第21話 危機

ふわふわ。

いいにおい。

お肌すべすべ。

ふにゃ〜。

「触んな!」

アリスの下敷きになってただけの俺は無情にも首がもげそうなほど強烈なビンタの後踏み台にされた。アリスの顔は珍しくまっ赤になっていた。かわいー。

「どうしてそんなに怒ってんだぁ、アリィ? ゲップ」

「心当たりないとか言わせねえぞクソジジイ」

「あー思い出した思い出した、ササキってやつがな、お前と連絡つかないからどこにいるか知らねえかって聞いてきたからよ、同僚と遊びに行ってるんじゃねえかって言ったら、その人は男かとか聞いてきてやけにキレてんなーと思ったらそいつお前の彼氏だっけな。よく考えたら紛らわしいこと言ったかもしんねえわ、ワハハ、メンゴメンゴ」

うわあ、退くわー。

ボコスカボコスカ。


「さて」

真面目な話をしなければ。

「率直に聞くけど、おっさんは結局何者なんだ?」

いい加減なナリのくせにアリスを圧倒するほどの力量。ただのグラサンではない。

槍司と、手を縄で縛られたアリスがこっちを見て怪訝そうな顔をしている。おっさんは一つでっかい欠伸をしてからこっちを見た。

「ん、お前頭から血出てるぞ」

「ギャーー」


「アリィの紫電の本質は霊子の光速移動だ」

グラサンの男こと保安庁対亡霊部所属特殊部隊2番隊隊長、獅子鹿ししか大輔。隊長と言っておきながら2番隊に隊員はおらず、単独で仕事をしている。昔槍司とアリスを親同然に育てていたこともあるという。なるほど、それで「クソジジイ」か〜。うーむ......

「紫電は超練空が前提の技だ。空気が紫に見えてるのは、超練空で捕まえた霊子の色でな、その紫色の空気は自由に動かせるっつうわけなんだが、それを霊子が移動する道として使うこともできるんだ」

霊子を移動させる...... ここらへんはこっちの科学が通用しないみたいだ。

「政府お抱えの科学者の話だが(やつらは新聞やら雑誌やらに胡散臭せえことばっか書いてんだよ、実際に霊を見たことすらないくせにな)、人間を人間たらしめてるのは人魂っつうほんのちょっとの特殊な霊子で、逆にいやあ、そのほんのちょっとの特殊なやつがあるところに霊子が凝縮して、人間の体が出来上がるってな。つまり紫電は、超練空でこしらえた道を人魂が光の速さで移動することで、まるで人間そのものが瞬間移動したみたいに見えるわけだ。嘘みてえな話だが、実際にやってる奴がここにいるんだから仕方ねえ、俺も反論できねぇぜ、ハハハ」

異次元すぎてよく分からんけど、それなら俺も反論できないわ、はっはっは。

「紫電はそれだけじゃあねえ。この前悪霊と戦った時は紫電と一緒にビカッって光ったんじゃないか?あれは移動するときに光ったわけじゃねえ。蹴りの衝撃で光るんだ。人魂を移動させるために作った道あるだろ?それをさらに超練空して、足に纏うんだ。そんでこいつの馬鹿力で蹴りが入れば、そりゃあもうとんでもない重さの蹴りだからな、霊子の方だってびっくりして光っちまうっつうわけだ。うん?蹴りじゃなかったか?まあおんなじこった。だが、さっきの蹴りは全然ダメだな、気が急いて超練空が疎かになったんだ、だから光らないし、当たったところで効きやしねえ。甘ったれてる!修行が足りないぞ!ビシッ」

アリスはつんとしてそっぽを向いている。頬っぺたちょっと膨らんでるのかわいー。

「ソー坊、お前もだ!ビシッ」

槍司は肩をすくめてやはりそっぽを向いた。

「そういえばよ、さっきのケンカ、あのジジイ、うっかり話しちまった〜みたいに言ってるが、間違いなくわざとだぞ。連絡が繋がらないってそんなはずはねえ、自分から相手に話しかけて、根も葉もないこと吹き込んでるんだ。」

確かに想像に難くないというか、なんというか。やりそうだわな。

「これまで8回は同じ手口使ってるぞ、とんだタヌキだ。いいか、俺もお前も他人事じゃねえからな、あのジジイに余計なこと教えんなよ。どう利用されるかわかったもんじゃねえぞ。」

「へっへっへ」

「笑い事じゃあ......」

「ソー坊、俺は決めたぜ。俺は、何としてでも、あのタヌキジジイを突破して、アリィにケッコンして貰うぜ!」

「・・・はあ?」

「俺は本気だぜ......ササキ?ってやつに前会ったけどよ、いやアリスとササキが会ったのを見たんだけどよ、あんなのはヒモだぜ、ヒラッヒラのペラッペラだぜ、そんなやつに俺たちのアリィを取られてたまるかってんだ。ソー坊も応援してくれるよな?」

「お、おう...... 知らんけど、もう一度その呼び名使ったらシバく」

「失礼、槍司パイセン......」

「なんかもうなんでもいいや......」

覇気がない。珍しくお疲れのご様子で。

「そうだ......一つ言っておこう......」

槍司は俺の右肩に手を置いて、その手の上で呟いた。

「隊長は......アリスは、ああ見えても、実は脆い。助けを必要としてるんだ。お前もあいつを信頼しているのなら、支えてやってくれ。」

それから、槍司は少し俯いた様子だったが、俺を通り過ぎて、背中越しにフッと笑いながら言った。

「まあ、お前が生き残れたらの話だがな。」

「おーい、ソー坊、どこ行く?他人ん家壊したんなら直してけよ?」

「え、俺は何もしてな...」

「もちろん連帯責任だ (^_^)d」

「......はあ」

なんか今回ばかりは槍司に同情せずにはいられなかった。


 カン、コン、カン、コン。

 槍司はため息をつきつつ、アリスはムスッと唇を締めつつ、手際よく修理している。まあ一階建て一部屋の簡易的なログハウスだし、木材さえあれば直すのは難儀ではないが、こうまでスムーズなのは前科が相当あったのだろう。カット済みの木材が家のすぐそばにピッタリ用意されてるのは前もって分かってたとしか思えない。ちなみに俺はその木材を搬入するという最も過酷と思われる仕事を任されたがしかしこれは俺が建築的なことに関して素人なんだから仕方がない。でもこれ普通何人かで持つやつじゃないの、アァ〜キチィ〜。

 その時、後ろから風に乗って人ならざるものの声が聞こえた気がした。振り返るとちょっとサイズ大きめのハシビロコウみたいな鳥が2匹いた。なあーんだ、鳥か......と思ったら、鳥たちはクチバシをあんぐり開けてその中からガイコツがのっそり出てきた。こちらに向かってくる。

 冷たい風が吹く。

 落ち着け、これを使うんだ......結城家の札!

 俺はそれをガイコツたちに見せつけた。ほら、この札が目に入るだろうが......あれ、光らない......

 ガイコツたちは前進を続ける。

「グワアアアアタスケテエエエ」

俺が情けなく悲鳴を上げたところで、アリスが紫電で現れてカナヅチでガイコツの頭を吹っ飛ばし、もう一つのガイコツは突然重力に押されるように地面に埋もれた。振り返ると獅子鹿がいた。

「困るねえ、ヒデッちを匿うためにわざわざ俺の家に引っ越させたのに、もうばれたのかあ?」

「ハ、むしろ好都合だろ。ここなら遠慮なく雑魚共をいぢめられるなあ!」

アリスはいつの間にか縄を引きちぎっていた。ガイコツたちは再生して何事もなかったかのように立ち上がるが、その度にアリスに叩き割られた。どうやらその破壊音が気に入ったらしい。俺はくちばしをあんぐり開けたまま動かないハシビロコウを見ていた。


(何とか逃げおおせたか......)

黒装束の忍らしき風貌の男が、息を切らして山を下っていた。

(あんなのもはや災害だ、密偵なんてやってられるか!)

密偵。なるほど、ずっとつけられてたってわけか。それにしても悪霊を連れてくるなんて物騒だな。

(ん?)

まずい、気づかれた。

「おっと、これはこれは自ら獲物がお出ましで」

俺は男に首を掴まれる。目はこれでもかと剥き出して、俺の目を覗き込んでくる。

「お...俺を...殺すわけには...いかねぇ...んだろ...?」

俺はこの男が<ヒマワリ>のものではないと推測した。もしこの男が<ヒマワリ>の密偵で、ずっと前からつけてたとしたら、この前にあった<ヒマワリ>のケージの『聞いてねえって、“紫電”が一緒に付いてるなんてよぉ』という言動と矛盾する。それに俺の居場所は俺自身さえ知らされてないんだ、おそらくあの家の位置は極秘なのだろう。<ヒマワリ>の者がそれを知るすべはないと信じていいのではないか。<ヒマワリ>以外でこの場所に俺がいることを割り出して、狙ってくるとしたら——

「別に、最低限口が聞けるなら、お前のその腕も足も要らねえけどな?まあ黙ってついてくるならそれがお互い一番良いと思うぜ」

首を掴む手の力が強まる。声に温度がない。ケージとは違った狂気だ。まるで目的にしか興味が持てないような。

?」

アリスが追いかけて来ていた。

?」

アリスが男のあげた腕を掴んで言った。やはりこの男は霊国政府の......

「手を離せ」

男は首を掴んだ手をそっと離した。

「ゲホッゴホッ」

実を言うと俺は怖くて仕方がなかった。『平気で人を殺せる』、それ自体は初めてじゃない。しかしこれほど冷たい殺意がこの世に存在するとは思わなかった。これがレイが差し出した者なら......しかしなぜ......

「あら、お利口さんね。それで、本日はどういったご用件?」

アリスは微笑みつつ、胸の前に握り拳を作って言った。まったく、艶かしい声とおどろおどろしいがなり声を両立した声質があまりに悪魔じみている。が、俺の気が恐怖で支配されているせいか、声に覇気がないように感じられた。

男は、口元が隠れていてもわかるくらいはっきり、表情を柔らかくしてこう言った。

そして男は風が吹くと同時に砂塵のように消えてしまった。

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