1-1 気になるあの子
「今日も欠席なし、か。こんな朝っぱらからご苦労なこった、お前ら」
ホームルームというのは、けだるい空気に包まれているものだ。教師ですらそうなのだから、生徒なんて言わずもがな。
窓際最後列に座り、今日もうっとうしい太陽の洗礼を受ける僕なんて、今や死にかけの虫けらみたいな姿をしていることだろう。
うちの担任は適当な性格をしているので、この時間も長ったらしい話はなく、ホームルームはすぐに終わる。
そうなれば、いち早くこの生き地獄から避難をすべきなのだが、いつもの癖か、僕は席に居座ったまま、とある席に目を向けていた。
彼女、グリムさんは、授業の準備をしているようだった。
グリムさんは、高校入学時に日本へ来た留学生らしい。一年のころは同じクラスでもなかったから噂程度にしか知らなかったが、実際に同じクラスになってみると、その美しさは想像をはるかに上回るものだった。
それこそ、新学期が始まった当初は、その美貌から男女を問わず数多くの注目を集めていた気がするし、特に男子から熱いアプローチを受けていたのも、目の端には捉えていた。
でも、どれもこれも全部、持って一か月だった。
「危ない目ぇしてるねー」
すぐ耳元で聞こえた声に、思わず肩がビクンと跳ね上がる。
その肩に手を乗せて、声の張本人は愉快そうに笑っていた。
「な、なにさ急に」
「いやー? 学校一の美少女を、朝っぱらから舐めるように見回してたからさ。お盛んだねーって思って」
「……っ! 言い方が悪いよ。たまたま見てただけで、別に意味があったわけじゃないし」
「ホントかな~?」
コロコロ笑いながら、
きっとこれも、その手合いなんだろうけど、今日はちょっとまずいところを見られてしまった。
「ホントだし、どっちにしろ井崎くんには関係ないでしょ」
「動揺してる時の常とう句だよそれ。ホントに
「だから、隠すとかないって!」
こっちが強く言っても、井崎くんはまるで聞く耳を持たない。僕の言葉も無視して、またぞろ勝手なことを言い出す。
「へー。でも、グリムさんとは、また難儀な人を好きになったもんだね。運動部エースでも墜とせないような堅物だよ?」
「だから、関係ないって……」
「隠さなくてもいいのに~。だってグリムさん可愛いじゃん。色白な肌、空色の瞳に、白の長髪。うんうん、あんな西洋チックな姿は、さすが留学生って感じだよなー」
僕が何も言わなくても、井崎くんはひとりで盛り上がり始めていた。これでは、むしろ井崎くんの方がグリムさんを好きみたいだ。
「ていうか、井崎くんこそ、グリムさんのこと好きなんじゃ……」
思っていたことが、つい口からこぼれてかけて、不格好に言葉を切った。
居心地の悪い沈黙が流れ、僕は自分の眼鏡を無意識にかけ直す。
すると、井崎くんはなんか爆笑し始めた。
「ぷっ、あははは…! 和田ってホント面白いな、分かりやすくて」
「ちょ、それどういう意味!?」
「大丈夫だよ。別に好きじゃない。君ほど身の程知らずじゃないのだよ」
身の程って……。
随分と酷い言われようだったが、もう言い返す気にもなれなかった。所詮はいつものことなのだ。明日になれば、彼はきっとこんな会話をしたことさえ忘れている。
そう思えたのも、つかの間のことだった。
「まあ、和田のことは応援するよ。今日、こくるつもりなんだろ?」
「……は!?」
何を言われたのか、一瞬理解が及ばなかった。こくる……、こくるって、つまり告白するってこと? 僕が?
一体何を言って……。
「隠すなって。今日、お前がグリムさんの下駄箱に手紙入れてんの、しっかり確認したんだから」
井崎くんのその言葉に、僕は何も言えなくなってしまった。
その言葉は確信を伴った響きをしていた。
「安心しなよ、別に誰にもばらしちゃいない」
大いに邪気を孕んだ笑顔で、井崎くんは言う。いっそ「出すもん出しな」とか言い出しそうな笑顔だった。意味ありげに肩を組んで、顔を近づけてくる。やっぱり井崎くん怖い……。
「あ、あのごめんなさい。今日は全然持って来てなくて……」
「は……? 急に何言ってんの……?」
「ひー!? ごめんなさい、ごめんなさい!!」
やめて、顔だけは勘弁して……! 帰ってからお母さんに顔向けできない……。
「だから、何言ってるんだよ。別に何も言ってないだろ」
見ると、井崎くんはいくらか困惑した顔で僕を見ていた。それから、ようやく気が付く。
よかった……、どうやらお金をせびられているわけではないらしい。井崎くんとは、今後も健全な関係を続けていけそうだ。
一人で勝手に安心していると、井崎くんが仕切りなおしとばかりに僕の肩をポンと叩く。
「とにかく、別に誰にもばらす気はないから、その代わり結果だけ教えな。厳密には、告白の言葉はどうで、なんて言って振られたかまでだ」
「馬鹿にする気満々じゃん……」
「ばーか、傷心の上ぼっちなお前を、特別に慰めてやろうってんじゃねーか」
既に馬鹿にしたような発言だけども、僕が告白すれば多分振られることも、僕がぼっちなのもどっちも多分事実なので、何も言い返せずただ僕が悲しくなるだけだった。
「おーい、和田ぁ! ちょっとつら貸せよ」
そう僕を呼ぶのは、担任である
「ごめん、ちょっと呼ばれたから」
そう言って立ち上がる僕を、井崎くんはじっと見つめている。
何か別れの一言を言った方がいいだろうか、なんて思い悩んでいると、井崎くんがおもむろに口を開いた。
「別に、和田に含むところがあるわけじゃないんだけど」
「え……?」
「俺なら、グリムさんとは付き合わないだろうな。何か、付き合っても心が通じ合わない気がする」
井崎くんは、グリムさんの方を見ていた。それがどういう意味なのか聞くよりも前に、彼は笑顔で僕の方を向く。
「それに、付き合える気もしないしな」
「何それ、僕への皮肉?」
「含むところはないって言っただろ。早く行ってこい」
そうして僕の背中を叩いた彼は、最後に「今の、グリムさんには内緒な?」と茶化して見せた。
ΦΦΦ
桜の時期はとうに過ぎているが、夏の始まりを告げるこの新緑たちも、僕は同じくらいきれいだと思っている。
桜と言われれば「豪華」や「華々しい」といった印象が浮かぶが、緑と言われて思い浮かぶのは、どちらかと言えば「さわやか」とか「エコ」とかそういう言葉だ。環境にも優しい。
そんなどうでもいいことを、さっきから頭の中で延々と考えている。そうでないと、「本当に来るんだろうか」とか「誰かに見られてはいないだろうか」とか、どうしようもない不安や恐怖が思考を埋め尽くしてしまうのだ。
時は放課後。場所は校舎裏。にじむ汗をぬぐいながら、僕はある女性を待っている。
『放課後、校舎裏で待っています。大事な話があるんです。——和田斗真』
我ながらスマートとは程遠い手紙を書いたものだが、まあ要件は伝えられているしいいだろう。
相手は、井崎くんの予想に違わず、グリムさんだ。まさか見られているとは思わなかった。多分、これから何度もこのネタでからかわれることになるんだろうな。そう思うと、元々不安定な心持ちがさらにバランスを失って、今にも崩れてしまいそうだ。
連鎖的に、抱えている不安がドバドバと思考になだれ込んでくる。
……グリムさん、来ないな。
時間の指定はしていなかった。かといって、僕はいつまで待てばいいのか。最悪、閉門ギリギリまで……。
そんな時、僕の耳がピクリと反応する。
足音が聞こえた。
こんな何もない場所に、誰かが近づいてくる。ごくりとつばを飲み込む。
あまり清掃されていない細道を抜け現れたのは、紛れもなく、グリムさん本人だった。
来てくれたんだ。
「あ、えっと……」
心の中が安心感で満たされていく一方で、口は思うように回らない。
白い長髪に、空色の瞳、透き通るような色白の肌。近くで見るとその迫力は数段も増しているように思えた。どぎまぎしてしまって、取り繕う余裕なんてない。
「私に、何か用ですか?」
グリムさんは、至って冷静にそう問いかける。
グリムさん、自分がこれから何を言われるのかとか、想像してるのかな。それこそ、多くの男を
彼女は、周囲にはなじまない。一人、不思議な雰囲気をまとっている。だから、気になってしまった。
「あの……、グリムさん……」
言いたい言葉が喉まで来ている。あと、必要なのは勇気だけだ。
震える僕の姿を、グリムさんは無表情で見つめている。
もう引き返せない境界線を前にして、僕は両手を強く握り。
そして、言った。
「あなたは、いったい何者なんですか」
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