Iにとっての愛だった
枝葉末節
I
孤独さえもが愛おしい時間。私が恋した人は、そんな想いを抱かせてくれた。
静かに身体へ両手を回す。ぎゅっと痕が残りそうなほど強く締め付け、鼓動を確かめる。トクン、トクンと脈打つリズムが心地よい。その音色にうっとりと頬を緩めたとき、枕の側にあるスマートフォンからアラームの音が聞こえた。
「はいはい、起きてるってば……」
冷水をかけられたかのように、先程までの幸福感が過ぎ去っていく。ため息を混ぜて吐き出した言葉は、自分でも分かるほど、まどろみに囚われたままだ。
あくび一つを軽くこぼす。肌着姿のまま部屋を出て、スリッパを履く。それからなるべく鏡は見ないようにしつつ、のんびりと移動。アラームもかなり余裕を持って設定してあるから、時間はあまり気にしない。緩慢な動きで朝の支度を済ませていった。
それでも最後の最後、鏡の前に立つときだけは気合いを入れて仕上げていく。髪を整え、化粧し、表情をチェック。ニコリと笑って、ピースサイン。
うん、今日も私は可愛い。バッチリだ。
少し移動して、姿見の前へ。ぱっぱと手早く着替える。制服のジャケットを羽織り、スカートも翻して確認。服装も問題ナシ、と。
昨日のうちに荷物は用意してある。手早くリュックサックを背負い、玄関で靴を履く。
「いってきまーす」
ローファーのかかとを直し、ノブをぐっと押し込んだ。扉の開く金属音と軽やかな声が、誰も居ない部屋へ反響した。
マンションの一室から出て、鍵をかける。足早に階段を下り、退屈なコンクリートの建物からさよなら。オートロックの扉を通り、人も車もまばらな道を歩く。
学校からは歩きで通える距離。元々高校へ通うために借りた部屋だ。これで通学時間が長かったら一人暮らしを始めた意味もない。ただ通学する時間も短いものだから、いつも部活動しているワケでもないのに早く教室へ着いてしまう。
家の中で暇つぶしする時間も、ないワケではない。あれこれと衣装を試すとか、スマホの写真を軽く加工するためにパソコンとにらめっこする時間もある。
それらの時間をなぜ朝時に使わないのかと言えば、私と交流する人を増やしたいがためだった。
校庭を走り回る運動部員を横目に校舎へ入って、隣の教室まで進む。あえて隣だったのは、まだ話しかけていない人を目にしたから。
私は誰とでも仲良くしたいのだ。まだ高校一年目と言えど、夏を手前にしたこの時期にもなれば距離が近い人の名前と顔くらいは覚える。次に食指が動くのは、違うクラスに所属している人たち。特にこの早い時間から暇そうに過ごしている人なんて、声を掛けるしかないでしょう。
開放されたままの扉を通り、その人に近付く。制服からして男子生徒なのは間違いない。手元の本に集中しているのか、私が距離を詰めつつあると気づいていないようだ。
「おはよーう!」
「うわった!?」
至近距離から大きめの声で挨拶をかます。びくっと跳ねて机にぶつかり、そのまましばし悶絶している。ちょっとやりすぎてしまったかもしれない。
「ごめん、そんなに驚くとは思わかなった。本に集中してたから……」
「あ、あのなあ……読書中の人間見たら、誰彼構わず驚かしに行くのか?」
しばらく苦しんでいたが、ようやくといった具合でこちらへ視線を向けてくる。咄嗟に謝罪のポーズとして両手の平を合わせて頭を下げた。
「あれ、別クラスだよなお前……どっかで見た気がするんだが」
「お、私のこと知ってるの?」
「知ってるっていうか、見覚えあるくらいだけれど」
その言葉に少しだけ上機嫌になる。説明をする手間も省けた。あとはバッチリ自己紹介するだけ。
「えっへっへー、それもそーよ。元・人気子役の
得意げに腰へ手を当ててふんぞり返る。ついでに若干のドヤ顔。
「もしかして、大河ドラマ出てた?」
「うん、出てた。あとは学園モノのいじめられっ子役とか、実写化映画の子役とか」
話題になった作品にはそれなりに出演しているハズだ。テキトーにいくつか挙げると、思い出したかのように「あー、見た見た」なんて相槌を打たれた。
「家族がテレビ映しっぱなしにしてたし、多分そこで見たんだろうなぁ……で、俺になにか用?」
「用ってほどじゃないかな。ただ友達を増やしたかっただけ!」
お互いに改まって対面する。それから私はニッコリ笑い、本来の目的を伝えた。しかし、どうにもリアクションが薄い。否定というワケではなく、困惑の方が勝っているようだった。なんで、と聞かれる前に話を続ける。
「上下関係に疲れちゃってね。横の繋がりが欲しくなったんだ。大物タレントとかじゃなく、気楽に話せる同級生の友達がいいの。中学までは収録でバタバタして遊べる時間もなかったから、交友関係も狭くってねー。だから高校で必死に友達作りしてるってワケ」
聞こえのいい本音のみ伝える。真実からは少しずれた理由。私はただ、テレビ越しではない私をたくさんの人に知ってもらいたいだけだ。
「ふーん、やっぱ芸能界って大変なんだな。……まあ、俺で良ければ友達になるよ」
納得した素振りを見せたので、「やたっ!」と歓喜の声を上げながら相手の片手を掴む。一方的な握手を済ませて、力を抜いた笑みを見せた。
そんなやりとりをしていると、朝練を済ませた同学年の生徒たちが教室へ入ってきた。物珍しく見られるのは慣れているし、こちらのクラスにはまだ顔合わせしていない人も多いから、授業が始まるまでここに居座っていても良かったかもしれない。けれどまだ自分のクラスでの付き合いがある。結局、「じゃあまたねー!」とだけ言って、友人プラス1という成果を記憶し自クラスへ戻った。
「あれ、夢佳じゃん。どこ行ってたの?」
「おはよう。ちょっと隣のクラスに遊び行ってた」
教室に入って直ぐ声がかかる。朝練を終えた面子の何人かへまとめて挨拶していく。それらと会話しつつ、遅れてぞろぞろ入ってくる人たちにも手を振って応える。
「あの、花宵さん」
ふと、そのうちの一人が遠慮がちに声をかけてきた。あまり話さない男子だったけれど、同じクラスだったのは覚えている。やや中性的な、儚い顔つきが印象的だった。
軽く首をかしげて、優しく「なぁに?」なんて返す。少しおどおどしていたが、不意に姿勢を正して目を真っ直ぐ見つめてきた。
「今日の放課後、少し話したいのだけれど、時間もらってもいいかな」
「直ぐに済むならいいよー」
表面上はにこやかに。心の内は沸き立って。けれど歓喜の言葉は抑えつける。男子がこんな切り出し方をする話なんて、告白がほとんどだ。周りの女子もなんとなく察しているようで、ニヤニヤと笑いつつ私に視線を向けてくる。
それでも「なんの話だったっけー」と雑談に戻り、ホームルームまでの空いた時間を潰した。
その後も同じ。休み時間と授業の時間を適当に繰り返して、気がつけば放課後。部活の練習に行く面々を見送り、教室に残った人が少なくなった辺りで、朝話しかけてきた男子へ近付く。
「お待たせ。話ってなにかな?」
おおよその推測は持ちながらも、なにも知らないみたいに声をかけた。緊張のためか手をぐっと握りしめた男子は、ぎこちないながらも「場所を変えて話したい」と伝えてくる。軽く了承の相槌を打って、先行く彼に追従した。
どこまで行くのかな、なんてぼんやり思いつつ歩く。屋上は施錠されているし、体育館周りの死角は運動部がたまに来る。そうなると校舎裏かな、という予想は当たったようで、下駄箱で靴を履き替えてそのまま外へ向かった。
この辺りは周りから見えづらい。廊下の窓か外側の
彼も同じことを考えていたのか、周囲に人が居ないかだけ確認すると、振り返って私を見つめてくる。この後のセリフは、私でも予想出来た。
「花宵さん……その、初めて見たときから好きでした。付き合って下さい!」
やはりとでも言うべきか、余りにもテンプレート通りな要求。ここまで来るといっそ清々しいほど、なんのひねりもない言葉。ほぼ直角まで曲げながら差し出された右手は、握ればオーケーの返事になるのだろう。だから私は距離を詰めて、口を開いた。
「ごめんね。私、あなたのことを全然知らないの。だからあなたの気持ちには応えられない」
それを聞いて失望に下がって行く手を、しかし私は掴んでみせた。
驚きに顔を上げた彼へ、更に言葉を繋げる。
「それに、あなたも私のことを知らないでしょう?……爪の形、指の長さ、弱々しい握力」
一言言う毎に、手を絡ませていく。そのまま軽く握って、互いの手のひらを合わせた。
「だからまずは、お友達からはじめましょう? そしたらいつか、私の唇や胸の柔らかさなんかも、分かるかもしれないよ?」
自身の顔が快悦で崩れているのを自覚する。対面した男子は耳を赤くし、おどおどと視線を彷徨わせていた。
もういいかな、という頃合いで指を離す。姿勢を正すと、男子も慌てて直立した。
ニッコリ笑ってピースする。あとは「それじゃ、また明日ね!」とだけ言って、固まったままの彼を後目に下校した。
……帰宅までの時間が、普段より長く感じる。気持ちが高ぶっているせいだ。今直ぐ想っていることを口にしたい。でもダメだ。私の恋は、多くの人に受け入れられないモノだから。
出かけるときは退屈に見えたマンションも、今ばかりは要塞のように頼もしく見えた。
早足に自室へ入る。靴も直さず、リュックサックを半ば投げるように下ろした。
姿見の前へ。映っている姿は当然私。急いでいたのもあって、息を荒げて肩を上下に動かし、頬まで赤らめる。ただこの赤らみは、なにも運動しすぎたせいではない。どうしようもなく、興奮してたのだ。それは紛れもなく、自分自身に。
「ふ、ふふふ、あはははっ」
最初こそ声を抑えて笑っていたが、途中から制御できなくなった。けらけらと身体を折って大笑いする。
「ねえ私! 今日もまた告白されちゃったよ! あはははっ!」
はたから見れば狂ったように見えるかもしれない。でも止められなかった。少しずつ呼吸を整えながら鏡に迫っていく。そのまま壁際に両手を当てて、姿見を追い詰めるような姿勢を取る。
「今日も私は友達が出来たよ。今日も私は素敵だったよ。今日も私は私を愛してたよ」
うっとりと顔をゆるめて、鏡に映る私へささやく。
他人なんかに言えやしない、この愛の言葉は。
Iにとっての愛だった 枝葉末節 @Edahasiyou
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