、淡々と最適解を提示しているみたいだ。

 それが、彼女なりの気遣いであるのなら感謝すべきことだ。でも、多分そうじゃない、そんな気がする。


「先週末、さ。グリムさんは、何をしてたの……。いやっ! そうじゃなくて」


「……?」


 答えのわかりきった質問に意味はない。核心をつかなければ、彼女は動揺しない。


「先週末さ、大学の講習に参加してたよね。ほら、ポスターで参加者を募ってた、高校生向けのやつ」


 それは、僕も参加したものだ。


「……どうして、あなたがそれを知っているんですか」


 心臓が、一際強く跳ねた。

 多分、この質問に答えたら、僕はタダじゃ済まない。僕と、あの日の僕を結びつけて、彼女も気付くはずだ。


 僕が、彼女の本性を知っているのだと。


「僕も参加してたんだ。知ってる? あの講習って僕ら二人しか参加してなかったんだよ」


「そうなんですね。では」


 納得したように相槌を打って、グリムさんはそのままくるりと踵を返した。

 ……会話はこれで終わりらしい。


 え、嘘。今終わりの空気だった?


「いやいや、ちょっと待って!!」


 あまりにバッサリ切り捨てるから、あっけにとられてしまった。取り付く島もないとはこのことだ。僕らは世間話でもしてたのか?


「……今度は何ですか」


 再び振り返ったグリムさんは、至って平静な顔をしている。この人、わざとやってるのか……? もしかして僕のことからかってる?

 まだ聞きたいことの半分も聞けてないんだ。このままでは引き下がれない。何なら世間話にすらなってなかったんだし。

 でも、これ以上なんて切り込めばいいものか……。


「……しつこい」


 言葉を探す僕の耳に、グリムさんの声は鮮明に届いた。

 彼女は今も無表情だ。無表情なまま、静かに僕を警戒していた。

 それに僕は、謝罪すらできない。


 記憶に焼き付いたあの日。僕が見たのは、僕やグリムさんよりも一回り以上大きい大人たちを地に伏せる、彼女の姿。


 もう、彼女をただの留学生だなんて思えない。


「では、私は行きますね」


「あっ……」


 今度こそ、彼女はこの場を立ち去ろうとしていた。きっと、もうどんな言葉でも振り返らない。


 それでいいわけがない。


 覚悟は決めたはずだ。あの日、彼女に、グリムさんに踏み込むのだと。危険も承知でここに来た。なら、手段は選んでいられない。


 今、僕に必要なのものは、彼女を動揺させられる何かしらのアクション。

 それから……、あとは自尊心かな。おーよしよし、斗真くんは今日も生きててえらいねー。


 ……よし。


 そもそも、彼女の正体はなんだ。それを言い当てれば、さすがの彼女も動揺するだろうか。


 ……異世界召喚、とか。漫画とラノベの読みすぎだ。

 ダメだ。決定的なものが何もない。それに僕の想像力も足りない。


 ―—もう、やるしかないのか。


「グリムさん……」


 ひとつだけ、可能性のありそうな方法を思いついていた。ただ、それがあまりに馬鹿げた方法だったので、それを使わずして解決しようと頑張っていた。


 でも、もう限界らしい。


 彼女の名前を小さく呼ぶ。数メートル先を歩く、彼女の名を。


 そして。


「ごめん……!」


 そう小さく謝って、彼女に手を伸ばした。

 伸ばした手は、彼女の身体のラインをなぞるようにスライドし、まるで縋り付くようにその布切れを掴む。気付けば、両手で握りしめていた。

 それを、あの広がる大空に解き放つみたいに高く、高く突き上げて。

 僕は彼女のスカートをめくった。



 ──スカートをめくる。それが許されるのは、小学生までくらいのものだろう。今やると普通に軽犯罪だし、そもそもイタズラにしても、程度が甚だ低い。


 グリムさんを動揺させる方法。

 今にして思えば、こんなもので彼女が動じるのだろうか。案外、いつもみたいに無表情で受け流してしまうかもしれない。成果も得られず、ただ、学校での肩身がさらに狭くなるだけかもしれない。


 ──けれど、奇跡とは起こるものだ。


 スカートがたくし上げられた、その一瞬。


 男なら誰しも夢見る絶対領域との邂逅に、まず僕の目に見えたのは、健康そうな肌色の……。


 ……肌色の?


 柔らかそうで、美しい曲線を描くマシュマロみたいなマシュマロ。


 そうだ、これはマシュマロ——。


「は、はいて——」


 そんな、どうでもいいことを考えていられたのは一瞬だった。


 すぐに次の衝撃が僕を襲う。


「……今のって」


 ──決定的だった。

 それは、疑いの余地なく、彼女の正体を示すものだった。

 滑らかな隆起を駆け上がった先にある腰の部分。それから、スカートで隠れていた太ももの側面。


 そこにあったのは、まるで、まるで……。


「……見たな」


「ひっ……」


 体の芯まで響くような声に、僕は窮地を悟る。


 ──振り返った彼女の瞳は、血のように紅く染まっていた。


 ……逃げなきゃ。


 僕は弾かれるように走り出す。あてもなく、とにかく、グリムさんから離れて、人のいる場所へ……。はやく、はやく……!


 じゃなきゃ、僕は、あの日みたいに……!


「……がっ!?」


 足に強烈な痛みを感じて、僕は地面に叩きつけられてしまう。

 足をひねったのか、それとも、彼女に何かされたのか。起き上がろうと必死にもがくけれど、足に力が入らない。痛い……、痛い……!!


 ゆっくりと、近付く足音が聞こえる。

 見ると、グリムさんは、僕を見下ろすように、目の前に立っていた。


 僕を見る瞳は紅く、澄んだ空色の瞳の彼女とは、雰囲気が似ても似つかない。受け入れがたい理不尽が、巨大な怪物の姿を象って、僕にのしかかってくる。


 それは、人ならざるものだった。


 ……無理だ、動けない。あの瞳を、あの殺気を、自分に向けられたら、作り付けの覚悟なんて、容易く吹き飛んでしまう。


 は、高く拳を構えていた。そいつの力は、大の男を軽々吹き飛ばすような強さだ。僕が受けて、無事でいられるわけがない。


 誰か、助けて──。


 そいつが、拳を振りかぶった、次の瞬間だった。


「待て──!」


 拳が、ピタリと止まった。


「待て。待て、です。その男に危害を加えることは禁じます」


 それは、どうやら女性の声だった。

 僕を助けてくれたか細い、まさに天の糸。

 でも、今の僕には何となく分かった。


 きっと、人じゃない。


「その男は捕獲するよう命令が出ています。あなたも速やかに、ラボへと戻りなさい」


 物陰から顔を出したそいつは、メイド服姿をしていた。両手を前に組み、お淑やかな佇まい。

 でも、違和感ははっきりとしていた。


 顔に刻まれた継ぎ目のような線。形式ばった口調。それに、不自然に形を成す瞳の模様。


 それは、まるで、まるで……。


「アンドロイド……」


 それが、彼女らの正体だった。



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